タグ:詩小説 ( 278 ) タグの人気記事

七年

木のしゃもじがこわれた。

七年前の震災の時、あまりにゆれるのでそこにはいられないといって福岡の方にやってきた人にもらったものだった。

しゃもじも、よくここまでやってくれたと思う。

もう、七年もたっていたのだから。

そういえば、父の介護が必要になった頃、うちにやってきていた時でもあった。

右半身不随の父と散歩しながらリハビリをしているときに、苺を孫に買うてやれと言って、八百屋さんにふたりで立ち寄った際に、地震が起きたことを店のお客さんから聞いて知った。

母や姪っ子が東京にいたので、家に帰り連絡を取ろうとしたが繋がらなかったのを思い出す。

もう、あのような思いはしたくはない。



どうか、だれもが安心して暮らしていけますように。

なくなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。



[PR]
by akikomichi | 2018-03-11 20:58 | 詩小説 | Comments(0)

無色透明な

無色透明なものは風のようで、水のようで、夢のようで、うたのようで、時間のようで、重力のようで。

見えそうで、見えにくいようで、そこにあることだけはかんじられるようで。

うつくしいものをつくっていけますように、まわりの方々の助けもあり、ここまでこれたことに感謝して、これからはじぶんでもつくっていけますように。

かわいい子らには、すきなことをしつづけてほしいと心から思う。


[PR]
by akikomichi | 2018-03-10 23:16 | 詩小説 | Comments(0)

「原風景としての」

 今回、補修に関わった、日田の咸宜園は、「咸(ことごと)く宜(よろ)し」という広瀬淡窓の願いのこもった場所であったという。

 思えば、咸宜園には縁があった。

 広瀬淡窓の縁の塾であることは知っていたが、日田で開催されていた自由の森大学に月に一度訪れていたときに、行ける時は見に行っていたのだ。
 広瀬淡窓が夢の日記のようなものを書いていたのを漠然と覚えていたのだが、まさか、自分がその屋根の上に登って、屋根の補修に携わるとは夢にも思わなかったが、これも、ここにいることになった、運命のなせる技であると言えよう。 
 
 屋根の谷の部分などで、杉皮葺きをしていたのも、当時は全然わかっていなくて、茅葺屋根であることしか、見えていなかったが、今は、間近でその作られる場を見られることで、少しずつ、細部が見えてくるようになって、これからは、もっと違った見え方でみえてくるようになると思われるので、今、自分の見えていることを書き残しておけるものは、書き残していきたいと思う。

 親方の手を見ていた。
 谷を埋めていく茅の上の杉皮の一枚一枚を手わたしながら。
10〜12,3センチの幅、60センチほどの長さの短冊状の杉皮を使うのだが、谷の形に合わせて、場合によっては、斜めに切ったり、短く切ったり、その場にあった形にしていくばかりでなく、薄いものから徐々に厚手の丈夫な杉皮を上の方に葺いていく過程を目の当たりにした。
 それを、篠竹などで押さえていく。

 そもそも、谷状の屋根の場所は、雨が流れやすく、傷みがはげしいとされる場所で、そこを茅よりは硬く、皮の厚いものを使うのは理にかなっていると思われるが、茅の上に、杉皮を使うことによって、茅だけの場合よりも、屋根面の乾きに若干の差ができると思われる。
 茅のみの場合よりも、乾きは杉皮のほうが乾き具合は、茅と杉皮の間の別の素材であることもあり、遅々としている場合も考えられ、雨に強いと思われれる一方で、乾きの面では弱いと言わざるをえないという、両面を考えて、その屋根にあった谷をつくり、屋根にあった素材を選ぶ必要があるということを、以前、先輩の上村さんにお聞きしたことがあり、そのことを目の当たりにした現場であった。


 雪が降る中の仕事であったので、お天気とともに行動している、動物的本能が蘇るような、季節に敏感になるような、いつも空を見ているような毎日である。


 茅乃舎さんの現場においても、雪が降った。
 親方は、現場で、雪かきをしたのは、はじめてだとおっしゃっていた。
 雪をかいて、速く乾いて作業ができるように、茅混じりの雪を集めて回った。
 寒波がやってきたのは、全国的ではあったが、久山の、黒田藩の隠れ城がの近くの関所のようなところに、茅乃舎さんがあったというから、人里から離れ気味のところではあったが、蛍も棲んでいる川の流れの近くにある茅乃舎さんは、風情があり、こんもりとした山のような、かなり大きな茅葺きの屋根であった。

 大きな屋根であるとともに、川の近く、山の近くということもあり、湿気と山陰の影響はあるとして、さらにお食事どころであるため換気がしたくとも、お客様のいる間はもちろん、セキュリティ関係の都合上か、なかなか開け放し状態にはできないという、次練磨もあったようであるが、なんとか、長持ちできるよう、手をつくして、丁寧に補修をされていた。

 自分は、まだ、茅を運んだり、道具を運んだり、掃除をしたり、見て覚えさせていただく段階ではあったが、間近で拝見できる、貴重な現場にいられて、心より感謝している。

 また、近くの山水荘の女将さんや旦那さんにも泊まりの際に、とても良くしていただいて、毎日が天国のようであった。


 今現在、伺っている那珂川の個人のお宅もまた、川の近くの、しかも蛍の飛ぶ清い川のほとりであり、お宅の庭にもおそらく蛍が舞うのであろうと思うと、「茅葺き」と「川」と「蛍」は、どこかで重なるもの、同じところで息をしている、生きている、流れている時空間にあるもののようにも思えてきた。

 原風景としての茅葺きを、ずっと思い続けている。

 







 



[PR]
by akikomichi | 2018-03-10 21:12 | 詩小説 | Comments(0)

 その日は、すこし寒かった。
 夜明け温泉に入ったあと、夜の釈迦岳に行こうといったのは、私ではなく、友人であった。
 友人は、家族と離れて暮らしていた。
 結婚を卒業したような、家族を卒業したような、人生を卒業したような、日々を送っているが、みるからに心も躰も自由であった。
 一度は、私と一緒に暮らそうとしたが、友人でありつづけるためには、一緒にいることは無理であることに、お互いに思い至り、それからは、今まで通りに、会いたいときにどちらからとなく連絡を取り、しばらくあっていなくても、いつもいてもいなくても、そこにいたように、お互い話し始めるのだった。
 その夜もそうであった。
 突然、連絡があり、夜明け温泉にいこうといったのは、友人であった。源泉かけ流しの鄙びた大衆浴場で、演歌が厳選かけ流しになっていて、心も躰もゆるゆるとぬくもっていくのだった。
 薬湯があり、草の香ばしさにつつまれながら、躰の節々がひりひりとしてくるのを感じ、そろそろと線を描くように流れ続ける源泉に打たれにいくのだ。
 頭のてっぺんの天柱からはじまり、鳩尾、脹脛、足の甲、爪先、踵までぐるりと見えない線をえがくように、打たせ続けるのだ。
 私は、見えない線を描き続けていた。
 獣のように、はいつくばって大きな岩をみたり、あおむけになって天井をみあげながら。
 声にならない、叫びにもならない言葉をさがしていたようにも思えた。うたにもならない湧き上がる源泉のようなほとばしるもの。

 その線は源泉に繋がっていた。

 地の底からやってくるようなどろどろとした熱を伴ったもの。

 それが、すっかり冷めてしまったのは、釈迦岳の辺りを見渡せる程の高みのせいであったのかもしれないが、湯冷めしただけではない、心と躰の湯上がりあとのゆるやかな冷えを、夜明けのあとに、いつのまにか夜になってしまうような、目が覚めたのか、睡ったままなのかさえわからないような、休日の間延びした時間間隔のようなものを、まがりくねった山道を上りながら感じていた。

 友人は釈迦岳の中腹でいった。

 つれあいは私の現実にはいなくなった。
 いまひとりでいきている。
 いままで自分を喜ばすことをしてこなかったから、自分だけを歓ばすことに、今は満足している。

 私は、友人と同じ気持ちであったが、まだ、私の中には、ひとりではないなにかがあった。それは、家族というものであったかもしれないし、もしかして、体の中を経巡るみえない源泉のような、赤い血にも潜んでいる記憶のようなものかもしれなかった。
 自分だけではない何かに突き動かされているようにも思えたのだ。
 今、ここにいるということは。

 星は相変わらず見えなかった。
 薄くぼやけたままの夜なのであった。

 ここ、釈迦岳にあった風車は、なくなっていた。
 風力発電の試みがあったものの、収支の割が合わなくなる前に、撤去されたのだという。
 その後には、石碑のようなものがたっていた。

 風が吹いても、うごかない、固まった記憶のような言葉が刻まれていた。

 やっと、ヴァージニア・ウルフの「燈台へ」を読み終えたばかりであったからか、この記憶のなかで回っていた風車に対する思いは、燈台へ生きているうちはいけなかった、こどもを育てて、五十に届くか届かないかで亡くなったある夫人の燈台へのあこがれにていると思った。風車がそこにあるのは知っていながら、とうとう回っている風車を見ずに撤去されていたからなおさらであった。

 毎日のように、あの燈台へいつになったらいけるのと幼いこどもに聞かれて、明日には行ければいいけれど、と、こどもに言うには言うが、哲学者の夫は明日は天気が悪いからいけないと言い続けているうちに、とうとういくこともなく、なくなってしまうのだ。

 そうして、なくなってしまったものの願いを叶えるために、残されたものは、なくなったものの記憶とともに船に乗り、燈台へと向かうのだった。


 なくなった夫人の友人のリリーは、老嬢になり、夫人の暗に結婚することが人生そのもののように、しあわせそのもののように、しきりと薦めたがっていた結婚もせずに、絵を描き続けていた。

 女には繪は描けない、ものは書けないという男のものいいをものともせずに。

 リリーは、夫人の記憶とともに未完成であった一枚の繪を完成させた。

 真ん中に線を描いたのだった。

 その線は、おそらく空と海の境界線であったとおもう。

 あるいは、夫人と夫を分ける線、夫/人というななめの線のようなもの。

 愛していると一度も僕に言ったことがない。

 と哲学者の夫は夫人に言う。ただ自分を愛していると言ってほしいがために。

 しかし、夫人は最後まで愛しているとは言わないままで、ただほほえんで、そこにいるだけであった。

 リリーは、夫人を亡くした哲学者の夫が、夫人の愛の代わりのように同情をだれかれかまわずねだるのが我慢ならなかった。

 絶対に、同情はしない。

 リリーは誓うように、世間と線をひくように、繪の中に一本の線をひいたのだった。

 私は、また、夫人があこがれていた、燈台から溢れる、闇の中の一筋の光の線を思った。

 闇の中だからこそ、みえる線も、またあるということを。

 夫人は真昼の水平線の上を船で渡ることはできなくとも、夜の闇のなかで心だけは、燈台へと向かっていたのだ。


 私と友人は、暗闇の中、もう回ることのない幻の記憶の中の風車を探して、ここに向かってやってきたように思えた。


 私は、なんとはなく、夜明けがくるまで、ここにいようと思った。

 ここからはみえない、坂道の向こうの水平線の上を、風が吹いているのを感じるように。


 あかんぼうをうみたかったの。

 突然、友人は言った。


 あかんぼうをうみたかった。うまれてこなかったあかんぼう。うまれるまえになくなってしまったあかんぼう。ゆめのなかのあかんぼう。うみたくてもうめないひとがあるというのに。うめるのにうまないのはどうかとおもうの。

 友人は、悪夢から逃れる呪文のように、つぶやいた。


 私は、友人と自分との間に、友/人と線をひかれた気分になっていた。


 男は自分の分身がなくなっても何も思わないようなの。もともと、みえないものだから。源泉かけ流しのように、どろどろと流れていく自分の中の自分の細部をそれほど思い描くことはないの。女は自分の分身だけでなく、男の分身も受け入れるのだから、おもいえがくどころか、運命共同体であり、そのものと生きていく。すくなくとも、その分身たちが、体内に留まっている間は。だから、重たい。重みを感じながら自分のなかでそだてていくのだから。男は、身軽になるばかりだというのに。


 友人はいった。


 恋人や愛人とは別もので。
 家族になるということは、運命共同体になるということ。分身と分身が出会って。分かれていたものをいったんひとつにしたもの。こどもはその確たるもので、こどもが家族の強い核になって、ひとつの運命共同体の形をつくるの。


 私は思った。


 今、ひとりで、運命共同体としての家族はあなたの現実からいなくなったのなら、あなたは運命そのものになったということか。


 私もまた、冷え切った躰で、夜明けを待ちながら、運命そのものになっていくことも、そんなに、わるくないと思いはじめていた。


 最後には、みなそうなっていくようにも思えたのだ。

 そうして、燈台や風車は、運命の輪のように周り続けながら、ときどき、くらやみでみえないものやしけでなくしてしまったものやしあわせのようなものを、ふうっと思い出させるものなのだ。と。

 

 
 





 

 



[PR]
by akikomichi | 2018-03-05 14:47 | 詩小説 | Comments(0)

「この茅葺の下で」

この茅葺の下で、国のことを語っていたんです。

と神尾さんはおっしゃった。

ご先祖さんは会津からやってきたのです。
幕府からの命を受けて。
そうしてこの茅葺の家を建てた。
曲家なのは、そのせいです。
九州では見かけんでしょ。
会津のやり方だったのです。
この家は積もった雪を落とせるように作られているのです。
あの柱が、雪の重みでしなるでしょ。
そうして、雪を落とすバネになるように作られているのです。
床下を見てください。
間者が入れないようにふさいでいるでしょう。
そうして、ここでは、国のことを語っていたのです。
ここいらは、昔は幕府の直轄のようなところで、今でいう軍事基地みたいなものだったんです。
長崎のグラバーのところなんか、武器を売っていたでしょ。
グラバーの家は高台にあるでしょ。
あそこから、試し射ちなんかやってたんですよ。
人や船がいない時なんか、直接試し射ちできるから、あんなところにうちを建てているんですよ。
ああいう武器を誰がどのくらい持っているかは切実な問題で。
当時は、植民地になるのを避けるために、どれだけ幕府が骨を折っていたか。
そうやって、当時の重鎮、会津のものも含めて、いろんなところに散らばっていたから、中枢での決め事が手薄になって、最後の方は混乱状態となったのです。

茅葺の家を奥日田美建のみなさんと色々なものを拝見しに行ったところの一つで有ったのだが、ご先祖から引き継いだ家を大切に守っている神尾さんから、思いもよらない幕末の話をお聞きしたのである。

今でも、そこで語り合っているような、神尾さんの口を使って、ご先祖さんが語っているような。

今も、昔も時と場所と規模は違えど、同じ人間が作っているのが、この世の中なのであるというような。

その家があるということは、その時をまだ生きているような、重なり合った時というよりは時を同時に生きているような思いにとらわれた。

そういったものが息づいて、記憶を、人を妊み続けているのが、茅葺の家なのかもしれない。

などと思いながら、神尾さんの茅葺の家を後にした。






[PR]
by akikomichi | 2018-01-20 21:04 | 詩小説 | Comments(0)

親方が、奥日田美建の弟子たちに遺言のような教科書のような「茅葺きの心得」のような書物を三日三晩ほどかけて書き綴ったものをくださった。

誠に有難く、ここにいる幸いに心より感謝申し上げます。



その後、新年会を奥日田美建の皆様とともに。
皆さん、穏やかな方々ばかりでゆうるりと楽しめる時間を過ごさせてもらった。
とりわけ、方言で盛り上がった。

日田の「せれれん」?=「億劫な?、やる気の出ない??」という言葉について。
雨の日や雪の降る寒い日に使うとです。。。by原田氏、伊藤氏

「もす」=「燃やす」という言葉の略の活用について??
「もす」は主に作業場限定?で使う言葉のような、日田の方言のような気がする。。。by上村氏

「かなづち」のづちは後頭部の意味の「づち」から来ている。。。by親方、奥さん

「ぼた」はいらなくなった、カス?のような意味合いでもある。ぼた山など。by親方
ぼた餅はどげんですか?と聞くと、まあそれは違うっちゃないというご返答。

方言すきです。豊かです。ぐっとそのものに近づくような。

豊かな時間を過ごさせていただき、有難いことこの上なし。


せがれの試験の成功を祈りつつ。
皆が充実したときを生きて欲しいと心より願いつつ。














[PR]
by akikomichi | 2018-01-13 09:56 | 詩小説 | Comments(0)

「燈台へ」

ヴァージニア・ウルフの「燈台へ」を古本屋で手に入れたのは、昨日のことであった。

友達と太宰府でお参りをして、目を患った友人を見舞ってから帰るはずのせがれの乗った電車を待つ間、時間の中に埋没するために、立ち寄ったのだった。

立ち読みしながら、三島由紀夫の書いた最後の物語の一つに、灯台守りをしている男の子が出てきたのを思い出していた。

三島は、燈台に、すでに住んでいる男の子の眼差しを持ってして、海を、一人で見続けていたような。

ヴァージニア・ウルフは、海を、燈台を、向こう側から見続けていたような、気がしてきた。

果たしてウルフの魂は、そこいらに転がる石をポケットに詰めて川に入水しながら、ついには記憶の海へ、時を照らすような、燈台へ、たどり着けたのだろうか。

などと、思いつつ。

深い闇が揺れている海を見るように、外の暗がりの、曲がりくねった道を照らす灯りを見ていた。



[PR]
by akikomichi | 2018-01-03 00:03 | 詩小説 | Comments(0)

初夢を忘れてしまったから、もう一度だけ、夢を見ようと思うの。

と、彼女はひとりごちた。

私は、忘れてしまうことができない夢を見続けているような心持ちになった。

これまでの月日は、彼女にとっては忘れてしまった初めての夢よりもなおきれいさっぱりとしたものになってしまっていたのだけれど、私はまだ夢から覚めないまま、ずっとここにいたのだった。

彼女は私から離れていこうとしていた。体はもちろんのこと、心までも。

私は、彼女をとどめておくことができなかった。

なぜなら、彼女は初夢をすでに忘れてしまったように、私をも忘れ去ろうとしているのだから。

私は、彼女の初夢であったかのように、彼女の前から、姿を消すことになるのだ。

跡形もなく。

そして、彼女がもう一度見る夢は、一年に一度巡ってくる、初めての夢のように、思い出せなければ意味のないような、あるような曖昧な記憶の空(うろ)に溶け出していくようなものであるようで、夢を現実と見紛うような、夢を実現し、現実を超えたところに連れて行かれるようなものであるならば。

私は、もう一度見ようとしている夢に消されてしまうような、儚いものとなるのは確かなことなのだった。

私は、彼女の中には、いなくなるのだ。

私は、私でしかなくなるのだ。

そうして、初夢ではない、時々、デジャヴのように、いつか見たことがあるような、ないような、幽かな夢のようなものになるのだ。



それから。

彼女は、三が日を過ぎてから、初夢を忘れてしまった証のように、長い夢を見ていたような私の前から姿を消した。

緑の枠に収まった昔の名前を思い出したように。

かつての戦争の時のように、生きていくためにと、死の戦場に繰り出されるまえに届いた赤紙のように、赤い枠にはめ込んであった私たちの家族という形を、忘れてしまったかのように。

[PR]
by akikomichi | 2018-01-02 17:42 | 詩小説 | Comments(0)

亀の井別荘の客室の一部とお食事どころの湯ノ岳庵と門の今年の分の葺かえが終わり、湯ノ岳庵で慰労のお食事会にオーナーのご家族と建築家の柿沼先生にお招きいただき、奥日田美建の面々に心のこもったおもてなしをしていただく。

忘年会のような緩やかな和みの空間であったが、これまであったいろいろなことが走馬灯のように思い出されて、一つの映画の終わりのような、繰り返し見ることのできる、思い返すことになるであろう、忘れることは生涯ないであろう現場であった。

聞くところによると、湯布院の映画祭は日本で初の映画祭であったらしく、その立ち上げ当初に深く関わっておられたというお話をお聞きし、映画を愛してやまない方の作られた空間と名前を感じつつ、その場に茅葺を溶け込ませ、そこにあり続けることを選んでくださった方々に、感謝せずにはいられなかった。

亡くなった先輩の魂が棟から見守ってくださることを切に願いつつ、心を込めて、丁寧に皆さんの力を合わせて作り上げたものである。

いつまでも守り続けられますように。末長く皆様方から愛されますように。心からの感謝を込めて。

[PR]
by akikomichi | 2017-12-29 10:48 | 詩小説 | Comments(0)

生き生きて

ともに過ごして

ともに生きては

今を楽しむ

友の心のありがたき

豊かな時を過ごしける

心の友のありがたき

楽しき時を生き生きて

今を味わい尽くすのだ

今を心に満たすのだ







[PR]
by akikomichi | 2017-12-24 23:52 | 詩小説 | Comments(0)