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「茅葺への道」

窓際にいた、あの蛾は、どこからやってきたのだろうか。

朝早く、部屋にうずくまっていたあの茶色い毛の生えたような小動物のような、温かそうな蛾。

私は、気になりつつも、あの一人だけの部屋を後にした。

それから、午前中にかけて、茅を刈りまくった。

昨晩電話で話した子供たちのことを思いながら。

寝不足がたたって、危うく、自分の足をも刈りそうになった。

それから、めまいのようなものを感じ、急激にやってくる、赤い血の流れてくる感覚が子宮の奥底に感じられ、月のものがやってくるのをはっきりと自覚した。

今日、子供の大事な日でもある。

帰って出直すことに、決めた。体が反応しているのだ。

親方やせっちゃん、てっちゃん、棟梁にご挨拶をして、今回の茅刈りの修行はとりあえず、終わりとした。

また、三月までに、もう一度、茅刈りに行きたい旨をお話しして、早々に家路に着いた。


茅葺への道からの帰り道。

暖かだったので、山道を行くことにした。

阿蘇の広大な山々には、茅が生い茂っており、昨夜、あんまりに茅をみすぎたので、まぶたを閉じるとその茅の姿が生々しく暗闇の中を揺れているのが見えたのと違って、太陽に照らされて、正気を保って、風の ひゅーる ひゅー となく音と一緒に揺れて安らいでいるように見えた。

あの茅はまっすぐに伸びて、いい。

葉が多すぎずに、いい。

などと、茅の姿を目で追いながら、ゆっくりと家路についていた。

九重の山道にさしかかると、白く凍ったままの道が続いた。

氷の世界。一本の氷道。

のろうのろうと走る。

右の草藪の崖から小柄ながらたてがみのこげ茶色が猛々しい二匹の猪が寒さに耐えられず、道に躍り出てきた。

車がすれ違うのを見て、まだ、夜には早すぎたか。という風に、何事もなかったように、草藪の方へ帰って行った。

対向車は、突込まれたりすることもなく、その様子を、すぐそばで、止まって気配を消すように、突然の野生に身じろぎもせず、じっとしていた。

思いの外、早くたどりついた我が家で、久しぶりの子供達、夫に会う。

皆、それぞれのことを、それぞれなりにして、過ごしていた。

勉強も剣道も持久走も生活も。

どこにいても続く限り、続いていくものなのだ。


久しぶりに自宅の風呂に浸かっていると、私のすねと手首には茅でいつの間にか引っかき傷ができており、じくじくと沁みてきた。

白と赤の鋭利な切り口に噛みつかれたような、あるいは爪でひっかかれたようなかさぶたになっていた。

茅の爪痕。

それから、右足の中指と薬指で踏ん張りすぎて、感覚が麻痺しているような、膨張しているような、痛みを感じた。

それは、おそらく、筋肉の奥底からの痛みであり、腕にも、肩にも、ふくらはぎにも、太ももにも、背中にも、首筋にもあった。

夜中、その痛みから、解放されることはなかった。

それは、今でも、体に残り続けている。

私の中に残った茅の爪痕である。


by akikomichi | 2017-02-05 21:38 | 詩小説 | Comments(0)