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「遅れてやってきた茅葺への道黄金週間」個人宅篇

「おうちえん」をされている、大下さんの御宅の茅葺屋根を拝見した。

 おうちえんは、毎日が冒険のような、生活のような、まさしく今生きているものたちが、失っていきつつあるものをしっかりと抱きしめているような、生きる真の力を持った大人や子供が集う場だと思われた。

 ヤギにカーデガンをむしゃむしゃ食われそうになったり、鶏はオスが一匹にメスが十五匹くらいがベストな(ハーレム)状態だということを大下さんの倅の空くんに教えてもらった。

 年ではない、生活の中で知り得ることは、知恵というよりも、当たり前のこととして、普段通りのこととして、話てくれることが、嬉しかった。

 大下さんは、アフリカに行かれて、そこで感じたことを、今、やっているとおっしゃていたが、上村さんも大下さんのようにアフリカに行かれて、茅葺を作って、大下さんのお家の屋根を慈しんでいるようで、個人的なつながりを持つ屋根の、そこで暮らす人のための屋根、生きるための屋根、生活のための屋根も味わわせていただいた。

 大下さんは、農薬を使わないで何町もの田んぼで米を作っておられる。
 そもそも、農薬を使わないで米はかつて作られていたわけで、刷り込まれた農薬神話を覆し続けてもらいたいものである。

 屋根は、少し、雨漏りが気になる場所があるということで、トタンの劣化などの漏れも考慮しつつ、茅葺の吹き替えを近々することとなりそうで、大下さんたちの家族とまたゆっくりお話しできることを楽しみに、心待ちにしている。


 私はビールちょっとでヘタレてしまい、子供達はもちろん大人達ののエネルギーが力一杯漂っているようなおうちえんの中でお眠りさせてもらったが、先輩方はおうちえんの庭でキャンプをさせてもらい、虫に刺されつつも、海で捕獲した亀の手(貝の!)を味噌汁にしたり、野生児けんちゃん先輩の火起こしによる肉の炙り?を堪能した一日であった。

 もう一つの、個人の御宅は、上村さんの知人のえいみちゃんの御宅で、お父さんから受け継いだという、素敵な茅葺のおうちを訪ねた。
 冬は家の中でテント張って寒さしのいでキャンプしたよ〜というほど、去年は今までにない寒い冬であったと話してくれたが、茅葺の風通しの良い造りは、夏にこそ、その底力を見せてくれるものではあるが、雨の時もまた風情があっていい。
 音を吸収して、雨が降っているのも気づかないほど、静かなのであった。

 「風」が通る繋がりと言っては無理があるかもしれないが、「風博士」と知り合いというえいみちゃん、私も京都のミュージシャンの方々の曲が入ったみやこ音楽というCDを持っていたので、もしかして、あの風博士?と盛り上がりました。
 訪れた日も雨の日だったが、雨の日は、そのCDに入っている、風博士のシャボン玉飛ばないと、キセルのはなればなれという曲をなぜか思い出すのだった。

 ちょっと、せつなく、寂しいのが、いい。

 いいもわるいも。酸いも辛いも噛み締めてこそ、人生であるちゅう。

 私も、茅葺職人の端くれ?となれた今、茅葺の家に住んで、水も辛いも見極めたいと切に願うようになった。
 茅葺に関する出来うる限りのことを、体で知りたいのである。


 内装も上村さんの知り合いの大工さんと手がけたということで、お風呂場は五右衛門風呂で、母方のじいちゃんのうちで入った、五右衛門風呂を懐かしく思った。
 可愛いお子さんたちは、たらいで水あびをするらしい。日本の原風景?である。
 私も兄とたらいに入って水浴びしている写真が残っており、日本の原風景、ここにありである。

 また、囲炉裏の上に吊るしてある、植物で作られた円錐形のものに、チクチクした針のようなものが突き出ているものがあり、これは何と聞くと、「弁慶」というものであるという。弁慶がなくなるときに矢に射抜かれた時を思わせる名前の由来であるが、そこに、魚などをさして煽る?燻る?のであろう、貴重な生活道具であった。

 屋根は、去年ボランティアの人を交えて、葺き替えた面は、さすがに美しく、もう何十は持ってくれるだろうと思われたが、家の中まで、拝見できた体験は貴重であった。

 これからは、自分で、生活していく場としても、茅葺の道を生きていきたいものである。

 
 

by akikomichi | 2018-05-28 10:31 | 詩小説 | Comments(0)