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九大農場跡地計画滞る 粕屋町中心部 道路予定地に「評衙」遺構 [福岡県]

 粕屋町中心部の近くに広がり、2018年度までの移転が決まっている九州大付属農場(約24ヘクタール)の跡地利用計画が停滞している。県は跡地を貫く主要地方道福岡東環状線の整備を予定しているが、農場地内にある「阿恵遺跡」から700年前後に一帯を統治した役所「評衙(ひょうが)」跡とみられる建物群の遺構が出土。国史跡に指定される可能性もあり、遺跡の保存方針が固まらないためだ。

 福岡都市圏の住宅地として人口が増加する粕屋町。農場の周囲は戸建てやマンションが立つ。町は2010年にまとめたマスタープランで、移転後の跡地の南側を走るJR篠栗線に新駅を誘致し、周辺を「にぎわい拠点」と位置づける構想を打ち出していた。

 だが、14年に町教育委員会が「評衙」の発掘成果を発表して以降は議論は進んでいない。福岡市東区香椎と同市博多区月隈を結ぶ福岡東環状線のルートは「評衙」の政庁跡を通る予定だが、遺跡の保存方法によって変更される可能性もある。遺跡の上にそのまま通すのか、遺跡を公園などに整備してその上に橋を渡すか-。町と町教委、県は互いに相手の出方をうかがう。

 町「県の事業に町が直接、何かできるわけではない」(都市計画課)

 町教委「国史跡としての価値があるのか、文化庁の判断を待っている」(社会教育課)

 県「国史跡指定を待たず(考古学者らで構成する)町文化財調査指導委員会が道路のあり方について一定の方向性を示せば計画に着手できる」(道路建設課)

 環状線の計画が変われば、それに結節する道路の変更も余儀なくされる。昨年10月の粕屋町長選で跡地への企業誘致を公約に掲げて初当選した因辰美町長も、現在は明確な態度を示さないままだ。

 町教委によると「評衙」遺構は全国でも調査事例が少なく、古代の役所跡が出土した小郡官衙遺跡(小郡市)などは国史跡に指定されている。町教委は17年度中に遺跡の報告書をまとめるが、「報告書に基づき下される文化庁の判断は、18年度以降になるだろう」という。


■大宝律令前の「役所」跡 阿恵遺跡

 阿恵遺跡は、飛鳥時代から奈良時代にかけて造られた粕屋地域の役所跡。大宝律令(701年)で、それまで「評(こおり)」とされていた地域区分は「郡(こおり)」と変更されており、出土遺物などから役所は「糟屋郡」の前身の「糟屋評」時代と考えられている。

 発掘調査は2013年度、九州大付属農場のほぼ全域にあたる約22ヘクタールを対象に着手され、その一部から、役人が政務を行っていた政庁、当時の税として納められた米を保管する正倉、正倉の脇を通る古代道路の跡が確認された。

 政庁は、幅4・2メートル長さ42メートルの細長い建物数棟が、中央の広場を囲むように配置され、全体の規模は55メートル四方程度。建物の柱が据えられた穴が整然と2列に並んでいる。計15棟が見つかった正倉は、米の重さに耐えるため、政庁よりも大きな穴が狭い範囲に密集し、建物全体を多数の柱で支える構造だったとみられる。

 阿恵遺跡の特徴は、政庁と正倉がセットで見つかった点。市街化されず農場として残されていた土地を、広範囲に一度に調査できたためだ。全国の類似の遺跡の多くが「郡衙(ぐんが)」であるのに比べ、それより古い時代の「評衙」である点も注目される。

=2016/11/06付 西日本新聞朝刊=
by akikomichi | 2016-11-07 10:45 | 日記 | Comments(0)