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「ばあば詣でと大学巡り」

ばあばの体調を気にして、倅がお見舞いに行くというので、ばあば詣でを敢行する。
海の近くの病院へ。

ちょうど、午後2時からの面会に間に合いそうやねえ。

などと言いながら、車で移動する。ばあばが病院が暖かく薄手の寝間着がいいと言っていたので、お店でしっぽりとした浴衣のような木綿の白地に紺の線状の花をあしらったものを見繕ってから、外環状線を走った。

途中で、F大学トンネルという名前のトンネルを通った。F大学に通う前に通っている空洞のほの暗き先に見えたいくばくかの日差しに救われる。長いトンネルであるが、いつかは通りきるものだと、通るたびに思う空洞。

しばらくして、右折してN大学の前を通る。
ここの創始者が、インドの独立を志したボースのレシピとも言える新宿中村屋のインドカレーのレシピを頭山満を介して伝えてもらったということを耳にしたことがあるように、福岡の至る所に「大アジア」的なつながりを色濃く残し、その大元が知られなくなったとしても、残っていくものだと、通るたびに思うのが癖になっている。
鳥飼神社のじっと海を凝視し続ける中野正剛の像の前を通る時も。
かつて玄洋社記念館があった少年科学文化館近くを通る時も。

食に関して言えば、今、経済制裁を解かれつつあるイランにおいても、「大欧羅巴」的あるいはユーロ的なものが色々な分野においても、充実してきているようであるが、「食」は国境を越え、独立をも密かに、あるいは大っぴらに支えるものだと、言えなくもないようで、何かが腹に収まるということは、腹の中で、溶け合う行為であることを思う。
そういえば、どこかの独裁国家に雇われた料理人が行方不明になっているというが、国境を越えたばかりに、飛び火してしまうような大事にならないように。独裁を支えるのは、独りの人でもあるように。一口の幸いを守るためにも、決して火をつけることがないように。

それから、海の近くのS大学の方へ。
かつて通った場所であるが、すっかり様変わりしていた。
ピアノ室のある建物の上から飛び降りた、同級生を思い出していた。
彼女の魂は、あそこから飛び降りた。
バブルがはじけて、就職難に突入していた我々の世代は、時代の年号が変わる時、ベルリンの壁が壊れた時、卒業した。
彼女は、彼女のものであった時間と人を奪われた人生から卒業したのだが、私は今も、彼女を思いながら壁のなくなる場所、屋上を見上げていた。
そこに立つ、誰かと目があうような気がして。

病院に着くと、ばあばは、リハビリの器械を装着していた。

ちょっとしたSFの世界に突入したような器械マインド。

人はいなくなっても、ベットの上で小一時間は、リハビリができるという。

器械がばあばの右膝を110度の角度まで押し曲げていくのを見ていると、人の手が入らなくなる世界は、ここまできているということを感じる。

あの時、飛んだ彼女は、この世界をどう見るのだろうか。屋上から。

ピアノも、器械がひいてくれる世界だ。

死さえも、器械が引きのばしてくれる。

心臓も器械仕掛け。

波打つことさえ。

血を地を震えさせることさえ。

あの時、飛んだ彼女は、あの白い目で見ているのだろうか。

奪われたものと奪ったものを呪うように凝視しながら。


私が物言わず、器械を眺めていると、ばあばはいった。


階段を上り下りするの。これが終わったら。


そう聞きながら、倅は大きくなった手で、ばあばの手を握った。私はばあばの足をさすった。














by akikomichi | 2016-12-23 23:14 | 詩小説 | Comments(0)