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「私は広島長崎に原爆を投下した」チャールズ・Wスウィーニー

〜一部抜粋・要約メモ〜

8月6日に広島から戻って以来、チャールズ・Wスウィーニーはあまり睡眠をとっていなかった。
もし再び投下が必要になった場合、8月9日に行われる二度目の原爆作戦をチャールズ・Wスウィーニーが指揮するようにと言われた。
初めて指揮する戦闘任務。

テニアンのインクのように暗い星のひとつない空の下。
アルバータ計画の代表者たちが、ファットマンの最終組み立てを完了しようとしていた。
ユタ州の塩類平原でB29の訓練投下したコンクリート詰めの「パンプキン」の類とは違う、本物はTNT(トリニトロトルオール)2万1000トン分に相当し、アメリカが大規模な実地試験を経ずに使用する最初の兵器。9000メートル上空からの自由落下。
誰一人、長さ3メートル幅1.5メートルの爆弾が正確に何を起こすのか知らなかった。
ティベッツ中佐の任務飛行の広島のウラン爆弾リトルボーイよりも強力と予想されてはいたが。
時計のような正確な。雲ひとつない空。戦闘機の妨害なく対空砲火もなく。投下予定時刻から17秒以内の爆弾投下。目標的中の。

「降伏しない限り、二、三日置きに同じ爆弾を落とすと日本に思わせなければならない」中佐はいったが、実際は、三番目は用意されていなかった。

11月1日に予定されていた日本上陸作戦。

第8航空軍所属、ヨーロッパで25回のB17作戦を終えた同僚のジム・マクドナルド大佐とステーキを食べながら、何かアドバイスはないかと尋ねたところ、笑いながら、「なるべく早く、部下を昇進させてやること」と言い、二人で大笑いしたという。
それから真顔で、「決して目標に二度は近づかないこと。狙われるので」

テニアンから離陸するB29の墜落事故は何度かあり、10名は無くなっていたらしい。
高揮発性の航空燃料と焼い弾を搭載したB29は積載量超過の墜落。

離陸時に不発状態であったリトルボーイと違い、複雑な爆発系統を持つファットマンは爆弾倉に搭載される段階で発火状態にされる。
しかし第一目標である小倉に向けて飛ばす自信はあったという。

チャールズ・Wスウィーニーは、当時、「アメリカが第一」が叫ばれるのに満足していた。
カトリック、愛国、勤勉、個人主義。教育は特権。アイルランド系。好きな寓話は「北風と太陽」。
1850年、アイルランドのコーク県からジャガイモ飢饉から逃れてやってきた祖父ジャックは配管工。
チャールズ・Wスウィーニーは、皮革製品(サロモン・アンド・フィリップス社)の卸売の道に進んだ。
チャールズ・Wスウィーニーは10歳で新聞配達、15歳でアイルランド系成功者たちの唯一のクラブ、ウォラストン・ゴルフクラブのキャデー。それから、航空隊士官。

服従が要求され、個人主義は排除される軍隊方式を学ぶ。
アラバマの照りつける太陽のもと、飛行場の坂道での永遠に続くような行進。ずっと続く儀式の一部。
パイロットになれるかどうかはどんな人物になるかで、何をするかではなかった。
インメルマン・ターン。急加速の後、先端を上げ機体を逆さまになるよう半宙返りをし、それから横転し、機体を元にすばやくもどす反転。
スプリットSは機体を横転させ逆さまにし半宙返りで元に戻る、逆インメルマン反転のこと。
真のパイロットとは従順なものではなく、自分で飛行機を進めていく、考えるもののこと。軍隊とは相容れないはずのもの。


by akikomichi | 2016-12-19 22:04 | 日記 | Comments(0)