「茅葺の民俗学」生活技術としての民家 安藤邦廣 はる書房 より 以下抜粋。


茅とは屋根を葺く草の総称で狭い意味には最もよく使われるすすきのことである。
かやは茅(萱)の他には古くは、茅草、草の字が用いられてきた。


爾(ここ)に即ち、其の海辺の波限(ナギサ)に鵜の羽を以ちて茅草(カヤ)と為て産殿を造りき。
〈略〉〈波限を読みて那芸佐と云ふ。茅草を訓みて加夜(カヤ)と云ふ〉(古事記ー上)


わがせこは、 かりいほつくらす、くさなくば、こまつがもとの、 くさをからをからち
吾勢子波、 借廬作良須、 草無者、 小松下乃、 草乎苅乎苅核   (万葉一巻)


次に草の祖(おや)草野姫(かやのひめ)を生む。亦の名は野槌    (日本書紀ー神代上)


このような かや の語源として次のような説がある。

一、かりや(刈屋)の約(冠辞考続貂)
刈って屋を葺く物の意のかりや(刈屋)から茅料に用いる草の総称をかやといい、それに最適の萱、茅を特にかやと呼ぶようになった(大言海)

二、かや(上屋)という意をもって茅料をかやと言い、これに禾草(かくさ?)を用いたので草をかやと称し、さらに茅料に最適する萱、茅の類をちかや(ちは強の意)略してかやといったところから(日本古語大辞典)

三、かおや(草祖)の義(言元梯)

四、毎年冬春の間に刈って焼くところから、かりやく(刈焼)の略(名言通)

五、かれ(枯)やすきところから(和句解)

六、風のためにかやかやと音がするところから(日本語源)

七、くさよはの反(名語記)


以上のように茅は屋根を葺く草の総称であり、すすきの他によし(あし)、かりやす、かるかや、しまがや、ちがやなどのイネ科の多年草、麦わら、稲わら等の穀物の茎、麻桿(あさわら?)、笹等の手近に入手できる材料が使われた。
このような草は屋根を葺く材料としてみなされた時にはじめて茅と呼ばれるのであり、たとえば、お月見に飾ってあるすすきを茅とは呼ばないのが普通である。


[PR]
by akikomichi | 2017-12-31 15:22 | 日記 | Comments(0)

亀の井別荘の客室の一部とお食事どころの湯ノ岳庵と門の今年の分の葺かえが終わり、湯ノ岳庵で慰労のお食事会にオーナーのご家族と建築家の柿沼先生にお招きいただき、奥日田美建の面々に心のこもったおもてなしをしていただく。

忘年会のような緩やかな和みの空間であったが、これまであったいろいろなことが走馬灯のように思い出されて、一つの映画の終わりのような、繰り返し見ることのできる、思い返すことになるであろう、忘れることは生涯ないであろう現場であった。

聞くところによると、湯布院の映画祭は日本で初の映画祭であったらしく、その立ち上げ当初に深く関わっておられたというお話をお聞きし、映画を愛してやまない方の作られた空間と名前を感じつつ、その場に茅葺を溶け込ませ、そこにあり続けることを選んでくださった方々に、感謝せずにはいられなかった。

亡くなった先輩の魂が棟から見守ってくださることを切に願いつつ、心を込めて、丁寧に皆さんの力を合わせて作り上げたものである。

いつまでも守り続けられますように。末長く皆様方から愛されますように。心からの感謝を込めて。

[PR]
by akikomichi | 2017-12-29 10:48 | 詩小説 | Comments(0)

生き生きて

ともに過ごして

ともに生きては

今を楽しむ

友の心のありがたき

豊かな時を過ごしける

心の友のありがたき

楽しき時を生き生きて

今を味わい尽くすのだ

今を心に満たすのだ







[PR]
by akikomichi | 2017-12-24 23:52 | 詩小説 | Comments(0)

「門と肉」

茅葺の「門」の上のこけを毟り、古茅を剥ぎ取り、ついには竹とむき出しの木だけとなる。

これからまた、「肉」付けをしていくように、記憶を再生するように、茅を葺いていくのだ。

我々は、記憶の「門」を開いたり閉じたりしながら、自分の記憶の襞を押し広げられるように、幾重にも重なっていくものを生み出していくのだ。

と、皆でご馳走になった美味しい「肉」を食べながら、そう思う。


[PR]
by akikomichi | 2017-12-19 21:20 | 短歌 | Comments(0)

「柚子湯と杉皮と」

長い竹に揺すられて
柚子が暗闇から落ちてきた
一つ二つ三つ四つと
砂利の上を転がった

目の前に転がっていく幸いを拾い集めるような
夢が移ろうような
冬の寒さに耐えていた
かすかな痛みのような苦い匂いを拾い集めるような

我々には寒い冬の中であっても
帰ってから柚子の浮かんだ湯の中にたゆたう
干からびたかさぶたが剥がれるような
すっぱい果汁を絞り出すような幸いがそこにもあった

今日の一つの幸い
湯布院の現場で目串を使い杉皮を並べるのを拝見できた
本物に出会えて
そこにいることの幸い

戦後 
日田で林業が盛んになるにつれ
杉皮を利用する機会が増え杉皮葺も自ずと始まったのではないかと教えてくださった
90歳を軽く超えたおじいちゃんがいらっしゃったが

我々は
一つ一つ杉皮を並べ
一つ一つの剥がされた皮を
もう一度 屋根の上で生きてもらえるように並べていくのだ






[PR]
by akikomichi | 2017-12-15 00:38 | 詩小説 | Comments(0)

イザベラ・バードが見た日本は、緑の深い奥まった日本であったようではあるが、新潟に茅葺の勉強に行った時に訪れた大内宿の茅葺の家々の詳しい記述は見当たらず、おそらく、その当時はどこにでもある風景として、認識されていたと思われる。

彼女は北海道のアイヌの村も訪れている。
アイヌの人々に、どちらかというと欧羅巴に近しいものを感じていたようである。

以下、茅葺や屋根に関する記述抜粋。

第十一信
藤原にて
板葺屋根に携わって茅葺屋根になっているので、村の姿もだいぶ良くなった。急な屋根、深い軒端と縁側がある。屋根や壁は暖かそうなあずきいろである。ごたごた混雑している農家の風景も、奇妙で面白い。椿やざくろの生垣があり、竹藪や柿の畑がある。

悲しみに沈めるときに楽し日を
思い出すほどかなしきはなし(テニソン 〜 ダンテ「地獄篇」)

第十一信
津川にて

美景を添える茅葺屋根は姿を消し、津川では屋根は樹皮を細長く切ったものを葺いてあり、大きな石で押さえてある。しかし、通りに面して切妻壁をを向けており、軒下はずっと散歩道になっている。




[PR]
by akikomichi | 2017-12-11 20:39 | 日記 | Comments(0)