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『それ』

仄暗い裏口のスーパーの少しでも触れるとがたぴしと音が鳴るようなシャッターをくぐったその先で、見知らぬおばさんがレジ袋をもってキャベツが積み上げられた棚の下をうごめくほこりのようなものをひろおうとしていた。

足下にある葱の入ったプラスチックの箱をずらして、そのうごめくものをやはりレジ袋に入れようとしている若いレジ打ちの男の子が見えた。

そのうごめくものが、レジ袋のかさかさ言う音に吸い取られるように、低い声で何かに助けを求めるように、うなるように哭いているのを聴いて、はじめて「それ」が生き物であると気付いた。

にょろにょろとしたもうひとつのいきもののようなしっぽが、掃除機のコードのようにあとをひくようにうねうねしながらついてきていた。

私は、「それ」が生きて、ないているのをはじめてみた気がした。

いつも無言のままの「それ」しか見たことがなかったのだった。
イランへ映画の撮影の下見で行ったときに、町中の街路樹の脇を通る小川のようなちょっとした溝の水の流れに寄り添うように走っていった、一瞬とんだ気がした、どぶいろの「それ」。
あるいは、イラクからの爆撃もこなかった静かな夕方、窓の外に来ていたねこが、目を赤くはらせながら、そとでつかまえて見せる為に持ってこられた「それ」。
銜えられてきた、ねこの口に収まるか収まらないかの、うなだれ、いきたえていた「それ」。
しばらくすんでいなかった家の中を片付けるのを手伝ったとき、「それ」はくうものもなかったのか、あるいはホウ酸ダンゴでもくったのか、小走りしながら、ひからびていったように、伸びをしたまま固まっていたのだった。
あるいは、一晩だけ預かってと頼まれて、夜通し滑車の中で、かしゃかしゃと狂ったように糸車を廻す押し黙った老婆のような「それ」。
「それ」は、運命の輪の中を廻す役割を担っているように、いつまでも、かしゃかしゃと暗闇の中を動いていたのだった。

今日の「それ」は違っていた。
明らかに違っていた。
壁にひたりひたりとくっつきながら、哭いていたのだった。
そういえば、絵本にでてきたある「それ」は、壁に穴をあけることも越えることも出来なかったが、下を穿り返すことはできたのだったが、ここでは厚いビニール床に阻まれて、それもできないままだった。


「それ」は、うすっぺらな二次元と三次元の境目の巣穴のようなレジ袋に飲み込まれるように、レジ係の男の子の手の中に落ちた。

レジ係の男の子は、おばさんに指図されながら、二重、三重に「それ」を久遠のおくるみに包みこむように柔らかくつぶさないようにくるんでいた。


おばさんはあきれた顏をして、こちらを振り返ったので、



あれはかわれたものですか?それとも、野生のものですか?


ときいてみた。



野生のものじゃない?たぶん。



とおばさんは上目遣いにいいながら肩をすぼめ、精肉の方に消えていった。


レジ係の男の子は、店長らしき人にまた指図されながら「それ」を匣の積まれた裏口に持っていった。


それから、私は生のものには見向きもせずに、乾きものを探しに、奥の方に分け入った。


ただ漠然と、何かが起こる気がしながら、袋の中の「それ」が暴れ出すのか、そのまま息絶えるのか、考えあぐねていた。
by akikomichi | 2012-02-24 19:21 | 小説 | Comments(0)