2016年 03月 21日
『地下鉄の記憶』
地下鉄に乗る時間がもうすこしはやければ、もしかして、この世にはいなかったかもしれない、あの日のこと。
今日は、生あたたかく、あの日はもっと寒々しかったような気がしていた。
人の肌感覚は、遠のく一方で、いつの間にか、気持ちだけが寒々しくなっているようで、身震いがする。
吐き気だけは覚えていたのだ。
無味無臭の。
少しきな臭い気もしたがたぶんすぎたかふんのせいだろう。
どこかで、うずくこめかみのにぶい、おやゆびでぐりぐりとゆっくりしめつけられるような、にぶいいたみとともに。
ふいに、よみがえるのだ。
通り過ぎた地下鉄の駅で、すでにおこってしまっていたさりんの死は、地下鉄の扉の向こうにあったのだと。
どこからか、暗い地下鉄の向こうの方から、「ぼうしにちゅうい!」がきこえてくるような午後。
あのひとがうごかすでんしゃが わたしのぼうしをとばすかもしれない
だっただろうか。
初めてこの歌を聞いた時、ぼんやりと、あの記憶を思い出したのだ。
あの風はたぶん、音速をたよりに、暗い地下鉄の向こうから、やってくる。
あの扉の向こうに、無数のめまいがまきおこり、嘔吐がひろがった。
神経がぽあというなのひとごろしにころがされ麻痺していく午後。
じゅうていおん、じゅうていおおん、じゅうていうおおおんん。とともにとおりすぎていく、むこうにある闇。
遠のいていく、記憶は、人の顔をした見えなかった悪意を、遺族の立ち会いのもと、おいつめていく。
by akikomichi
| 2016-03-21 00:45
| 詩小説
|
Comments(0)