「柳川川下りと囲炉裏」

柳川の川下りの会社をされている工藤さんの御宅の屋根が出来上がり、川下りをさせていただいたのち、御宅の囲炉裏を囲んでの温かい寄せなべを皆さんでいただく。

柳川での川下りは初めてであった。

船頭さんのよく通る歌をお聞きしながら、いつもは川の横の道を歩いていた景色の中の川の上をたゆたう。

この時間は水の時間のようで、土の時間、石の時間とは違う、時の間をたゆたう。


そののち、囲炉裏の火を囲み、みなさんと美味しい鍋をいただく。

設計士の山口さんご夫婦もいらっしゃり、気さくな、温かい時間をいただいた。

また会いましょうと言ってくださり、ありがたい出会いであった。



# by akikomichi | 2019-02-12 22:40 | 詩小説 | Comments(0)

「福厳寺と檀一雄」

 最近、先輩のみなさんといく夜の散歩の途中で福厳寺の鐘をつかせていただいたり、お話を聞く機会があった。

 ご住職は、最初に檀一雄のお墓に参った時には、お話にならなかったのだが、夜の鐘を何度か鳴らさせていただくうちに、思い出したようにボツボツと檀一雄に関するお話をしてくださるようになった。

 檀一雄の小説にも描かれているリツ子さんのお墓を掘り、檀一雄のお墓に一緒に埋めたという。

 檀一雄の家族が一緒にお墓に入っているのを見ると、人が亡くなるということを改めて考えてしまった。

 生前の河合隼雄氏がいい歌であると紹介していたという、お墓の前で泣かないでくださいというような歌詞の曲もあったが、そこに魂のようなものはないのかもしれないが、石碑として、そこに残しているようにも思えた。

 檀一雄のお墓に書かれた詩のようなものは、ご子息の太郎さんの連れ合いの方が書かれたものだとも言われていた。

 貴重なお話を聞かせていただき、ありがたいことであった。



# by akikomichi | 2019-01-26 21:06 | 詩小説 | Comments(0)

「女子会」

女子会という名の飲み会をした。

一級建築士の北島さんとじっくりお話をする機会に恵まれた。

古民家の保存に熱心に取り組まれていて、その姿勢は同じ類のものを共有するもののそれであると確信した。

佐賀では基本的に鎌とコテを使うのは存じ上げていたが、我々は、かやを引っ張り出すカラスあるいはやっとこ、引っ張り出しなどと呼んでいるものや軒叩き、羽子板のようなもの、片手使いのほめいた、両手づき、縄を撮る時にかやを押し広げるためのこじ開けなど用途によって、使い分けていたりするので、シンプルさを追求するか、用途に合わせて使い勝手を追求するかは、それぞれの慣れ親しんだ方法であり、どちらがいいなどはなく、それぞれの個性であると、思われた。

それぞれの身の上話などもしながら、いろいろあるものの、幸せは今作るものだという点で、一致した。

我々は好きなことにができて幸せである。

人生を充実し楽しむために生まれてきて、ここに居られることに、感謝した。


あっという間に時間が過ぎて、また、建築の話で、いつまでも話していられる仲間を得て、まことにありがたいと、思われた。



# by akikomichi | 2019-01-19 03:31 | 詩小説 | Comments(0)

「ほりわり」

先日、施主の工藤さんのお店でお食事会を開いてくださり、美味しい鰻料理をいただいたときのことである。

「ほりわり」という、柳川文芸クラブの同人誌をいただいた。

工藤さんも、短編などを書かれるということで、自分も詩や小説を書き続けてきたものとして、同じ思いを共有できたことが、誠にありがたかった。

工藤さんの、語りは、景色が見えてくるようで、個人的な体験として、遠い国の、ゴーギャンの楽園のような場所を探して、山のてっぺんまでたどり着いたと思ったら、下着の広告看板があったという、落語のようなオチもお聞かせしてもらったこともあるが、歴史軸の語りも深く見通されていて、柳川から、世界まで、身近なものから、大きな広いものまで見ているようで、いろいろと学ばせていただき、是非、今度、詩か小説を書かせていただきたいと思われた。

# by akikomichi | 2019-01-15 18:47 | 詩小説 | Comments(0)

「職人」とは何か。

「職人」とは何か。

ということを、柳川まで訪ねてくださって、手伝ってくださった美山の瓜生さんがおっしゃっていた。

そこいらで働くプロの方々、例えば、レジ打ちの方も、ガソリンスタンドの方も、農家の方も、ある意味、職人と思っている。

ということ。また、

茅葺職人であるからと、肩肘張らずにやることが大切であり、驕りたかぶるようなことがあるとしたら、どうかと思う。

というようなこともおっしゃっていた。

目から鱗の言葉であった。

そんな謙虚で真摯な瓜生さんであったが、雨養生の時、雨だれの残ったブルーシートの上を、手を前に突き出し頭からウルトラマンのように加速しながら我々の目の前を滑り落ちていきつつも、くるりと軽やかに受身をして、ほっぺたにかすり傷を負ったくらいで満面の笑顔を見せて帰っていった強者であり、我々の柳川の現場に凄まじい伝説を作っていったのだった。


# by akikomichi | 2019-01-15 18:31 | 詩小説 | Comments(0)

「友達と彼女に会う」

久しぶりに幼馴染の友達に会えた。

こちらに帰ってきている、つかの間のことであったが、瞬時に、昔に戻れるエネルギーをお互い持ち続けていることに感謝である。

それぞれ違う場所にいながら、気持ちを持ち続けることができるからこそ、今からのことも、続いていけるようで、彼女たちと同じ時を過ごせたことに感謝である。

子供さんたちも大きくなっていて、友達のように話せるようになったのもうれしかった。

時が経って、また、楽しみが増えていくのがうれしかった。

それから、倅のふくふくとしたかわいい彼女さんと初めて会えたのも、うれしいことであった。

彼/女らにさちあれ。

今年もみちみちた日々を送れるように、想像を超えたみちみちた日々を楽しむことができるように。

心より願う。




# by akikomichi | 2019-01-02 19:31 | 詩小説 | Comments(0)

「善光寺と檀一雄」

善光寺に立ち寄った。

導かれるように、道を曲がった先に善光寺と檀一雄記念碑という看板が目に入った。

一人では行くことができなかったような、何ものかに導かれるような、であいであった。

檀一雄が息子のたろうと住んでいた時は、今は違っていたが、茅葺だったようである。

小高い山の上に、善光寺はあった。

最初に防空壕のような人工の洞穴の中のお地蔵さんたちにであい、大きな張りぼてのような閻魔大王の横に建った りつこ そのあい そのし の 執筆をした場というようなことを赤い字で記した碑にであい、ここにきたことを、坂道をふみふみし歩きながら夕日を見ながら、体全体で記憶した。




# by akikomichi | 2018-12-31 21:40 | 詩小説 | Comments(0)

施主さんの川下りの会社が御花の近くにあり、そこにご挨拶に伺ったときのことである。

柳川にゆかりがあったという檀一雄生誕百周年の本を手に入れ、泊まりの間に、ぽつぽつと読んでいた。

檀一雄のおじいさんが、酒を作っていた北原白秋の家などが火事になったのち、その周辺を買い取ったという。

同じ風景を二人は歩いて、生きていたのだ。

平家の落人が6騎たどり着いたというこの周辺をろっきゅうといい、漁師町としておおらかな土地柄もあって、一年悪さをして休学になっていた檀一雄の祖父母のところに転がり込んでいたときに、無頼な生き方の素地が育まれたと言ってもいいほど、壇はこの土地が好きで、性に合っていたようで、おそらく、川のほとりをぶらぶらとしながら、何か、獲物を探すように、匂いのする(うなぎの燻された匂いはここかしこにある)方に歩いては、出くわす何かを溜め込んでいったのだろう。

白秋もまた、酒の匂いを味方につけて、その芳しい菊美人のような透明な甘露のようなものを、体で熟成させていったと思われる。

壇が狩猟の詩人であるならば、白秋は醸造の詩人である。

などと思いながら、自分は屋根を葺くように詩を作り、詩を作るように屋根を葺くような、屋根葺詩人となるよう、精進したいと、希望した。

# by akikomichi | 2018-12-16 18:37 | 詩小説 | Comments(0)

柳川の現場が始まった。

雨の日は日田に帰ってくるが、基本は柳川で泊まり込みで作業をすることとなる。

旅の身空のつかの間の夜の散歩の流れ星を見た。

ゆっくりと光が目の前を通って行った。

寒さに眩く何か夜の闇の奥深くに届く希望のようなものが見えたような。

そのあと、柳川の川のほとりを歩きながら、白秋の生家や檀一雄の記念碑、オノヨウコのおじいさんの家があったところや、戸島家のみんのす(馬の耳の形)のついた茅葺の屋根やお寺の茅葺の門などにもであえた。

歩く速さで生きているようで、星もそのゆっくりとした光でなぞってくれていたのだろうと思うと、星と魂の行き着くところは同じようで、わざと心配させる話ばかりするものとは一線を引いて光の方を向いているようで、それが、今ここで選んでいる道であった。



# by akikomichi | 2018-12-15 22:44 | 詩小説 | Comments(0)

「花筐と源氏物語供養」

水前寺公園の近くのいきなり団子を先輩におごってもらってほくほくして、その後、先輩方に教えてもらった仏像に金箔を貼ることができるというお土産やさんに向かい、店内を探索していると、なぜか観世流の古本で「花筐」があった。「源氏供養」も入っていたので、嬉しくなって、手にいれる。

檀一雄の「花筐」を探していて、ひょんなところで、別の、古いものである観世流に流れついた気がして、(実のところ、本家どり的なものだったのかもしれないが)まずは源流としての「花筐」へ遡り、読み解いてみなさいと言われた気がして、ありがたく、読ませてもらおうと思った。

さらには、古今和歌集は、源氏物語に影響を与えたとされるが、その影響をあたえられた源氏物語から、新古今和歌集が影響されたと言われており、古今和歌集→源氏物語→新古今和歌集への流れもあるようで、これはますます古典への世界へ、呼ばれたような気がした(まだ読んでいないのでわからないが、おそらく源氏は源氏でも平家と源氏の方だとは思うが源氏つながりということで)。

そういえば、今日、かやをやっとこ(からすともいう)で引っ張り出していたら、なぜか鳩の羽が一つ出てきた。からすから鳩が出てきたような、摩訶不思議なことがあった。小さくて可愛らしい羽だったので、ちょっと嬉しくなって、何かいいことがあるような気がして、古今伝授の間から?の贈り物??か、何か天からの???良いことの徴のようで、大事に持って帰ろうと思った。

# by akikomichi | 2018-11-29 22:40 | 詩小説 | Comments(0)

午前中は、作業場で杉皮切りを思う存分し、水前寺までやってきた。

昨日で、吉野ヶ里の検査が終わり、今日から水前寺公園内の古今伝授の間の現場に入るも、雨にて、現場確認をして、明日に備える。


吉野ヶ里の今年最後の現場では、川上先生が来られて、チェックをされていた。
痛み具合を三段階に分けて査定する、例えば、けらば、平めん、軒、しゅうぎ、棟、など部分ごとに評価査定するとともに、年数はもとより、日の当たりやすい場所かどうか、風の当たりやすい場所かどうか、家屋の密集した場所かどうか、などの環境の影響も考慮したデータを取れば、いい?論文が書けそうであるとおっしゃっていた。

自分も、何か、自分なりにできる資料を今後のために作っていきたいと思った。


今日は、みなさんと美味しい夕食を食べた後、散歩し、宿で昆布茶やコーヒーを飲んだりしてまったりし、先日、古本屋で手にいれた古今和歌集を読み始めた。

ネットでも見られるんじゃないかと言われたが、分厚い古い本で読んでみたかったので、時と本の重みを味わいつつ、楽しみたいと思う。

# by akikomichi | 2018-11-28 22:09 | 詩小説 | Comments(0)

「柳川と檀一雄」

柳川の御花の近くの川下りの元締めのような方の御宅の茅葺の屋根の全面葺き替えを行う下準備に柳川を訪れる。

とても気さくな方で、バリに行った時の楽園を探しに行った?時の話をお聞きしたり、これから五十年先の山のことを思う気持ちなどをお聞きした。

うなぎを焼く甘く香ばしい香りに引き寄せられるようにお店に行くと、檀一雄の生誕百周年の記念の本が置いてあったので、手に入れた。

まだ、読み込んでいないのだが、確か、「家宅の人」で、書いてあったと思われるが、檀一雄が柳川に縁があるというのを思い出した。

楽しみが増えたというものである。

柳川では、檀一雄を読んでいこうと思う。
「花筐」をまだ読んでいないことだし。


それから、皆で寝泊まりする古民家の大掃除を行う。

シェアハウスのようなものであるが、縁側で日向ぼっこしながら本を読んだりできそうな、いい塩梅の中庭があり、風情があって、心地よさそうである。

今年は寒さも、ひどくないようなので、ぬくぬくしながら、仕事に精を出したいものである。

それにしても、新しい世界が開きっぱなしで、心が弾むことである。

誠に、茅葺の仕事に携わることができて、幸いであり、ありがたいことである。

子供達にも、新しいわくわくするような世界が開かれていますように。



# by akikomichi | 2018-11-23 19:50 | 詩小説 | Comments(0)

「吉野ヶ里」

吉野ヶ里のさし補修をしていると、色々な方々が訪れてくださる。

なんとはなしに、話しかけてこられる方の中に、偶然、今度、補修で伺うことになっている古今伝授の間のある、水前寺公園のお庭を手がけたご先祖がいるとおっしゃる方がおられたり、私が以前から愛してやまない夢野久作の住んでいた福岡の東区の、香椎宮近くに住んでおられる方と久作談義に花を咲かせていると、香椎宮山手の方に不老の水のような湧き水があり、そこの敷地に住んでおられたのを、どこかの企業が買い取りたいと申し出てこられたそうだが、市の方にご寄付されたという、お金よりも、その水そのものを、すべての人に分け与えようとされる姿勢に心を打たれた。

こういう方々がおられるから、世の中、良いこともあると思えるのである。

希望があるのである。

# by akikomichi | 2018-11-21 18:21 | 詩小説 | Comments(0)

「古今伝授の間」

水前寺公園内にある「古今伝授の間」の下見に伺う。

かつて京都御所にあった茅葺の建物を移築したものである。

手入れされた庭に佇む茅葺の屋根に猫が住み着いたようで、屋根にかやかやと登っていくのを目撃されたらしく、そのかやの屋根に爪痕を残してしまっていた。

その補修に伺うのである。

古今伝授の間は、細川幽斎が後陽成天皇の弟君に古今和歌集の解釈の奥義を伝授した場所であったのが、その由来であるという。

古今和歌集を読み返しながら、茅葺の屋根の補修に携わる喜びを感じている。

その奥義を時を超えてどこかで感じながら、関わりたいと思っている。

短歌、和歌の流れを感じながら、自分の中に、その感じ得る全てを、全身全霊で受け取りたいと思う。



# by akikomichi | 2018-11-18 20:46 | 詩小説 | Comments(0)

「やけど」

ポーっと、ぼんやりとしていたのだ。

ある人のことを考えていて。

人差し指と中指と薬指にやけどをしてしまった。

まだ温まっていないと思っていた鍋の取っ手の付け根を触ってしまったのだ。

水ぶくれの一歩手前で、指先の皮が焼けて硬くなり、まるで、ゆびタコができたようである。

以前も、足にやけどをしたことがあった。

やけどはかなりひどくて、右足をしばらく包帯して歩き回っていた。

包帯を取った後、ポーの黒猫みたいに、足にしみのようなものが浮かび上がってきた。

それは、黒猫の死体のにじみではなく、ポーその人の影絵のようであった。

人面魚のように、足だけ人面があるなんて、ぞっとする前に、滑稽ではあるが。

その足にできた人面が、この頃、表情を変えていることに気づいた。

人面魚のように、水の中を泳いでいるわけではないが、湯船に浸かり、ゆらゆら蠢めく湯の下にいるときは、なんだかもがき苦しみ息苦しそうに見えるのであるが、湯船から足を出すと、ゆったりと赤みがかった穏やかな表情に見えるのである。

自分の中の何かが、蠢き出したような、そのような影のようなものを映し出す、影絵を私は足に忍ばせて生きているのだ。

さしずめ、靴の中においては、棺桶の中の眠りについた面影のようなものになるのであろうが、それは、誰にも、私にも、わからないことであった。

ただ、指先の染み入るヒリヒリとした焦燥感のような、鈍い痛みのようなものが、心にも染み付いてしまったようで、どうにもやりきれないのであった。





# by akikomichi | 2018-11-16 21:00 | 詩小説 | Comments(0)

「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を久しぶりに聞いた。

映画が衝撃的であったため、釘付けになったことを思い出した。

唐突に出てくる馬に乗ったCyrano de Bergeracをした俳優、便器を積んだトラック、湖?のようなところでのまぐわい、バイセクシャルの美しい男、少年のような痩せこけた女。

愛とは何かよくわからなくなるような、ただなんだかわからずに惹かれあうことだけが、すべてのようで、過激で心がざわざわしたのを思い出した。

アブ/ノーマルを行ったり来たりするような、喘ぎ声が耳について離れないような夢魔、垣根を超えた間の空いたある愛の行為、あるいは歌を、ゲンズブールは表現したかったのだと思う。

なぜか、ジェーン・バーキンが日本に来ていたのだったか、ゲンズブールの手帳を何かの番組であげるという企画があったのを偶然見たのを思い出した。

ボロボロの黒い手帳だった気がする。

ゲンズブールの思い出のようなものをそんなに簡単に手放すのか、と愕然としたのも思い出した。

それにしても、あの手帳には、何が書いてあったのだろうか。


https://youtu.be/Yddh50o2Q5M

どちらかというと、ギャルかな。
頑張れ、歌つくりと歌うたい。









# by akikomichi | 2018-11-16 20:10 | 詩小説 | Comments(0)

「時の行列」

行列を、毎朝、見かけていた。

子供達が、制服を着て、一列になって歩いていく。

それは、無言の行列のようで、どこまで行っても同じ景色のようで。

子供達は学校までの道のりを一列になって歩いていく。


一人の子供が、赤信号で止まっている私と目があって、我に返ったように、列から離れて、歩道にしゃがみ込んだ。

ランドセルと一緒に座り込んで、何かを待っているようだった。

何もこないより、友達が来るといいね。

そんなことを思っていると、倅から、

寝坊したんですけどもしかして「時」動かしました?

と言うわけのわからん自由なメールが届いた。

どちらかというと、時が止まっていた気がしたのだが。



# by akikomichi | 2018-11-15 22:59 | 詩小説 | Comments(0)

「高床式倉庫」

今、高床式倉庫の補修を行なっている。

昔の人が作っていたであろうというものを思いながら、よしをさしていくのである。

右側を私が、左側を親方がさしていくのであるが、左右が同じように、上がっていかないといけないので、バランスを見ながら、いい塩梅に仕上げていくのに、何度もつきものでついていく。

両手でつくものと、片手でつくものなどで、さしたよしを奥深く入れ込んでいくのである。

美しい「なり」となるように、根気よく、何度も何度もつくのである。

高床式倉庫に、住んでみたい気になる。

これだけ、作っていくと、愛着がわくものである。

自分で、最初から作ってみたいと思う。





# by akikomichi | 2018-11-14 19:58 | 詩小説 | Comments(0)

吉野ヶ里のさしよし体験

吉野ヶ里のさしよし屋根補修の合間にさしよし体験の時間を設けて、親子連れの方々や年配の方々や若い方々も参加して、一緒にさしよしをすることができた。

貫頭衣を着て、手袋、ヘルメットまでして、さし補修をしていくうちに、子供たちが特に、黙々とさしよしをしていくのを見守りつつ、人間の作る喜びの、原点を見た気がした。

もう、目の前に山があって、その山を一回りも、ふたまわりも大きく、ふわりと柔らかに、生き返らせるように息を吹き込むように、一手づつ丁寧に、気持ちを一手の先に集中して、さしよしをしていくのである。

長く、おおらかに、生き生きと生き続けて、そこにあってくれるように、魂を込めて、さし補修していくのである。

吉野ヶ里のスタッフの方々もそこに集まってくる方々も、おおらかになり、時間も空間も心情も広々と見晴らしが良くなり、楽しでいけるようになるようで、こちらも、ほのぼのと、心がほっこりしてきた。

子供たちが、どうか、そのように広々とした心を持って、そのまま、心穏やかにいき続けてくれますように。



# by akikomichi | 2018-11-11 15:33 | 詩小説 | Comments(0)

あおいとき

日の出前 日の入り後のあおいときおりなす影の怪物の恋
# by akikomichi | 2018-10-28 21:38 | 短歌 | Comments(0)

劇画

毎日の課題のあいまの劇画かき 理想妄想膨れませ 倅
# by akikomichi | 2018-10-28 18:09 | 短歌 | Comments(0)

ベストエイト

新しい竹刀振りきり戦える倅個人のベストエイト
# by akikomichi | 2018-10-28 18:06 | 短歌 | Comments(0)

打ち上げ

打ち上げをした。
茅葺の仕事と職人と学びとは何かを考えた。
全て、自分にとっては、勉強であり、学びであったので、それはこれからもそうであるには違いないが、その先を見て、仕事としての効率ということを皆さんに言われたので、そこは自分の努力が必要なところだと思われた。
全体の中の個人のやることと、個人の中の個人のやることが最大限に生かされますように。

# by akikomichi | 2018-10-28 17:59 | 詩小説 | Comments(0)

ひと段落

仕事もひと段落したので、久しぶりに子供たちに会い、いろいろ話しながら、歩き回りました。

色々あるお年頃なので、見守っていきたいものですが、好きなことをとことんしてくれたら、母は心から嬉しく思います。

私もそうやって生きていたいので、子供達もそうやって生きてくれたら、それが幸せなら、それがいいのです。

# by akikomichi | 2018-10-27 02:12 | 詩小説 | Comments(0)

濡れ幅

濡れ幅というものがあり、茅の元から一寸くらいが理想である。

ということを、上村さんにお聞きした。

濡れ幅というものは、茅のお屋根の表面にある茅一本を試しに抜いてみて、その元(表面に出ている茅)から一寸(約三センチ)ほどまで雨などで濡れても乾きも程よくできる範囲の濡れ具合のことだという。

奈良の職人さんにお聞きしたというが、奈良では茅の表面を鋏で整えることが多く、その一寸というのは、鋏で表面をならした際の濡れ幅の基準といえる。

九州のお屋根に関しては、いろいろなやり方があるが、鋏で整えるやり方もある一方で、からす(やっとこ、ともいう)で茅を引っ張り出して、表面を両手打ちや片手打ちのほめ板などで整えたり、バリカンで整えたりもすることがある。

新潟に職人さん体験で一ヶ月勉強させていただいたときにも、九州と同じように、いろいろなやり方をされていたので、その場で最もやりやすいやり方を選択して、されているということであろう。

# by akikomichi | 2018-10-24 22:45 | 詩小説 | Comments(0)

鍋島と酒と茅葺

先日、親方や先輩方が作られた鍋島家の茅葺の屋根を拝見したばかりであったが、その鍋島の名前を冠したお酒を作られている家主さんの鹿島のお屋根もあと少しで完成するので、家主さんご夫婦が訪ねてこられ、ご一緒に記念撮影をし、その世界一になったというお酒もいただく。

誠にありがたいことである。

屋根のそばにいるだけで、嬉しいことであるのに、出会う方々が、茅葺を愛でておられることがありがたく心に染み入るばかりでなく、いいものを作り上げておられる方々のお気持ちもいただいたようで、こころより感謝申し上げる。

今日、宿泊先の近所にある茅葺の民家の近くを散歩していると、住んでおられる方と話ができた。
近所のお寺の解体後に出たよしや瓦を使われたらしく、状態さえ良ければ、無駄のない、再利用のできる素材としても、よしや瓦は貴重であり、環境に優しい素材として、今後も残していただきたいものである。

しかしながら、そのお宅の近くに武家屋敷跡の茅葺の家のお屋根があったのだが、今度の台風で痛んでいたのを拝見し、心が痛んだ。

伝建地区はある程度の家屋の集まり、まとまった街並みに指定されるものであるが、個人のお宅もまた貴重なものとして、残していく方向で検討していただけたら幸いである。


生きている家として、人を癒してくれるものとして、どうか末長く、たおやかにそこにいてくれますように。

# by akikomichi | 2018-10-23 23:34 | 詩小説 | Comments(0)

水の中の太陽

太陽なのにな友達が言った
探し物をしていたのだ
夢の中で
自分の大切なものを探す夢
部屋の中にある夜店のヨーヨーをうかべるような長方形の入れ物の中に水が貼ってある
その中にある自分にとって大切なものを探すのだ
二人の男の子がここにビー玉があると言った
ビー玉をつかんだ
透明な中に赤い筋がにほん入っているもの
それから何かないか探していると
太陽なのになと友達の声が聞こえたのだ
水の中の太陽
あるはずがない
と思った
しかも部屋の中だ
水鏡に姿を映した太陽だって掴めやしなかったのだ
この前作った太陽の形をしたお皿なら
つかめるかもしれないと思ったが
探しても陶器のかけらしかなかった
太陽のかけらもないなと思って目が覚めた
それからしばらくして
入院中の病院から外出を許されて
外から帰ってきた時
机の上に小さな太陽のようなひまわりが一輪
ビー玉を転がしておもしにしている
透明なコップの中に
ひまわりがちょこんとさしてあった
ああこれの事だったのだと思った



 夢の中 水に沈んだ太陽を探し  机上のひまわり見つけ 


 水の中 太陽探す 夢を見し 起き抜けに見た 一本のひまわり 

# by akikomichi | 2018-10-18 21:53 | 詩小説 | Comments(0)

「太陽をみかたに」

太陽をみかたにすること。

と、親方がおっしゃった。

茅葺の屋根の「なり」を整える時に、少し離れて遠くから見ること。

その時に、太陽が照らす屋根の「なり」の凸凹を太陽が影として教えてくれるということ。

自分の感覚だけではなく、太陽をみかたにつけて、屋根の「なり」を見極めるということ。




# by akikomichi | 2018-10-11 22:48 | 詩小説 | Comments(0)

咸宜園

咸宜園の補修。

定期的なスパンで補修することによって、そのものを保ち続けることができるということ
は確かなことである。

穴が開くとするならば、その穴にさし茅をさすやり方があるということ。

アバカで程よく束ねた茅で穴を埋めつつ、その周りにも長めの茅と短い茅を絡めるようにさしていき、ほめ板で叩いては整え、余分なものをそぎ落としてはハサミで整えていく。

歯に穴が空いたら、そこに銀歯を入れるような。かてい。


# by akikomichi | 2018-09-14 21:49 | 詩小説 | Comments(0)

向日葵(ひぐるま)


水の中 太陽探す 夢を見し 
  起き抜けに咲く 一本の向日葵(ひぐるま)

# by akikomichi | 2018-09-10 23:05 | 短歌 | Comments(0)