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「濁流の夜」

激しい雨の後。

濁流が夜を押し流していくように、ポアしたかった人たちがポアされたという。

より大きなものが、押し流していく。

濁流は、より大きなものに押し流されていく。

小さな政府を作り、小さな階級を作り、自分たちの敵を押し流すように亡き者にしようとしても、より大きな政府、より大きな階級を作り得た者に、敵とみなされた途端、亡き者にされていく。

生存と死の競争は、より大きなものが、小さな死を喰らいながら、大きくなりながら生き延びようとするものであるようで。

大きなものに押し流されるということは。

小さなものにとっては、その存在を押し流され、その小さな存在をなくした途端に、大きなものの中に組み込まれ、己の限界をなくしたということになるのかもしれない。

が、その行き着くところは、大きなものの支配下において、亡き者になるということでもあり、その存在を消されるということである。

彼らのしたがったことを、彼ら以外のものが彼らにした。ということでもあるようで。

反/体制のぶつかり合いの後の、反対性の消滅。


# by akikomichi | 2018-07-06 23:21 | 詩小説 | Comments(0)

黒ねこの黒

黒ねこの黒が見つかった。

多分。

雨が激しく降った後の暗闇の奥で。

そこは、黒が、三匹産んだばかりの時に、一匹だけ毛色の違う灰色と白と黒がグラデーションのように混ざった黒の娘のミーちゃんとそっくりな赤ちゃん猫を隠しにやってきた茅葺屋根の玄関の近くであった。

産湯につかれそうなほど湯が溢れてきていた、生暖かい子宮から流れ出てくる羊水の行き着くところのような暗闇の奥で。

残された二匹の子猫は黒ねこであったが、その子たちは別の場所で黒が育てていたのだろうと、支配人の人がおっしゃっていた。

もう一匹の違う毛色の子猫だけ、違う場所に、屋根の上まで連れてきていた。
誰かに託したかったのかもしれないし、頃合いを見て連れ返しにやってくるのかとも思ったが、作業ができないので、黒の寝床まで連れて行ったことがあった。

その後、その子猫はいなくなったという。
多分、黒が食べてしまったか、タヌキにやられたんじゃないかな。
と世話をされていたおばちゃんがおっしゃっていた。
黒が食べたかもしれないと聞いて、黒がミーちゃんといるのを見かけた。
ミーちゃんは食べられずにそこにいるが、あの生まれたてのミーちゃんそっくりな子猫は、また黒の胎内に戻ってしまったのだ。
いや体内そのものになってしまったのだ。
自分の似姿を生き残らせる一方で、似ていないものは排除されていくものなのかもしれない。と、どこかうすら冷たいものを感じながら、黒を見た。
生まれてくるということは最初に母から離れてやってくる、最初の母離れの儀式なのかもしれない。などとも思いながら。
黒は何か感じたのか、しばらく底の見えない黄色い目を見据えてこちらの方を見たかと思うと、目を閉じたまま、こちらを見ようともしなくなった。

それから、しばらく黒を見かけなくなった。

二匹の黒ねこは母親がいなくなっても、周りが育ててくれるまで大きくなったのを待って、黒がいなくなったのだろうと思われた。

多分、どこかで息絶えているんじゃないかな。タヌキにでもやられて。

と、支配人はそうおっしゃっていた。


昨日のこと。

雨が降り止んで、やけに泥臭くなったので、掃除しようと思って行ったら、黒い毛のものに蛆がたかっておった。

と仲間が言った。

黒だ。

と思った。

最後は、いなくなった子猫のそばの闇の奥で、体内に戻るように、生まれた所に戻るように、産湯のようなものに浸かるように、土に帰りたかったのかもしれない。

とも思いながら。




# by akikomichi | 2018-07-05 02:05 | 詩小説 | Comments(0)

黒い犬

黒い犬 ついてきていた 逃げもせず そこにきていた 亡き人もまた
# by akikomichi | 2018-07-03 22:15 | 詩小説 | Comments(0)

黒ねこ

風がなき 雨がなくした 黒ねこの亡骸はなし 闇の奥かな 
# by akikomichi | 2018-07-03 22:10 | 短歌 | Comments(0)

「井手さんの一周忌」

もう直ぐ井手さんの一周忌がやってくる。

茅葺の先輩であり、厳しく指導してもらったが、ご自分にも厳しくストイックに生きた先輩であった。

なくなる一日前に、第二作業場を整えるために、井手さんと二人で作業していた時のこと。

井手さんは、私が家族と離れて暮らしていることを慮って、

帰ってやらなくていいの?

と心配してくださっていた。

いやいや、大丈夫ですよ。私がいない方が、よっぽど、自由にしていますよ。

などと言ってはいたものの。

片道二時間半ほどかかり、まだ慣れない仕事で、体力もそれほどなく、毎日、覚えることで必死であったし、少しでも時間があれば、溶けるように眠ってしまっていたので、帰る余裕すらなかったので、子供の剣道の試合や、いろいろあって迎えに来てとsosがあった時は、飛んで帰っていたが、それ以外は、仕事に没頭していた。

それほど、茅葺に取り憑かれていたのは確かである。

今も、そうではある。

毎日、自分の限界に挑戦しているのも確かではある。

生活もおろそかにしたくないので、茅葺の仕事を続けるためにも、生活も出来うる限り整えてきているつもりではある。

私は、そうして、井手さんが仕事に対して、あるいは仕事があって成り立っていると言える生活に対して、思いつめていたことに、気づきもしていなかった。

生きることに絶望してしまったのかもしれない。

私も、その気持ちは、よくわかる気がした。

絶望していたのだ、生きることに対して。

だから、茅葺に取り憑かれたのかもしれない。

何かやることがあることで、人は救われる時もあるのである。

あまりに辛いことを、考え込まなくていい限りにおいて。


先日、体を壊して入院して、手術をやっと受けて、体調もある程度回復したという兄と、絶望と希望について、なんとはなく、話をしていた。

兄は絶望の底にいるようで、希望を持っていた。

そこから抜け出すという小さいながらも大きな希望。

私は希望の中にいるようで、そこの見えにくい絶望を見ていた。

茅葺と生活が一体化している自分にとって、重要な、とても重要な希望が失われるかもしれないという、虚しい、希望と絶望を行ったり来たりしている状態なのであった。

子供たちと離れて暮らすことは、絶望ではあったが、子供達が希望そのものであったので、離れ離れであろうと、なんとかやり過ごすことはできていた。

旦那さんとは、友人であり、子供を育てるパートナーであり、感謝もしているが、離れ離れであっても、あの人は大丈夫という変な希望はあったが、前の仕事を離れて、自宅で仕事をしている一抹の不安はあったものの、絶望とまではいかなかった。


井手さんは、何に絶望したのであろうか。

この一年、ずっと考え続けてきた。

厳しい先輩ではあったが、時々、面白いことを言って笑わせてくださった。

私が、奥日田美建の「奥」という焼印を足場板に押して、

こんな感じで、この烙印でいいですか?

と言ったら、いやいや、焼印やろ。烙印やったら、いい意味で使わんやつやろ。

というツッコミを入れてくれたり。

でも、焼印は上手くなった。焼印博士やん。

とか、褒めてくれたりもして。

何かでやらかした時に、

今度、その代わりにラーメン奢って。

とか、冗談も言ってくれるようになっていた。

亡くなった前の日の現場では、差し茅もやらせてもらって、それを背中から見守ってくれていたのを覚えている。





茅葺が好きで、ご家族が好きで、村上春樹が好きで、釣りが好きな方であった。

おそらく、茅葺の仕事に対して、責任を感じすぎて、お一人で抱え込んでしまわれたのではないかと、思ったりもしたが、井手さんにお聞きしてみないと本当のところはわからないのであった。


私が至らなかったから、亡くなったとある人に言われたことがある。

その人は、井手さんが亡くなったその日に、現場をやめた人である。

その人がやめたら、別の現場が回らなくなるのではないかと思い、やめないで欲しかったが、私が、至らない私が、正社員になるのがどうしても認められないといわれ、私もどうしていいかわからなくなった。

子供をまだ育てていかないといけない事情はもちろんのことであるが。
自分のわずかな収入もバカにならないので、まだまだ至らない自分を正社員にしていただけることに感謝しても仕切れなかったが。

どうせやる仕事ならば、好きな茅葺をやれるものならやりたかったし、実際に好きなことをやれるだけでも幸せであったのだが。



好きで入ったこの世界ではあるが、井手さんに、

好きということだけでは続かんよ。

と言われた事もあった。



お葬式の時、親方が井手さんに送る言葉を言われている時に、お話ししてくださったのであるが、茅葺の現場をずっと見ていて、親方たちが声をかけてみると、

茅葺が好きで見ていた。

と言われたという井手さんの言葉は、重たい真実だと思われた。



私も好きで必死で働いてもいたのだが、はたから見ると、そうは見えないことも、多々あるらしく、毎日、心でも、全身でも泣いていた。

井手さんは、私が空回りして、至らないだけで、亡くなるような、そのような柔な方ではないと、自分は思っていたし、実際にそうだと思われるし、逆に、私のような目の前をひょこひょこしているだけの、ひよっこに絶望して亡くなるような小さな人ではないと確信はしているのだが。


もっと大きな絶望に連れて行かれてしまったのだ。

と。


一年が過ぎた今、私も、その大きな絶望を突きつけられているような気がしている。

いつも。

隣にいる。その希望の皮を被った絶望。
















# by akikomichi | 2018-06-22 23:51 | 日記 | Comments(0)

「蛍 ふたたび」

今日もまた蛍を見た。

仕事帰り、みんなでラーメンをいただいた後のこと。

作業場についた頃、三日月のほの暗い中、蛍が木の上をゆうるりと、とんでいた。

作業場で見た蛍は初めてだった。

山と川と木の緑がかった魂のようなものが浮かんでは消えていくのを見ていた。


亡くなった先輩の魂も、安らかでありますようにと、心のどこかで思う。


ふと、今日、古茅の上にちょこんと細くてすっきりとした緑がかった若そうな蛇がいたのを思い出していた。

目があったが、ピクとも動かない。

古茅がいるので、ちょいとすまんね。と下の茅を動かすと、スススウと動いて茅と茅の隙間にいなくなった。


湯布院のとある宿の庭にある茅葺のお屋根を改修しているのだが、この前はすっぽんが雨上がりには茅のお屋根の方までやってきていたが、蛇はお初であった。


生き物にあうと、言葉は交わさないのだが、心がじわりとやわらかい方に動き出すようで、一瞬であっても、一日を意味のある、魂のようなものの深いところを覗き込むような日に変えていくようで、気もちが和んでいく。

それでかどうか。

ラーメンが特別にうまかった。

せいめいのやくどーというものか。









# by akikomichi | 2018-06-17 21:26 | 詩小説 | Comments(0)

「蛍」

蛍を毎日のように見ていた。


大山の蛍祭りに行ってきた。

友人のご家族も一緒に。

太鼓の音に間に合って祭りを堪能する。

いつも人と会う方が珍しいのに、人で賑わっていた。

そこであった元同僚が、運動会にもこんなに人いないですよ。

と話していた。

蛍は川の方をゆうるりと飛んでいた。


前津江にも、山があって、川があって、田んぼがあって、蛍がおった。

茅葺屋根の二階建てのお家のそばまで散歩していると蛍がゆるりと飛んでいた。

蛍と川と茅葺は近しいところにいつもある。

一匹の蛍を連れて部屋に戻った。

柱のところで、山から滲み出てきた緑づいた魂のようなものが、ついたり消えたりする。

部屋をくらくして、そのまま眠りについた。

次の日も蛍は、部屋にいた。

窓から、外に出した。

山の魂のようなものは、ほの暗い山に帰って行った。



# by akikomichi | 2018-06-14 19:40 | 詩小説 | Comments(0)

「梅の実と種と」

 落ちた梅を拾って、ざるそば一人前のザル二つほどの量を干していたら、いつの間にか、全て種になっていた。

 落ちた時にはついていた虫に食べられたのかもしれないし、その虫もろとも梅の実を小鳥が食べてしまったのかもしれない。

 乾いた梅の種は梅干よりもなお、干されっ放しで、カラカラに乾いていた。

 梅雨になったというのに、干からびたまま、そこに転がっていた。

 私は、干からびた梅の種をまた拾い集めて、山に埋めようと思った。

 焼いた骨の、それも梅の亡骸の喉仏を拾うように、丁寧に拾っていった。

 いつかはこうやって、種のような骨になっていくのだと思いながら、色だけがどす赤く生々しい喉ちんこのようだなどと思いながら、丁寧に拾っていった。


 今度は、仕事の合間に、作業場にある、木についたままの雨に濡れていた大きな梅の実を2キロほど、丸くて黒い網で虫を避けることができるザルを山を下って手に入れてきて、雨なのにベランダに出した。

 不完全な干され方の梅の実は、生乾きの部屋干しよりもなお湿り気を帯びて、そこにあった。
これから、何を作ろうかと思いを馳せていると。

 ふうっと。ここに移住してくる前のこと。梅酒を作ったことを思い出した。

 移住の世話をしてくれた役所の方が、日田で農家民泊を企画されて、応募も多かったが、たまたまキャンセルが出て、参加することができた時に、皆で作ったものだ。

 まさか、すぐに移住が決まり、なおかつ好きな茅葺に携われるとは思ってもいなかったので、ご縁というものは、そうやって、繋がっていくものだと思わずにはおれなかった。

 この目の前にある、大きな梅の実は、私の青くさい孤独な希望のようで、まだ熟れもせず、頑なに、そこにあるがままであった。

 今度は梅の実で、日田に来てできた友人が教えてくれた梅味噌を作ってみようと思った。

 梅の上に砂糖を、砂糖の上に味噌を、味噌の上に梅を。

というように、幾重にもなる層にしていくといいのよ。

と友人は言った。

 梅の実は仁と種と果肉の層を作り、木も年輪という層を作り、地も層を作り、人も骨、内臓、筋肉、脂肪、肌と層を作るように、茅葺も、また、層を作っていく作業の繰り返しであるのは確かなことではあるが、地「層」あるいは、血「層」ができるということは、積み重ねが多ければ多いほど、複雑なものや、新しいものが表層にひょっこりと生まれてくるものなのかもしれないなどと唐突に思う。

 今の今の今、私は、私の中を経巡るような、新しい時間の層を、生きているようなのだ。

 










# by akikomichi | 2018-06-05 20:54 | 詩小説 | Comments(0)

軒に使う麦藁を取りに小郡まで伺う。

束ねてあった麦藁を拾いつつ、こぼれ落ちた穂もかき集めていく。

トラックに積みながら、機械で刈り取られた裸の麦のようで、物腰が柔らかく、今にも折れそうではあるが、一度集まると、その柔らかさは弾力を持ち、茅を優しく支えてくれるものなのだ。と改めて思う。


その後、お近くの御勢大霊石神社に伺う。

杉皮葺の屋根を拝見する。

奥さんが出てこられて、屋根裏も拝見させていただく。

江戸時代くらいにできたもので、移築してきたお家だそうである。
御勢大霊石神社は伝説によれば、第十四代仲哀天皇が熊襲征伐にあたり的の毒矢に当てられてこの地に崩御されたという。

その後、香椎宮に祀られるようにもなったという。

御勢大霊石神社には、御朱印を求めて、旅の人が訪ねて来られていて、知る人ぞ知る場であると思われた。



# by akikomichi | 2018-06-03 20:27 | 詩小説 | Comments(0)

月輪寺に行く。

がちりんじと読む。

と言っても、すでに、茅葺の葺き替えに着手しており、大きな茅葺屋根の全体像は拝見できなかったが、歴史ある建物であるので、いつか手がけたいと先輩がおっしゃていたのが印象に残っている。

出来上がった時、また、訪れてみたいところではある。

# by akikomichi | 2018-05-28 10:49 | 詩小説 | Comments(0)

 伊藤博文ゆかりの茅葺の建物を拝見。

 民家なので、かなり荒削りな茅の葺き方で、それがかえって、素朴な感じを、飾り気のない、どちらかというと質素な生活を思わせた。
 確か、彼の生まれ育った家だったと思われる。

 逆に、その近くには、暗殺される前に着工し、暗殺された後に出来上がったという大きな二階建ての洋風建築もあり、近代化の流れを個人の関わった建築で見てとてる、日本の住処の流れをも見て取れるものがあった。
 それにしても、二階には、しっかりと畳の部屋があり、和洋折中の元祖であると思われた。

# by akikomichi | 2018-05-28 10:45 | 詩小説 | Comments(0)

「おうちえん」をされている、大下さんの御宅の茅葺屋根を拝見した。

 おうちえんは、毎日が冒険のような、生活のような、まさしく今生きているものたちが、失っていきつつあるものをしっかりと抱きしめているような、生きる真の力を持った大人や子供が集う場だと思われた。

 ヤギにカーデガンをむしゃむしゃ食われそうになったり、鶏はオスが一匹にメスが十五匹くらいがベストな(ハーレム)状態だということを大下さんの倅の空くんに教えてもらった。

 年ではない、生活の中で知り得ることは、知恵というよりも、当たり前のこととして、普段通りのこととして、話てくれることが、嬉しかった。

 大下さんは、アフリカに行かれて、そこで感じたことを、今、やっているとおっしゃていたが、上村さんも大下さんのようにアフリカに行かれて、茅葺を作って、大下さんのお家の屋根を慈しんでいるようで、個人的なつながりを持つ屋根の、そこで暮らす人のための屋根、生きるための屋根、生活のための屋根も味わわせていただいた。

 大下さんは、農薬を使わないで何町もの田んぼで米を作っておられる。
 そもそも、農薬を使わないで米はかつて作られていたわけで、刷り込まれた農薬神話を覆し続けてもらいたいものである。

 屋根は、少し、雨漏りが気になる場所があるということで、トタンの劣化などの漏れも考慮しつつ、茅葺の吹き替えを近々することとなりそうで、大下さんたちの家族とまたゆっくりお話しできることを楽しみに、心待ちにしている。


 私はビールちょっとでヘタレてしまい、子供達はもちろん大人達ののエネルギーが力一杯漂っているようなおうちえんの中でお眠りさせてもらったが、先輩方はおうちえんの庭でキャンプをさせてもらい、虫に刺されつつも、海で捕獲した亀の手(貝の!)を味噌汁にしたり、野生児けんちゃん先輩の火起こしによる肉の炙り?を堪能した一日であった。

 もう一つの、個人の御宅は、上村さんの知人のえいみちゃんの御宅で、お父さんから受け継いだという、素敵な茅葺のおうちを訪ねた。
 冬は家の中でテント張って寒さしのいでキャンプしたよ〜というほど、去年は今までにない寒い冬であったと話してくれたが、茅葺の風通しの良い造りは、夏にこそ、その底力を見せてくれるものではあるが、雨の時もまた風情があっていい。
 音を吸収して、雨が降っているのも気づかないほど、静かなのであった。

 「風」が通る繋がりと言っては無理があるかもしれないが、「風博士」と知り合いというえいみちゃん、私も京都のミュージシャンの方々の曲が入ったみやこ音楽というCDを持っていたので、もしかして、あの風博士?と盛り上がりました。
 訪れた日も雨の日だったが、雨の日は、そのCDに入っている、風博士のシャボン玉飛ばないと、キセルのはなればなれという曲をなぜか思い出すのだった。

 ちょっと、せつなく、寂しいのが、いい。

 いいもわるいも。酸いも辛いも噛み締めてこそ、人生であるちゅう。

 私も、茅葺職人の端くれ?となれた今、茅葺の家に住んで、水も辛いも見極めたいと切に願うようになった。
 茅葺に関する出来うる限りのことを、体で知りたいのである。


 内装も上村さんの知り合いの大工さんと手がけたということで、お風呂場は五右衛門風呂で、母方のじいちゃんのうちで入った、五右衛門風呂を懐かしく思った。
 可愛いお子さんたちは、たらいで水あびをするらしい。日本の原風景?である。
 私も兄とたらいに入って水浴びしている写真が残っており、日本の原風景、ここにありである。

 また、囲炉裏の上に吊るしてある、植物で作られた円錐形のものに、チクチクした針のようなものが突き出ているものがあり、これは何と聞くと、「弁慶」というものであるという。弁慶がなくなるときに矢に射抜かれた時を思わせる名前の由来であるが、そこに、魚などをさして煽る?燻る?のであろう、貴重な生活道具であった。

 屋根は、去年ボランティアの人を交えて、葺き替えた面は、さすがに美しく、もう何十は持ってくれるだろうと思われたが、家の中まで、拝見できた体験は貴重であった。

 これからは、自分で、生活していく場としても、茅葺の道を生きていきたいものである。

 
 

# by akikomichi | 2018-05-28 10:31 | 詩小説 | Comments(0)

 「いけにえ」となって「金龍神」を鎮めた「般若姫」の墓所「般若寺」。

 ここもまた奥日田美建の親方と先輩方が手がけた茅葺の屋根のお寺の門である。

 少し高台から、屋根を俯瞰できる眼差しを持つことができる貴重な屋根でもある。

 屋根を下から拝見できることはもちろん、屋根の上に登っている時よりもなお、上の、遠くから屋根全体を拝見できるのである。上からの立体的な眼差しを獲得し、全方角的に茅葺を見られるということは、自分にとっては、貴重な体験であった。

 屋根は山の上というのもあり、周りに木が生い茂り、門の近くにも迫り来る勢いがあり、日当たり等を考えると、どちらかというと近くには何もない方が、茅葺屋根は長持ちすると言われているが、木の中に溶け込んだ、茅葺もまた、色目の違いが際立ちもし、美しいものではある。

 軒の隅がしゅっと美しく反り上がるところが、神社仏閣などで多く見られる造りで、それを踏襲しているものの、隅を作る職人の方々の個性もまた、僅かながらも、見て取れるようになってきたのは、目が出来てきたことにもなるかと嬉しくもあったが、何より、先輩方の名前をお聞きしながら、誰があの隅を作ったという、職人の責任のような、どこまで丈夫に長持ちし、美しく出来上がっているかの、毎回の、屋根葺きのあくなき挑戦でもあるので、その重みを感じつつ、ありがたく、拝見した次第である。

 三苫親方や上村先輩から、屋根に触って、その傾きを知ることが必要であると教えていただいて、特に良い形になった時などは、体で覚えるようにおっしゃっておられるが、全身体感覚を持って、体に取り込みたいものである

 そこの空気と、時を重ねた、歴史と物語とともに。




# by akikomichi | 2018-05-28 09:46 | 詩小説 | Comments(0)

 遅ればせながら、黄金週間中に拝見した茅葺への道のお話。

 山口県柳井市のホームパージより以下抜粋。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 柳井市遠崎妙円寺の境内にあり、月性展示館は幕末の海防論者で勤皇僧、月性に関わる書画、額画、巻軸、書翰、書冊などを展示しています。

 また、清狂草堂は月性がひらいた私塾で、松下村塾と並び討幕に活躍した多くの門人を生んでいます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 清狂草堂は奥日田美建の親方や先輩方が手がけたものであり、前々から拝見したかった茅葺の屋根であった。


 伊藤博文も足を運んだという清狂草堂。

 今も残る歴史的な茅葺の屋根の下に、清いながらもふつふつとしたものを内に秘めたものが集う場として、そこにあったのであろう。

 

 ここからすぐ近くに線路があり、時代と共存しながら、そこにあったのが印象的であったが、茅葺の屋根を葺き替えることによって、残り続ける、幕末の余韻に触れられるのも、その空気を伝え続けてくれるのもまた茅葺であることを思う。

 新しい茅で、再生可能な幕末の空気。

 いつまでも損なわれないように願う。


 屋根自体は、傷んでおらず、落ち着いた色味は安らぎながら息をし続け、柔らかいながらもぴんと張り詰めた軒や屋根面は職人の手で美しい姿を保ち続けるのである。




 月性師記念碑は明治40年に建てられ、篆額(石碑の題字)は毛利元昭、碑文は山縣有朋の選、筆は徳山の赤松連城。

「独り月性方外(僧)の身を以て慷慨義を唱え君を愛し国を憂うる己私より甚だし」とあり、月性の熱烈なる愛国精神が述べられていた。


 



慷慨義烈こうがいぎれつ

世の惨状を嘆き憤慨し、自らの義と情熱に駆られること。
慷慨は気持ちを高ぶらせて嘆くこと、意気盛んなこと。
義烈は義を守る心の強さ。
慷は心に康で、康は米印とY型に立てた糸巻きの固い心棒を描いた庚から成り、固い筋の入った穀物の外皮のことを示す。
そこから丈夫で固い、筋が通っているという意を持つ。
これに心がついて慷となり、心が強く高ぶることの意味となる。
慨は心に既。
既は皀に旡で、皀は穀物の一粒を意味し、旡は腹いっぱいになってため息をつく様を描いたもの。
穀物(ごちそう)を腹いっぱいに食べて限界まで行ってしまうことで、そこから「すでに」という意味を持つ。
これに心がついて慨となり、心がいっぱいになって胸が詰まる様を示す。



# by akikomichi | 2018-05-28 09:18 | 詩小説 | Comments(0)

「八十八夜の白日夢」

柔らかい青緑の茶葉をつかみ、か細い声で鳴くようにぷちぷちという茶葉の呟きのようなものを聴きながら、摘み続けていた。

朝の茶葉と昼の茶葉と夕方の茶葉は、永遠の中を漂う夢のように開いては硬くなっていく。

少しづつ開いては広がっていく茶葉は、時間を押し開くように葉を広げて、伸びやかに息をしているように柔らかな茶の香りを醸し出していくのだ。

お母さんは、その息を一つ一つ拾っていくように、茶を摘んだ。

僕も、また、お母さんと同じように、茶葉を摘み、こぼれないように掌に掴んでいった。

僕たちの時間は、どこか変わらないようで、去年とは、どこかが違うのを感じ、永遠の時間があるのなら、その時間は、このように変わらずそこにあるが、もうそこにはなくなった何かを思わせるものであるように、感じていた。

多分、それは、永遠があるならば、夢の中にあるであろうと思っている、僕の見ている、僕の手に染み付いた茶葉の薄緑色の匂いのような、八十八夜の白日夢なのであった。

# by akikomichi | 2018-04-29 21:02 | 詩小説 | Comments(0)

「自己の本質の可変性の問題とは、」彼はおずおずと話を切り出した、「長いこと大論争の主題であった。
例えば、偉大なるルクレティウスは、『物の本性について』の中で次のように語った。
『何であれ、自らの変化によって、その境界を超え出ていくものは、』つまり、己の殻を破っていくものはーあるいはむしろその限界を打破するものはーいわば、自分自身の規則を無視するものは、むろんそれは私見によればあまりにも自由なものであるが・・・・『そのものこそ』、ともかくもルクレティウスは主張する、『そうすることによって過去の自分自身に直ちに死をもたらすものなのである。』しかしながら、」と言い続けるかつての学校教師の指は上に向かった、「詩人のオイディウスはその『変身譚』において、真っ向から対立する見解を探った。彼の証言はこうである。『恰も姿形を変えるロウが』ー熟せられた時、例えば君も知っての通り、文書か何かを封印する時ー『新しいデザインを刻印され、姿を変えて以前とは異なって見えこそすれ、同じものとして実際留まるように、我々の魂も同様なことに、』ーおわかりかな、貴方様?我々の魂!我々の不死の本質!ー『依然として永遠に同じものとして留まるが、その遍歴の過程において変わり続ける形をとる。』」


けれどもお前こそ畜生め、私の引き出しのガラクタめ、私のバカげた詩を笑わば笑え。真に言語上の問題とは、いかにしてそれを曲折し、形造り、それを我々の自由とし、その毒された井戸を再び修復するか、いかにして血塗られた時代の言葉の河を習得するか、すべて人々がまだ鍵を見出していないことどもについてなのである。

# by akikomichi | 2018-04-27 23:10 | 詩小説 | Comments(0)

「山菜と遊仙菴」

山菜を採りにやってきた那珂川の現場の優しい監督さんご夫婦と犬のももちゃん。
先日は那珂川の現場となった遊仙菴のご主人にみなさんでお招きいただき、温かいおもてなしをしていただいた。
親方の81歳の誕生日も祝っていただき、ありがたいことであった。
仙厓さんがお好きだという遊仙菴のご主人の茅葺のお茶室には、仙厓さんが書いたのであろう○△□の書?があった。
海賊?と呼ばれた男、出光さんの子分だとおっしゃったそのご主人もまたネパールの子供さんたちのために学校を作ったりされて、ネパール親善大使のようなことをされているという。
心意気を感じさせていただいたのはもちろんであるが、親しみのある、にっこりされた笑顔にほっとさせていただき、ありがたい体験であった。
茅葺を通じて、心ある方々に出会えて本当に幸せである。
心の入ったものを作っていけたらと心底思う。

# by akikomichi | 2018-04-23 22:49 | 詩小説 | Comments(0)

打ち上げ

那珂川の茅葺お屋根の完成を祝い、バーベキューでの打ち上げ。

みなさんと打ち解けて、家族ぐるみの関係が心地よく、和んで、ゆっくりくつろげました。

このまま、ずっと、こういう和やかな場を持ち続けたいと心から願ってます。

恵まれているなあと心から思い、心地よく、ほろ酔いしておりました。

先輩の意志を継いで、皆一生懸命、力を出し切っておりました。

天国で見守ってくれることを願います。

# by akikomichi | 2018-04-08 22:09 | 詩小説 | Comments(0)

「もももすももも」

もももすももももものうちというが
ももにすももをつぎきして育てると
美味しいすももになるとお聞きした
そのももの木はもももなって
すもももなるのだろうか





# by akikomichi | 2018-04-02 22:42 | 詩小説 | Comments(0)

「積荷」

エルフに
茅を積み
杉皮を積み
竹を積み
足場板を積み
トン袋を積み
ロープでかたく縛る

体調があまり良くない時に
力仕事が正直辛い時に
みなさんに
何かと助けてもらえることに
いつも感謝しています
温かい仕事場にいられてありがたいことです




# by akikomichi | 2018-03-29 21:04 | 詩小説 | Comments(0)

「羽虫」

今日。

あの背中の赤い、黒い虫が、羽虫を片手に木の穴に向かって行進しているのを見た。

子供の頃に見た、確か、藤子不二雄の漫画で「コロリころげた木の根っこ」という話の入っていたものだったと思うが、その中の小さな虫を思い出した。

一生懸命進化しているように見えて、爆弾を作って何もかも吹き飛ばしても、自分だけは逃げていくような虫の話。

爆弾ばかり作って国民を飢えさせている国にもごまんといるであろう虫の話を思い出したのだ。

本当にやりきれないのは、捕食された、飢えを満たすためにさしだされた太陽政策という名の生贄の偽善のような、近くを何も知らずに飛んでいた羽虫であろうが。

# by akikomichi | 2018-03-28 22:55 | 詩小説 | Comments(0)

「兄の手術」

兄の手術の日だった。

一度、キャンセルして、再度受けることにしたという。

大事には至らないとは思うが、兄の人生を思うと、なんだかやりきれない気持ちになる。

自分は、やりたいことをできていることに感謝しているが、どうしてもやりきれない思いもあり、それが重なって、なんだか余計気が滅入ってしまうようなのだ。

それはどこか、体に詰まった石を砕くような、石女の月のもののような、鈍いようで、重苦しい痛みのようなのだ。

# by akikomichi | 2018-03-28 19:55 | 詩小説 | Comments(0)

「土筆」

皆の車を見送った後。

石の向こうの土の上に。

一本の土筆が突っ立っていた。

その土筆と目があったような気がした。

昨日まで気づかなかった。

いつの間にか大きくなって。

土筆が突っ立っていた。

ここにいるよと。

無言のまま。

土筆は突っ立っていたようなのだ。

見えない春が土をこじ開けて出てきたような。

見えない土手の向こうをふく風と。

小躍りしながら出てきたようなのだ。


土筆を連れて帰っては。

春と一緒になるように。

土筆の春を食べるのだ。







# by akikomichi | 2018-03-27 21:06 | 詩小説 | Comments(0)

「沈丁花」

沈丁花がもうすぐ咲くでしょう。

といわれた。

屋根に登って茅をふいていたら、ふく風が甘いことに気づいた。

いつの間にか沈丁花が咲いていた。

この時期に咲くのですね。

あの地が揺れた時期に。

そうして、時が過ぎていくにつれ、そろそろと散ってしまうのですね。

風が記憶の土筆を掘り起こすような匂いを孕んできたのです。

そろそろと、生まれ変わる季節のようです。



# by akikomichi | 2018-03-26 22:38 | 詩小説 | Comments(0)

「すいばり」

てぶくろが やぶれたままの あなのなか
すいばりが ささったままの いたみあり

おやゆびと ひとさしゆびの あいだには
ふくれあがった うみもあり

ひあぶり はりさき つきさして 
すいばり はいだす うみのそと

はれた たにまの むこうから
とうめいなあな はいだして

いたみ つついて はりついた
すいばり はいだし なくなりて

はれた たにまを のぞきみて
いつか なくなる いたみあり


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木の中にある穴をのぞきこんでみた。
穴の中はまっくらでなにもみえなかったが。
なんとはなしに、手を入れてみたくなった。
昨日からすいばりがささったままの手を。
まっくらでなにもないとおもいつつ。
穴のふちをさわってみた。
せなかのあかいまっくろな虫がはいでてきた。
せあかごけぐもかもしれないと。
足をかぞえてみたものの。
ろっぽんあしの虫だった。
ありにしては大きすぎ。
くもにしては足がすくなくみじかくて。
手の中のすいばりのようにくろかった。
いたみがあなからはいだして。
うろうろはいずりまわりだし。
のたうちまわるそのまえに。
うみといっしょにだしたいと。
そのときいたみの正体をみつけたようなきがしてた。
つかみきれないまっくらないたみをつついてしまったが。
そのときいたみをてにいれた。










  








# by akikomichi | 2018-03-24 22:13 | | Comments(0)

「歴史の改鼠」

鼠が走るのであります。

歴史の夜というものがあるならば、歴史の屋台骨の屋根の柱という柱を。

鼠は改めて声高らかにいうのであります。

歴史は書き換えられた。権力者によって。

では、歴史とは一体何であるのでしょうか。

例えば、有色人種の血の流れた総理や大統領がいたとして。

その奥方もれっきとした有色人種の血の流れた人であるとするならば。

歴史を伝えるという報道番組において、有色人種の血の流れた女の子が、その奥方の肖像画を憧れを持って眺めている映像を流されたといたしましょう。

そうして、女の子にこう言わせるのであります。

「わたしの女王様」

と。

こうして遠くからみているだけであると、歴史を造るのは、権力者だけではなく、それを強化し続けるものたちのなせるあわせ技である。

と、言わざるをえないのであります。

有色人種の中の女王様にあこがれるのか、それとも、すべての人々の女王様と崇めさせたいのか。あるいは、同じ肌の色のものが女王様であることこそが、ヒエラルキーの頂点としての「女王様」を自分の鏡として、うっとりと魅入らせるものとなるのであろうか。

どこか、気味の悪いプロパガンダのようで、軽いため息のような、しかしながら、濁った吐き気を感じたのであります。

鼠が夜中に走り回るような、見えない、うす気味の悪い意図がうっすらと透けて見えてくるようなのであります。


学校を造るのに、しかも同じ思いを持っていると信じていたお友達のようなものを支援することが間違いであるのならば、グローバル化に乗り遅れるなと、外国人留学生を受け入れろと言い続け、誰も彼もを安く使い捨てようとするものに加担し、自国の若者とその家族だけに高い授業料を払わせ続けるものたちの偏った支援をも、糾弾されるべきことといえませんでしょうか。

いつまでも、死者を出しても、その責任を追求し続ける、その姿勢は、だれかにあやまってもらえれば被害者は納得すると言いながら、永久に頭を下げさせたいだけの、どこかの国のやり方と相通じるものがあります。

しかも、その被害者面をした国のものが同じことをやっていたことは、いっさい、見ようともしない、取り上げようともしない徹底ぶりなのであります。

鼠が穴から這い出てまで、歴史を改めていこうとする、その理由を紐解こうとするならば、おそらく、女/王様になりたいのです。

お前は間違っていると。

上から物申すことができるような、女/王様に。

今日も、明日も、明後日も、昨日も、昔々も、その昔も。

鼠は改めて、走り回るのです。

お前は間違っている。わたしこそが正しいのだと。

政権交代しても、同じことなのは、女/王様が変っただけだということを、思い知らされるだけだということなのだと。

だれに加担しているか、ただ、それだけのことなのだと。

なるべく、ビョウドウであるためには、その女/王様になる機会が、ビョウドウであるべきなのだと。

ただ、それだけのことなのだと。








# by akikomichi | 2018-03-16 12:03 | Comments(0)

「杉皮の神様のような」

先日、先輩と樹齢70年程の杉皮を受け取りに行った。

杉皮を丁寧に手仕事で剥いでいく。

たろうらさんは、杉の命の表皮を剥がしていくように、杉皮を丁寧に手仕事で剥いでいく。

ご夫婦で携わっておられて、奥方からお聞きしたのだが。

杉は立っている時はまっすぐに見えるが、たおしてみると、ところどころ曲がっていることがあるという。

その曲がっているところを見定めて、一番杉皮を生かして使わしてもらうように、例えば2メートル30センチ、90センチの長さで皮を剥いだりする。

製材所などから出る杉皮と一線を画するのは、杉皮に対する思いのようなもののように思えた。

一枚一枚が大きく、「ほて」や「棟」などの雨風に一番さらされると言ってもいい強度が必要になってくる重要な場所や人の目によく触れるので美しさをも求められる場所に使われることとなる。

製材所にとっては、いるものは裸の杉の木であって、剥がされた表皮としての杉皮は、いらないもの、言ってみれば廃材としてのものであり、一山であっても、バラバラの、いろいろな形をした不揃いなものが多く、そこから、60センチの長さの短冊状になたで切って束にしていく。
それはそれで、杉皮葺きのときに必要な大きさなので、我々にとっては、必要で、大切なものであるが。

たろうらさんの杉皮は、ひとつひとつを倒し、皮を剥ぐという、今の時代に逆行しているような、杉との付き合いのしかたが密であるように思えた。

時間をかけるということと、杉の命を見届けるということと、機械ではなしえない手間暇がいるということ。

息づいている場であるということ。

山のなかで生きている杉の生き場所をしっているからこそ、疎かにできないような、手間暇をかけるということが出来るような気がした。

時間という速さではない、時が流れている場所にいられることに、杉皮の神様のようなものにふれたような、心から感謝したくなる出会いであった。

息子さんが引き継ぐということで、頼もしい限りである。









# by akikomichi | 2018-03-14 20:49 | 詩小説 | Comments(0)

七年

木のしゃもじがこわれた。

七年前の震災の時、あまりにゆれるのでそこにはいられないといって福岡の方にやってきた人にもらったものだった。

しゃもじも、よくここまでやってくれたと思う。

もう、七年もたっていたのだから。

そういえば、父の介護が必要になった頃、うちにやってきていた時でもあった。

右半身不随の父と散歩しながらリハビリをしているときに、苺を孫に買うてやれと言って、八百屋さんにふたりで立ち寄った際に、地震が起きたことを店のお客さんから聞いて知った。

母や姪っ子が東京にいたので、家に帰り連絡を取ろうとしたが繋がらなかったのを思い出す。

もう、あのような思いはしたくはない。



どうか、だれもが安心して暮らしていけますように。

なくなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。



# by akikomichi | 2018-03-11 20:58 | 詩小説 | Comments(0)

無色透明な

無色透明なものは風のようで、水のようで、夢のようで、うたのようで、時間のようで、重力のようで。

見えそうで、見えにくいようで、そこにあることだけはかんじられるようで。

うつくしいものをつくっていけますように、まわりの方々の助けもあり、ここまでこれたことに感謝して、これからはじぶんでもつくっていけますように。

かわいい子らには、すきなことをしつづけてほしいと心から思う。


# by akikomichi | 2018-03-10 23:16 | 詩小説 | Comments(0)