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詩のボクシング長崎わーくしょっぷと家について

詩のボクシング長崎わーくしょっぷに行ってきた。

今回はせがれを連れて行ったので、詩にどっぷり浸かると言うよりも詩を楽しんで欲しいというちょっと引き気味な姿勢であった気がした。

皆さんの詩は存分に楽しめたので、その点は大いに有意義であったが。

楠さんによると、テンションが上がらない朗読であったということで、その背景を読まれてしまったのかと思われたが、読んだ詩自体の内容が引くものであったという見解も否めない事実であろうというような意味のことを、中華街で夕食反省会も兼ねて詩のボクシング振り返り対話において、せがれに言われ、その通りと思われた。

おかあさんはまじめすぎるっちゃない。

といわれ、ごもっとも。


読みたい詩というものが限られている中で、人前で読む息苦しさはなんとかしたいと思いつつ、今、型にはめて読む?語る?ことに、その突破口を見出そうとしている段階で、そこいらに自分なりに問答していきたいと思っておる次第。

長崎詩のボクシングの実行委員の皆様方、ありがとうございました。


そういえば、せがれとの夕食反省会後、長崎の唐人街跡に、夜の散歩がてらいってみたら、古びた煉瓦造りの家々にであった。

日本の「木」の家が削ったり磨いたり叩いたり中心としての大黒柱を必要とする構造とはまた違った、煉瓦ブロックという素材の違いもさることながら、「土」を焼いた煉瓦を積み上げる作業である程度成り立つものの違いは大きいだろうなと思いつつ。

次の日の帰り道すがら、吉野ケ里遺跡を通ったので、立ち寄って見たら、吉野ケ里には、その要素が見事に使い分けられていたのに驚いた。

というのも、地上の家は基本は竪穴式住居の木の家、茅葺きの家であったりするが、地下に眠る家としての甕棺、煉瓦ではないが「土」を焼いて作った甕棺を使っているあたり、木=地上を司る家、土=地下を司る家という使い分け方に、大陸や半島の匂いを感じつつ、日本に根付いたものの姿を家に見た気がしたからであった。


そういえば、もうひとつ「家」繋がりでいえば、目に見える家だけではなく、心の集う?「家」として宗教施設を捉えることもできるだろうが、長崎市内では多く基督教系の施設を見受けた。
もちろん神社仏閣も多くあったが。

話によると長崎の諏訪神社はキリシタン(天主教)に焼かれたということで、長崎は宗教戦争激戦区であったことを伺わせるが、その後、キリシタンでもプロスタント系の米国に原爆により、焼かれてしまうのも、何かの因縁のような気がしてしまうのは、後付の歴史のこじつけであろうか。

さらにまた、住吉とかいてある看板かなんかを見かけ大きな鳥居があったので、ここにも住吉神社があったのかと思って立ち寄ろうとした帰福の途中で、偶然、「生長の家」の総本山というものに出くわした。

住吉(神社)さんに、なかなかたどり着けないなと思っていたら、山の天辺には生長の家の創始者の方の家のれぷりか?とその方の歴史を紐解いた施設があった。

ここまで来たので、見ないで帰るのはなんだかなということで、拝見させてもらった。
なんでも、住吉(神社)さんにもご縁がないわけではないらしく、あらゆる宗教の要素を取りいれていこうということで、神道、仏教、大本教?基督教等のシンボルを融合合体させたような図があった。

施設としては、日本だけでなく、朝鮮(京城)などにもおかれていたらしい。

今で言ったら、幸福の科学を彷彿とさせるものがあるが、「科学」系統ではなく、どちらかというと「文学」系統のような気もしたは、かの中原中也も谷口氏の書いたものに感銘を受けていたという紹介をされていたり、武者小路実篤も何かしら関わりがあったようで、見えない繋がりというものは、見えるものには当然のごとく見えて、当たり前なのだろうと思わずにはおれなかった。


そんなこんなで、やっと、家にたどり着いてこれを書いている訳であるが。

今の自分といえば、鉄筋コンクリートのうえに、わざわざ煉瓦的なタイルを張り付けて表面をガードしているような集合住宅に住んでいたりもする訳であり、家の形・素材等は、その時代の流れを如実に表すということでもあろうか。
by akikomichi | 2013-07-14 19:57 | 日記 | Comments(0)