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茅葺の未来

朝の現場への移動はバスで、その車中でのこと。
親方がせがれに、

絵を描くことが好きなら、僕に描いて見せて。

とおっしゃった。

親方の、親心というより、祖父心でせがれのあらゆるところを育ててくださろうというお心が、誠にありがたく、本当にここいられる喜びを心から感じていた。

京都から、今の現場の亀井の別荘まで、中野親方が来てくださり、ご挨拶もできて、中野親方の息子さんもいずれ茅葺職人さんになってくれるということで、将来の希望がまた一つ増えて、一緒に育っていけたら、これほど嬉しいことはないと思われた。
古民家はもちろんのこと、神社仏閣、あの桂離宮の中の茅葺の屋根も手がけておられるという親方のお話は面白く、勉強になる一方で、お話の節々で、これからの茅葺の建物がなくなってしまうことに、危機感を持たれておられたのを思うと、全国の茅葺職人が一丸となって、大切に大切に守っていけたら、これほど、嬉しいことはないと思われた。

伝統を残すという意味でも、そこに住み続けて楽しんでいる方々の古民家はもちろんのこと、亀の井別荘などのおもてなしの場所や食の舞台の久山の茅の屋さん、歴史の舞台ともなったせごどんのいた家や古今伝授の間、太宰府の宮司さんの家、人吉の国の宝の神社の屋根など、吉野ケ里や逆葺屋根だった弥生の村、板付遺跡の竪穴住居なども想像をかきたてる意味において面白く、神社仏閣関係の落ち着きと趣のある茅葺の姿は美しく、皇室などの関係の建物などもその歴史を背負って生き続けているという意味においては、やはり普通の民家と変わりなく平等に、大切な生き続けて欲しい屋根なのであり、茅葺屋根の補修なども、できることならなくさないでほしいと思われた。



by akikomichi | 2019-06-02 11:50 | 詩小説 | Comments(0)

茅葺の希望

子供と一緒に現場で働ける幸せをかみしめていた。
そもそも、茅葺の屋根の家に住みたいという素朴な願いから、そのためにも茅葺が作りたいと思い始めて、作る仕事をやり始めて、その先にある希望がまた増えた気がして、心から嬉しい。
その願いをおっきな親心で受け止めてくださった親方に心から感謝いたします。
見守ってくださる多くの方々、本当にありがとうございます。

by akikomichi | 2019-05-27 23:00 | 詩小説 | Comments(0)

「滝のような」

雨が止んだ。
今日は休みである。
なぜだか、志ん朝の落語「宗珉の滝」を聴いている。
今の現場の設計士の先生が落語をお薦めしておられたのをやっと聞くことができたのである。

昨日は、我々の今、手がけている杉皮葺の屋根が、滝のような、雨にさらされていたので、気が気でなかったのだが。
大雨も止んで、少し気持ちも安らいできたような気がした。

昨日は養生の補強に明け暮れていた。

梅雨入りをしたところもあるという季節柄、杉皮葺の屋根の上に、さらに「すやね」を張っているので、多少の雨風はしのげるものの、大雨となると、かなり厳しい状況となるのだ。

大雨の中、ズブ濡れのまま、「すやね」の竹や木の上に乗り、ビニール製の布を補強していった。
やっと軒つけに入った杉皮の屋根はもちろん、その下で働く、大工さんたちの仕事場も雨風をしのげるように。
これも、また、屋根仕事の一つで、雨風に寄り添いながら、屋根ができて屋根に守られるまで、我々が竹と棒と紐の骨組みで柔肌の薄皮一つで、守るのだ。我々の作る屋根を。

屋久島で、山から降りれないほどの雨が降っているという。
五十年に一度の大雨。
私が生まれて初めて縄文杉に会いに行ったのも同じようなものであったが、大雨が身体中に降り注いだような、内側から全てが現れたような10時間もの間の道々であった。
山から降りれないで滝のように雨が降っていて、文字どおり滝になっている山道もあったようで、雨が降るといたるところに滝ができるという島の素の姿を見た気がした。
雨が降れば、滝ができる。
水があれば、水が流れる。
ただそれだけのことであるような気もするが。
命の危険を感じながらの山登りというものをまだ体験したことがないので、山の別の姿をまだ知らないだけかもしれないが。
雨は雨、屋根は屋根、我々は我々。
できることをする。
ただそれだけのことであるような。
そうして、一枚ずつ杉皮を重ねて山のような、気の遠くなるような、千枚以上の杉皮を積み重ねていく我々の杉皮葺の屋根のように、千年もの間、年輪を重ねながら、命を重ね、生きながらえてきたのだ。縄文杉も、いってみれば、我々人類も、あらゆる生命も。

千年王国。
という言葉を思い出していた。
昔、千年王国というヤバイ?Tシャツを着ている人がいる夢を見たことがあった。
どこかの島で、いろいろな国の人が集まって、生きているような夢を見たのである。
千年王国とは、どこかの宗教の言葉のようであったが、何か、違う意味があるような気がした。
ピアノが水辺の近くに数台置いてあり、キャンプをしている人、着飾った人、生活をしている人、ボランティアをしている人、志のある人、空母、客船、車、軍隊までいる、しかし、何か、祭りのような祝祭を生きるような、何かにいかされたような場所として夢に現れてきたような気がしていた。

もしかして、屋久島の夢を見ていたのかもしれないと、思ったのは、屋久杉の中でも、縄文杉が千年もの月日を生きていたという話を聞いていたからであった。
夢で見た千年王国というのは、縄文杉のある、この場所のことだったのかもしれないと。

実のところ、屋久島に行く直前に、弥生時代か縄文時代かの格好をした人が出てくる夢を見ていたので、屋久島に行ったら、何かわかるかもしれないと思っていたのだが、縄文杉に会いに行く道すがら、弥生杉というものが途中にあったのも、何か不可思議な、夢のお告げのような、不可思議な夢と現の交わった世界に迷い込んだような気になっていたのだ。

弥生か、縄文かわからないと思っていたのだが、原始の姿をした、草を着ている人の夢。
その人を見つける夢を見たのだ。
私は、その千年の時を思わせる、姿に会うためにここまできたのかもしれない。
千年王国とは、実のところ、自分の中の王国であったような、夢と現の境目のない島のような。国のような。気もしていた。

心も体も滝のように流れていく、生命の偶然がそこにあったのだ。

などと思いながら、志ん朝の落語が、耳元で水が流れるように、ゆうるりと酒を酌み交わすように、とうとうと体の中を流れていた。

腰元彫り師の宋三郎が死んだ虎を彫ったばかりに師匠の宗珉に破門されたところ、流れ着いた宿の主人に宿代が払えないので何の仕事をしているかと聞かれ、腰元彫りという。
死んだ虎をなぜ彫ったと言われ弟子にしてくれとまでという。
とりあえず、生きた命を作れるようになるよう、宿で彫っていいことになり、ある時、殿様から小柄を那智山の滝を彫るようにというお達しが来た。

水彫りをして、殿様に持って行った。
酒を飲んで彫ってダメ出しをされ、もう一度、精進して、彫るという。
二十一日、滝に打たれ、断食をしながら、滝壺から帰ってきて、ろくにご飯を食べずに、仕事を初めて七日七晩彫るのに明け暮れた。
宿の主人も断食して、願掛けをした後、
今までより悪い滝を彫った。と思った小柄を殿様に持って行った。
殿様は名作として手に取る。
二人のものの命がかかっていた小柄というところで、お抱えの腰元彫り師になったという話。
なぜできの悪い小柄を気に入ったのかと思ったところ、小柄から滝が流れて、水が流れたという、不思議な小柄を作ったという、名人の話であった





by akikomichi | 2019-05-19 17:02 | 詩小説 | Comments(0)

父のお見舞いと早月松原

屋久島でお世話になったカツくん真澄ちゃん宅に伺い、預かってもらっていた荷物を持ち帰る。
同じ屋久島を登った仲間とまた会える喜びは幼馴染に会える喜びのようで、なんといういい時間を過ごせたのかと、思わずにはおれなかった。
それから、キャンプ道具をなおせるかもしれないと先輩の友人のキャンプ道具を取り扱っているお店に伺い見てもらい、アドバイスしてもらう。これからも大切に使っていきたい。

帰り道、父のお見舞いに行ってきた。
転んでは起き上がってきた父だが、今回は少し入院までの期間が早まったようで気になっていたが、見舞うと以外と元気なので、やはり会うとホッとできるので、会いに行ってよかった。
母の日というわけでもないが、花とフクロウの器を手渡した。
父にもいつ会えるかわからないので、七転び八起きのだるまさんの器を手渡してきた。
復活したら、使ってくだされ。と。願いを込めて。

入院先の近くのふれあいの里にある茅葺屋根を拝見してきた。
先輩方が五、六年前にさし補修したものであるが、しっかりとしていたので、しばらくは手入れ不要のようであった。
茅葺は、最初の黄金いろから色を変えて、歳を経るごとに、貫禄ができてくるようで、その年月も愛おしいものなのである。

早月松原に久しぶりに立ち寄った。
夜中にバイト帰りに友達と車で通りかかった時、女の人が立っていて、ちょっとさまよいいでたる魂かと、ぎょっとしたことがあったが、夕日が美しく、屋久島と同じ海の美しさと少し冷たい風の心地よさと体ごと味わった。

それから、博多に届け物をして、せがれとハグをして別れた。

寂しいが、自分や彼らがそれぞれ選んだ道だから、それをお互い噛み締めて、いずれ同じ目的を持って、楽しんで力を合わせて生きていけるように、準備をしてくれることを願ってやまない。


by akikomichi | 2019-05-12 23:32 | 詩小説 | Comments(0)

人吉の国宝青井阿蘇神社を訪れた。
前から拝見したかったのだが、先輩に教えていただいて、やっと訪れることができた。
茅葺で国宝の建物は、日本でここだけとお聞きし、時を超えて、残ってくれていることに感謝であり、これからも、生き続けて?欲しいと思われた。

鹿児島の友人にも会いに行った。
ふくちゃんとそのせがれくんに会えた。
昔のことを話しながら、焼肉を頂く。
お互い色々あったが、会った途端、昔に繋がれる幸福を頂く。
今度は日田に来ておくれと、楽しいひと時を味わい尽くして、屋久島に行っておいでと送り出してくれた。


それから、屋久島に行ってきた。

縄文杉に会いに行ったのだ。

私とせがれと先輩とその友達と現地で合流し、縄文杉まで、道案内していただいた。

10時間もの時間をかけて、私たちは縄文杉に会いに行った。

縄文の時に出会うことができる場所は美しく、出会う人もまた、同じ時を超えて、上り下りをいきかい、ただ登りただくだり、ただ歩き、ただ愛にやってきたのだ。

森の中を歩くことで、こんなにも心も体も軽やかになるのかと、不思議であった。

帰り道に、はばかりに行こうとしたら、勝手に足が動き出して、地下足袋で走り出していた。

すれ違う人に、韋駄天や。

と言われ、走る先がはばかりなのが、事情を語るのははばかられたが、事情を知らない方々には、まあいきのいいこと。

と思われたようで、なんだか目的があることの気恥ずかしさもあったが、ちゃんと目的を達成できた喜びはひとしおであった。

自分でも、トロッコ線路の間に敷き詰められた木の板の上を、あんなに軽やかに走れるとは思ってもいなかった。

友達になった真澄ちゃんに、なかなかあっこさんいなかったから、よっぽど早く着いたんだね。

と言われた。カツくんもあっくん先生も、年季が入っているので余裕であったが、せがれは最後のトンネルまで、杖をつきつき、太ももが痙攣しながら、足を引きづりながら、歩き通した。

せがれは、帰り際、休み休み歩くなかで、ずっとこれからのことを考えて歩いていた。と言った。

彼が、どのように生きていくか、いろんな選択肢があることに気づいた。と言った。

なんで、山に登るのか。なんでこんなことをしているのか。

10時間の道程で、自問自答していたという。

答えは、せがれが持ち帰ってきたようで、心からこの旅に来れたことに感謝した。

ライダーズハウス 止まり木でも、姉さんや野続くん、土田くん、リチャードくんに会えて、リチャードくんの故郷ではオーロラが見れるので、遊びに来てもいいよと言ってくれたので、また会える時を楽しみにして、帰りの船の上で桜島を背に写真を一緒に撮った。

かごんまに再上陸して、お土産に両棒餅という餅を手に入れようとしたら、西郷隆盛せごどんにゆかりのある茅葺の家の近くまで来て、たまたまあったお店に立ち寄ると、そこの奥さんのご先祖さんがせごどんが入水自殺を図った時に助けられた際に連れてこられて、息を吹き返した時に、飲ませた器などもあり、さらに追ってもあったであろうせごどんをかくまったというお話をお聞きした。
生なましい、時代の、生きていた人の生の声を時を超えて聞かせてもらった気がした。

やっぱり、皆、せごどんに生きていて欲しかったんでしょう。

と奥さんは、おっしゃっていた。

その後、せごどんは、菊池げんごと名乗ったこともあるという、せごどんのげんごは、一緒に死ぬつまりで入水され先に逝ってしまわれた月照さんのお付きの方のお名前らしく、おそらくその方が、なにがしかの形で、せごどんを助けたのではないかということであった。

せごどんがいたという茅葺の家を拝見した。

海の近くで、こじんまりとしているが、八年前くらいに葺き替えをされたと言われていた。

中は、ススダケなども残っているらしいが、今は拝見できないという。

いつか、拝見できたら、嬉しく思う。

それから、人吉を目指して車を走らせて、源泉近く温泉でひとっぷろあびていたら、地球環境を良くすることで生き生きしている優子さんに出会って、熱めの風呂の中で、これからは競争の時代ではなく共存の時だねという話で熱く盛り上がり、家に泊まって行きなよとまで言ってもらい、お泊まりさせていただく。

次の朝、散歩して、せごどんが西南戦争の際、陣を置いていた武家屋敷と幽霊寺を訪ねる。

武家屋敷は、茅葺で寺に似た作りをしていると言われた。格調を重んじて作られたのではないかということであったが、茅を支える木の先が、少し刀剣に似ていると思われた。

幽霊寺は、幽霊の絵で名を知られているが、生々しい人間の業の果ての、物悲しい女の人の話をお聞きした。
足のない、魂になっても、現れてくる思いの強さというものを、感じることができたような。女の思いは寺の池を漂うこいのように、艶かしくもあり、儚いようでもあった。

それから、西南戦争の時に、女侍が官軍と戦っている絵巻的なものが飾られていた。

女も囲われたりしながら、いろいろなものと、戦っていたのだ。それから、優子さんとそのご主人に教えていただいた、鍛冶屋さんの包丁を自分へのお土産にした。

割腹するためのものではなく、日々の生活の中で、生きるための、美味しく食べていくためのものとして。


何も知らずに、人吉に来てみたら、せごどんゆかりの場に行き着き、せごどんに導かれ、自分の魂の行き着くところのようなものを見つけたような気がした。


生きている、優しい大人や子供たちに出会えたことが何より、本当にありがたい旅であった。


by akikomichi | 2019-05-05 17:31 | 詩小説 | Comments(0)

幸せな1日

幸せな1日であった。

せがれと一緒に、杉皮を鉈を使って60センチほどの短冊状に切って束を作ったり、はおさえを80センチ前後にのこで切ってちゅうのうで端を上下反対にスパッと斜めに切ったりした。

できた杉皮を一生懸命二階にハシゴをかけて運ぶせがれから受け取って、井形に積み上げながら、いつもより、時間が経つのが早く感じられ、体の中からじわじわとやってくる安らぎを感じていた。

楽しみが増えたのだ。

自分もせがれと同じように体で覚えながら、茅葺をこよなく愛していける喜びの1日であった。

by akikomichi | 2019-05-01 05:48 | 詩小説 | Comments(0)

新しい日々の始まり

新しい日々の始まりである。

せがれがついに日田にやってきた。

一緒にいることと、徐々にではあるだろうが、一緒に仕事をできることの幸せをかみしめたい。

誠にありがたいことである。

一方で、お世話になった柳川の川下りの会社の経営者の工藤さんの関わっておられる「ほりわり」と言う文芸同人誌に今回、寄稿させていただいているので、編集の手伝いを時間の許す限りやらせていただこうと、柳川に向かっている途中で、実家の父が自宅で倒れて入院したという知らせが、父からあり、急遽、方向転換して、父の入院先に急いで、せがれと向かった。

父は、倒れていたいところ以外は、大丈夫そうだったのでホッとしたが、せがれの門出に呼び寄せてくれ、何はともあれ無事で顔を拝むことができて、幸いであった。

いつもの調子で、ニヤニヤしながら、俺はしぶとい。お前もしぶとく生きろ。

と言いながら、悪童のように笑う父の図太さがまっこと好きである。

あのしぶとさを、せがれたちにも受け継いでもらいたい。

by akikomichi | 2019-04-29 22:21 | 詩小説 | Comments(0)

仲間内での懇親会

仲間内での懇親会をした。
茅を運んでくださるすみおさん家で皆でご飯を食べた。ありがたいことに、上村さんのおごりで、用意はすみおさんと善三さんがしてくださり、その他のお呼ばれされた?皆は、飲み物を持ち寄っての会であった。
こういったことを以前はしていなくて、コミュニケーションが取れにくいということもあったらしく、それはかなり改善できるような気がした。
こういった家族のような、気兼ねなく、ただ一緒にご飯を食べるという行為は、普段の生活の中に溶け込んでいくもので、見えない絆のようなものもできてくるような気がした。
いいことも悪いこともあるだろうが、それが、人生であるような。
喜怒哀楽の彼方に何があるのかは、まだ、わかっているようで、わかっていないような。
それは生の果ての死についてもそうで。
何にもなくなるだけ、存在がなくなるようで、何かしらの存在感は残るような。


by akikomichi | 2019-04-29 06:24 | 詩小説 | Comments(0)

亀の井別荘のご主人と柿沼先生にご招待されて、湯ノ岳庵さんで親方の誕生会をしていただいた。

いつも、心のこもった美味しい旬のものをいただき、ありがたく、堪能させていただく。

柿沼先生と亀の井のご主人は共通のご趣味があり、狂言好きであり、落語好きであり、映画好きであることがわかり、この上ない嬉しさであった。

イラン映画のおはなしをして、盛り上がり、とても楽しいひと時を過ごさせていただいた。

とても幸せな時であった。

これも親方のおかげであり、この場にいれることに感謝しても仕切れない思いであった。


by akikomichi | 2019-04-27 22:19 | 詩小説 | Comments(0)

釈迦岳に登った。

初めて登った。

もうすぐと思ったら、また下り、また登りしながら、釈迦岳の頂上にたどり着いた。
頂上には、お釈迦さまの像が蓮の花を持って、待っていた。
子供のこと、これからのことを考えながら、ゆっくりと、小鳥の声を聞きながら登った。
最初は、かなり急激な岩場もあり、チェーンがついてあるところを、手繰りながら登った。
ここいらの山の中では一番高いという釈迦岳であったので、すべてを見わたせる風景を一望し、心ゆくまで味わった。

最近は、心の余裕がなくて、車でも体でも心でもいつも走り続けていたようなところがあり、ゆっくり重力を感じながら、登る山道は、きついながらも、自分の重さがどんどん頂上に近づくごとに軽くなっていくようで(多分、確実に、汗の分だけ軽くなっている)、風が吹く頂上はことのほか心地よく、身体中を経巡り、気持ちも風を含んで、軽やかにしてくれたようであった。

その後、上村先輩が京都の美山の中野親方とお会いするということで、ハンドルキーパーとしてお伴し、貴重な、京都のお話をお聞きできた。

桂離宮の松琴亭も手掛けておられる美山の中野親方のお話の中で、特に、棟のやり方を今後の参考にさせていただけるよう、心してお話をお聞きしていた。

棟の収め方の精細で考えぬかれたやり方をお聞きしながら、実際にされている場面を想像しながらも、やはり、想像では埋まらないものが多々あり、実際の現場で、生で拝見したいと思うようになった。

ありがたいことに、その過程は画像にはないけれど、図面には残っているので、それを教えていただけるということで、誠にありがたく、少しでも茅葺に携わるものを育てようとしてくださる志と、懐の大きさに、こころから感謝せずにはいられなかった。

湯田さんも5年の経験を経て、身の振りようを考えておられるらしく、まだお若いこともあるが、のびのびと美山で育てていただいているようで、これからも、いい職人さんになっていくことを願ってやまない。

あっこは、一人で任された時、どう屋根を葺くかを考えながら、やっていったら、動きが変わると思うで。

と中野親方がおっしゃった。

自分も、まだ二年しか経っていないので、一人でできることはまだまだであるどころか、全体を見通すこともまだまだの段階ではあるのでまだまだ、先輩方に甘えている自分の有り様を言い当てられたようで、その言葉を、肝に銘じて、見通す力をつけていきたいと心から思った。

そのような自分でも、中野親方は、百も承知で、未熟なものを育てようとしてくださり、研修においでよと誘っていただき、ありがたすぎる言葉であった。

もしかして、参加させていただけるかもしれないことを、またの励みにして、よりいっそう、しっかりと茅葺を愛しながら、息の長い、丁寧な仕事ができるように、焦らず、じっくりと身につけていけたらと思わずにはおれなかった。

親方は、出会った方々に、

おおきに〜。

と言って、にこやかに帰って行かれた。

こちらこそ、おおきに〜。

であり、いい言葉やなあ。
としみじみ噛み締めて、とても濃い、いい1日を過ごさせた頂いたことに、感謝せずにはおれなかった。

このような環境に居れるのも、親方や先輩、仲間のおかげであることにも、感謝しても仕切れない。

自分の出来うる限りのことを、しっかりやっていくことが、何よりの恩返しと思い、心と体に筋肉もつけつつ?、精進していきたい。



by akikomichi | 2019-04-22 20:12 | 詩小説 | Comments(0)