レキシから

レキシからまなぶものあり さようならからはじまることがあるんだよ
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# by akikomichi | 2018-07-21 19:48 | 短歌 | Comments(0)

「全身の水」

全身の水がすべてがいれかわるみたいやもん

剣道をしてきたせがれがいうた

じいちゃん達と朝練をし
後輩たちと昼練をし
試験勉強の準備をしなければといいながら
よるはかっぱのすしやでばいとしとるやん
せいふくのぼうしがみどりやけん
ちょっと
かっぱをとりこんどるんやろうけど

それにしても
かっぱまきっておいしいとかね
あんまりたべんけど
水分はあるかもしれんけど

山笠んときは
きゅうりをたべたらいかんていうけど
男衆に限った話やけん

どうでもいいかもしれんけど
かっぱまきはかっぱまきで
おいしいときもあるやろう
あついときはとくに
みずみずしかろうもん

さらがひからびないために 
汗と水分が出たり入ったりを繰り返す
体の中を通りぬける水は
いのちのしたたりのようなもので
ためるのではなく
いつも
じゅんかんしていくと
とどまるものではなく
ながれいきとどいていくとよ

豪雨のあと
まつりのあとにうまれ
かわったような
せがれの生活水


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# by akikomichi | 2018-07-16 17:42 | 詩小説 | Comments(0)

世界をつくろうとするまえに、宇宙をつくろうとしている。

つくってみないとわからないものが宇宙であるとするならば、宇宙もまた、人のように、自然のように、そのものを決して分離することはできず、一つの中の細部として、そこにあるということになるのであろう。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


https://wired.j p/2018/07/15/to-understand-the-universe/  より

シルケ・ヴァインフルトナーはゼロから宇宙を構築しようとしている。英国のアウトロー「ロビン・フッド」の伝説で知られるシャーウッドの森近くにつくられたノッティンガム大学の物理学研究所で、彼女たちは直径1mの巨大な超伝導コイル磁石を扱っていた。

その内部には液体が溜められている。穏やかな波紋を描くこの液体は、わたしたちを取り巻く宇宙で観測できる構造をつくり出した物質のゆらぎを模倣するために溜められているのだという。

ヴァインフルトナーは、自身が支配する宇宙をつくり出そうとする邪悪な天才ではない。彼女はすでに存在するこの宇宙の起源を理解したいだけなのだ。

ビッグバンは最も一般的な宇宙の始まりを示すモデルだが、しかしその信奉者の間でも、それがどのように起こったかについては意見が統一されていない。ビッグバン理論は宇宙をあらゆる方向に向かって超高速かつ均一に引き伸ばし、一瞬で宇宙を膨張させる仮説上の量子場の存在に頼っている。

このプロセスはインフレーションと呼ばれている。しかし、インフレーションや、インフレーションの原因となる場を直接証明することはできない。だからこそ、ヴァインフルトナーは研究所でそれを模倣しようとしているのだ。

ビッグバン理論が正しければ、生まれたての宇宙は小さな波紋、いわゆる「量子ゆらぎ」によってつくられたはずだ。このゆらぎはインフレーションの最中に引き伸ばされ、物質と放射線、あるいは光へと変化した。ゆらぎは最終的に宇宙の大きさまで拡大し、銀河、恒星、惑星の種を撒いたと考えられている。

その小さな波紋こそが、ヴァインフルトナーがあの巨大な超伝導磁石を使ってモデル化しようとしているものだ。その内部には直径約6cmの円形タンクが入っており、水とブタノールが分離した状態で満たされている(これらの液体は比重が異なるため混ざらない)。

宇宙のインフレーションを模倣する

まず彼女の研究グループは、人工的な重力の歪みを引き起こす。「磁場の強さはその位置によって異なります」と、論文の共著者のひとりであるリチャード・ヒルは述べる。「液体を場のなかの異なった位置に移動させることで、事実上重力を増減させることができるのです」と彼は述べる。「重力を逆さまにすることだって可能です」

研究グループは、重力を変えることで波紋をつくり出そうとしている。だが、池の波紋とは違って、この歪みは水とブタノールという2種類の液体の間に現れる。「波紋の速度を注意深く調節することで、宇宙のインフレーションをモデル化できます」とグループの別のメンバーであるアナスタシオス・アヴゴスティディスは説明する。

宇宙のインフレーションは、物質の波紋が一定速度で伝搬する間に空間が急速に拡大する。そしてこの実験では、液体の体積が一定量にとどまっているため、波紋は急速に速度を落としてしまう。「この2つのシナリオにおいて、波紋の伝搬は同じ方程式で表せます」とアヴゴスティディスは言う。

これは重要なことだ。もし結果として生じるゆらぎが今日の宇宙で見られるような構造を引き起こしうるかのように見えるとすれば、わたしたちはどのようにインフレーションが作用したか垣間見ることができるのだから。

ヴァインフルトナーや、あるいはほかの誰かが宇宙の現象を小さな規模で模倣しようと試みたのは初めてのことではない。強い重力場における光波のように伝わる音波を用いたり、あるいは液体や気体にゆらぎを引き起こす磁石を用いたり。より洗練された装置を開発している天体物理学者は世界中の研究室にいる。

さまざまなシミュレーション

2017年6月、ヴァインフルトナーは中央にシンクのある大きな水槽を用いて、もうひとつの観察しにくい現象であったブラックホールの超放射を模倣した。

研究室で重力をシミュレーションする着想は、ヴァンクーヴァーのブリティッシュコロンビア大学の物理学者であるウィリアム・ウンルーによって1981年に創唱されたものだという(彼はヴァインフルトナーの10年前の指導教員でもある)。結局のところ「わたしたちは宇宙を巻き戻すことはできませんし、たとえ巻き戻すことができたとしても、実験結果を見るのに十分なほど長くは生きられません」とウンルーは述べている。

ウンルーの最初の実験以来、擬似重力実験はより洗練されてきている。最初の実験では流体によって重力のシミュレーションを行い、音のブラックホールが音に対して果たす役割を、実際のブラックホールの事象の地平面も光に対して果たしているということを示した。要するに、研究室で測定し表現できるものは、天体物理学上のブラックホールの特性を調べるためにも利用できるということだ。

それはあの有名なホーキング放射、すなわちブラックホールが熱を放射し、ある時点で完全に蒸発するという予測にも効果がある。数年前には、イスラエル・ハイファにあるイスラエル工科大学のジェフ・スタインハウアーは、その放射の音による類似現象を発見している。

シミュレーションはインフレーションのほかの側面を研究するためにも活用されている。数年前、パリのフランス国立科学研究センター(CNSR)のクリストフ・ウェストブルック率いるグループは、リング状のボース=アインシュタイン凝縮体を「揺らす」ことによって量子粒子の生成を調査した。

ボース=アインシュタイン凝縮とは、原子が絶対零度近くまで冷却され、単一量子の物体として振る舞うという物質の状態である。インフレーションの最中、宇宙の温度は急激に下がり、その後インフレーションが停止すると「再加熱」と呼ばれるプロセスで再び温度は上昇し始める。そして通常のビッグバンの膨張につながった。

17年10月に行われた、米国立標準技術研究所とメリーランド大学の共同量子研究所のスティーヴン・エッケルが率いた別の実験でも、ボース=アインシュタイン凝縮体を用いて音波の伸長を観測した。これは宇宙が拡大するにつれて起こる光の伸長、あるいは赤方偏移の類似現象だ。このグループは再加熱プロセスと類似の効果も観測していた。

新たなモデルを確立できる可能性

ヴァインフルトナーによれば、彼女の「斬新な」装置はボース=アインシュタイン凝縮体なしで作動可能だという。それはこのシステムが量子ゆらぎを直接観測するには熱くなりすぎることを意味しているのだとウンルーは述べる。しかしその立案者たちは、システム内の熱雑音を通してゆらぎを観測することが可能だと主張する。この熱雑音が量子雑音の類似現象となるのだ。

ヴァインフルトナーたちの研究手法によって、長期の膨張段階を模倣しインフレーションの持続時間を測る、専門用語では多くの「e-fold」と呼ばれる媒介変数が得られる。研究者たちはインフレーションが宇宙のサイズを、ほんの一瞬のうちに10の26乗の因数以上──あるいは60e-fold以上──まで増大させたと考えている。

新たな実験が成功した場合、以前の研究室の装置よりもはるかに長期にわたってインフレーションをシミュレーションし、「結果を疑問の余地のないものとするに十分な、ほかの研究よりもたくさんのe-fold」を得られるだろうとニューキャッスル大学のイアン・モスは述べる。「システムがその初期状態を忘れて、インフレーションのゆらぎによって支配された状態に落ち着くまでには、ある程度の時間が必要です」と彼は述べる。

「ヴァインフルトナーたちは将来の宇宙論のモデルを特徴づけるのに役立つ新たな物理学を発見する可能性があります」とエッケルは述べる。「あるいは逆に、将来性のある宇宙論のモデルをいくつかの側面から試験するのに役立つでしょう」

シミュレーションは不完全?

だが、誰もが研究室で行われた宇宙ののシミュレーションが役立つだろうと確信しているわけではない。メリーランド大学のテッド・ジェイコブソンは、このような実験は「わたしたちがはっきりと知らない何かを立証するのではなく、研究室で既知の何かを実行し観察する」ものだと考えている。

では、なぜ研究室で宇宙を模倣するのか? 「楽しいからです。それに、模倣によって宇宙論においてわたしたちが考えついていなかった新たな現象が示唆されることもあるかもしれません」と彼は述べる。

ハーヴァード大学の天体物理学者エイヴィ・ローブは楽観していない。彼はヴァインフルトナーが提唱するタンク内での2種の液体の間に波紋をつくるシミュレーションは、量子ゆらぎの「基本的な物理性質」に届かないと述べている。

なぜなら、この実験は単に物理学者がすでにインフレーションを記述するのに用いている方程式を再現するからだ。これらの方程式が基本的な要素を欠いていた場合、この実験はその欠陥を明らかにしない。「研究室でのシミュレーションは量子力学的効果を取り入れることはできますが、ここにはブラックホールとインフレーションにおけるような量子力学と重力の相互作用は含まれていません」

ヴァインフルトナーの実験はインフレーションについての既存の考え方を再現するようにつくられているとローブは言い添える。だが、そのことはインフレーションの概念を基本的なレヴェルで試験することを意味していない。

「実験とわたしたちのインフレーションについての考え方との間に差異が生じるのは、わたしたちがこれらのシステムの一方で数学的な誤りを犯した場合のみです。さもなければ、わたしたちは新しいことを何も学ばないでしょう」。そう彼は述べる。

不完全な「比喩」にも価値はある

インフレーションの真の試験とは、インフレーションを推進した物質を研究室でつくり出すことだとローブは述べる。しかし、これには最も強力な粒子加速器である大型ハドロン衝突型加速器よりも最大で1兆倍大きな到達エネルギーを必要とする。だが、こうした試験は近い将来実現する可能性がある。

「類似のシステムの方程式を模倣するだけでは、実際のシステムの比喩にすぎず、その基本的な特性の試験とはなりません」とローブは言う。それは「実際の食べ物を食べるかわりに、その匂いをかぐ」ようなものであり、「真の価値があるのは食べること」のみだと彼は付け加える。

ローブの言うことは正しい。しかし、ときに人はキッチンから漂ってきた匂いによって、その日の夕食について多くのことを知ることができるのも事実だ。




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# by akikomichi | 2018-07-16 08:05 | 詩小説 | Comments(0)

「自然的自然」

自然的自然と人間的自然は未分離であり、そこが日本浪曼派の限界である的なことをいうものがいた。

どこから分離するかは、また、困難を極めるが、一応の境界線として、「制度」的なものを上げていた。

人が決めている、例えば「法」だとか、「制度」だとかを指し示しているようであった。

ところで、ある程度、人の心の「感情」は推し量れるものであり、それぞれがそれぞれのすきなことをしているという上で、そのものがつくった「法」であり、「制度」であるとするならば、個人的なあまりに個人的な「人間的自然」の一つと言えなくもない。

ここで、必死で分離を試み、「感情」をコントロールするのが「法」であり、「制度」であると言うならば、法と制度は、ある一定の相対化、普遍化をなし得た、小さくもあり大きくもあり低いようでもありたかいようでもある、「自然の中の自然」といえなくもない。

日本浪曼派の限界は、人間の限界であり、自然の限界ではないというのならば、なんとなく、腑に落ちるのであるが、「未分離」だから問題と言われても、分離しても、しなくても戦争は起こりうるということを肝に銘じておくべきなのは、確かなことであるとしか言えない。

その眼差しは、人が自然を完全に分離できるという「傲慢」でしかないように思う。

傲慢の最たるものとして、強い国が「法」であり、「制度」になっていく「戦争」があるが、人と人、国と国とのぶつかりあいであり、強者が弱者を搾取するという点においては、血で血を洗う、ヒエラルキーを作る装置であるといえる。

強いものが取り決めて行く、曖昧な、自然の中のちから関係で湧き上がっていく、人間的自然でもあり、自然的自然とも言えるかもしれない。

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# by akikomichi | 2018-07-16 06:39 | 詩小説 | Comments(0)

「すくらっち」

素のくらっちさんのことを「すくらっち」ということにした。

くらっちさんとは、詩のボクシング福岡実行委員会でご一緒した倉地久美夫さんのことであるが、この頃ご無沙汰していたが、たまたま歌を聞く機会があり、また、すくらっちさんを拝聴することとあいなった。

どこにもない音を、うたを聴かせてくれるような、すくらっちの音の世界に、どっぷりとつかりきった。

「スーパー千歳」の完成度もさることながら、あるばむ「いいえ、とんでもございません」も、またまたご謙遜をとも言うべき絶妙味で、味噌がいっぱいで、みみが満たされ、しけがこようが、よなかにたたみやさんがこようが、異界にまよいこもうが、しにがみがせまりこようが、どうにでもなれというような、心持ちになれるようなのであった。

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# by akikomichi | 2018-07-15 21:30 | 詩小説 | Comments(0)

「漆喰の白を」

漆喰の白い壁を塗った。

左官の先輩が講師をしていたお家の壁を塗ったのだ。

ボランティアの方々も大勢おられて、その中の山口さんという方が、

左官って、左から塗るから左官っていうんだよ。

と、教えてくださった。

灰色の壁が、一度塗り、二度塗り、三度塗りして白くなっていく。

空気が入らないように、丁寧に、丁寧に塗り上げていく。

白く塗りつぶされていく壁に、息を吐きながら、一気に塗り上げていく。

隅もマンボウコテ?を使って塗り上げていく。

先輩の手は、勝手に動く動物のしなやかないきいきとした動きで、ぎこちない我々の手の動きとは明らかに違うのだった。

漆喰の白がコテにこびりつかないようにするのが、うまい職人の技でもあるようで、手にまで漆喰の白を塗りこんでいる私は、まだまだ初心者であった。



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# by akikomichi | 2018-07-15 21:18 | 詩小説 | Comments(0)

「濁流の夜」

激しい雨の後。

濁流が夜を押し流していくように、ポアしたかった人たちがポアされたという。

より大きなものが、押し流していく。

濁流は、より大きなものに押し流されていく。

小さな政府を作り、小さな階級を作り、自分たちの敵を押し流すように亡き者にしようとしても、より大きな政府、より大きな階級を作り得た者に、敵とみなされた途端、亡き者にされていく。

生存と死の競争は、より大きなものが、小さな死を喰らいながら、大きくなりながら生き延びようとするものであるようで。

大きなものに押し流されるということは。

小さなものにとっては、その存在を押し流され、その小さな存在をなくした途端に、大きなものの中に組み込まれ、己の限界をなくしたということになるのかもしれない。

が、その行き着くところは、大きなものの支配下において、亡き者になるということでもあり、その存在を消されるということである。

彼らのしたがったことを、彼ら以外のものが彼らにした。ということでもあるようで。

反/体制のぶつかり合いの後の、反対性の消滅。


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# by akikomichi | 2018-07-06 23:21 | 詩小説 | Comments(0)

黒ねこの黒

黒ねこの黒が見つかった。

多分。

雨が激しく降った後の暗闇の奥で。

そこは、黒が、三匹産んだばかりの時に、一匹だけ毛色の違う灰色と白と黒がグラデーションのように混ざった黒の娘のミーちゃんとそっくりな赤ちゃん猫を隠しにやってきた茅葺屋根の玄関の近くであった。

産湯につかれそうなほど湯が溢れてきていた、生暖かい子宮から流れ出てくる羊水の行き着くところのような暗闇の奥で。

残された二匹の子猫は黒ねこであったが、その子たちは別の場所で黒が育てていたのだろうと、支配人の人がおっしゃっていた。

もう一匹の違う毛色の子猫だけ、違う場所に、屋根の上まで連れてきていた。
誰かに託したかったのかもしれないし、頃合いを見て連れ返しにやってくるのかとも思ったが、作業ができないので、黒の寝床まで連れて行ったことがあった。

その後、その子猫はいなくなったという。
多分、黒が食べてしまったか、タヌキにやられたんじゃないかな。
と世話をされていたおばちゃんがおっしゃっていた。
黒が食べたかもしれないと聞いて、黒がミーちゃんといるのを見かけた。
ミーちゃんは食べられずにそこにいるが、あの生まれたてのミーちゃんそっくりな子猫は、また黒の胎内に戻ってしまったのだ。
いや体内そのものになってしまったのだ。
自分の似姿を生き残らせる一方で、似ていないものは排除されていくものなのかもしれない。と、どこかうすら冷たいものを感じながら、黒を見た。
生まれてくるということは最初に母から離れてやってくる、最初の母離れの儀式なのかもしれない。などとも思いながら。
黒は何か感じたのか、しばらく底の見えない黄色い目を見据えてこちらの方を見たかと思うと、目を閉じたまま、こちらを見ようともしなくなった。

それから、しばらく黒を見かけなくなった。

二匹の黒ねこは母親がいなくなっても、周りが育ててくれるまで大きくなったのを待って、黒がいなくなったのだろうと思われた。

多分、どこかで息絶えているんじゃないかな。タヌキにでもやられて。

と、支配人はそうおっしゃっていた。


昨日のこと。

雨が降り止んで、やけに泥臭くなったので、掃除しようと思って行ったら、黒い毛のものに蛆がたかっておった。

と仲間が言った。

黒だ。

と思った。

最後は、いなくなった子猫のそばの闇の奥で、体内に戻るように、生まれた所に戻るように、産湯のようなものに浸かるように、土に帰りたかったのかもしれない。

とも思いながら。




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# by akikomichi | 2018-07-05 02:05 | 詩小説 | Comments(0)

黒い犬

黒い犬 ついてきていた 逃げもせず そこにきていた 亡き人もまた
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# by akikomichi | 2018-07-03 22:15 | 詩小説 | Comments(0)

黒ねこ

風がなき 雨がなくした 黒ねこの亡骸はなし 闇の奥かな 
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# by akikomichi | 2018-07-03 22:10 | 短歌 | Comments(0)

「井手さんの一周忌」

もう直ぐ井手さんの一周忌がやってくる。

茅葺の先輩であり、厳しく指導してもらったが、ご自分にも厳しくストイックに生きた先輩であった。

なくなる一日前に、第二作業場を整えるために、井手さんと二人で作業していた時のこと。

井手さんは、私が家族と離れて暮らしていることを慮って、

帰ってやらなくていいの?

と心配してくださっていた。

いやいや、大丈夫ですよ。私がいない方が、よっぽど、自由にしていますよ。

などと言ってはいたものの。

片道二時間半ほどかかり、まだ慣れない仕事で、体力もそれほどなく、毎日、覚えることで必死であったし、少しでも時間があれば、溶けるように眠ってしまっていたので、帰る余裕すらなかったので、子供の剣道の試合や、いろいろあって迎えに来てとsosがあった時は、飛んで帰っていたが、それ以外は、仕事に没頭していた。

それほど、茅葺に取り憑かれていたのは確かである。

今も、そうではある。

毎日、自分の限界に挑戦しているのも確かではある。

生活もおろそかにしたくないので、茅葺の仕事を続けるためにも、生活も出来うる限り整えてきているつもりではある。

私は、そうして、井手さんが仕事に対して、あるいは仕事があって成り立っていると言える生活に対して、思いつめていたことに、気づきもしていなかった。

生きることに絶望してしまったのかもしれない。

私も、その気持ちは、よくわかる気がした。

絶望していたのだ、生きることに対して。

だから、茅葺に取り憑かれたのかもしれない。

何かやることがあることで、人は救われる時もあるのである。

あまりに辛いことを、考え込まなくていい限りにおいて。


先日、体を壊して入院して、手術をやっと受けて、体調もある程度回復したという兄と、絶望と希望について、なんとはなく、話をしていた。

兄は絶望の底にいるようで、希望を持っていた。

そこから抜け出すという小さいながらも大きな希望。

私は希望の中にいるようで、そこの見えにくい絶望を見ていた。

茅葺と生活が一体化している自分にとって、重要な、とても重要な希望が失われるかもしれないという、虚しい、希望と絶望を行ったり来たりしている状態なのであった。

子供たちと離れて暮らすことは、絶望ではあったが、子供達が希望そのものであったので、離れ離れであろうと、なんとかやり過ごすことはできていた。

旦那さんとは、友人であり、子供を育てるパートナーであり、感謝もしているが、離れ離れであっても、あの人は大丈夫という変な希望はあったが、前の仕事を離れて、自宅で仕事をしている一抹の不安はあったものの、絶望とまではいかなかった。


井手さんは、何に絶望したのであろうか。

この一年、ずっと考え続けてきた。

厳しい先輩ではあったが、時々、面白いことを言って笑わせてくださった。

私が、奥日田美建の「奥」という焼印を足場板に押して、

こんな感じで、この烙印でいいですか?

と言ったら、いやいや、焼印やろ。烙印やったら、いい意味で使わんやつやろ。

というツッコミを入れてくれたり。

でも、焼印は上手くなった。焼印博士やん。

とか、褒めてくれたりもして。

何かでやらかした時に、

今度、その代わりにラーメン奢って。

とか、冗談も言ってくれるようになっていた。

亡くなった前の日の現場では、差し茅もやらせてもらって、それを背中から見守ってくれていたのを覚えている。





茅葺が好きで、ご家族が好きで、村上春樹が好きで、釣りが好きな方であった。

おそらく、茅葺の仕事に対して、責任を感じすぎて、お一人で抱え込んでしまわれたのではないかと、思ったりもしたが、井手さんにお聞きしてみないと本当のところはわからないのであった。


私が至らなかったから、亡くなったとある人に言われたことがある。

その人は、井手さんが亡くなったその日に、現場をやめた人である。

その人がやめたら、別の現場が回らなくなるのではないかと思い、やめないで欲しかったが、私が、至らない私が、正社員になるのがどうしても認められないといわれ、私もどうしていいかわからなくなった。

子供をまだ育てていかないといけない事情はもちろんのことであるが。
自分のわずかな収入もバカにならないので、まだまだ至らない自分を正社員にしていただけることに感謝しても仕切れなかったが。

どうせやる仕事ならば、好きな茅葺をやれるものならやりたかったし、実際に好きなことをやれるだけでも幸せであったのだが。



好きで入ったこの世界ではあるが、井手さんに、

好きということだけでは続かんよ。

と言われた事もあった。



お葬式の時、親方が井手さんに送る言葉を言われている時に、お話ししてくださったのであるが、茅葺の現場をずっと見ていて、親方たちが声をかけてみると、

茅葺が好きで見ていた。

と言われたという井手さんの言葉は、重たい真実だと思われた。



私も好きで必死で働いてもいたのだが、はたから見ると、そうは見えないことも、多々あるらしく、毎日、心でも、全身でも泣いていた。

井手さんは、私が空回りして、至らないだけで、亡くなるような、そのような柔な方ではないと、自分は思っていたし、実際にそうだと思われるし、逆に、私のような目の前をひょこひょこしているだけの、ひよっこに絶望して亡くなるような小さな人ではないと確信はしているのだが。


もっと大きな絶望に連れて行かれてしまったのだ。

と。


一年が過ぎた今、私も、その大きな絶望を突きつけられているような気がしている。

いつも。

隣にいる。その希望の皮を被った絶望。
















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# by akikomichi | 2018-06-22 23:51 | 日記 | Comments(0)

「蛍 ふたたび」

今日もまた蛍を見た。

仕事帰り、みんなでラーメンをいただいた後のこと。

作業場についた頃、三日月のほの暗い中、蛍が木の上をゆうるりと、とんでいた。

作業場で見た蛍は初めてだった。

山と川と木の緑がかった魂のようなものが浮かんでは消えていくのを見ていた。


亡くなった先輩の魂も、安らかでありますようにと、心のどこかで思う。


ふと、今日、古茅の上にちょこんと細くてすっきりとした緑がかった若そうな蛇がいたのを思い出していた。

目があったが、ピクとも動かない。

古茅がいるので、ちょいとすまんね。と下の茅を動かすと、スススウと動いて茅と茅の隙間にいなくなった。


湯布院のとある宿の庭にある茅葺のお屋根を改修しているのだが、この前はすっぽんが雨上がりには茅のお屋根の方までやってきていたが、蛇はお初であった。


生き物にあうと、言葉は交わさないのだが、心がじわりとやわらかい方に動き出すようで、一瞬であっても、一日を意味のある、魂のようなものの深いところを覗き込むような日に変えていくようで、気もちが和んでいく。

それでかどうか。

ラーメンが特別にうまかった。

せいめいのやくどーというものか。









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# by akikomichi | 2018-06-17 21:26 | 詩小説 | Comments(0)

「蛍」

蛍を毎日のように見ていた。


大山の蛍祭りに行ってきた。

友人のご家族も一緒に。

太鼓の音に間に合って祭りを堪能する。

いつも人と会う方が珍しいのに、人で賑わっていた。

そこであった元同僚が、運動会にもこんなに人いないですよ。

と話していた。

蛍は川の方をゆうるりと飛んでいた。


前津江にも、山があって、川があって、田んぼがあって、蛍がおった。

茅葺屋根の二階建てのお家のそばまで散歩していると蛍がゆるりと飛んでいた。

蛍と川と茅葺は近しいところにいつもある。

一匹の蛍を連れて部屋に戻った。

柱のところで、山から滲み出てきた緑づいた魂のようなものが、ついたり消えたりする。

部屋をくらくして、そのまま眠りについた。

次の日も蛍は、部屋にいた。

窓から、外に出した。

山の魂のようなものは、ほの暗い山に帰って行った。



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# by akikomichi | 2018-06-14 19:40 | 詩小説 | Comments(0)

「梅の実と種と」

 落ちた梅を拾って、ざるそば一人前のザル二つほどの量を干していたら、いつの間にか、全て種になっていた。

 落ちた時にはついていた虫に食べられたのかもしれないし、その虫もろとも梅の実を小鳥が食べてしまったのかもしれない。

 乾いた梅の種は梅干よりもなお、干されっ放しで、カラカラに乾いていた。

 梅雨になったというのに、干からびたまま、そこに転がっていた。

 私は、干からびた梅の種をまた拾い集めて、山に埋めようと思った。

 焼いた骨の、それも梅の亡骸の喉仏を拾うように、丁寧に拾っていった。

 いつかはこうやって、種のような骨になっていくのだと思いながら、色だけがどす赤く生々しい喉ちんこのようだなどと思いながら、丁寧に拾っていった。


 今度は、仕事の合間に、作業場にある、木についたままの雨に濡れていた大きな梅の実を2キロほど、丸くて黒い網で虫を避けることができるザルを山を下って手に入れてきて、雨なのにベランダに出した。

 不完全な干され方の梅の実は、生乾きの部屋干しよりもなお湿り気を帯びて、そこにあった。
これから、何を作ろうかと思いを馳せていると。

 ふうっと。ここに移住してくる前のこと。梅酒を作ったことを思い出した。

 移住の世話をしてくれた役所の方が、日田で農家民泊を企画されて、応募も多かったが、たまたまキャンセルが出て、参加することができた時に、皆で作ったものだ。

 まさか、すぐに移住が決まり、なおかつ好きな茅葺に携われるとは思ってもいなかったので、ご縁というものは、そうやって、繋がっていくものだと思わずにはおれなかった。

 この目の前にある、大きな梅の実は、私の青くさい孤独な希望のようで、まだ熟れもせず、頑なに、そこにあるがままであった。

 今度は梅の実で、日田に来てできた友人が教えてくれた梅味噌を作ってみようと思った。

 梅の上に砂糖を、砂糖の上に味噌を、味噌の上に梅を。

というように、幾重にもなる層にしていくといいのよ。

と友人は言った。

 梅の実は仁と種と果肉の層を作り、木も年輪という層を作り、地も層を作り、人も骨、内臓、筋肉、脂肪、肌と層を作るように、茅葺も、また、層を作っていく作業の繰り返しであるのは確かなことではあるが、地「層」あるいは、血「層」ができるということは、積み重ねが多ければ多いほど、複雑なものや、新しいものが表層にひょっこりと生まれてくるものなのかもしれないなどと唐突に思う。

 今の今の今、私は、私の中を経巡るような、新しい時間の層を、生きているようなのだ。

 










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# by akikomichi | 2018-06-05 20:54 | 詩小説 | Comments(0)

軒に使う麦藁を取りに小郡まで伺う。

束ねてあった麦藁を拾いつつ、こぼれ落ちた穂もかき集めていく。

トラックに積みながら、機械で刈り取られた裸の麦のようで、物腰が柔らかく、今にも折れそうではあるが、一度集まると、その柔らかさは弾力を持ち、茅を優しく支えてくれるものなのだ。と改めて思う。


その後、お近くの御勢大霊石神社に伺う。

杉皮葺の屋根を拝見する。

奥さんが出てこられて、屋根裏も拝見させていただく。

江戸時代くらいにできたもので、移築してきたお家だそうである。
御勢大霊石神社は伝説によれば、第十四代仲哀天皇が熊襲征伐にあたり的の毒矢に当てられてこの地に崩御されたという。

その後、香椎宮に祀られるようにもなったという。

御勢大霊石神社には、御朱印を求めて、旅の人が訪ねて来られていて、知る人ぞ知る場であると思われた。



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# by akikomichi | 2018-06-03 20:27 | 詩小説 | Comments(0)

月輪寺に行く。

がちりんじと読む。

と言っても、すでに、茅葺の葺き替えに着手しており、大きな茅葺屋根の全体像は拝見できなかったが、歴史ある建物であるので、いつか手がけたいと先輩がおっしゃていたのが印象に残っている。

出来上がった時、また、訪れてみたいところではある。

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# by akikomichi | 2018-05-28 10:49 | 詩小説 | Comments(0)

 伊藤博文ゆかりの茅葺の建物を拝見。

 民家なので、かなり荒削りな茅の葺き方で、それがかえって、素朴な感じを、飾り気のない、どちらかというと質素な生活を思わせた。
 確か、彼の生まれ育った家だったと思われる。

 逆に、その近くには、暗殺される前に着工し、暗殺された後に出来上がったという大きな二階建ての洋風建築もあり、近代化の流れを個人の関わった建築で見てとてる、日本の住処の流れをも見て取れるものがあった。
 それにしても、二階には、しっかりと畳の部屋があり、和洋折中の元祖であると思われた。

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# by akikomichi | 2018-05-28 10:45 | 詩小説 | Comments(0)

「おうちえん」をされている、大下さんの御宅の茅葺屋根を拝見した。

 おうちえんは、毎日が冒険のような、生活のような、まさしく今生きているものたちが、失っていきつつあるものをしっかりと抱きしめているような、生きる真の力を持った大人や子供が集う場だと思われた。

 ヤギにカーデガンをむしゃむしゃ食われそうになったり、鶏はオスが一匹にメスが十五匹くらいがベストな(ハーレム)状態だということを大下さんの倅の空くんに教えてもらった。

 年ではない、生活の中で知り得ることは、知恵というよりも、当たり前のこととして、普段通りのこととして、話てくれることが、嬉しかった。

 大下さんは、アフリカに行かれて、そこで感じたことを、今、やっているとおっしゃていたが、上村さんも大下さんのようにアフリカに行かれて、茅葺を作って、大下さんのお家の屋根を慈しんでいるようで、個人的なつながりを持つ屋根の、そこで暮らす人のための屋根、生きるための屋根、生活のための屋根も味わわせていただいた。

 大下さんは、農薬を使わないで何町もの田んぼで米を作っておられる。
 そもそも、農薬を使わないで米はかつて作られていたわけで、刷り込まれた農薬神話を覆し続けてもらいたいものである。

 屋根は、少し、雨漏りが気になる場所があるということで、トタンの劣化などの漏れも考慮しつつ、茅葺の吹き替えを近々することとなりそうで、大下さんたちの家族とまたゆっくりお話しできることを楽しみに、心待ちにしている。


 私はビールちょっとでヘタレてしまい、子供達はもちろん大人達ののエネルギーが力一杯漂っているようなおうちえんの中でお眠りさせてもらったが、先輩方はおうちえんの庭でキャンプをさせてもらい、虫に刺されつつも、海で捕獲した亀の手(貝の!)を味噌汁にしたり、野生児けんちゃん先輩の火起こしによる肉の炙り?を堪能した一日であった。

 もう一つの、個人の御宅は、上村さんの知人のえいみちゃんの御宅で、お父さんから受け継いだという、素敵な茅葺のおうちを訪ねた。
 冬は家の中でテント張って寒さしのいでキャンプしたよ〜というほど、去年は今までにない寒い冬であったと話してくれたが、茅葺の風通しの良い造りは、夏にこそ、その底力を見せてくれるものではあるが、雨の時もまた風情があっていい。
 音を吸収して、雨が降っているのも気づかないほど、静かなのであった。

 「風」が通る繋がりと言っては無理があるかもしれないが、「風博士」と知り合いというえいみちゃん、私も京都のミュージシャンの方々の曲が入ったみやこ音楽というCDを持っていたので、もしかして、あの風博士?と盛り上がりました。
 訪れた日も雨の日だったが、雨の日は、そのCDに入っている、風博士のシャボン玉飛ばないと、キセルのはなればなれという曲をなぜか思い出すのだった。

 ちょっと、せつなく、寂しいのが、いい。

 いいもわるいも。酸いも辛いも噛み締めてこそ、人生であるちゅう。

 私も、茅葺職人の端くれ?となれた今、茅葺の家に住んで、水も辛いも見極めたいと切に願うようになった。
 茅葺に関する出来うる限りのことを、体で知りたいのである。


 内装も上村さんの知り合いの大工さんと手がけたということで、お風呂場は五右衛門風呂で、母方のじいちゃんのうちで入った、五右衛門風呂を懐かしく思った。
 可愛いお子さんたちは、たらいで水あびをするらしい。日本の原風景?である。
 私も兄とたらいに入って水浴びしている写真が残っており、日本の原風景、ここにありである。

 また、囲炉裏の上に吊るしてある、植物で作られた円錐形のものに、チクチクした針のようなものが突き出ているものがあり、これは何と聞くと、「弁慶」というものであるという。弁慶がなくなるときに矢に射抜かれた時を思わせる名前の由来であるが、そこに、魚などをさして煽る?燻る?のであろう、貴重な生活道具であった。

 屋根は、去年ボランティアの人を交えて、葺き替えた面は、さすがに美しく、もう何十は持ってくれるだろうと思われたが、家の中まで、拝見できた体験は貴重であった。

 これからは、自分で、生活していく場としても、茅葺の道を生きていきたいものである。

 
 

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# by akikomichi | 2018-05-28 10:31 | 詩小説 | Comments(0)

 「いけにえ」となって「金龍神」を鎮めた「般若姫」の墓所「般若寺」。

 ここもまた奥日田美建の親方と先輩方が手がけた茅葺の屋根のお寺の門である。

 少し高台から、屋根を俯瞰できる眼差しを持つことができる貴重な屋根でもある。

 屋根を下から拝見できることはもちろん、屋根の上に登っている時よりもなお、上の、遠くから屋根全体を拝見できるのである。上からの立体的な眼差しを獲得し、全方角的に茅葺を見られるということは、自分にとっては、貴重な体験であった。

 屋根は山の上というのもあり、周りに木が生い茂り、門の近くにも迫り来る勢いがあり、日当たり等を考えると、どちらかというと近くには何もない方が、茅葺屋根は長持ちすると言われているが、木の中に溶け込んだ、茅葺もまた、色目の違いが際立ちもし、美しいものではある。

 軒の隅がしゅっと美しく反り上がるところが、神社仏閣などで多く見られる造りで、それを踏襲しているものの、隅を作る職人の方々の個性もまた、僅かながらも、見て取れるようになってきたのは、目が出来てきたことにもなるかと嬉しくもあったが、何より、先輩方の名前をお聞きしながら、誰があの隅を作ったという、職人の責任のような、どこまで丈夫に長持ちし、美しく出来上がっているかの、毎回の、屋根葺きのあくなき挑戦でもあるので、その重みを感じつつ、ありがたく、拝見した次第である。

 三苫親方や上村先輩から、屋根に触って、その傾きを知ることが必要であると教えていただいて、特に良い形になった時などは、体で覚えるようにおっしゃっておられるが、全身体感覚を持って、体に取り込みたいものである

 そこの空気と、時を重ねた、歴史と物語とともに。




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# by akikomichi | 2018-05-28 09:46 | 詩小説 | Comments(0)

 遅ればせながら、黄金週間中に拝見した茅葺への道のお話。

 山口県柳井市のホームパージより以下抜粋。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 柳井市遠崎妙円寺の境内にあり、月性展示館は幕末の海防論者で勤皇僧、月性に関わる書画、額画、巻軸、書翰、書冊などを展示しています。

 また、清狂草堂は月性がひらいた私塾で、松下村塾と並び討幕に活躍した多くの門人を生んでいます。


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 清狂草堂は奥日田美建の親方や先輩方が手がけたものであり、前々から拝見したかった茅葺の屋根であった。


 伊藤博文も足を運んだという清狂草堂。

 今も残る歴史的な茅葺の屋根の下に、清いながらもふつふつとしたものを内に秘めたものが集う場として、そこにあったのであろう。

 

 ここからすぐ近くに線路があり、時代と共存しながら、そこにあったのが印象的であったが、茅葺の屋根を葺き替えることによって、残り続ける、幕末の余韻に触れられるのも、その空気を伝え続けてくれるのもまた茅葺であることを思う。

 新しい茅で、再生可能な幕末の空気。

 いつまでも損なわれないように願う。


 屋根自体は、傷んでおらず、落ち着いた色味は安らぎながら息をし続け、柔らかいながらもぴんと張り詰めた軒や屋根面は職人の手で美しい姿を保ち続けるのである。




 月性師記念碑は明治40年に建てられ、篆額(石碑の題字)は毛利元昭、碑文は山縣有朋の選、筆は徳山の赤松連城。

「独り月性方外(僧)の身を以て慷慨義を唱え君を愛し国を憂うる己私より甚だし」とあり、月性の熱烈なる愛国精神が述べられていた。


 



慷慨義烈こうがいぎれつ

世の惨状を嘆き憤慨し、自らの義と情熱に駆られること。
慷慨は気持ちを高ぶらせて嘆くこと、意気盛んなこと。
義烈は義を守る心の強さ。
慷は心に康で、康は米印とY型に立てた糸巻きの固い心棒を描いた庚から成り、固い筋の入った穀物の外皮のことを示す。
そこから丈夫で固い、筋が通っているという意を持つ。
これに心がついて慷となり、心が強く高ぶることの意味となる。
慨は心に既。
既は皀に旡で、皀は穀物の一粒を意味し、旡は腹いっぱいになってため息をつく様を描いたもの。
穀物(ごちそう)を腹いっぱいに食べて限界まで行ってしまうことで、そこから「すでに」という意味を持つ。
これに心がついて慨となり、心がいっぱいになって胸が詰まる様を示す。



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# by akikomichi | 2018-05-28 09:18 | 詩小説 | Comments(0)

「八十八夜の白日夢」

柔らかい青緑の茶葉をつかみ、か細い声で鳴くようにぷちぷちという茶葉の呟きのようなものを聴きながら、摘み続けていた。

朝の茶葉と昼の茶葉と夕方の茶葉は、永遠の中を漂う夢のように開いては硬くなっていく。

少しづつ開いては広がっていく茶葉は、時間を押し開くように葉を広げて、伸びやかに息をしているように柔らかな茶の香りを醸し出していくのだ。

お母さんは、その息を一つ一つ拾っていくように、茶を摘んだ。

僕も、また、お母さんと同じように、茶葉を摘み、こぼれないように掌に掴んでいった。

僕たちの時間は、どこか変わらないようで、去年とは、どこかが違うのを感じ、永遠の時間があるのなら、その時間は、このように変わらずそこにあるが、もうそこにはなくなった何かを思わせるものであるように、感じていた。

多分、それは、永遠があるならば、夢の中にあるであろうと思っている、僕の見ている、僕の手に染み付いた茶葉の薄緑色の匂いのような、八十八夜の白日夢なのであった。

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# by akikomichi | 2018-04-29 21:02 | 詩小説 | Comments(0)

「自己の本質の可変性の問題とは、」彼はおずおずと話を切り出した、「長いこと大論争の主題であった。
例えば、偉大なるルクレティウスは、『物の本性について』の中で次のように語った。
『何であれ、自らの変化によって、その境界を超え出ていくものは、』つまり、己の殻を破っていくものはーあるいはむしろその限界を打破するものはーいわば、自分自身の規則を無視するものは、むろんそれは私見によればあまりにも自由なものであるが・・・・『そのものこそ』、ともかくもルクレティウスは主張する、『そうすることによって過去の自分自身に直ちに死をもたらすものなのである。』しかしながら、」と言い続けるかつての学校教師の指は上に向かった、「詩人のオイディウスはその『変身譚』において、真っ向から対立する見解を探った。彼の証言はこうである。『恰も姿形を変えるロウが』ー熟せられた時、例えば君も知っての通り、文書か何かを封印する時ー『新しいデザインを刻印され、姿を変えて以前とは異なって見えこそすれ、同じものとして実際留まるように、我々の魂も同様なことに、』ーおわかりかな、貴方様?我々の魂!我々の不死の本質!ー『依然として永遠に同じものとして留まるが、その遍歴の過程において変わり続ける形をとる。』」


けれどもお前こそ畜生め、私の引き出しのガラクタめ、私のバカげた詩を笑わば笑え。真に言語上の問題とは、いかにしてそれを曲折し、形造り、それを我々の自由とし、その毒された井戸を再び修復するか、いかにして血塗られた時代の言葉の河を習得するか、すべて人々がまだ鍵を見出していないことどもについてなのである。

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# by akikomichi | 2018-04-27 23:10 | 詩小説 | Comments(0)

「山菜と遊仙菴」

山菜を採りにやってきた那珂川の現場の優しい監督さんご夫婦と犬のももちゃん。
先日は那珂川の現場となった遊仙菴のご主人にみなさんでお招きいただき、温かいおもてなしをしていただいた。
親方の81歳の誕生日も祝っていただき、ありがたいことであった。
仙厓さんがお好きだという遊仙菴のご主人の茅葺のお茶室には、仙厓さんが書いたのであろう○△□の書?があった。
海賊?と呼ばれた男、出光さんの子分だとおっしゃったそのご主人もまたネパールの子供さんたちのために学校を作ったりされて、ネパール親善大使のようなことをされているという。
心意気を感じさせていただいたのはもちろんであるが、親しみのある、にっこりされた笑顔にほっとさせていただき、ありがたい体験であった。
茅葺を通じて、心ある方々に出会えて本当に幸せである。
心の入ったものを作っていけたらと心底思う。

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# by akikomichi | 2018-04-23 22:49 | 詩小説 | Comments(0)

打ち上げ

那珂川の茅葺お屋根の完成を祝い、バーベキューでの打ち上げ。

みなさんと打ち解けて、家族ぐるみの関係が心地よく、和んで、ゆっくりくつろげました。

このまま、ずっと、こういう和やかな場を持ち続けたいと心から願ってます。

恵まれているなあと心から思い、心地よく、ほろ酔いしておりました。

先輩の意志を継いで、皆一生懸命、力を出し切っておりました。

天国で見守ってくれることを願います。

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# by akikomichi | 2018-04-08 22:09 | 詩小説 | Comments(0)

「もももすももも」

もももすももももものうちというが
ももにすももをつぎきして育てると
美味しいすももになるとお聞きした
そのももの木はもももなって
すもももなるのだろうか





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# by akikomichi | 2018-04-02 22:42 | 詩小説 | Comments(0)

「積荷」

エルフに
茅を積み
杉皮を積み
竹を積み
足場板を積み
トン袋を積み
ロープでかたく縛る

体調があまり良くない時に
力仕事が正直辛い時に
みなさんに
何かと助けてもらえることに
いつも感謝しています
温かい仕事場にいられてありがたいことです




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# by akikomichi | 2018-03-29 21:04 | 詩小説 | Comments(0)

「羽虫」

今日。

あの背中の赤い、黒い虫が、羽虫を片手に木の穴に向かって行進しているのを見た。

子供の頃に見た、確か、藤子不二雄の漫画で「コロリころげた木の根っこ」という話の入っていたものだったと思うが、その中の小さな虫を思い出した。

一生懸命進化しているように見えて、爆弾を作って何もかも吹き飛ばしても、自分だけは逃げていくような虫の話。

爆弾ばかり作って国民を飢えさせている国にもごまんといるであろう虫の話を思い出したのだ。

本当にやりきれないのは、捕食された、飢えを満たすためにさしだされた太陽政策という名の生贄の偽善のような、近くを何も知らずに飛んでいた羽虫であろうが。

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# by akikomichi | 2018-03-28 22:55 | 詩小説 | Comments(0)

「兄の手術」

兄の手術の日だった。

一度、キャンセルして、再度受けることにしたという。

大事には至らないとは思うが、兄の人生を思うと、なんだかやりきれない気持ちになる。

自分は、やりたいことをできていることに感謝しているが、どうしてもやりきれない思いもあり、それが重なって、なんだか余計気が滅入ってしまうようなのだ。

それはどこか、体に詰まった石を砕くような、石女の月のもののような、鈍いようで、重苦しい痛みのようなのだ。

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# by akikomichi | 2018-03-28 19:55 | 詩小説 | Comments(0)

「土筆」

皆の車を見送った後。

石の向こうの土の上に。

一本の土筆が突っ立っていた。

その土筆と目があったような気がした。

昨日まで気づかなかった。

いつの間にか大きくなって。

土筆が突っ立っていた。

ここにいるよと。

無言のまま。

土筆は突っ立っていたようなのだ。

見えない春が土をこじ開けて出てきたような。

見えない土手の向こうをふく風と。

小躍りしながら出てきたようなのだ。


土筆を連れて帰っては。

春と一緒になるように。

土筆の春を食べるのだ。







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# by akikomichi | 2018-03-27 21:06 | 詩小説 | Comments(0)

「沈丁花」

沈丁花がもうすぐ咲くでしょう。

といわれた。

屋根に登って茅をふいていたら、ふく風が甘いことに気づいた。

いつの間にか沈丁花が咲いていた。

この時期に咲くのですね。

あの地が揺れた時期に。

そうして、時が過ぎていくにつれ、そろそろと散ってしまうのですね。

風が記憶の土筆を掘り起こすような匂いを孕んできたのです。

そろそろと、生まれ変わる季節のようです。



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# by akikomichi | 2018-03-26 22:38 | 詩小説 | Comments(0)