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「滝のような」

雨が止んだ。
今日は休みである。
なぜだか、志ん朝の落語「宗珉の滝」を聴いている。
今の現場の設計士の先生が落語をお薦めしておられたのをやっと聞くことができたのである。

昨日は、我々の今、手がけている杉皮葺の屋根が、滝のような、雨にさらされていたので、気が気でなかったのだが。
大雨も止んで、少し気持ちも安らいできたような気がした。

昨日は養生の補強に明け暮れていた。

梅雨入りをしたところもあるという季節柄、杉皮葺の屋根の上に、さらに「すやね」を張っているので、多少の雨風はしのげるものの、大雨となると、かなり厳しい状況となるのだ。

大雨の中、ズブ濡れのまま、「すやね」の竹や木の上に乗り、ビニール製の布を補強していった。
やっと軒つけに入った杉皮の屋根はもちろん、その下で働く、大工さんたちの仕事場も雨風をしのげるように。
これも、また、屋根仕事の一つで、雨風に寄り添いながら、屋根ができて屋根に守られるまで、我々が竹と棒と紐の骨組みで柔肌の薄皮一つで、守るのだ。我々の作る屋根を。

屋久島で、山から降りれないほどの雨が降っているという。
五十年に一度の大雨。
私が生まれて初めて縄文杉に会いに行ったのも同じようなものであったが、大雨が身体中に降り注いだような、内側から全てが現れたような10時間もの間の道々であった。
山から降りれないで滝のように雨が降っていて、文字どおり滝になっている山道もあったようで、雨が降るといたるところに滝ができるという島の素の姿を見た気がした。
雨が降れば、滝ができる。
水があれば、水が流れる。
ただそれだけのことであるような気もするが。
命の危険を感じながらの山登りというものをまだ体験したことがないので、山の別の姿をまだ知らないだけかもしれないが。
雨は雨、屋根は屋根、我々は我々。
できることをする。
ただそれだけのことであるような。
そうして、一枚ずつ杉皮を重ねて山のような、気の遠くなるような、千枚以上の杉皮を積み重ねていく我々の杉皮葺の屋根のように、千年もの間、年輪を重ねながら、命を重ね、生きながらえてきたのだ。縄文杉も、いってみれば、我々人類も、あらゆる生命も。

千年王国。
という言葉を思い出していた。
昔、千年王国というヤバイ?Tシャツを着ている人がいる夢を見たことがあった。
どこかの島で、いろいろな国の人が集まって、生きているような夢を見たのである。
千年王国とは、どこかの宗教の言葉のようであったが、何か、違う意味があるような気がした。
ピアノが水辺の近くに数台置いてあり、キャンプをしている人、着飾った人、生活をしている人、ボランティアをしている人、志のある人、空母、客船、車、軍隊までいる、しかし、何か、祭りのような祝祭を生きるような、何かにいかされたような場所として夢に現れてきたような気がしていた。

もしかして、屋久島の夢を見ていたのかもしれないと、思ったのは、屋久杉の中でも、縄文杉が千年もの月日を生きていたという話を聞いていたからであった。
夢で見た千年王国というのは、縄文杉のある、この場所のことだったのかもしれないと。

実のところ、屋久島に行く直前に、弥生時代か縄文時代かの格好をした人が出てくる夢を見ていたので、屋久島に行ったら、何かわかるかもしれないと思っていたのだが、縄文杉に会いに行く道すがら、弥生杉というものが途中にあったのも、何か不可思議な、夢のお告げのような、不可思議な夢と現の交わった世界に迷い込んだような気になっていたのだ。

弥生か、縄文かわからないと思っていたのだが、原始の姿をした、草を着ている人の夢。
その人を見つける夢を見たのだ。
私は、その千年の時を思わせる、姿に会うためにここまできたのかもしれない。
千年王国とは、実のところ、自分の中の王国であったような、夢と現の境目のない島のような。国のような。気もしていた。

心も体も滝のように流れていく、生命の偶然がそこにあったのだ。

などと思いながら、志ん朝の落語が、耳元で水が流れるように、ゆうるりと酒を酌み交わすように、とうとうと体の中を流れていた。

腰元彫り師の宋三郎が死んだ虎を彫ったばかりに師匠の宗珉に破門されたところ、流れ着いた宿の主人に宿代が払えないので何の仕事をしているかと聞かれ、腰元彫りという。
死んだ虎をなぜ彫ったと言われ弟子にしてくれとまでという。
とりあえず、生きた命を作れるようになるよう、宿で彫っていいことになり、ある時、殿様から小柄を那智山の滝を彫るようにというお達しが来た。

水彫りをして、殿様に持って行った。
酒を飲んで彫ってダメ出しをされ、もう一度、精進して、彫るという。
二十一日、滝に打たれ、断食をしながら、滝壺から帰ってきて、ろくにご飯を食べずに、仕事を初めて七日七晩彫るのに明け暮れた。
宿の主人も断食して、願掛けをした後、
今までより悪い滝を彫った。と思った小柄を殿様に持って行った。
殿様は名作として手に取る。
二人のものの命がかかっていた小柄というところで、お抱えの腰元彫り師になったという話。
なぜできの悪い小柄を気に入ったのかと思ったところ、小柄から滝が流れて、水が流れたという、不思議な小柄を作ったという、名人の話であった





# by akikomichi | 2019-05-19 17:02 | 詩小説 | Comments(0)

父のお見舞いと早月松原

屋久島でお世話になったカツくん真澄ちゃん宅に伺い、預かってもらっていた荷物を持ち帰る。
同じ屋久島を登った仲間とまた会える喜びは幼馴染に会える喜びのようで、なんといういい時間を過ごせたのかと、思わずにはおれなかった。
それから、キャンプ道具をなおせるかもしれないと先輩の友人のキャンプ道具を取り扱っているお店に伺い見てもらい、アドバイスしてもらう。これからも大切に使っていきたい。

帰り道、父のお見舞いに行ってきた。
転んでは起き上がってきた父だが、今回は少し入院までの期間が早まったようで気になっていたが、見舞うと以外と元気なので、やはり会うとホッとできるので、会いに行ってよかった。
母の日というわけでもないが、花とフクロウの器を手渡した。
父にもいつ会えるかわからないので、七転び八起きのだるまさんの器を手渡してきた。
復活したら、使ってくだされ。と。願いを込めて。

入院先の近くのふれあいの里にある茅葺屋根を拝見してきた。
先輩方が五、六年前にさし補修したものであるが、しっかりとしていたので、しばらくは手入れ不要のようであった。
茅葺は、最初の黄金いろから色を変えて、歳を経るごとに、貫禄ができてくるようで、その年月も愛おしいものなのである。

早月松原に久しぶりに立ち寄った。
夜中にバイト帰りに友達と車で通りかかった時、女の人が立っていて、ちょっとさまよいいでたる魂かと、ぎょっとしたことがあったが、夕日が美しく、屋久島と同じ海の美しさと少し冷たい風の心地よさと体ごと味わった。

それから、博多に届け物をして、せがれとハグをして別れた。

寂しいが、自分や彼らがそれぞれ選んだ道だから、それをお互い噛み締めて、いずれ同じ目的を持って、楽しんで力を合わせて生きていけるように、準備をしてくれることを願ってやまない。


# by akikomichi | 2019-05-12 23:32 | 詩小説 | Comments(0)

人吉の国宝青井阿蘇神社を訪れた。
前から拝見したかったのだが、先輩に教えていただいて、やっと訪れることができた。
茅葺で国宝の建物は、日本でここだけとお聞きし、時を超えて、残ってくれていることに感謝であり、これからも、生き続けて?欲しいと思われた。

鹿児島の友人にも会いに行った。
ふくちゃんとそのせがれくんに会えた。
昔のことを話しながら、焼肉を頂く。
お互い色々あったが、会った途端、昔に繋がれる幸福を頂く。
今度は日田に来ておくれと、楽しいひと時を味わい尽くして、屋久島に行っておいでと送り出してくれた。


それから、屋久島に行ってきた。

縄文杉に会いに行ったのだ。

私とせがれと先輩とその友達と現地で合流し、縄文杉まで、道案内していただいた。

10時間もの時間をかけて、私たちは縄文杉に会いに行った。

縄文の時に出会うことができる場所は美しく、出会う人もまた、同じ時を超えて、上り下りをいきかい、ただ登りただくだり、ただ歩き、ただ愛にやってきたのだ。

森の中を歩くことで、こんなにも心も体も軽やかになるのかと、不思議であった。

帰り道に、はばかりに行こうとしたら、勝手に足が動き出して、地下足袋で走り出していた。

すれ違う人に、韋駄天や。

と言われ、走る先がはばかりなのが、事情を語るのははばかられたが、事情を知らない方々には、まあいきのいいこと。

と思われたようで、なんだか目的があることの気恥ずかしさもあったが、ちゃんと目的を達成できた喜びはひとしおであった。

自分でも、トロッコ線路の間に敷き詰められた木の板の上を、あんなに軽やかに走れるとは思ってもいなかった。

友達になった真澄ちゃんに、なかなかあっこさんいなかったから、よっぽど早く着いたんだね。

と言われた。カツくんもあっくん先生も、年季が入っているので余裕であったが、せがれは最後のトンネルまで、杖をつきつき、太ももが痙攣しながら、足を引きづりながら、歩き通した。

せがれは、帰り際、休み休み歩くなかで、ずっとこれからのことを考えて歩いていた。と言った。

彼が、どのように生きていくか、いろんな選択肢があることに気づいた。と言った。

なんで、山に登るのか。なんでこんなことをしているのか。

10時間の道程で、自問自答していたという。

答えは、せがれが持ち帰ってきたようで、心からこの旅に来れたことに感謝した。

ライダーズハウス 止まり木でも、姉さんや野続くん、土田くん、リチャードくんに会えて、リチャードくんの故郷ではオーロラが見れるので、遊びに来てもいいよと言ってくれたので、また会える時を楽しみにして、帰りの船の上で桜島を背に写真を一緒に撮った。

かごんまに再上陸して、お土産に両棒餅という餅を手に入れようとしたら、西郷隆盛せごどんにゆかりのある茅葺の家の近くまで来て、たまたまあったお店に立ち寄ると、そこの奥さんのご先祖さんがせごどんが入水自殺を図った時に助けられた際に連れてこられて、息を吹き返した時に、飲ませた器などもあり、さらに追ってもあったであろうせごどんをかくまったというお話をお聞きした。
生なましい、時代の、生きていた人の生の声を時を超えて聞かせてもらった気がした。

やっぱり、皆、せごどんに生きていて欲しかったんでしょう。

と奥さんは、おっしゃっていた。

その後、せごどんは、菊池げんごと名乗ったこともあるという、せごどんのげんごは、一緒に死ぬつまりで入水され先に逝ってしまわれた月照さんのお付きの方のお名前らしく、おそらくその方が、なにがしかの形で、せごどんを助けたのではないかということであった。

せごどんがいたという茅葺の家を拝見した。

海の近くで、こじんまりとしているが、八年前くらいに葺き替えをされたと言われていた。

中は、ススダケなども残っているらしいが、今は拝見できないという。

いつか、拝見できたら、嬉しく思う。

それから、人吉を目指して車を走らせて、源泉近く温泉でひとっぷろあびていたら、地球環境を良くすることで生き生きしている優子さんに出会って、熱めの風呂の中で、これからは競争の時代ではなく共存の時だねという話で熱く盛り上がり、家に泊まって行きなよとまで言ってもらい、お泊まりさせていただく。

次の朝、散歩して、せごどんが西南戦争の際、陣を置いていた武家屋敷と幽霊寺を訪ねる。

武家屋敷は、茅葺で寺に似た作りをしていると言われた。格調を重んじて作られたのではないかということであったが、茅を支える木の先が、少し刀剣に似ていると思われた。

幽霊寺は、幽霊の絵で名を知られているが、生々しい人間の業の果ての、物悲しい女の人の話をお聞きした。
足のない、魂になっても、現れてくる思いの強さというものを、感じることができたような。女の思いは寺の池を漂うこいのように、艶かしくもあり、儚いようでもあった。

それから、西南戦争の時に、女侍が官軍と戦っている絵巻的なものが飾られていた。

女も囲われたりしながら、いろいろなものと、戦っていたのだ。それから、優子さんとそのご主人に教えていただいた、鍛冶屋さんの包丁を自分へのお土産にした。

割腹するためのものではなく、日々の生活の中で、生きるための、美味しく食べていくためのものとして。


何も知らずに、人吉に来てみたら、せごどんゆかりの場に行き着き、せごどんに導かれ、自分の魂の行き着くところのようなものを見つけたような気がした。


生きている、優しい大人や子供たちに出会えたことが何より、本当にありがたい旅であった。


# by akikomichi | 2019-05-05 17:31 | 詩小説 | Comments(0)

幸せな1日

幸せな1日であった。

せがれと一緒に、杉皮を鉈を使って60センチほどの短冊状に切って束を作ったり、はおさえを80センチ前後にのこで切ってちゅうのうで端を上下反対にスパッと斜めに切ったりした。

できた杉皮を一生懸命二階にハシゴをかけて運ぶせがれから受け取って、井形に積み上げながら、いつもより、時間が経つのが早く感じられ、体の中からじわじわとやってくる安らぎを感じていた。

楽しみが増えたのだ。

自分もせがれと同じように体で覚えながら、茅葺をこよなく愛していける喜びの1日であった。

# by akikomichi | 2019-05-01 05:48 | 詩小説 | Comments(0)

新しい日々の始まり

新しい日々の始まりである。

せがれがついに日田にやってきた。

一緒にいることと、徐々にではあるだろうが、一緒に仕事をできることの幸せをかみしめたい。

誠にありがたいことである。

一方で、お世話になった柳川の川下りの会社の経営者の工藤さんの関わっておられる「ほりわり」と言う文芸同人誌に今回、寄稿させていただいているので、編集の手伝いを時間の許す限りやらせていただこうと、柳川に向かっている途中で、実家の父が自宅で倒れて入院したという知らせが、父からあり、急遽、方向転換して、父の入院先に急いで、せがれと向かった。

父は、倒れていたいところ以外は、大丈夫そうだったのでホッとしたが、せがれの門出に呼び寄せてくれ、何はともあれ無事で顔を拝むことができて、幸いであった。

いつもの調子で、ニヤニヤしながら、俺はしぶとい。お前もしぶとく生きろ。

と言いながら、悪童のように笑う父の図太さがまっこと好きである。

あのしぶとさを、せがれたちにも受け継いでもらいたい。

# by akikomichi | 2019-04-29 22:21 | 詩小説 | Comments(0)

仲間内での懇親会

仲間内での懇親会をした。
茅を運んでくださるすみおさん家で皆でご飯を食べた。ありがたいことに、上村さんのおごりで、用意はすみおさんと善三さんがしてくださり、その他のお呼ばれされた?皆は、飲み物を持ち寄っての会であった。
こういったことを以前はしていなくて、コミュニケーションが取れにくいということもあったらしく、それはかなり改善できるような気がした。
こういった家族のような、気兼ねなく、ただ一緒にご飯を食べるという行為は、普段の生活の中に溶け込んでいくもので、見えない絆のようなものもできてくるような気がした。
いいことも悪いこともあるだろうが、それが、人生であるような。
喜怒哀楽の彼方に何があるのかは、まだ、わかっているようで、わかっていないような。
それは生の果ての死についてもそうで。
何にもなくなるだけ、存在がなくなるようで、何かしらの存在感は残るような。


# by akikomichi | 2019-04-29 06:24 | 詩小説 | Comments(0)

亀の井別荘のご主人と柿沼先生にご招待されて、湯ノ岳庵さんで親方の誕生会をしていただいた。

いつも、心のこもった美味しい旬のものをいただき、ありがたく、堪能させていただく。

柿沼先生と亀の井のご主人は共通のご趣味があり、狂言好きであり、落語好きであり、映画好きであることがわかり、この上ない嬉しさであった。

イラン映画のおはなしをして、盛り上がり、とても楽しいひと時を過ごさせていただいた。

とても幸せな時であった。

これも親方のおかげであり、この場にいれることに感謝しても仕切れない思いであった。


# by akikomichi | 2019-04-27 22:19 | 詩小説 | Comments(0)

釈迦岳に登った。

初めて登った。

もうすぐと思ったら、また下り、また登りしながら、釈迦岳の頂上にたどり着いた。
頂上には、お釈迦さまの像が蓮の花を持って、待っていた。
子供のこと、これからのことを考えながら、ゆっくりと、小鳥の声を聞きながら登った。
最初は、かなり急激な岩場もあり、チェーンがついてあるところを、手繰りながら登った。
ここいらの山の中では一番高いという釈迦岳であったので、すべてを見わたせる風景を一望し、心ゆくまで味わった。

最近は、心の余裕がなくて、車でも体でも心でもいつも走り続けていたようなところがあり、ゆっくり重力を感じながら、登る山道は、きついながらも、自分の重さがどんどん頂上に近づくごとに軽くなっていくようで(多分、確実に、汗の分だけ軽くなっている)、風が吹く頂上はことのほか心地よく、身体中を経巡り、気持ちも風を含んで、軽やかにしてくれたようであった。

その後、上村先輩が京都の美山の中野親方とお会いするということで、ハンドルキーパーとしてお伴し、貴重な、京都のお話をお聞きできた。

桂離宮の松琴亭も手掛けておられる美山の中野親方のお話の中で、特に、棟のやり方を今後の参考にさせていただけるよう、心してお話をお聞きしていた。

棟の収め方の精細で考えぬかれたやり方をお聞きしながら、実際にされている場面を想像しながらも、やはり、想像では埋まらないものが多々あり、実際の現場で、生で拝見したいと思うようになった。

ありがたいことに、その過程は画像にはないけれど、図面には残っているので、それを教えていただけるということで、誠にありがたく、少しでも茅葺に携わるものを育てようとしてくださる志と、懐の大きさに、こころから感謝せずにはいられなかった。

湯田さんも5年の経験を経て、身の振りようを考えておられるらしく、まだお若いこともあるが、のびのびと美山で育てていただいているようで、これからも、いい職人さんになっていくことを願ってやまない。

あっこは、一人で任された時、どう屋根を葺くかを考えながら、やっていったら、動きが変わると思うで。

と中野親方がおっしゃった。

自分も、まだ二年しか経っていないので、一人でできることはまだまだであるどころか、全体を見通すこともまだまだの段階ではあるのでまだまだ、先輩方に甘えている自分の有り様を言い当てられたようで、その言葉を、肝に銘じて、見通す力をつけていきたいと心から思った。

そのような自分でも、中野親方は、百も承知で、未熟なものを育てようとしてくださり、研修においでよと誘っていただき、ありがたすぎる言葉であった。

もしかして、参加させていただけるかもしれないことを、またの励みにして、よりいっそう、しっかりと茅葺を愛しながら、息の長い、丁寧な仕事ができるように、焦らず、じっくりと身につけていけたらと思わずにはおれなかった。

親方は、出会った方々に、

おおきに〜。

と言って、にこやかに帰って行かれた。

こちらこそ、おおきに〜。

であり、いい言葉やなあ。
としみじみ噛み締めて、とても濃い、いい1日を過ごさせた頂いたことに、感謝せずにはおれなかった。

このような環境に居れるのも、親方や先輩、仲間のおかげであることにも、感謝しても仕切れない。

自分の出来うる限りのことを、しっかりやっていくことが、何よりの恩返しと思い、心と体に筋肉もつけつつ?、精進していきたい。



# by akikomichi | 2019-04-22 20:12 | 詩小説 | Comments(0)

「小国の杉皮葺の民家」

小国の民家も最終段階を迎え、裏面をほめながら(手入れをしながら)徐々に降りていった。
杉皮の補修は何度かさせていただいたが、日田の咸宜園なども、部分補修が主なものだったので、じっくりと、軒からなおしていくのは、勉強になった。

目串を立てて、ほこ竹に白紐を通し、その目串を目安にして、短冊状にした、60センチ前後の杉皮を少しづつずらしながら置いていく。

杉皮を重ねる場合、なるべく谷を作らないようにする。
水の流れがそこに集中しすぎるとそこだけ痛みが早まるからである。

最初は、柔らかい薄い杉皮を置き、その上に一寸ほど上にずらして少し短めの杉皮を置いていき、それから、ある杉皮をいかに長持ちするように丈夫になるように置いていくかが大切で、一番上になるものは分厚い杉皮でその杉皮の上から、ほこ竹で押さえる。
ここで、最初のほこ竹に通していた白紐の出番である。その白紐のよりよりを少し解き、そのよりの隙間にアバカ紐を通し、よりよりを元に戻して抜けにくくして、それから白紐を引っ張り、アバカ紐も一緒にほこ竹の下を通って、新しい抑えのほこ竹と上から下からサンドイッチにして杉皮をおさえるのである。


親方や先輩、仲間と横一列に並んで並べていく時、どのように並べておられるのか、よく拝見しながら、自分の手で並べていく喜びは格別である。

強い屋根になりますように、自分の出来うる限り、丁寧に屋根を吹かせていただく、ありがたさをかみしめながら。


# by akikomichi | 2019-04-17 19:04 | 詩小説 | Comments(0)

「犬に噛まれる」

飼われている犬に噛まれた
自分の犬ではない
よその犬
右手を噛まれた
尻尾を振っていたので
顔を寄せてクンクンして
チュウをしようとしたら
急に牙を剥かれた
犬は
私に食べられると思ったのか
必死の抵抗をするように
食らいついてきた
皮が歯型状にめくれて血が沸いてきた
痛みも沸いてきた
歯形をした凹み
えぐれてしまった肉の痛み





# by akikomichi | 2019-04-17 18:52 | 詩小説 | Comments(0)

茅葺と詩小説と

今の現場は、小国の坂本善三さんの絵のモチーフにもなったらしい茅葺のお屋根であり、そこを一生懸命、葺かせていただいているのだが、
千圓札になるという北里柴三郎の記念館の近くのお宅でもある。
新しい時代と新しいお札。
お金は相変わらず擦られ続け、今度は電子マネーに取って代わられそうな高速の金の流れと時代は過ぎていくばかりであるが、そこは通り過ぎようが、生きているこの時は本当の自分だけのものであることには間違いはなく、遠い世界の金の流れのことよりも、目の前のつくし、ゼンマイ、たけのこがある。
お金で買わなくていいものがここにはいろいろある。
恵みをいただく毎日が過ごせることは、ありがたいことである。
あとは、茅葺の家でゆうるりと時を過ごせたら、さらに充実した生活が送れそうである。

茅葺と詩小説と子供を愛してやまない自分にとっても、新しい時代が始まりつつある。
末っ子が一緒に住めるようになるのである。
さらには、親方のおかげで、一緒に、茅葺の仕事もできそうなので、ありがたいことなのである。
今まで、なんとか、先輩にお世話になって頑張ってこれたが、これからは子供もいてくれるので、茅葺を楽しんで
、そのできる過程を一緒に体験できることが、何より嬉しい。
言葉だけではなく、体で一緒に覚えていけるのである。
一筋の希望が出来たのは、親方と先輩、仲間の皆さんのおかげでもある。
どんなことが起きようとも、生まれてきてよかったと一瞬でも思えるような時を一緒に過ごしていきたいものである。



# by akikomichi | 2019-04-13 23:07 | 詩小説 | Comments(0)

太宰府天満宮の茅葺と庭

先日、太宰府天満宮の宮司さんの御宅の茅葺の屋根の補修をさせていただいた。

先輩の上村さんの手を見ながら、すみの茅の手入れのやり方を拝見しながら、茅や足場を運んだり、道具を用意したりとめまぐるしく動いていると、庭を手入れされている方がおられ、お話をさせていただいた。

美しい庭と美しい茅葺の屋根。

そこにおられる方々の内面がじわりとゆるりとにじみ出ているようで、隅々まで行き届いたものの美しさは一日一日の積み重ねだと改めて思い至った次第であった。

禰宜の方に、二年前、ちょうど、茅葺の仕事に携わるようになる直前に、菅原道眞公の住んでいたとされる家の跡が見つかったという話をお聞きしていたが、まだ、その場所に行き着いていないことをお話しすると、丁寧に教えていただいた。

何かのご縁で偶然、住んでいた家のことを知ったからには、今度、そこに伺い、かつては茅葺だったかもしれないと言われていた建物を拝見させていただき、道眞公の思いのような存在のようなものを、時代を超えて感じてみたいと思われた。





# by akikomichi | 2019-03-11 22:53 | 詩小説 | Comments(0)

八年前の今日
父がいた家でうたた寝をしていた
子供の用事で立ち寄って疲れて眠ってしまったのだ

あの日も父の介護と子供の世話で寝不足だった
どうしても外に出たいと父が言うので
退屈していた父を外に連れ出したのだった
八百屋でイチゴを孫に買うんだという父の願いを
ありがたいと思いつつ
疲れて眠い目をこすりながら赤いイチゴを見ていた
ヘルメットをかぶった男が八百屋に入ってきて
東日本で大きな地震があったらしい
と店の人に話していた
イチゴのつぶつぶが妙にくっきりと見えて一気に目が覚めた気がした
イチゴはなの母の笑い顔が浮かんだ
母に電話をしたが
つながらなかった
東京も危ない
母や親戚の者たちが無事かを確かめずにはいられなかったのだ

うたた寝から目が覚めて
どこからか沈丁花の花の匂いがしてきたような
幻の匂い 匂いの幻のような歌が聴こえるような気がしていた

息子よ
ここは荒れ果てた砂漠だよ
咲くはずだった沈丁花の代わりにお前は生まれたよ
お前に見せるはずだった思い出全部割れちゃった
どこまで行こうかどこまでも続くレンゲの海
息子よお前が生まれる少し前
希望の全てが朽ち果ててみんな泣いていたんだよ
ごめんね息子よ
新しい鉢を買ってきたよ
お前に見せるはずだった
小さな小さな沈丁花
どこまで行こうか どこまでも続く水平線

夜明け前の夜の淵にあっても心にろうそくを灯す歌と一緒に
手をつなぐように歌ってほしいのだった
どこかで救われている人がいますように
ここで救われているものがいるように
心を満たすように
手をつなぐように歌ってほしいのだった








# by akikomichi | 2019-03-11 20:39 | 詩小説 | Comments(0)

安国寺集落遺跡公園弥生のムラの葺き替えが終わった。

さか葺きは、初めてだったので、勉強になった。

通常は、もとが屋根の表面を覆うのだが、さか葺きの場合、葉の多い穂先で覆う。

昔の人が着ていた、みのがさのような風情である。

風になびく穂先が揺れて、弥生時代には、こうやって、近くにあった茅で、壁や屋根を葺いていたと想像できるが、遺跡から発掘されたものに、木の幹や枝があり、土台は結構、しっかりしていたのではないかと思われた。

茅をどう葺いていたかは、想像の範疇に入るが、それほど、違わないのではないかと思うが、風になびく、茅の屋根の下で寝転ぶと心地よく、少し肌寒いながらも、つくしがニョキニョキと生えてくる大地と近い暮らしも、いいものだと思われた。

湿地であるため、豊かな土壌が作られていたのではないだろうか。



# by akikomichi | 2019-03-05 21:06 | 詩小説 | Comments(0)

どうか安らかに

国東の鬼は仏様になったという
鬼・怒鳴門さんも仏様になったという
同じ日に父と同い年だった鬼ではなく
紳士のしのくまさんも仏様になったという
誰もが仏様になられるのはいつかわからないが
どうか安らかにお休みください


# by akikomichi | 2019-02-25 19:39 | | Comments(0)

「柳川川下りと囲炉裏」

柳川の川下りの会社をされている工藤さんの御宅の屋根が出来上がり、川下りをさせていただいたのち、御宅の囲炉裏を囲んでの温かい寄せなべを皆さんでいただく。

柳川での川下りは初めてであった。

船頭さんのよく通る歌をお聞きしながら、いつもは川の横の道を歩いていた景色の中の川の上をたゆたう。

この時間は水の時間のようで、土の時間、石の時間とは違う、時の間をたゆたう。


そののち、囲炉裏の火を囲み、みなさんと美味しい鍋をいただく。

設計士の山口さんご夫婦もいらっしゃり、気さくな、温かい時間をいただいた。

また会いましょうと言ってくださり、ありがたい出会いであった。



# by akikomichi | 2019-02-12 22:40 | 詩小説 | Comments(0)

「福厳寺と檀一雄」

 最近、先輩のみなさんといく夜の散歩の途中で福厳寺の鐘をつかせていただいたり、お話を聞く機会があった。

 ご住職は、最初に檀一雄のお墓に参った時には、お話にならなかったのだが、夜の鐘を何度か鳴らさせていただくうちに、思い出したようにボツボツと檀一雄に関するお話をしてくださるようになった。

 檀一雄の小説にも描かれているリツ子さんのお墓を掘り、檀一雄のお墓に一緒に埋めたという。

 檀一雄の家族が一緒にお墓に入っているのを見ると、人が亡くなるということを改めて考えてしまった。

 生前の河合隼雄氏がいい歌であると紹介していたという、お墓の前で泣かないでくださいというような歌詞の曲もあったが、そこに魂のようなものはないのかもしれないが、石碑として、そこに残しているようにも思えた。

 檀一雄のお墓に書かれた詩のようなものは、ご子息の太郎さんの連れ合いの方が書かれたものだとも言われていた。

 貴重なお話を聞かせていただき、ありがたいことであった。



# by akikomichi | 2019-01-26 21:06 | 詩小説 | Comments(0)

「女子会」

女子会という名の飲み会をした。

一級建築士の北島さんとじっくりお話をする機会に恵まれた。

古民家の保存に熱心に取り組まれていて、その姿勢は同じ類のものを共有するもののそれであると確信した。

佐賀では基本的に鎌とコテを使うのは存じ上げていたが、我々は、かやを引っ張り出すカラスあるいはやっとこ、引っ張り出しなどと呼んでいるものや軒叩き、羽子板のようなもの、片手使いのほめいた、両手づき、縄を撮る時にかやを押し広げるためのこじ開けなど用途によって、使い分けていたりするので、シンプルさを追求するか、用途に合わせて使い勝手を追求するかは、それぞれの慣れ親しんだ方法であり、どちらがいいなどはなく、それぞれの個性であると、思われた。

それぞれの身の上話などもしながら、いろいろあるものの、幸せは今作るものだという点で、一致した。

我々は好きなことにができて幸せである。

人生を充実し楽しむために生まれてきて、ここに居られることに、感謝した。


あっという間に時間が過ぎて、また、建築の話で、いつまでも話していられる仲間を得て、まことにありがたいと、思われた。



# by akikomichi | 2019-01-19 03:31 | 詩小説 | Comments(0)

「ほりわり」

先日、施主の工藤さんのお店でお食事会を開いてくださり、美味しい鰻料理をいただいたときのことである。

「ほりわり」という、柳川文芸クラブの同人誌をいただいた。

工藤さんも、短編などを書かれるということで、自分も詩や小説を書き続けてきたものとして、同じ思いを共有できたことが、誠にありがたかった。

工藤さんの、語りは、景色が見えてくるようで、個人的な体験として、遠い国の、ゴーギャンの楽園のような場所を探して、山のてっぺんまでたどり着いたと思ったら、下着の広告看板があったという、落語のようなオチもお聞かせしてもらったこともあるが、歴史軸の語りも深く見通されていて、柳川から、世界まで、身近なものから、大きな広いものまで見ているようで、いろいろと学ばせていただき、是非、今度、詩か小説を書かせていただきたいと思われた。

# by akikomichi | 2019-01-15 18:47 | 詩小説 | Comments(0)

「職人」とは何か。

「職人」とは何か。

ということを、柳川まで訪ねてくださって、手伝ってくださった美山の瓜生さんがおっしゃっていた。

そこいらで働くプロの方々、例えば、レジ打ちの方も、ガソリンスタンドの方も、農家の方も、ある意味、職人と思っている。

ということ。また、

茅葺職人であるからと、肩肘張らずにやることが大切であり、驕りたかぶるようなことがあるとしたら、どうかと思う。

というようなこともおっしゃっていた。

目から鱗の言葉であった。

そんな謙虚で真摯な瓜生さんであったが、雨養生の時、雨だれの残ったブルーシートの上を、手を前に突き出し頭からウルトラマンのように加速しながら我々の目の前を滑り落ちていきつつも、くるりと軽やかに受身をして、ほっぺたにかすり傷を負ったくらいで満面の笑顔を見せて帰っていった強者であり、我々の柳川の現場に凄まじい伝説を作っていったのだった。


# by akikomichi | 2019-01-15 18:31 | 詩小説 | Comments(0)

「友達と彼女に会う」

久しぶりに幼馴染の友達に会えた。

こちらに帰ってきている、つかの間のことであったが、瞬時に、昔に戻れるエネルギーをお互い持ち続けていることに感謝である。

それぞれ違う場所にいながら、気持ちを持ち続けることができるからこそ、今からのことも、続いていけるようで、彼女たちと同じ時を過ごせたことに感謝である。

子供さんたちも大きくなっていて、友達のように話せるようになったのもうれしかった。

時が経って、また、楽しみが増えていくのがうれしかった。

それから、倅のふくふくとしたかわいい彼女さんと初めて会えたのも、うれしいことであった。

彼/女らにさちあれ。

今年もみちみちた日々を送れるように、想像を超えたみちみちた日々を楽しむことができるように。

心より願う。




# by akikomichi | 2019-01-02 19:31 | 詩小説 | Comments(0)

「善光寺と檀一雄」

善光寺に立ち寄った。

導かれるように、道を曲がった先に善光寺と檀一雄記念碑という看板が目に入った。

一人では行くことができなかったような、何ものかに導かれるような、であいであった。

檀一雄が息子のたろうと住んでいた時は、今は違っていたが、茅葺だったようである。

小高い山の上に、善光寺はあった。

最初に防空壕のような人工の洞穴の中のお地蔵さんたちにであい、大きな張りぼてのような閻魔大王の横に建った りつこ そのあい そのし の 執筆をした場というようなことを赤い字で記した碑にであい、ここにきたことを、坂道をふみふみし歩きながら夕日を見ながら、体全体で記憶した。




# by akikomichi | 2018-12-31 21:40 | 詩小説 | Comments(0)

施主さんの川下りの会社が御花の近くにあり、そこにご挨拶に伺ったときのことである。

柳川にゆかりがあったという檀一雄生誕百周年の本を手に入れ、泊まりの間に、ぽつぽつと読んでいた。

檀一雄のおじいさんが、酒を作っていた北原白秋の家などが火事になったのち、その周辺を買い取ったという。

同じ風景を二人は歩いて、生きていたのだ。

平家の落人が6騎たどり着いたというこの周辺をろっきゅうといい、漁師町としておおらかな土地柄もあって、一年悪さをして休学になっていた檀一雄の祖父母のところに転がり込んでいたときに、無頼な生き方の素地が育まれたと言ってもいいほど、壇はこの土地が好きで、性に合っていたようで、おそらく、川のほとりをぶらぶらとしながら、何か、獲物を探すように、匂いのする(うなぎの燻された匂いはここかしこにある)方に歩いては、出くわす何かを溜め込んでいったのだろう。

白秋もまた、酒の匂いを味方につけて、その芳しい菊美人のような透明な甘露のようなものを、体で熟成させていったと思われる。

壇が狩猟の詩人であるならば、白秋は醸造の詩人である。

などと思いながら、自分は屋根を葺くように詩を作り、詩を作るように屋根を葺くような、屋根葺詩人となるよう、精進したいと、希望した。

# by akikomichi | 2018-12-16 18:37 | 詩小説 | Comments(0)

柳川の現場が始まった。

雨の日は日田に帰ってくるが、基本は柳川で泊まり込みで作業をすることとなる。

旅の身空のつかの間の夜の散歩の流れ星を見た。

ゆっくりと光が目の前を通って行った。

寒さに眩く何か夜の闇の奥深くに届く希望のようなものが見えたような。

そのあと、柳川の川のほとりを歩きながら、白秋の生家や檀一雄の記念碑、オノヨウコのおじいさんの家があったところや、戸島家のみんのす(馬の耳の形)のついた茅葺の屋根やお寺の茅葺の門などにもであえた。

歩く速さで生きているようで、星もそのゆっくりとした光でなぞってくれていたのだろうと思うと、星と魂の行き着くところは同じようで、わざと心配させる話ばかりするものとは一線を引いて光の方を向いているようで、それが、今ここで選んでいる道であった。



# by akikomichi | 2018-12-15 22:44 | 詩小説 | Comments(0)

「花筐と源氏物語供養」

水前寺公園の近くのいきなり団子を先輩におごってもらってほくほくして、その後、先輩方に教えてもらった仏像に金箔を貼ることができるというお土産やさんに向かい、店内を探索していると、なぜか観世流の古本で「花筐」があった。「源氏供養」も入っていたので、嬉しくなって、手にいれる。

檀一雄の「花筐」を探していて、ひょんなところで、別の、古いものである観世流に流れついた気がして、(実のところ、本家どり的なものだったのかもしれないが)まずは源流としての「花筐」へ遡り、読み解いてみなさいと言われた気がして、ありがたく、読ませてもらおうと思った。

さらには、古今和歌集は、源氏物語に影響を与えたとされるが、その影響をあたえられた源氏物語から、新古今和歌集が影響されたと言われており、古今和歌集→源氏物語→新古今和歌集への流れもあるようで、これはますます古典への世界へ、呼ばれたような気がした(まだ読んでいないのでわからないが、おそらく源氏は源氏でも平家と源氏の方だとは思うが源氏つながりということで)。

そういえば、今日、かやをやっとこ(からすともいう)で引っ張り出していたら、なぜか鳩の羽が一つ出てきた。からすから鳩が出てきたような、摩訶不思議なことがあった。小さくて可愛らしい羽だったので、ちょっと嬉しくなって、何かいいことがあるような気がして、古今伝授の間から?の贈り物??か、何か天からの???良いことの徴のようで、大事に持って帰ろうと思った。

# by akikomichi | 2018-11-29 22:40 | 詩小説 | Comments(0)

午前中は、作業場で杉皮切りを思う存分し、水前寺までやってきた。

昨日で、吉野ヶ里の検査が終わり、今日から水前寺公園内の古今伝授の間の現場に入るも、雨にて、現場確認をして、明日に備える。


吉野ヶ里の今年最後の現場では、川上先生が来られて、チェックをされていた。
痛み具合を三段階に分けて査定する、例えば、けらば、平めん、軒、しゅうぎ、棟、など部分ごとに評価査定するとともに、年数はもとより、日の当たりやすい場所かどうか、風の当たりやすい場所かどうか、家屋の密集した場所かどうか、などの環境の影響も考慮したデータを取れば、いい?論文が書けそうであるとおっしゃっていた。

自分も、何か、自分なりにできる資料を今後のために作っていきたいと思った。


今日は、みなさんと美味しい夕食を食べた後、散歩し、宿で昆布茶やコーヒーを飲んだりしてまったりし、先日、古本屋で手にいれた古今和歌集を読み始めた。

ネットでも見られるんじゃないかと言われたが、分厚い古い本で読んでみたかったので、時と本の重みを味わいつつ、楽しみたいと思う。

# by akikomichi | 2018-11-28 22:09 | 詩小説 | Comments(0)

「柳川と檀一雄」

柳川の御花の近くの川下りの元締めのような方の御宅の茅葺の屋根の全面葺き替えを行う下準備に柳川を訪れる。

とても気さくな方で、バリに行った時の楽園を探しに行った?時の話をお聞きしたり、これから五十年先の山のことを思う気持ちなどをお聞きした。

うなぎを焼く甘く香ばしい香りに引き寄せられるようにお店に行くと、檀一雄の生誕百周年の記念の本が置いてあったので、手に入れた。

まだ、読み込んでいないのだが、確か、「家宅の人」で、書いてあったと思われるが、檀一雄が柳川に縁があるというのを思い出した。

楽しみが増えたというものである。

柳川では、檀一雄を読んでいこうと思う。
「花筐」をまだ読んでいないことだし。


それから、皆で寝泊まりする古民家の大掃除を行う。

シェアハウスのようなものであるが、縁側で日向ぼっこしながら本を読んだりできそうな、いい塩梅の中庭があり、風情があって、心地よさそうである。

今年は寒さも、ひどくないようなので、ぬくぬくしながら、仕事に精を出したいものである。

それにしても、新しい世界が開きっぱなしで、心が弾むことである。

誠に、茅葺の仕事に携わることができて、幸いであり、ありがたいことである。

子供達にも、新しいわくわくするような世界が開かれていますように。



# by akikomichi | 2018-11-23 19:50 | 詩小説 | Comments(0)

「吉野ヶ里」

吉野ヶ里のさし補修をしていると、色々な方々が訪れてくださる。

なんとはなしに、話しかけてこられる方の中に、偶然、今度、補修で伺うことになっている古今伝授の間のある、水前寺公園のお庭を手がけたご先祖がいるとおっしゃる方がおられたり、私が以前から愛してやまない夢野久作の住んでいた福岡の東区の、香椎宮近くに住んでおられる方と久作談義に花を咲かせていると、香椎宮山手の方に不老の水のような湧き水があり、そこの敷地に住んでおられたのを、どこかの企業が買い取りたいと申し出てこられたそうだが、市の方にご寄付されたという、お金よりも、その水そのものを、すべての人に分け与えようとされる姿勢に心を打たれた。

こういう方々がおられるから、世の中、良いこともあると思えるのである。

希望があるのである。

# by akikomichi | 2018-11-21 18:21 | 詩小説 | Comments(0)

「古今伝授の間」

水前寺公園内にある「古今伝授の間」の下見に伺う。

かつて京都御所にあった茅葺の建物を移築したものである。

手入れされた庭に佇む茅葺の屋根に猫が住み着いたようで、屋根にかやかやと登っていくのを目撃されたらしく、そのかやの屋根に爪痕を残してしまっていた。

その補修に伺うのである。

古今伝授の間は、細川幽斎が後陽成天皇の弟君に古今和歌集の解釈の奥義を伝授した場所であったのが、その由来であるという。

古今和歌集を読み返しながら、茅葺の屋根の補修に携わる喜びを感じている。

その奥義を時を超えてどこかで感じながら、関わりたいと思っている。

短歌、和歌の流れを感じながら、自分の中に、その感じ得る全てを、全身全霊で受け取りたいと思う。



# by akikomichi | 2018-11-18 20:46 | 詩小説 | Comments(0)

「やけど」

ポーっと、ぼんやりとしていたのだ。

ある人のことを考えていて。

人差し指と中指と薬指にやけどをしてしまった。

まだ温まっていないと思っていた鍋の取っ手の付け根を触ってしまったのだ。

水ぶくれの一歩手前で、指先の皮が焼けて硬くなり、まるで、ゆびタコができたようである。

以前も、足にやけどをしたことがあった。

やけどはかなりひどくて、右足をしばらく包帯して歩き回っていた。

包帯を取った後、ポーの黒猫みたいに、足にしみのようなものが浮かび上がってきた。

それは、黒猫の死体のにじみではなく、ポーその人の影絵のようであった。

人面魚のように、足だけ人面があるなんて、ぞっとする前に、滑稽ではあるが。

その足にできた人面が、この頃、表情を変えていることに気づいた。

人面魚のように、水の中を泳いでいるわけではないが、湯船に浸かり、ゆらゆら蠢めく湯の下にいるときは、なんだかもがき苦しみ息苦しそうに見えるのであるが、湯船から足を出すと、ゆったりと赤みがかった穏やかな表情に見えるのである。

自分の中の何かが、蠢き出したような、そのような影のようなものを映し出す、影絵を私は足に忍ばせて生きているのだ。

さしずめ、靴の中においては、棺桶の中の眠りについた面影のようなものになるのであろうが、それは、誰にも、私にも、わからないことであった。

ただ、指先の染み入るヒリヒリとした焦燥感のような、鈍い痛みのようなものが、心にも染み付いてしまったようで、どうにもやりきれないのであった。





# by akikomichi | 2018-11-16 21:00 | 詩小説 | Comments(0)