「すいばり」

てぶくろが やぶれたままの あなのなか
すいばりが ささったままの いたみあり

おやゆびと ひとさしゆびの あいだには
ふくれあがった うみもあり

ひあぶり はりさき つきさして 
すいばり はいだす うみのそと

はれた たにまの むこうから
とうめいなあな はいだして

いたみ つついて はりついた
すいばり はいだし なくなりて

はれた たにまを のぞきみて
いつか なくなる いたみあり


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木の中にある穴をのぞきこんでみた。
穴の中はまっくらでなにもみえなかったが。
なんとはなしに、手を入れてみたくなった。
昨日からすいばりがささったままの手を。
まっくらでなにもないとおもいつつ。
穴のふちをさわってみた。
せなかのあかいまっくろな虫がはいでてきた。
せあかごけぐもかもしれないと。
足をかぞえてみたものの。
ろっぽんあしの虫だった。
ありにしては大きすぎ。
くもにしては足がすくなくみじかくて。
手の中のすいばりのようにくろかった。
いたみがあなからはいだして。
うろうろはいずりまわりだし。
のたうちまわるそのまえに。
うみといっしょにだしたいと。
そのときいたみの正体をみつけたようなきがしてた。
つかみきれないまっくらないたみをつついてしまったが。
そのときいたみをてにいれた。










  








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by akikomichi | 2018-03-24 22:13 | | Comments(0)

以下抜粋

私はプーラン・シングの鍛冶場が好きだった。キクユ族の人たちは、二つの点でこの鍛冶場が気に入っていた。

まずひとつには、鉄という素材のなかでも最も魅力に富んだもののせいである。
鉄は人々の想像力を彼方まで導いてゆくものだ。

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第二に、土地の人々の自然に近い生き方を鍛冶場に惹きつけるのは、その音楽である。
鍛冶のかんだかく快活な、しかも単調で目覚ましいリズムは、神話のような力を持っている。
雄々しさに満ちたその音は、女たちの平衡を失わせ、心をとろけさせる。
その音は率直で気取りがなく真実を、ただ真実のみを語る。

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彼の鍛冶場のつち音は、聞く人の心にそのまま声を与えるかのように、それぞれの人が聞きたいと望む歌になる。
私にとっては、つち音は古代ギリシャの詩の一つを歌っていると聞こえるのだった。その詩を友達が訳してくれた。

「エロスの神は鍛冶さながらにつちを振りおろし
あらがう我が心を火花を散らせて打ち打つ
エロスは我が心を涙と嘆きもて冷やす
赤熱の鉄を流れにひたすごとく」


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オウム

デンマーク人の年老いた船主が、自分が若い頃の思い出にふけっていた。
16歳の時、シンガポールの売春宿で一夜を過ごしたことがあった。
父親の持船の船員たちと一緒に登楼し、そこで中国人の老女と話をしたのだった。
少年が遠い国から来たのだと聞くと、老女は自分の飼っている年取ったオウムを連れてきた。
昔々、私が若かったころ、やんごとない御生れのイギリス人の恋人がいて、このオウムをくれたのだよ、と、老女いった。
それなら、この鳥はもう百歳くらいだ、と少年は思った。
老女の昔の恋人は、このオウムを彼女に送り届ける前に、何かの文句を教え込んでいた。
その言葉だけは、どこの言葉なのか、どうしてもわからず、客たちの誰に尋ねてみても、意味のわかる人は一人もいなかった。
そこで、もう長年の間、女はたずねるのをあきらめてしまっていた。
だが、そんなに遠くから来たのなら、もしかして、これはお前さんのお国の言葉ではないかえ。
そうだったら、この文句の意味を説明してもらえまいかと思って。
そう言われて、少年は不思議な感動に心をゆすぶられた。
オウムを眺め、そのおそろしいくちばしからデンマーク語が洩れるところを想像すると、もう少しでその家から逃げ出しそうになった。
だが、その中国人の老女に親切をしてやりたいという気持ちが、かろうじて少年の足をふみとどまらせた。
ところが、老女がオウムに例の言葉を言わせるのを聞いてみると、それは古代ギリシャ語だった。
オウムはその言葉をとてもゆっくり唱えだし、少年にはそれがわかるくらいのギリシャ語のわきまえがあった。
それはサッフォーの詩だった。

「月は沈み スバルの星々は沈み
真夜中はすでに去り
かくて時はすぎ 時はすぎ
横たわる我は一人」

少年が詩句を訳すと、老女は舌を鳴らし、くぼんだ小さな眼を見張った。
もう一度繰り返してくれないかとたのみ、それを聞くと、ゆっくりと頷いた。

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キクユ族はもともと死者を埋葬せず、地上に置いたままにしてハイエナやハゲタカが食べるにまかせる。
私はこの習慣を好ましく思っていた。
太陽と星々の光にさらされて横たわり、短時間のうちにきれいさっぱりとたべられて消滅し、そして自然と一体になり、風景の一部と化すのは、楽しいことではないか。

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「嘆きの歌を変えよ
よろこびの調べに
われはあわれまんとてきたらず
楽しみを求めて来るならば」


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「死にあたり
火はわがむくろを犯せども
われ心にとめず
今はすべてのもの、
われにとりてよければ」


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by akikomichi | 2017-09-17 14:12 | 小説 | Comments(0)

「束」

「ファッショ」が「束」という意味であるならば
束になってかかってくるものは
ファッショになってかかってくる
札束は貨幣のファッショである
花束は美のファッショである


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by akikomichi | 2017-03-26 21:51 | | Comments(0)

平和のさいてん

平和のさいてんがあるという
平和のさいてんとは勝つ者にとって争いを正当化できるものである
平和のさいてんがおこるまで
争いのさいてんかんき


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by akikomichi | 2017-02-08 07:09 | | Comments(0)

川沿いの朝

第一回プラチナブロガーコンテスト



川沿いを歩く朝から

川沿いの茅までもうすぐ一曲がり

鎌を手にして茅を刈り

赤い取っ手の千吉の鎌を手に入れ茅を刈り

かあさんとうさん歩いていく

向こうの方で

太陽を背にして影を見つめたり

詩を吟じたる人のおり

川の流れに沿うように

詩を吟じたる人のおり

茅にまみれて人のおり

赤い鎌にてあしを刈り

よしとするかや

川沿いの詩吟も流れし朝のことなり
 



アート・デザイン部門

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by akikomichi | 2017-01-25 12:03 | | Comments(0)

灰色の空の鉄砲
雹にうたれそこなう
狙っていたのは人だまり
仕事を求めて群れをなす
人の頭に降り注ぎ
車の列にも降り注ぎ
エンジンを切り待機する
暖をとらずにうちつける
雹の塊うちつける
爆撃の音 ききとれず
血と土ほこりの下敷きの
人の姿は見えずとも
血の気の引いた人々の
冬の寒さを尻目にし
カジノ騒ぎの国会の
国の代表空騒ぎ
中国の富豪が寄ってくるんだと
保育園も作らずに
金ふんだくることばかり
雹 雹と降る
灰色の空の騒ぎの空しさの
向こうに並ぶ人々の空しさにうつ雹がうつ





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by akikomichi | 2016-12-14 13:47 | | Comments(0)

そんなこと

そんなことしているからいみきらわれるのだ
ぽけもんごも
おのれのどうほうだけはんがくきゃんぺーんも
にほんじんからけいたいりょうきんを
べらぼうにたかいねにしてくすねとることしかしないから
いみきらわれるのだ
さべつをしているのはおのれ
ごまかしてもごまかしきれない
ふとうなさべつはぶべつとかし
それがただされないかぎりかわることはない

 


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by akikomichi | 2016-12-08 13:22 | | Comments(0)

人型

人型が欲しいと倅が言った
それから手型もと
立体的な木製のもの
まだ作り込まれていないもの
これから作り上げていくもの
そうして
子供達は自分のものを作り上げていく
それでいい
自分の好きな道を作り上げていく
地道な歌をも受付ながら
すのままですりあげ小手面を打突するように
自分のものを作り上げていく
それがいい


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by akikomichi | 2016-12-06 12:05 | | Comments(0)

ゆいフェスタに伺った。

詩人の伊藤比呂美さんの「ライブでお悩み解決!万事OK!」
という生相談的な講演会があった。
宗像であったので、昔住んでいた場所で、お話を聞けることは嬉しかった。

大統領選最中のアメリカの、カルフォルニアに住んでいる彼女は、どのように詩を育んできたのかが、聞きたかったので、悩みというよりも、創作の形をお聞きしたいと思っていた。
具体的に、感じ方などの違いをお聞きしたかったのだが、作品で感じて欲しいということで、作品から、全てを感じることをお勧めされた。
確かに、その通り。
違いは、それぞれが感じればいいことではある。
ご本人が感じていることを、読み手が受け取れることが、少なからずあるであろうから。

彼女のアメリカ生活は20年にも及び、その中で、最近、面白いことがあったという。

日本とアメリカを行ったり来たりしている彼女であるが、日本で買い物に行って駐車場を歩いている時のこと。

車の若者が、交通弱者?だった横断中の比呂美さんをひきそうになった時、何すんだあと思い、若者に物言いをしたら、相手がビビっていたという。
よくよく考えたら、鬼のように髪を振り乱して、英語でまくし立てていたからだと、はたと気づいたらしい。

やばい。やっちまったという話であったが、不意に出てくる言葉が、英語になるには、それくらいのスパンがいるということなんだろうが、興味深くもおもろいエピソードであった。

いつか、詩も不意に出てくるようになるのだろうが、そこまで行くには、また、いくらか時間がかかるのかもしれない。


新しい本も出されるという。

死に向合ったところで出てきたもののようだった。

彼女が朗読してくれた、般若心経の口語訳は死であり、詩であった。

あそこまで行きたいという願望は、自分にも少なからずある。

行けるかどうかは、万事、自分次第ではある。


講演が終わった後、父母に会う。

書いていた小説を読んでもらおうと、一部、持って行っていた。

父母がどう読むか、楽しみではある。

自分のこれまでの人生の総仕上げのようなものである。

かつて同じ場にいて、家族として個として何を感じていたのかを、あらゆる角度、眼差しを通しながら、磨きあげてみたいのだ。



家に帰り着くと、トランプさんがアメリカ次期大統領戦の勝利宣言の運びとなっていた。

ヒラリーさんは、これから、政治家か、それとも弁護士をされるのだろうか。

道はそれぞれ、いろいろあるだろう。

昨日とは何かが違う世界になったのだと感じた。
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by akikomichi | 2016-11-09 18:01 | | Comments(0)

野蛮な詩

野蛮な詩 なんて響きがいいのだろふ 嘘の平和をうたいたくはない
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by akikomichi | 2016-11-07 08:10 | | Comments(0)