2016年 11月 19日
「日田巡り」
同行者の中に、12歳の女の子がいた。
彼女と彼女のお母さんとよく話した。
初めて会ったのに、そんなことはどうでもいいというようによく話した。
彼女は自由な学校にいる。
どこでも自由にそらんじる。
百人一首を我が物にしようと繰り返し詠んでみたり。
カルタを弾く、動作を素振りのようにしたり。
鼻歌で何か歌っていると思えば、第九が好きだ、特に最後が好きだと、ドイツ語で劇的に終わりを歌ったり。
思いのままにしていると思えば、五馬媛の里にあるイノシシの檻はうちにあるネズミの檻と同じ原理だと叫び。
高床式にすればいい。
というふうに言うと、私もそう思うと静かに答える。
機械もないので、自分の手で米を作り、野菜を作り、5年経てば、何がこの土で生きながらえるのか、あっているのかがわかってくるという彼女のお母さんが言うように、彼女は、彼女たちの暮らす土と共に、なんとか、生きながらえてきたようだった。
野蛮だの、土人だのというような言葉の檻をぶち壊す子熊のように、そんなことなどどうでもいいような、ただ土と暮らしていくことで、こんなにも自由になれるというのは、彼女を見ていて思う。
今の時代には、土が見えにくいから、土に慣れ親しむことを忘れてしまった警告のような渓谷、アスファルトの道に陥没による渓谷が博多駅のほど近くの道にポッコリと現れたような気もしないではないが、それはまた、長年の土の掘り起こしによる重みに耐えられないような土地の「岩盤」疲労であると思わずにはおれない現象でもあったが。
日田巡りの途中、五馬媛の里というところがあり、土蜘蛛族の女頭領が総べていたということが古事記にあるということを知り、土蜘蛛の反乱が、そこここで起こっているような、そういうふうな思いにとらわれていったのは、否めないが、土の反乱は、私のうちから起こってきているのは、確かである。
風通しの良い茅葺屋根は息をしている。
そういった茅葺の親方の言葉も思い出していた。
息ができない中で、息がつまる話を語ったところで、音を聞いたところで、芸術のようなもの。と言われるものを見せられたところで、魂のようなものが解放されることはなかったのだと。ようやく気付いたようなのであるが。
偶然にも、必然にも、茅葺屋根に出会い、魚沼で習い、高森で習い、日田を巡り、土に帰り、自分で自分の住むところと、食うものを作ることが、自由にできることへと、「自作自農」へと向かってきているのは、今目の前にある現実からの逃避のようであり、そこにある現実と向き合うことでもあると思われた。
アスファルトに固められ酷使された土は、地球そのものにとっては呼吸ができない、ガチガチの殻でしかなく、その殻をいつか、かち割ろうとたくらんでいる、地球のマグマの企みに協調したものたちの、ささやかな試みの一つの、土と彼女の魂に近づくような自由さと戯れる旅を続けるのであった。
by akikomichi
| 2016-11-19 06:18
| 詩小説
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