人気ブログランキング |

<   2013年 12月 ( 177 )   > この月の画像一覧

じんるいのりょうしん

じんるいのりょうしんあるなら あてこすりどうぞうてっきょするべき いますぐ
by akikomichi | 2013-12-30 21:42 | 短歌 | Comments(0)

注連縄

注連縄のしめあげたさきにあらわるるけっかいくぐればかえりゆくもの
by akikomichi | 2013-12-30 21:38 | 短歌 | Comments(0)

ちちかえり

ちちかえり さいごのときをくりかえす うまれたひにまでかえれるひまで
by akikomichi | 2013-12-30 21:33 | 短歌 | Comments(0)

いっぽうてき

いっぽうてきなもののみかたのぎゃくりゅうのめぐりくるかな はんてんをしり
by akikomichi | 2013-12-30 21:30 | 短歌 | Comments(0)

りょうしんも

りょうしんもにくしんもなくあくしんをとうえいするのはもうよしたまえ
by akikomichi | 2013-12-30 21:24 | 短歌 | Comments(0)

故郷を

故郷を訪ねさすらう人の目にうるむ景色の山の向こうへ
by akikomichi | 2013-12-30 21:09 | 短歌 | Comments(0)

「最近、イギリス人の植民地の専門家が書いた『THE NEW KOREA』という本を読んだんだ。たとえば日本の統治前に4万平方キロだった(韓国の)耕地面積が、統治後には6万平方キロになっただの、漁獲金額が800万円から4千500万円になっただの、要するに、日本の統治がいかに素晴らしかったか書いてあった。このことを朴槿恵(パク・クネ)に教えてやらないとだめだね」

そう話すのは、猪瀬直樹東京都知事に“引導を渡した”男・石原慎太郎氏。19日の猪瀬都知事辞任会見の翌日、安部首相との昼食数時間後に本誌インタビューに応じた際の発言である。

石原氏が絶賛している『THE NEW KOREA 朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)』(桜の花出版より翻訳が発売中)は、行政学者、アレン・アイルランドが著わした本だ。

ビルマやフィリピン、ジャワなどの植民地を調査してきたアイルランドは、1922年、日本統治下の朝鮮半島を訪れ、驚く。「今日の朝鮮は李王朝時代とは比べものにならないくらい、よく統治されており、またほかの独立国と比較してもその統治は優れて」いたからだ。

「500年にわたる李王朝時代、腐敗した政治と課税システムによって、朝鮮の人々は慢性的な無気力状態でした。外交的にも、清帝国によってずっと搾取され、奴隷以下の扱いを受けてきたのです」

評論家の黄文雄氏はこう語る。アイルランドが「半島の人々の生活実態はきわめて悲惨だった」と記した朝鮮人の暮らしぶりは、日韓併合によって飛躍的に改善し、国際的な地位も大きく向上した。

韓国統監府(1910年、朝鮮総督府となる)が力を入れたのは、教育や司法など、朝鮮が近代国家になるための仕組みの整備だった。当時行われていた教育は、儒教と書道のみ。それを大改革したのが、初代韓国総監・伊藤博文だった。

「日本銀行からの借款の1割、50万円を教育にあて、女子教育や商業教育の道を拓きました。朝鮮の近現代の学校教育は伊藤によって築かれたのです。むち打ちなど残虐な刑罰がまかり通っていた裁判も、日本が開国したとき司法が未整備だったため、欧米諸国に治外法権を認めさせられた反省から、ノウハウが惜しげもなく注がれたのです」(近現代史研究家・水間政憲氏)

いま、韓国は日本の統治を「日帝36年」と呼び、日本人がいかに非道な行いをしてきたかを非難しつづけている。前出・黄氏は嘆息し、こう語った。
「あまりに自国史に無知すぎて呆れ果ててしまう。明らかに、韓国の発展は日本が作ったのです」

(週刊『FLASH』1月7・14日号)
by akikomichi | 2013-12-30 09:38 | 日記 | Comments(0)

手前から

手前からころがしながらよりあげし注連縄でさえ輪を描くもの
by akikomichi | 2013-12-29 23:33 | 短歌 | Comments(0)

またはじまった

参拝しごまかしてから消費税増税議論かばかにするなと
by akikomichi | 2013-12-29 20:31 | Comments(0)

中国政府の主張と矛盾=50~60年代、「沖縄」と認識-尖閣「領有意識なし」
 【北京時事】1971年7月までに中国で発行された地図の中に、領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島の中国名である「釣魚島」の記載がなかった事実が判明した。中国政府は、公式に尖閣諸島の領有権を唱え始めた71年の以前も「釣魚島は古来台湾の一部」であり「固有の領土」と認識していたと主張しているが、地図への未記載は、中国政府の立場と矛盾すると言えそうだ。
 中国政府は50年5月、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、尖閣諸島は琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成。時事通信が入手した文書原文コピーによると、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか、研究の必要がある」と記していた。
 しかし、中国政府系の「地図出版社」(現・中国地図出版社)発行の地図を調査したところ、50~60年代に中国が自国の一部とする「台湾省」の付属諸島として「釣魚島」の記載はなかった。中国の国内地図に記載される「台湾省」の概要を解説したページにも、71年以前には「釣魚島」などの地名はない。
 尖閣問題に詳しい東海大学海洋学部の山田吉彦教授(海洋政策)は「地図というのは領土・領海について国家の主張や意思を盛り込むもので、中国政府が71年以前に尖閣諸島の領有権を意識していなかった表れだ」と解説。71年まで、尖閣諸島は「沖縄の一部」だという認識が変わらなかったとみている。
 その証拠に、53年1月には共産党機関紙・人民日報が「琉球群島は尖閣諸島など7組の島しょから成る」と記述。58年11月の「世界地図集」にも沖縄の一部として「尖閣群島」「魚釣島」という日本名が登場した。
 日本との間で尖閣諸島に関する領土争いがあると認識しているならば、地図上に島名を記して主張するはずだが、中国はこの間、一貫してこうした措置を取らなかった。中国で71年以前に発行された「台湾省」の地図は200万~300万分の1の縮尺。日本の地図関係者は「この縮尺であれば通常、尖閣諸島ほどの大きさでも、領土と見なしていれば(中国名が)記載されるはずだ」と指摘した。
 日本政府が1895年に尖閣諸島を沖縄県に編入したことに対して中国側は異議を唱えず、1971年12月30日になって、公式に領有権を主張し始めた。68年に国連アジア極東経済委員会が尖閣周辺での石油埋蔵の可能性を指摘したことや、71年6月の沖縄返還協定に基づき米国から日本に施政権が返される対象地域に尖閣諸島が含まれたことが背景にあった。
 人民日報は70年12月、「台湾省や、釣魚島などを含めた付属島しょは中国の神聖な領土だ」と主張する評論を掲載。こうした主張に基づき、中国政府は71年7月、地図出版社に地図の書き換えを徹底させたとみられる。(2013/12/29-14:56)
by akikomichi | 2013-12-29 15:22 | 日記 | Comments(0)