柳川の現場が始まった。

雨の日は日田に帰ってくるが、基本は柳川で泊まり込みで作業をすることとなる。

旅の身空のつかの間の夜の散歩の流れ星を見た。

ゆっくりと光が目の前を通って行った。

寒さに眩く何か夜の闇の奥深くに届く希望のようなものが見えたような。

そのあと、柳川の川のほとりを歩きながら、白秋の生家や檀一雄の記念碑、オノヨウコのおじいさんの家があったところや、戸島家のみんのす(馬の耳の形)のついた茅葺の屋根やお寺の茅葺の門などにもであえた。

歩く速さで生きているようで、星もそのゆっくりとした光でなぞってくれていたのだろうと思うと、星と魂の行き着くところは同じようで、わざと心配させる話ばかりするものとは一線を引いて光の方を向いているようで、それが、今ここで選んでいる道であった。



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by akikomichi | 2018-12-15 22:44 | 詩小説 | Comments(0)

咸宜園

咸宜園の補修。

定期的なスパンで補修することによって、そのものを保ち続けることができるということ
は確かなことである。

穴が開くとするならば、その穴にさし茅をさすやり方があるということ。

アバカで程よく束ねた茅で穴を埋めつつ、その周りにも長めの茅と短い茅を絡めるようにさしていき、ほめ板で叩いては整え、余分なものをそぎ落としてはハサミで整えていく。

歯に穴が空いたら、そこに銀歯を入れるような。かてい。


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by akikomichi | 2018-09-14 21:49 | 詩小説 | Comments(0)

「さっそくのみんのす」

さっそくのみんのすとの遭遇があった。

小城羊羹の店舗に、その耳はあった。

しかも、12個も。

親方は全くもって魔除け的だよね。

と仰っていた。

馬の耳は、茅をトタンで覆っていた。

ピンとはねた、聞き耳。

生きている茅葺。

「怪獣はささやく」パトリックネス著 シヴォーンダウト原案
の、木の怪獣を思い出していた。

見方によって、立場によって変わる真実の物語を。
私の真実は、あなたの真実ではないとしても。
それは、誰かにとっての真実であるのだというような物語を。
私の真実は、目の前にあり、心の中にもあるのだというような。

今にも、動き出しそうな、茅葺の屋根を見ながら、いろいろな思いがよぎった。





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by akikomichi | 2018-09-07 19:36 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺の耳は馬の耳」

「みんのす」は猫耳のようなものが付いている茅葺屋根のことだと上村さんが教えてくださった。
本当は、馬の耳をモチーフにしているということで、みんのすの「す」は穴のことだという。

王様の耳はロバの耳、茅葺の耳は馬の耳。


今の現場が佐賀の鹿島なので、そういう話になったのもあるが、みんのすは、佐賀に多い作りらしく、ぜひとも耳のある茅葺を見てみたいので、みんのすを佐賀で探してみようと思った。

この鹿島の現場の茅葺屋根も、個性的で、コノジに曲がったくど造りと呼ばれるものの部位はあるけれども、そこから、増殖していろんな方面に伸びていったようで、谷がやたらと多く、複雑系の作りで、混沌としたものではあるけれども、収まりきれないような、自由さがはじけているようでいいものだった。まだ、出来上がるまで先は長いが、どう仕上げていくか、楽しみである。

宿の近くに高校があるのだが、緩やかな坂道を登っていると、茅葺のお家があった、

城下町のような、石畳の道は人通りは少ないが、虫の音が響き、川も流れていた。

茅葺があるところが好きなのは、そういったことを肌で感じることができる場所にあることが多いからだと思うが、偶然、宿のテレビで見た土を使った屋根の上に芝生を生やしている家や、低過庵という建物を考案した建築家の方のお話を思い出していた。

確か、土は、なんでも吸収する。という話をされていたのが印象に残っている。

合間合間に縄文土器風に手作りした焼き物を作っている方の話もあって、やっぱり土に草、茅葺はいい。

縄文からこのかた、変わらず手を使ったものの原始的な喜びに浸っていられる根っこを見つけた気がした。

まっこと、馬の耳の穴かっぽじいて聞いておきたいことであった。





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by akikomichi | 2018-09-07 04:03 | 詩小説 | Comments(0)

「すくらっち」

素のくらっちさんのことを「すくらっち」ということにした。

くらっちさんとは、詩のボクシング福岡実行委員会でご一緒した倉地久美夫さんのことであるが、この頃ご無沙汰していたが、たまたま歌を聞く機会があり、また、すくらっちさんを拝聴することとあいなった。

どこにもない音を、うたを聴かせてくれるような、すくらっちの音の世界に、どっぷりとつかりきった。

「スーパー千歳」の完成度もさることながら、あるばむ「いいえ、とんでもございません」も、またまたご謙遜をとも言うべき絶妙味で、味噌がいっぱいで、みみが満たされ、しけがこようが、よなかにたたみやさんがこようが、異界にまよいこもうが、しにがみがせまりこようが、どうにでもなれというような、心持ちになれるようなのであった。

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by akikomichi | 2018-07-15 21:30 | 詩小説 | Comments(0)

「漆喰の白を」

漆喰の白い壁を塗った。

左官の先輩が講師をしていたお家の壁を塗ったのだ。

ボランティアの方々も大勢おられて、その中の山口さんという方が、

左官って、左から塗るから左官っていうんだよ。

と、教えてくださった。

灰色の壁が、一度塗り、二度塗り、三度塗りして白くなっていく。

空気が入らないように、丁寧に、丁寧に塗り上げていく。

白く塗りつぶされていく壁に、息を吐きながら、一気に塗り上げていく。

隅もマンボウコテ?を使って塗り上げていく。

先輩の手は、勝手に動く動物のしなやかないきいきとした動きで、ぎこちない我々の手の動きとは明らかに違うのだった。

漆喰の白がコテにこびりつかないようにするのが、うまい職人の技でもあるようで、手にまで漆喰の白を塗りこんでいる私は、まだまだ初心者であった。



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by akikomichi | 2018-07-15 21:18 | 詩小説 | Comments(0)

「梅の実と種と」

 落ちた梅を拾って、ざるそば一人前のザル二つほどの量を干していたら、いつの間にか、全て種になっていた。

 落ちた時にはついていた虫に食べられたのかもしれないし、その虫もろとも梅の実を小鳥が食べてしまったのかもしれない。

 乾いた梅の種は梅干よりもなお、干されっ放しで、カラカラに乾いていた。

 梅雨になったというのに、干からびたまま、そこに転がっていた。

 私は、干からびた梅の種をまた拾い集めて、山に埋めようと思った。

 焼いた骨の、それも梅の亡骸の喉仏を拾うように、丁寧に拾っていった。

 いつかはこうやって、種のような骨になっていくのだと思いながら、色だけがどす赤く生々しい喉ちんこのようだなどと思いながら、丁寧に拾っていった。


 今度は、仕事の合間に、作業場にある、木についたままの雨に濡れていた大きな梅の実を2キロほど、丸くて黒い網で虫を避けることができるザルを山を下って手に入れてきて、雨なのにベランダに出した。

 不完全な干され方の梅の実は、生乾きの部屋干しよりもなお湿り気を帯びて、そこにあった。
これから、何を作ろうかと思いを馳せていると。

 ふうっと。ここに移住してくる前のこと。梅酒を作ったことを思い出した。

 移住の世話をしてくれた役所の方が、日田で農家民泊を企画されて、応募も多かったが、たまたまキャンセルが出て、参加することができた時に、皆で作ったものだ。

 まさか、すぐに移住が決まり、なおかつ好きな茅葺に携われるとは思ってもいなかったので、ご縁というものは、そうやって、繋がっていくものだと思わずにはおれなかった。

 この目の前にある、大きな梅の実は、私の青くさい孤独な希望のようで、まだ熟れもせず、頑なに、そこにあるがままであった。

 今度は梅の実で、日田に来てできた友人が教えてくれた梅味噌を作ってみようと思った。

 梅の上に砂糖を、砂糖の上に味噌を、味噌の上に梅を。

というように、幾重にもなる層にしていくといいのよ。

と友人は言った。

 梅の実は仁と種と果肉の層を作り、木も年輪という層を作り、地も層を作り、人も骨、内臓、筋肉、脂肪、肌と層を作るように、茅葺も、また、層を作っていく作業の繰り返しであるのは確かなことではあるが、地「層」あるいは、血「層」ができるということは、積み重ねが多ければ多いほど、複雑なものや、新しいものが表層にひょっこりと生まれてくるものなのかもしれないなどと唐突に思う。

 今の今の今、私は、私の中を経巡るような、新しい時間の層を、生きているようなのだ。

 










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by akikomichi | 2018-06-05 20:54 | 詩小説 | Comments(0)

月輪寺に行く。

がちりんじと読む。

と言っても、すでに、茅葺の葺き替えに着手しており、大きな茅葺屋根の全体像は拝見できなかったが、歴史ある建物であるので、いつか手がけたいと先輩がおっしゃていたのが印象に残っている。

出来上がった時、また、訪れてみたいところではある。

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by akikomichi | 2018-05-28 10:49 | 詩小説 | Comments(0)

 伊藤博文ゆかりの茅葺の建物を拝見。

 民家なので、かなり荒削りな茅の葺き方で、それがかえって、素朴な感じを、飾り気のない、どちらかというと質素な生活を思わせた。
 確か、彼の生まれ育った家だったと思われる。

 逆に、その近くには、暗殺される前に着工し、暗殺された後に出来上がったという大きな二階建ての洋風建築もあり、近代化の流れを個人の関わった建築で見てとてる、日本の住処の流れをも見て取れるものがあった。
 それにしても、二階には、しっかりと畳の部屋があり、和洋折中の元祖であると思われた。

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by akikomichi | 2018-05-28 10:45 | 詩小説 | Comments(0)

「おうちえん」をされている、大下さんの御宅の茅葺屋根を拝見した。

 おうちえんは、毎日が冒険のような、生活のような、まさしく今生きているものたちが、失っていきつつあるものをしっかりと抱きしめているような、生きる真の力を持った大人や子供が集う場だと思われた。

 ヤギにカーデガンをむしゃむしゃ食われそうになったり、鶏はオスが一匹にメスが十五匹くらいがベストな(ハーレム)状態だということを大下さんの倅の空くんに教えてもらった。

 年ではない、生活の中で知り得ることは、知恵というよりも、当たり前のこととして、普段通りのこととして、話てくれることが、嬉しかった。

 大下さんは、アフリカに行かれて、そこで感じたことを、今、やっているとおっしゃていたが、上村さんも大下さんのようにアフリカに行かれて、茅葺を作って、大下さんのお家の屋根を慈しんでいるようで、個人的なつながりを持つ屋根の、そこで暮らす人のための屋根、生きるための屋根、生活のための屋根も味わわせていただいた。

 大下さんは、農薬を使わないで何町もの田んぼで米を作っておられる。
 そもそも、農薬を使わないで米はかつて作られていたわけで、刷り込まれた農薬神話を覆し続けてもらいたいものである。

 屋根は、少し、雨漏りが気になる場所があるということで、トタンの劣化などの漏れも考慮しつつ、茅葺の吹き替えを近々することとなりそうで、大下さんたちの家族とまたゆっくりお話しできることを楽しみに、心待ちにしている。


 私はビールちょっとでヘタレてしまい、子供達はもちろん大人達ののエネルギーが力一杯漂っているようなおうちえんの中でお眠りさせてもらったが、先輩方はおうちえんの庭でキャンプをさせてもらい、虫に刺されつつも、海で捕獲した亀の手(貝の!)を味噌汁にしたり、野生児けんちゃん先輩の火起こしによる肉の炙り?を堪能した一日であった。

 もう一つの、個人の御宅は、上村さんの知人のえいみちゃんの御宅で、お父さんから受け継いだという、素敵な茅葺のおうちを訪ねた。
 冬は家の中でテント張って寒さしのいでキャンプしたよ〜というほど、去年は今までにない寒い冬であったと話してくれたが、茅葺の風通しの良い造りは、夏にこそ、その底力を見せてくれるものではあるが、雨の時もまた風情があっていい。
 音を吸収して、雨が降っているのも気づかないほど、静かなのであった。

 「風」が通る繋がりと言っては無理があるかもしれないが、「風博士」と知り合いというえいみちゃん、私も京都のミュージシャンの方々の曲が入ったみやこ音楽というCDを持っていたので、もしかして、あの風博士?と盛り上がりました。
 訪れた日も雨の日だったが、雨の日は、そのCDに入っている、風博士のシャボン玉飛ばないと、キセルのはなればなれという曲をなぜか思い出すのだった。

 ちょっと、せつなく、寂しいのが、いい。

 いいもわるいも。酸いも辛いも噛み締めてこそ、人生であるちゅう。

 私も、茅葺職人の端くれ?となれた今、茅葺の家に住んで、水も辛いも見極めたいと切に願うようになった。
 茅葺に関する出来うる限りのことを、体で知りたいのである。


 内装も上村さんの知り合いの大工さんと手がけたということで、お風呂場は五右衛門風呂で、母方のじいちゃんのうちで入った、五右衛門風呂を懐かしく思った。
 可愛いお子さんたちは、たらいで水あびをするらしい。日本の原風景?である。
 私も兄とたらいに入って水浴びしている写真が残っており、日本の原風景、ここにありである。

 また、囲炉裏の上に吊るしてある、植物で作られた円錐形のものに、チクチクした針のようなものが突き出ているものがあり、これは何と聞くと、「弁慶」というものであるという。弁慶がなくなるときに矢に射抜かれた時を思わせる名前の由来であるが、そこに、魚などをさして煽る?燻る?のであろう、貴重な生活道具であった。

 屋根は、去年ボランティアの人を交えて、葺き替えた面は、さすがに美しく、もう何十は持ってくれるだろうと思われたが、家の中まで、拝見できた体験は貴重であった。

 これからは、自分で、生活していく場としても、茅葺の道を生きていきたいものである。

 
 

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by akikomichi | 2018-05-28 10:31 | 詩小説 | Comments(0)