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「滝のような」

雨が止んだ。
今日は休みである。
なぜだか、志ん朝の落語「宗珉の滝」を聴いている。
今の現場の設計士の先生が落語をお薦めしておられたのをやっと聞くことができたのである。

昨日は、我々の今、手がけている杉皮葺の屋根が、滝のような、雨にさらされていたので、気が気でなかったのだが。
大雨も止んで、少し気持ちも安らいできたような気がした。

昨日は養生の補強に明け暮れていた。

梅雨入りをしたところもあるという季節柄、杉皮葺の屋根の上に、さらに「すやね」を張っているので、多少の雨風はしのげるものの、大雨となると、かなり厳しい状況となるのだ。

大雨の中、ズブ濡れのまま、「すやね」の竹や木の上に乗り、ビニール製の布を補強していった。
やっと軒つけに入った杉皮の屋根はもちろん、その下で働く、大工さんたちの仕事場も雨風をしのげるように。
これも、また、屋根仕事の一つで、雨風に寄り添いながら、屋根ができて屋根に守られるまで、我々が竹と棒と紐の骨組みで柔肌の薄皮一つで、守るのだ。我々の作る屋根を。

屋久島で、山から降りれないほどの雨が降っているという。
五十年に一度の大雨。
私が生まれて初めて縄文杉に会いに行ったのも同じようなものであったが、大雨が身体中に降り注いだような、内側から全てが現れたような10時間もの間の道々であった。
山から降りれないで滝のように雨が降っていて、文字どおり滝になっている山道もあったようで、雨が降るといたるところに滝ができるという島の素の姿を見た気がした。
雨が降れば、滝ができる。
水があれば、水が流れる。
ただそれだけのことであるような気もするが。
命の危険を感じながらの山登りというものをまだ体験したことがないので、山の別の姿をまだ知らないだけかもしれないが。
雨は雨、屋根は屋根、我々は我々。
できることをする。
ただそれだけのことであるような。
そうして、一枚ずつ杉皮を重ねて山のような、気の遠くなるような、千枚以上の杉皮を積み重ねていく我々の杉皮葺の屋根のように、千年もの間、年輪を重ねながら、命を重ね、生きながらえてきたのだ。縄文杉も、いってみれば、我々人類も、あらゆる生命も。

千年王国。
という言葉を思い出していた。
昔、千年王国というヤバイ?Tシャツを着ている人がいる夢を見たことがあった。
どこかの島で、いろいろな国の人が集まって、生きているような夢を見たのである。
千年王国とは、どこかの宗教の言葉のようであったが、何か、違う意味があるような気がした。
ピアノが水辺の近くに数台置いてあり、キャンプをしている人、着飾った人、生活をしている人、ボランティアをしている人、志のある人、空母、客船、車、軍隊までいる、しかし、何か、祭りのような祝祭を生きるような、何かにいかされたような場所として夢に現れてきたような気がしていた。

もしかして、屋久島の夢を見ていたのかもしれないと、思ったのは、屋久杉の中でも、縄文杉が千年もの月日を生きていたという話を聞いていたからであった。
夢で見た千年王国というのは、縄文杉のある、この場所のことだったのかもしれないと。

実のところ、屋久島に行く直前に、弥生時代か縄文時代かの格好をした人が出てくる夢を見ていたので、屋久島に行ったら、何かわかるかもしれないと思っていたのだが、縄文杉に会いに行く道すがら、弥生杉というものが途中にあったのも、何か不可思議な、夢のお告げのような、不可思議な夢と現の交わった世界に迷い込んだような気になっていたのだ。

弥生か、縄文かわからないと思っていたのだが、原始の姿をした、草を着ている人の夢。
その人を見つける夢を見たのだ。
私は、その千年の時を思わせる、姿に会うためにここまできたのかもしれない。
千年王国とは、実のところ、自分の中の王国であったような、夢と現の境目のない島のような。国のような。気もしていた。

心も体も滝のように流れていく、生命の偶然がそこにあったのだ。

などと思いながら、志ん朝の落語が、耳元で水が流れるように、ゆうるりと酒を酌み交わすように、とうとうと体の中を流れていた。

腰元彫り師の宋三郎が死んだ虎を彫ったばかりに師匠の宗珉に破門されたところ、流れ着いた宿の主人に宿代が払えないので何の仕事をしているかと聞かれ、腰元彫りという。
死んだ虎をなぜ彫ったと言われ弟子にしてくれとまでという。
とりあえず、生きた命を作れるようになるよう、宿で彫っていいことになり、ある時、殿様から小柄を那智山の滝を彫るようにというお達しが来た。

水彫りをして、殿様に持って行った。
酒を飲んで彫ってダメ出しをされ、もう一度、精進して、彫るという。
二十一日、滝に打たれ、断食をしながら、滝壺から帰ってきて、ろくにご飯を食べずに、仕事を初めて七日七晩彫るのに明け暮れた。
宿の主人も断食して、願掛けをした後、
今までより悪い滝を彫った。と思った小柄を殿様に持って行った。
殿様は名作として手に取る。
二人のものの命がかかっていた小柄というところで、お抱えの腰元彫り師になったという話。
なぜできの悪い小柄を気に入ったのかと思ったところ、小柄から滝が流れて、水が流れたという、不思議な小柄を作ったという、名人の話であった





by akikomichi | 2019-05-19 17:02 | 詩小説 | Comments(0)