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人吉の国宝青井阿蘇神社を訪れた。
前から拝見したかったのだが、先輩に教えていただいて、やっと訪れることができた。
茅葺で国宝の建物は、日本でここだけとお聞きし、時を超えて、残ってくれていることに感謝であり、これからも、生き続けて?欲しいと思われた。

鹿児島の友人にも会いに行った。
ふくちゃんとそのせがれくんに会えた。
昔のことを話しながら、焼肉を頂く。
お互い色々あったが、会った途端、昔に繋がれる幸福を頂く。
今度は日田に来ておくれと、楽しいひと時を味わい尽くして、屋久島に行っておいでと送り出してくれた。


それから、屋久島に行ってきた。

縄文杉に会いに行ったのだ。

私とせがれと先輩とその友達と現地で合流し、縄文杉まで、道案内していただいた。

10時間もの時間をかけて、私たちは縄文杉に会いに行った。

縄文の時に出会うことができる場所は美しく、出会う人もまた、同じ時を超えて、上り下りをいきかい、ただ登りただくだり、ただ歩き、ただ愛にやってきたのだ。

森の中を歩くことで、こんなにも心も体も軽やかになるのかと、不思議であった。

帰り道に、はばかりに行こうとしたら、勝手に足が動き出して、地下足袋で走り出していた。

すれ違う人に、韋駄天や。

と言われ、走る先がはばかりなのが、事情を語るのははばかられたが、事情を知らない方々には、まあいきのいいこと。

と思われたようで、なんだか目的があることの気恥ずかしさもあったが、ちゃんと目的を達成できた喜びはひとしおであった。

自分でも、トロッコ線路の間に敷き詰められた木の板の上を、あんなに軽やかに走れるとは思ってもいなかった。

友達になった真澄ちゃんに、なかなかあっこさんいなかったから、よっぽど早く着いたんだね。

と言われた。カツくんもあっくん先生も、年季が入っているので余裕であったが、せがれは最後のトンネルまで、杖をつきつき、太ももが痙攣しながら、足を引きづりながら、歩き通した。

せがれは、帰り際、休み休み歩くなかで、ずっとこれからのことを考えて歩いていた。と言った。

彼が、どのように生きていくか、いろんな選択肢があることに気づいた。と言った。

なんで、山に登るのか。なんでこんなことをしているのか。

10時間の道程で、自問自答していたという。

答えは、せがれが持ち帰ってきたようで、心からこの旅に来れたことに感謝した。

ライダーズハウス 止まり木でも、姉さんや野続くん、土田くん、リチャードくんに会えて、リチャードくんの故郷ではオーロラが見れるので、遊びに来てもいいよと言ってくれたので、また会える時を楽しみにして、帰りの船の上で桜島を背に写真を一緒に撮った。

かごんまに再上陸して、お土産に両棒餅という餅を手に入れようとしたら、西郷隆盛せごどんにゆかりのある茅葺の家の近くまで来て、たまたまあったお店に立ち寄ると、そこの奥さんのご先祖さんがせごどんが入水自殺を図った時に助けられた際に連れてこられて、息を吹き返した時に、飲ませた器などもあり、さらに追ってもあったであろうせごどんをかくまったというお話をお聞きした。
生なましい、時代の、生きていた人の生の声を時を超えて聞かせてもらった気がした。

やっぱり、皆、せごどんに生きていて欲しかったんでしょう。

と奥さんは、おっしゃっていた。

その後、せごどんは、菊池げんごと名乗ったこともあるという、せごどんのげんごは、一緒に死ぬつまりで入水され先に逝ってしまわれた月照さんのお付きの方のお名前らしく、おそらくその方が、なにがしかの形で、せごどんを助けたのではないかということであった。

せごどんがいたという茅葺の家を拝見した。

海の近くで、こじんまりとしているが、八年前くらいに葺き替えをされたと言われていた。

中は、ススダケなども残っているらしいが、今は拝見できないという。

いつか、拝見できたら、嬉しく思う。

それから、人吉を目指して車を走らせて、源泉近く温泉でひとっぷろあびていたら、地球環境を良くすることで生き生きしている優子さんに出会って、熱めの風呂の中で、これからは競争の時代ではなく共存の時だねという話で熱く盛り上がり、家に泊まって行きなよとまで言ってもらい、お泊まりさせていただく。

次の朝、散歩して、せごどんが西南戦争の際、陣を置いていた武家屋敷と幽霊寺を訪ねる。

武家屋敷は、茅葺で寺に似た作りをしていると言われた。格調を重んじて作られたのではないかということであったが、茅を支える木の先が、少し刀剣に似ていると思われた。

幽霊寺は、幽霊の絵で名を知られているが、生々しい人間の業の果ての、物悲しい女の人の話をお聞きした。
足のない、魂になっても、現れてくる思いの強さというものを、感じることができたような。女の思いは寺の池を漂うこいのように、艶かしくもあり、儚いようでもあった。

それから、西南戦争の時に、女侍が官軍と戦っている絵巻的なものが飾られていた。

女も囲われたりしながら、いろいろなものと、戦っていたのだ。それから、優子さんとそのご主人に教えていただいた、鍛冶屋さんの包丁を自分へのお土産にした。

割腹するためのものではなく、日々の生活の中で、生きるための、美味しく食べていくためのものとして。


何も知らずに、人吉に来てみたら、せごどんゆかりの場に行き着き、せごどんに導かれ、自分の魂の行き着くところのようなものを見つけたような気がした。


生きている、優しい大人や子供たちに出会えたことが何より、本当にありがたい旅であった。


by akikomichi | 2019-05-05 17:31 | 詩小説 | Comments(0)