「原風景としての」

 今回、補修に関わった、日田の咸宜園は、「咸(ことごと)く宜(よろ)し」という広瀬淡窓の願いのこもった場所であったという。

 思えば、咸宜園には縁があった。

 広瀬淡窓の縁の塾であることは知っていたが、日田で開催されていた自由の森大学に月に一度訪れていたときに、行ける時は見に行っていたのだ。
 広瀬淡窓が夢の日記のようなものを書いていたのを漠然と覚えていたのだが、まさか、自分がその屋根の上に登って、屋根の補修に携わるとは夢にも思わなかったが、これも、ここにいることになった、運命のなせる技であると言えよう。 
 
 屋根の谷の部分などで、杉皮葺きをしていたのも、当時は全然わかっていなくて、茅葺屋根であることしか、見えていなかったが、今は、間近でその作られる場を見られることで、少しずつ、細部が見えてくるようになって、これからは、もっと違った見え方でみえてくるようになると思われるので、今、自分の見えていることを書き残しておけるものは、書き残していきたいと思う。

 親方の手を見ていた。
 谷を埋めていく茅の上の杉皮の一枚一枚を手わたしながら。
10〜12,3センチの幅、60センチほどの長さの短冊状の杉皮を使うのだが、谷の形に合わせて、場合によっては、斜めに切ったり、短く切ったり、その場にあった形にしていくばかりでなく、薄いものから徐々に厚手の丈夫な杉皮を上の方に葺いていく過程を目の当たりにした。
 それを、篠竹などで押さえていく。

 そもそも、谷状の屋根の場所は、雨が流れやすく、傷みがはげしいとされる場所で、そこを茅よりは硬く、皮の厚いものを使うのは理にかなっていると思われるが、茅の上に、杉皮を使うことによって、茅だけの場合よりも、屋根面の乾きに若干の差ができると思われる。
 茅のみの場合よりも、乾きは杉皮のほうが乾き具合は、茅と杉皮の間の別の素材であることもあり、遅々としている場合も考えられ、雨に強いと思われれる一方で、乾きの面では弱いと言わざるをえないという、両面を考えて、その屋根にあった谷をつくり、屋根にあった素材を選ぶ必要があるということを、以前、先輩の上村さんにお聞きしたことがあり、そのことを目の当たりにした現場であった。


 雪が降る中の仕事であったので、お天気とともに行動している、動物的本能が蘇るような、季節に敏感になるような、いつも空を見ているような毎日である。


 茅乃舎さんの現場においても、雪が降った。
 親方は、現場で、雪かきをしたのは、はじめてだとおっしゃっていた。
 雪をかいて、速く乾いて作業ができるように、茅混じりの雪を集めて回った。
 寒波がやってきたのは、全国的ではあったが、久山の、黒田藩の隠れ城がの近くの関所のようなところに、茅乃舎さんがあったというから、人里から離れ気味のところではあったが、蛍も棲んでいる川の流れの近くにある茅乃舎さんは、風情があり、こんもりとした山のような、かなり大きな茅葺きの屋根であった。

 大きな屋根であるとともに、川の近く、山の近くということもあり、湿気と山陰の影響はあるとして、さらにお食事どころであるため換気がしたくとも、お客様のいる間はもちろん、セキュリティ関係の都合上か、なかなか開け放し状態にはできないという、次練磨もあったようであるが、なんとか、長持ちできるよう、手をつくして、丁寧に補修をされていた。

 自分は、まだ、茅を運んだり、道具を運んだり、掃除をしたり、見て覚えさせていただく段階ではあったが、間近で拝見できる、貴重な現場にいられて、心より感謝している。

 また、近くの山水荘の女将さんや旦那さんにも泊まりの際に、とても良くしていただいて、毎日が天国のようであった。


 今現在、伺っている那珂川の個人のお宅もまた、川の近くの、しかも蛍の飛ぶ清い川のほとりであり、お宅の庭にもおそらく蛍が舞うのであろうと思うと、「茅葺き」と「川」と「蛍」は、どこかで重なるもの、同じところで息をしている、生きている、流れている時空間にあるもののようにも思えてきた。

 原風景としての茅葺きを、ずっと思い続けている。

 







 



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by akikomichi | 2018-03-10 21:12 | 詩小説 | Comments(0)