「やけど」

ポーっと、ぼんやりとしていたのだ。

ある人のことを考えていて。

人差し指と中指と薬指にやけどをしてしまった。

まだ温まっていないと思っていた鍋の取っ手の付け根を触ってしまったのだ。

水ぶくれの一歩手前で、指先の皮が焼けて硬くなり、まるで、ゆびタコができたようである。

以前も、足にやけどをしたことがあった。

やけどはかなりひどくて、右足をしばらく包帯して歩き回っていた。

包帯を取った後、ポーの黒猫みたいに、足にしみのようなものが浮かび上がってきた。

それは、黒猫の死体のにじみではなく、ポーその人の影絵のようであった。

人面魚のように、足だけ人面があるなんて、ぞっとする前に、滑稽ではあるが。

その足にできた人面が、この頃、表情を変えていることに気づいた。

人面魚のように、水の中を泳いでいるわけではないが、湯船に浸かり、ゆらゆら蠢めく湯の下にいるときは、なんだかもがき苦しみ息苦しそうに見えるのであるが、湯船から足を出すと、ゆったりと赤みがかった穏やかな表情に見えるのである。

自分の中の何かが、蠢き出したような、そのような影のようなものを映し出す、影絵を私は足に忍ばせて生きているのだ。

さしずめ、靴の中においては、棺桶の中の眠りについた面影のようなものになるのであろうが、それは、誰にも、私にも、わからないことであった。

ただ、指先の染み入るヒリヒリとした焦燥感のような、鈍い痛みのようなものが、心にも染み付いてしまったようで、どうにもやりきれないのであった。





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# by akikomichi | 2018-11-16 21:00 | 詩小説 | Comments(0)

「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を久しぶりに聞いた。

映画が衝撃的であったため、釘付けになったことを思い出した。

唐突に出てくる馬に乗ったCyrano de Bergeracをした俳優、便器を積んだトラック、湖?のようなところでのまぐわい、バイセクシャルの美しい男、少年のような痩せこけた女。

愛とは何かよくわからなくなるような、ただなんだかわからずに惹かれあうことだけが、すべてのようで、過激で心がざわざわしたのを思い出した。

アブ/ノーマルを行ったり来たりするような、喘ぎ声が耳について離れないような夢魔、垣根を超えた間の空いたある愛の行為、あるいは歌を、ゲンズブールは表現したかったのだと思う。

なぜか、ジェーン・バーキンが日本に来ていたのだったか、ゲンズブールの手帳を何かの番組であげるという企画があったのを偶然見たのを思い出した。

ボロボロの黒い手帳だった気がする。

ゲンズブールの思い出のようなものをそんなに簡単に手放すのか、と愕然としたのも思い出した。

それにしても、あの手帳には、何が書いてあったのだろうか。


https://youtu.be/Yddh50o2Q5M

どちらかというと、ギャルかな。
頑張れ、歌つくりと歌うたい。









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# by akikomichi | 2018-11-16 20:10 | 詩小説 | Comments(0)

「時の行列」

行列を、毎朝、見かけていた。

子供達が、制服を着て、一列になって歩いていく。

それは、無言の行列のようで、どこまで行っても同じ景色のようで。

子供達は学校までの道のりを一列になって歩いていく。


一人の子供が、赤信号で止まっている私と目があって、我に返ったように、列から離れて、歩道にしゃがみ込んだ。

ランドセルと一緒に座り込んで、何かを待っているようだった。

何もこないより、友達が来るといいね。

そんなことを思っていると、倅から、

寝坊したんですけどもしかして「時」動かしました?

と言うわけのわからん自由なメールが届いた。

どちらかというと、時が止まっていた気がしたのだが。



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# by akikomichi | 2018-11-15 22:59 | 詩小説 | Comments(0)

「高床式倉庫」

今、高床式倉庫の補修を行なっている。

昔の人が作っていたであろうというものを思いながら、よしをさしていくのである。

右側を私が、左側を親方がさしていくのであるが、左右が同じように、上がっていかないといけないので、バランスを見ながら、いい塩梅に仕上げていくのに、何度もつきものでついていく。

両手でつくものと、片手でつくものなどで、さしたよしを奥深く入れ込んでいくのである。

美しい「なり」となるように、根気よく、何度も何度もつくのである。

高床式倉庫に、住んでみたい気になる。

これだけ、作っていくと、愛着がわくものである。

自分で、最初から作ってみたいと思う。





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# by akikomichi | 2018-11-14 19:58 | 詩小説 | Comments(0)

吉野ヶ里のさしよし体験

吉野ヶ里のさしよし屋根補修の合間にさしよし体験の時間を設けて、親子連れの方々や年配の方々や若い方々も参加して、一緒にさしよしをすることができた。

貫頭衣を着て、手袋、ヘルメットまでして、さし補修をしていくうちに、子供たちが特に、黙々とさしよしをしていくのを見守りつつ、人間の作る喜びの、原点を見た気がした。

もう、目の前に山があって、その山を一回りも、ふたまわりも大きく、ふわりと柔らかに、生き返らせるように息を吹き込むように、一手づつ丁寧に、気持ちを一手の先に集中して、さしよしをしていくのである。

長く、おおらかに、生き生きと生き続けて、そこにあってくれるように、魂を込めて、さし補修していくのである。

吉野ヶ里のスタッフの方々もそこに集まってくる方々も、おおらかになり、時間も空間も心情も広々と見晴らしが良くなり、楽しでいけるようになるようで、こちらも、ほのぼのと、心がほっこりしてきた。

子供たちが、どうか、そのように広々とした心を持って、そのまま、心穏やかにいき続けてくれますように。



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# by akikomichi | 2018-11-11 15:33 | 詩小説 | Comments(0)

あおいとき

日の出前 日の入り後のあおいときおりなす影の怪物の恋
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# by akikomichi | 2018-10-28 21:38 | 短歌 | Comments(0)

劇画

毎日の課題のあいまの劇画かき 理想妄想膨れませ 倅
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# by akikomichi | 2018-10-28 18:09 | 短歌 | Comments(0)

ベストエイト

新しい竹刀振りきり戦える倅個人のベストエイト
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# by akikomichi | 2018-10-28 18:06 | 短歌 | Comments(0)

打ち上げ

打ち上げをした。
茅葺の仕事と職人と学びとは何かを考えた。
全て、自分にとっては、勉強であり、学びであったので、それはこれからもそうであるには違いないが、その先を見て、仕事としての効率ということを皆さんに言われたので、そこは自分の努力が必要なところだと思われた。
全体の中の個人のやることと、個人の中の個人のやることが最大限に生かされますように。

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# by akikomichi | 2018-10-28 17:59 | 詩小説 | Comments(0)

ひと段落

仕事もひと段落したので、久しぶりに子供たちに会い、いろいろ話しながら、歩き回りました。

色々あるお年頃なので、見守っていきたいものですが、好きなことをとことんしてくれたら、母は心から嬉しく思います。

私もそうやって生きていたいので、子供達もそうやって生きてくれたら、それが幸せなら、それがいいのです。

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# by akikomichi | 2018-10-27 02:12 | 詩小説 | Comments(0)

濡れ幅

濡れ幅というものがあり、茅の元から一寸くらいが理想である。

ということを、上村さんにお聞きした。

濡れ幅というものは、茅のお屋根の表面にある茅一本を試しに抜いてみて、その元(表面に出ている茅)から一寸(約三センチ)ほどまで雨などで濡れても乾きも程よくできる範囲の濡れ具合のことだという。

奈良の職人さんにお聞きしたというが、奈良では茅の表面を鋏で整えることが多く、その一寸というのは、鋏で表面をならした際の濡れ幅の基準といえる。

九州のお屋根に関しては、いろいろなやり方があるが、鋏で整えるやり方もある一方で、からす(やっとこ、ともいう)で茅を引っ張り出して、表面を両手打ちや片手打ちのほめ板などで整えたり、バリカンで整えたりもすることがある。

新潟に職人さん体験で一ヶ月勉強させていただいたときにも、九州と同じように、いろいろなやり方をされていたので、その場で最もやりやすいやり方を選択して、されているということであろう。

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# by akikomichi | 2018-10-24 22:45 | 詩小説 | Comments(0)

鍋島と酒と茅葺

先日、親方や先輩方が作られた鍋島家の茅葺の屋根を拝見したばかりであったが、その鍋島の名前を冠したお酒を作られている家主さんの鹿島のお屋根もあと少しで完成するので、家主さんご夫婦が訪ねてこられ、ご一緒に記念撮影をし、その世界一になったというお酒もいただく。

誠にありがたいことである。

屋根のそばにいるだけで、嬉しいことであるのに、出会う方々が、茅葺を愛でておられることがありがたく心に染み入るばかりでなく、いいものを作り上げておられる方々のお気持ちもいただいたようで、こころより感謝申し上げる。

今日、宿泊先の近所にある茅葺の民家の近くを散歩していると、住んでおられる方と話ができた。
近所のお寺の解体後に出たよしや瓦を使われたらしく、状態さえ良ければ、無駄のない、再利用のできる素材としても、よしや瓦は貴重であり、環境に優しい素材として、今後も残していただきたいものである。

しかしながら、そのお宅の近くに武家屋敷跡の茅葺の家のお屋根があったのだが、今度の台風で痛んでいたのを拝見し、心が痛んだ。

伝建地区はある程度の家屋の集まり、まとまった街並みに指定されるものであるが、個人のお宅もまた貴重なものとして、残していく方向で検討していただけたら幸いである。


生きている家として、人を癒してくれるものとして、どうか末長く、たおやかにそこにいてくれますように。

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# by akikomichi | 2018-10-23 23:34 | 詩小説 | Comments(0)

水の中の太陽

太陽なのにな友達が言った
探し物をしていたのだ
夢の中で
自分の大切なものを探す夢
部屋の中にある夜店のヨーヨーをうかべるような長方形の入れ物の中に水が貼ってある
その中にある自分にとって大切なものを探すのだ
二人の男の子がここにビー玉があると言った
ビー玉をつかんだ
透明な中に赤い筋がにほん入っているもの
それから何かないか探していると
太陽なのになと友達の声が聞こえたのだ
水の中の太陽
あるはずがない
と思った
しかも部屋の中だ
水鏡に姿を映した太陽だって掴めやしなかったのだ
この前作った太陽の形をしたお皿なら
つかめるかもしれないと思ったが
探しても陶器のかけらしかなかった
太陽のかけらもないなと思って目が覚めた
それからしばらくして
入院中の病院から外出を許されて
外から帰ってきた時
机の上に小さな太陽のようなひまわりが一輪
ビー玉を転がしておもしにしている
透明なコップの中に
ひまわりがちょこんとさしてあった
ああこれの事だったのだと思った



 夢の中 水に沈んだ太陽を探し  机上のひまわり見つけ 


 水の中 太陽探す 夢を見し 起き抜けに見た 一本のひまわり 

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# by akikomichi | 2018-10-18 21:53 | 詩小説 | Comments(0)

「太陽をみかたに」

太陽をみかたにすること。

と、親方がおっしゃった。

茅葺の屋根の「なり」を整える時に、少し離れて遠くから見ること。

その時に、太陽が照らす屋根の「なり」の凸凹を太陽が影として教えてくれるということ。

自分の感覚だけではなく、太陽をみかたにつけて、屋根の「なり」を見極めるということ。




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# by akikomichi | 2018-10-11 22:48 | 詩小説 | Comments(0)

咸宜園

咸宜園の補修。

定期的なスパンで補修することによって、そのものを保ち続けることができるということ
は確かなことである。

穴が開くとするならば、その穴にさし茅をさすやり方があるということ。

アバカで程よく束ねた茅で穴を埋めつつ、その周りにも長めの茅と短い茅を絡めるようにさしていき、ほめ板で叩いては整え、余分なものをそぎ落としてはハサミで整えていく。

歯に穴が空いたら、そこに銀歯を入れるような。かてい。


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# by akikomichi | 2018-09-14 21:49 | 詩小説 | Comments(0)

向日葵(ひぐるま)


水の中 太陽探す 夢を見し 
  起き抜けに咲く 一本の向日葵(ひぐるま)

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# by akikomichi | 2018-09-10 23:05 | 短歌 | Comments(0)

「水切り」

道路側の面、水切り三段目。
妻側、しゅうぎをつけてもらい、水切り三段目手前。
長よしを一番ほこ竹で押さえていく。
足場が狭く、水切りの軒下の方に頭を入れることもままならず、足場をずらして軒下に入って作業を行う。
からすで引き出して、軒叩きなどで叩いていく途中まで作業が進んだ。
水切り三段目を少しだけ整えさせていただき、毎日、新しい何かを教えていただけることに感謝している。
怪我から回復して、命もまだ幸い繋がっているだけでも感謝なのであるが、さらに、この仕事をさせていただけることに、心から感謝しつつ、幸せをかみしめている。


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# by akikomichi | 2018-09-10 20:04 | 詩小説 | Comments(0)

「さっそくのみんのす」

さっそくのみんのすとの遭遇があった。

小城羊羹の店舗に、その耳はあった。

しかも、12個も。

親方は全くもって魔除け的だよね。

と仰っていた。

馬の耳は、茅をトタンで覆っていた。

ピンとはねた、聞き耳。

生きている茅葺。

「怪獣はささやく」パトリックネス著 シヴォーンダウト原案
の、木の怪獣を思い出していた。

見方によって、立場によって変わる真実の物語を。
私の真実は、あなたの真実ではないとしても。
それは、誰かにとっての真実であるのだというような物語を。
私の真実は、目の前にあり、心の中にもあるのだというような。

今にも、動き出しそうな、茅葺の屋根を見ながら、いろいろな思いがよぎった。





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# by akikomichi | 2018-09-07 19:36 | 詩小説 | Comments(0)


その人の声が聞こえるだけでいいような気持ちにさせてくれるような。
闇ではなくて、気恥ずかしくも、朝の光を感じられるように。


https://www.youtube.com/watch?v=6Rp4xvOzHUI


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# by akikomichi | 2018-09-07 04:36 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺の耳は馬の耳」

「みんのす」は猫耳のようなものが付いている茅葺屋根のことだと上村さんが教えてくださった。
本当は、馬の耳をモチーフにしているということで、みんのすの「す」は穴のことだという。

王様の耳はロバの耳、茅葺の耳は馬の耳。


今の現場が佐賀の鹿島なので、そういう話になったのもあるが、みんのすは、佐賀に多い作りらしく、ぜひとも耳のある茅葺を見てみたいので、みんのすを佐賀で探してみようと思った。

この鹿島の現場の茅葺屋根も、個性的で、コノジに曲がったくど造りと呼ばれるものの部位はあるけれども、そこから、増殖していろんな方面に伸びていったようで、谷がやたらと多く、複雑系の作りで、混沌としたものではあるけれども、収まりきれないような、自由さがはじけているようでいいものだった。まだ、出来上がるまで先は長いが、どう仕上げていくか、楽しみである。

宿の近くに高校があるのだが、緩やかな坂道を登っていると、茅葺のお家があった、

城下町のような、石畳の道は人通りは少ないが、虫の音が響き、川も流れていた。

茅葺があるところが好きなのは、そういったことを肌で感じることができる場所にあることが多いからだと思うが、偶然、宿のテレビで見た土を使った屋根の上に芝生を生やしている家や、低過庵という建物を考案した建築家の方のお話を思い出していた。

確か、土は、なんでも吸収する。という話をされていたのが印象に残っている。

合間合間に縄文土器風に手作りした焼き物を作っている方の話もあって、やっぱり土に草、茅葺はいい。

縄文からこのかた、変わらず手を使ったものの原始的な喜びに浸っていられる根っこを見つけた気がした。

まっこと、馬の耳の穴かっぽじいて聞いておきたいことであった。





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# by akikomichi | 2018-09-07 04:03 | 詩小説 | Comments(0)

大丈夫

大丈夫 胸の真ん中 手を当てて 
大丈夫なのだと幼子の声

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# by akikomichi | 2018-08-31 23:57 | 短歌 | Comments(0)

火宅の人

「火宅の人」を読む。

檀一雄のが原作の大林監督の映画「花筺」を見てからというもの「花筺」をずっと探していたのだ

この映画は、監督の遺言のようであり、象徴がいたるところに、月に光る白蛇のように這いまわっていた。
ゾッとするようなヌルヌルとした美と肉の魂のようなものが這い回るのだ。
物語の中を。記憶の中を。海水の上を。道の上を。

屋根の上から飛べない臆病すぎる息子に、
「お飛び」
という母親と飛べない息子の物語のような。
飛んでいく男たちと飛べない男の物語のような気がして、それを確かめたいがために。

「花筺」をずっと探していたのだが、古本屋にはなく、なぜか昔から「火宅の人」を倦厭していたのを思い直して、手に入れておいたがなかなか読めずにいたものを届けてもらい、入院中のベットで読んだのだった。

自分は、図らずも、不意に屋根から飛んでしまったようなところもあり、「花筺」を読みたくてしょうがなかったのだが。まだ、読むに至っていない。

「花筺」が原作に忠実であったとするならば、おそらく、飛べなかった架空の主人公の男が、飛んだ後の生々しい男の物語に成り果てたような、檀一雄の生きた時代にあった戦争の後先の檀一雄自身の変わり果てた姿のようで、ここまで、人は変わるものだということを見せつけられたような気がした。

欲望のままに飛んだ、欲望に忠実になった男がそこにいた。

それから、能古島の檀一雄の終の住処を訪ねたことを思い出した。

子供の手を引き、船で渡った能古島の、ももち浜が見えるような場所だったと記憶している。そこから、生まれたであろう「火宅の人」は二十年をかけて書き続けたものだという。

彼の生きた証のようで、彼は今もその中で生きている。
最後の宿の中で、真新しいスリッパを用意して、いつか来るであろう「何か」を待っているように、檀はあの家で、「何か」を待っていたのではないだろうか。

などと思いながら、もがくように書き続け、生き続けた男が、自分の中にもいるようで、その「何か」を待っている自分を見つけたような気がした。



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# by akikomichi | 2018-08-30 19:42 | 小説 | Comments(0)

「転げ落ちた」

夢に見たように暗闇と一緒に転げ落ちた
ビール箱の中身がなかったから
あんまりに軽やかにビール箱と一緒に転げた
足場はくっしょんになってくれたが
踏み台にもなって
そのまんま庭に転げ落ちたのだ
暗闇の痛みから目が開けられない
息ができないのは暗闇のせい
左の首から肩にかけて
三回転半にねじれながら
転げ落ちたのだ
水だったら着地失敗
庭だから暗闇に着地
ご安全に

5番と書かれた
ヘルメットが守ってくれたけれど
頭の中の暗闇と
めくるめく昼の光のような
首と背中と胸骨の電光
痛みの中
死んだ気がしたのだ
動かないかもしれない死体
胸骨のきしみは
息を殺してという
面をして
能舞台に上がるように
横になり死に体となりながら
茣蓙担架で運んでもらった先の救急車
夢の中でどうしようもなく泣き出すように
じわじわと溢れていた
涙をふくように
救急隊員が白い紙をくれた
白紙にうつしこまれた
無色の痛みを丸めて戻す
たどり着いたのは
病室の片隅
外は嵐も近い
海も近いというのに
痛みと離れられない
暗闇と和解するように
天井を向いたまま
また夢を見るように
眠りに転げ落ちた
転げ落ちる二日前に見た夢の中で
首を触られたのを思い出しながら
ご安全に
ご安全にと触られたようで
無言のご忠告のおかげで
なんとか生きていて
ご安全に
ヘルメットのおかげで
何事もなかったように
動き回れるようになり
転げ落ちた先を
今も見ているのだ












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# by akikomichi | 2018-08-30 18:59 | 詩小説 | Comments(0)

人生タクシー

人生タクシーを見た

人を乗せて街を走る車

車には生きた証拠のような記録が残る

我々は生きているような

時々 乗りこむ乗り合いタクシーに

乗っては降りているような

記録はそこに存在しているようで

姿の見えない証人か

精霊か神のようで

そのまま野ざらしにされた

車の中の時間だけ

止まって見える記憶のようで

我々は一台のタクシーのようで

運転手一人ではやりきれないようで

我々は話したのだ

花火は夏と笑う幼子のように

時々打ち上げられた花火を見つけるように

生き過ぎたいき場所に

再びたどり着けるように

愛しいものと話し続けられるように









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# by akikomichi | 2018-08-29 18:14 | 詩小説 | Comments(0)

レキシから

レキシからまなぶものあり さようならからはじまることがあるんだよ
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# by akikomichi | 2018-07-21 19:48 | 短歌 | Comments(0)

「全身の水」

全身の水がすべてがいれかわるみたいやもん

剣道をしてきたせがれがいうた

じいちゃん達と朝練をし
後輩たちと昼練をし
試験勉強の準備をしなければといいながら
よるはかっぱのすしやでばいとしとるやん
せいふくのぼうしがみどりやけん
ちょっと
かっぱをとりこんどるんやろうけど

それにしても
かっぱまきっておいしいとかね
あんまりたべんけど
水分はあるかもしれんけど

山笠んときは
きゅうりをたべたらいかんていうけど
男衆に限った話やけん

どうでもいいかもしれんけど
かっぱまきはかっぱまきで
おいしいときもあるやろう
あついときはとくに
みずみずしかろうもん

さらがひからびないために 
汗と水分が出たり入ったりを繰り返す
体の中を通りぬける水は
いのちのしたたりのようなもので
ためるのではなく
いつも
じゅんかんしていくと
とどまるものではなく
ながれいきとどいていくとよ

豪雨のあと
まつりのあとにうまれ
かわったような
せがれの生活水


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# by akikomichi | 2018-07-16 17:42 | 詩小説 | Comments(0)

世界をつくろうとするまえに、宇宙をつくろうとしている。

つくってみないとわからないものが宇宙であるとするならば、宇宙もまた、人のように、自然のように、そのものを決して分離することはできず、一つの中の細部として、そこにあるということになるのであろう。



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https://wired.j p/2018/07/15/to-understand-the-universe/  より

シルケ・ヴァインフルトナーはゼロから宇宙を構築しようとしている。英国のアウトロー「ロビン・フッド」の伝説で知られるシャーウッドの森近くにつくられたノッティンガム大学の物理学研究所で、彼女たちは直径1mの巨大な超伝導コイル磁石を扱っていた。

その内部には液体が溜められている。穏やかな波紋を描くこの液体は、わたしたちを取り巻く宇宙で観測できる構造をつくり出した物質のゆらぎを模倣するために溜められているのだという。

ヴァインフルトナーは、自身が支配する宇宙をつくり出そうとする邪悪な天才ではない。彼女はすでに存在するこの宇宙の起源を理解したいだけなのだ。

ビッグバンは最も一般的な宇宙の始まりを示すモデルだが、しかしその信奉者の間でも、それがどのように起こったかについては意見が統一されていない。ビッグバン理論は宇宙をあらゆる方向に向かって超高速かつ均一に引き伸ばし、一瞬で宇宙を膨張させる仮説上の量子場の存在に頼っている。

このプロセスはインフレーションと呼ばれている。しかし、インフレーションや、インフレーションの原因となる場を直接証明することはできない。だからこそ、ヴァインフルトナーは研究所でそれを模倣しようとしているのだ。

ビッグバン理論が正しければ、生まれたての宇宙は小さな波紋、いわゆる「量子ゆらぎ」によってつくられたはずだ。このゆらぎはインフレーションの最中に引き伸ばされ、物質と放射線、あるいは光へと変化した。ゆらぎは最終的に宇宙の大きさまで拡大し、銀河、恒星、惑星の種を撒いたと考えられている。

その小さな波紋こそが、ヴァインフルトナーがあの巨大な超伝導磁石を使ってモデル化しようとしているものだ。その内部には直径約6cmの円形タンクが入っており、水とブタノールが分離した状態で満たされている(これらの液体は比重が異なるため混ざらない)。

宇宙のインフレーションを模倣する

まず彼女の研究グループは、人工的な重力の歪みを引き起こす。「磁場の強さはその位置によって異なります」と、論文の共著者のひとりであるリチャード・ヒルは述べる。「液体を場のなかの異なった位置に移動させることで、事実上重力を増減させることができるのです」と彼は述べる。「重力を逆さまにすることだって可能です」

研究グループは、重力を変えることで波紋をつくり出そうとしている。だが、池の波紋とは違って、この歪みは水とブタノールという2種類の液体の間に現れる。「波紋の速度を注意深く調節することで、宇宙のインフレーションをモデル化できます」とグループの別のメンバーであるアナスタシオス・アヴゴスティディスは説明する。

宇宙のインフレーションは、物質の波紋が一定速度で伝搬する間に空間が急速に拡大する。そしてこの実験では、液体の体積が一定量にとどまっているため、波紋は急速に速度を落としてしまう。「この2つのシナリオにおいて、波紋の伝搬は同じ方程式で表せます」とアヴゴスティディスは言う。

これは重要なことだ。もし結果として生じるゆらぎが今日の宇宙で見られるような構造を引き起こしうるかのように見えるとすれば、わたしたちはどのようにインフレーションが作用したか垣間見ることができるのだから。

ヴァインフルトナーや、あるいはほかの誰かが宇宙の現象を小さな規模で模倣しようと試みたのは初めてのことではない。強い重力場における光波のように伝わる音波を用いたり、あるいは液体や気体にゆらぎを引き起こす磁石を用いたり。より洗練された装置を開発している天体物理学者は世界中の研究室にいる。

さまざまなシミュレーション

2017年6月、ヴァインフルトナーは中央にシンクのある大きな水槽を用いて、もうひとつの観察しにくい現象であったブラックホールの超放射を模倣した。

研究室で重力をシミュレーションする着想は、ヴァンクーヴァーのブリティッシュコロンビア大学の物理学者であるウィリアム・ウンルーによって1981年に創唱されたものだという(彼はヴァインフルトナーの10年前の指導教員でもある)。結局のところ「わたしたちは宇宙を巻き戻すことはできませんし、たとえ巻き戻すことができたとしても、実験結果を見るのに十分なほど長くは生きられません」とウンルーは述べている。

ウンルーの最初の実験以来、擬似重力実験はより洗練されてきている。最初の実験では流体によって重力のシミュレーションを行い、音のブラックホールが音に対して果たす役割を、実際のブラックホールの事象の地平面も光に対して果たしているということを示した。要するに、研究室で測定し表現できるものは、天体物理学上のブラックホールの特性を調べるためにも利用できるということだ。

それはあの有名なホーキング放射、すなわちブラックホールが熱を放射し、ある時点で完全に蒸発するという予測にも効果がある。数年前には、イスラエル・ハイファにあるイスラエル工科大学のジェフ・スタインハウアーは、その放射の音による類似現象を発見している。

シミュレーションはインフレーションのほかの側面を研究するためにも活用されている。数年前、パリのフランス国立科学研究センター(CNSR)のクリストフ・ウェストブルック率いるグループは、リング状のボース=アインシュタイン凝縮体を「揺らす」ことによって量子粒子の生成を調査した。

ボース=アインシュタイン凝縮とは、原子が絶対零度近くまで冷却され、単一量子の物体として振る舞うという物質の状態である。インフレーションの最中、宇宙の温度は急激に下がり、その後インフレーションが停止すると「再加熱」と呼ばれるプロセスで再び温度は上昇し始める。そして通常のビッグバンの膨張につながった。

17年10月に行われた、米国立標準技術研究所とメリーランド大学の共同量子研究所のスティーヴン・エッケルが率いた別の実験でも、ボース=アインシュタイン凝縮体を用いて音波の伸長を観測した。これは宇宙が拡大するにつれて起こる光の伸長、あるいは赤方偏移の類似現象だ。このグループは再加熱プロセスと類似の効果も観測していた。

新たなモデルを確立できる可能性

ヴァインフルトナーによれば、彼女の「斬新な」装置はボース=アインシュタイン凝縮体なしで作動可能だという。それはこのシステムが量子ゆらぎを直接観測するには熱くなりすぎることを意味しているのだとウンルーは述べる。しかしその立案者たちは、システム内の熱雑音を通してゆらぎを観測することが可能だと主張する。この熱雑音が量子雑音の類似現象となるのだ。

ヴァインフルトナーたちの研究手法によって、長期の膨張段階を模倣しインフレーションの持続時間を測る、専門用語では多くの「e-fold」と呼ばれる媒介変数が得られる。研究者たちはインフレーションが宇宙のサイズを、ほんの一瞬のうちに10の26乗の因数以上──あるいは60e-fold以上──まで増大させたと考えている。

新たな実験が成功した場合、以前の研究室の装置よりもはるかに長期にわたってインフレーションをシミュレーションし、「結果を疑問の余地のないものとするに十分な、ほかの研究よりもたくさんのe-fold」を得られるだろうとニューキャッスル大学のイアン・モスは述べる。「システムがその初期状態を忘れて、インフレーションのゆらぎによって支配された状態に落ち着くまでには、ある程度の時間が必要です」と彼は述べる。

「ヴァインフルトナーたちは将来の宇宙論のモデルを特徴づけるのに役立つ新たな物理学を発見する可能性があります」とエッケルは述べる。「あるいは逆に、将来性のある宇宙論のモデルをいくつかの側面から試験するのに役立つでしょう」

シミュレーションは不完全?

だが、誰もが研究室で行われた宇宙ののシミュレーションが役立つだろうと確信しているわけではない。メリーランド大学のテッド・ジェイコブソンは、このような実験は「わたしたちがはっきりと知らない何かを立証するのではなく、研究室で既知の何かを実行し観察する」ものだと考えている。

では、なぜ研究室で宇宙を模倣するのか? 「楽しいからです。それに、模倣によって宇宙論においてわたしたちが考えついていなかった新たな現象が示唆されることもあるかもしれません」と彼は述べる。

ハーヴァード大学の天体物理学者エイヴィ・ローブは楽観していない。彼はヴァインフルトナーが提唱するタンク内での2種の液体の間に波紋をつくるシミュレーションは、量子ゆらぎの「基本的な物理性質」に届かないと述べている。

なぜなら、この実験は単に物理学者がすでにインフレーションを記述するのに用いている方程式を再現するからだ。これらの方程式が基本的な要素を欠いていた場合、この実験はその欠陥を明らかにしない。「研究室でのシミュレーションは量子力学的効果を取り入れることはできますが、ここにはブラックホールとインフレーションにおけるような量子力学と重力の相互作用は含まれていません」

ヴァインフルトナーの実験はインフレーションについての既存の考え方を再現するようにつくられているとローブは言い添える。だが、そのことはインフレーションの概念を基本的なレヴェルで試験することを意味していない。

「実験とわたしたちのインフレーションについての考え方との間に差異が生じるのは、わたしたちがこれらのシステムの一方で数学的な誤りを犯した場合のみです。さもなければ、わたしたちは新しいことを何も学ばないでしょう」。そう彼は述べる。

不完全な「比喩」にも価値はある

インフレーションの真の試験とは、インフレーションを推進した物質を研究室でつくり出すことだとローブは述べる。しかし、これには最も強力な粒子加速器である大型ハドロン衝突型加速器よりも最大で1兆倍大きな到達エネルギーを必要とする。だが、こうした試験は近い将来実現する可能性がある。

「類似のシステムの方程式を模倣するだけでは、実際のシステムの比喩にすぎず、その基本的な特性の試験とはなりません」とローブは言う。それは「実際の食べ物を食べるかわりに、その匂いをかぐ」ようなものであり、「真の価値があるのは食べること」のみだと彼は付け加える。

ローブの言うことは正しい。しかし、ときに人はキッチンから漂ってきた匂いによって、その日の夕食について多くのことを知ることができるのも事実だ。




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# by akikomichi | 2018-07-16 08:05 | 詩小説 | Comments(0)

「自然的自然」

自然的自然と人間的自然は未分離であり、そこが日本浪曼派の限界である的なことをいうものがいた。

どこから分離するかは、また、困難を極めるが、一応の境界線として、「制度」的なものを上げていた。

人が決めている、例えば「法」だとか、「制度」だとかを指し示しているようであった。

ところで、ある程度、人の心の「感情」は推し量れるものであり、それぞれがそれぞれのすきなことをしているという上で、そのものがつくった「法」であり、「制度」であるとするならば、個人的なあまりに個人的な「人間的自然」の一つと言えなくもない。

ここで、必死で分離を試み、「感情」をコントロールするのが「法」であり、「制度」であると言うならば、法と制度は、ある一定の相対化、普遍化をなし得た、小さくもあり大きくもあり低いようでもありたかいようでもある、「自然の中の自然」といえなくもない。

日本浪曼派の限界は、人間の限界であり、自然の限界ではないというのならば、なんとなく、腑に落ちるのであるが、「未分離」だから問題と言われても、分離しても、しなくても戦争は起こりうるということを肝に銘じておくべきなのは、確かなことであるとしか言えない。

その眼差しは、人が自然を完全に分離できるという「傲慢」でしかないように思う。

傲慢の最たるものとして、強い国が「法」であり、「制度」になっていく「戦争」があるが、人と人、国と国とのぶつかりあいであり、強者が弱者を搾取するという点においては、血で血を洗う、ヒエラルキーを作る装置であるといえる。

強いものが取り決めて行く、曖昧な、自然の中のちから関係で湧き上がっていく、人間的自然でもあり、自然的自然とも言えるかもしれない。

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# by akikomichi | 2018-07-16 06:39 | 詩小説 | Comments(0)

「すくらっち」

素のくらっちさんのことを「すくらっち」ということにした。

くらっちさんとは、詩のボクシング福岡実行委員会でご一緒した倉地久美夫さんのことであるが、この頃ご無沙汰していたが、たまたま歌を聞く機会があり、また、すくらっちさんを拝聴することとあいなった。

どこにもない音を、うたを聴かせてくれるような、すくらっちの音の世界に、どっぷりとつかりきった。

「スーパー千歳」の完成度もさることながら、あるばむ「いいえ、とんでもございません」も、またまたご謙遜をとも言うべき絶妙味で、味噌がいっぱいで、みみが満たされ、しけがこようが、よなかにたたみやさんがこようが、異界にまよいこもうが、しにがみがせまりこようが、どうにでもなれというような、心持ちになれるようなのであった。

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# by akikomichi | 2018-07-15 21:30 | 詩小説 | Comments(0)

「漆喰の白を」

漆喰の白い壁を塗った。

左官の先輩が講師をしていたお家の壁を塗ったのだ。

ボランティアの方々も大勢おられて、その中の山口さんという方が、

左官って、左から塗るから左官っていうんだよ。

と、教えてくださった。

灰色の壁が、一度塗り、二度塗り、三度塗りして白くなっていく。

空気が入らないように、丁寧に、丁寧に塗り上げていく。

白く塗りつぶされていく壁に、息を吐きながら、一気に塗り上げていく。

隅もマンボウコテ?を使って塗り上げていく。

先輩の手は、勝手に動く動物のしなやかないきいきとした動きで、ぎこちない我々の手の動きとは明らかに違うのだった。

漆喰の白がコテにこびりつかないようにするのが、うまい職人の技でもあるようで、手にまで漆喰の白を塗りこんでいる私は、まだまだ初心者であった。



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# by akikomichi | 2018-07-15 21:18 | 詩小説 | Comments(0)