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阿蘇の草原に茅葺きの復活をさせるためのフォーラムと茅葺同志

草原の維持が人の手に委ねられているのは、先日、阿蘇の野焼きに参加させていただき、実感しているところであった。

野焼きして、自分の家の近くでも質のいい茅を自らの手で育てるというのが一つの目標でもあったが、阿蘇の広大な風景の中、地元の牧野組合の方などが、火を放ち、その火が落ち着いてきたところを、竹と蔓で作った火消棒で叩いて燻った火を消していく、地道な作業が続くのだ。

これを、毎年のようにしていくご苦労もさることながら、墨色に所々焼けていった草原を目の当たりにして、自然と生活のせめぎ合いのような、一つの境界線のような気がして、今まで見ていた阿蘇の景色とは、まるで違ってきていた。

あそこにあったであろう、燃え広がる炎と煙の残像が、生々しく、そこに立ち上がってくるようなのだ。


今回のフォーラムでは、色々な方々のお話をお聞きすることができた。

中でも、安藤先生の生活の中における循環型の茅葺のあり方のお話は、何一つ無駄のない腐ってもなお人にもそこにあるものにも溶け込んでいく茅の一生は、人の一生のようで、生きとし生けるものの姿のようで、囲炉裏によって生かされ燻されてこそ、生を全うできるような、生き残る最初で最後の術のようでもあることを再確認させていただいた。

上野先生は、万葉集から茅の歌を取り上げられて、語りと歌の違いについて、歌とは響かせてこそ、人やものにより伝わるカタチであることを指摘されていた。

隈研吾先生は、19世紀のアムステルダムにおけるリバイバル的な茅葺に立ち返ろうとする運動を紹介され、その時期におけるスペイン風邪の流行と、昨今のコロナの流行の共通性と指摘されていた。時代精神というものがあるとするならば、その時代が茅葺という、自然に溶け込む輪の中の一つの、たった一つの循環の象徴ともいうべきものとなり得るのだということ、茅葺は時代すら超えて、そこにあるもの、あったものなのだと改めて思いをはせることができた。

だから、作らずにはおれなかった、住まざるをえなかったようなもの。
少なくとも、そこにいた我々の中に里山のように、自分の中にある原風景のような、なくしそうで、なんとか踏みとどまって、そこにあるものを残していく、大きな一歩。手立てを持ち始めたのだと思わずにはおれなかった。茅を守ろうとされている政治家の方もおられるということは、その一つの流れであるようで、それはそれで、こころ強いことであると、率直に思えた。

国宝である青井阿蘇神社の宮司の方の、祭り的「場」の復活のお話、このフォーラム自体が現代の大きな「結」の形であるとする阿蘇国立公園の方のお話、家族や仲間と茅を刈り、茅葺も家族で受け継いでいる植田さんのお話、茅葺学会の上野さんの世界の茅葺の紹介、他の方々の草原を維持することの必要性についてのお話なども興味深く拝聴した。

「斎」でお世話になった杉岡さんともお会いできて、いつもの茅葺仲間と温泉につかり、ラーメンをかっくらいながら、これからの茅葺に思いをはせていた。

次の日、遠路はるばるやってこられた京都の中野親方と長野さん、山田さん、神戸の塩ざわさんをはじめ茅葺のレジェンドの方々とお会いできて、植田さんも後から参加され、建築を研究されているふみさん、大阪のよしを手掛けておられる堺さんたちのお話も伺うことができて幸せであった。GSの山本さんにも阿蘇の茅を育てていく希望をいつもいただいて、みなさんとのご縁に感謝しかない。


by akikomichi | 2021-03-24 03:13 | 詩小説 | Comments(0)