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玄洋社記念館にあった孫文の書も何処にか行かん
日本に助けを求めしものをかくまいし者たちへの
答えとは冷めた仕打ちであったとは
みようとはせず知らぬふり
漢の文をば捨てたとはいえず
息衝きあるものを
生かしてあるだけのことであれ

大東亜戦争時のその後の
東日本大震災時
執拗に尖閣狙った中国のものには
だまりこむばかり
売国奴には呆れ果て
信用できず
何もせず開け渡せばいいというものたちの
気色の悪いものたちの
信用できず

その言葉その行動は売国の徒であるとしか思われず
日本のためには働かず
日本を辺境と言い張り売文書きなぐり
嬉々とし頭を垂れ続けておれば良いなど言いはなち
その心根のあさましき
杖を振りつつ
忙しくしているだけの亡国の徒とは
いかにもあさましき





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by akikomichi | 2017-03-01 19:19 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺への道」

昨日は1日かけて、自分だけ先に仕事場近くに移住するための家を拝見しに行った。

子供達と夫は自由意志で、学びの場とも近しい方にいるということで、しばらくは行ったり来たりの家族生活となるであろうが、いずれにせよ、それぞれ自立していくものでもあるので、それが少しばかり早まったというだけであろう。

子供達への学費も生活費も賄うためのものなので、それも、含めての、それぞれの自立が必要ではあった。

彼らも自分の出来うる限りの事を自分でできるようになっていく時期に来ているということ。

家族として人として彼らのことを愛でることには変わりはないが、おそらく、自分だけ無性に寂しがることになりそうではある。
友達が近くにいることが救いであるが。

山奥に案内していただき、たどり着いたのは、茅葺の屋根に覆われたとトタンのお宅であった。

一部トタンに穴があり、時間との戦いがもう始まっていた。

井戸もかまどもあり、部屋も多すぎるくらいの立派な造りであった。

五右衛門風呂もあるということで、子供の時じいちゃんの家で入らせてもらって以来のものであり、心惹かれた。

ご先祖様のお墓も近くにあるらしく、ここに暮らしていた方々にとっては、安らぎの、安心することのできる長らく守り続けた場所であったのが、見て取れた。

川の流れも近く、昔は、木々に囲まれていたこともあり、炭焼きなども盛んであったという。

畑も、田んぼもあるので、すぐに、住める状態であったなら、すぐにでも移るであろうが、春先までに改修は困難であるのは明白で、空き家の時間が長かったことが悔やまれる、茅葺の半分眠った家であった。

こういった家を再生し、自分もそこに住むことで、また茅葺を生かしていく手立てを見つけていくことにつながるならば、自分にもできることではあるので、まずは仕事場に近いところで、それを出来うる力をつけて、ゆくゆくは、こういった時間との戦いの家にも手を入れていくということが、目の前にある、自分のできることであるという思いがますます強まってきていた。

家もどんどん年をとる。

人もまた。

時間との付き合いも、自分との付き合いも、これから、じっくりと深めていくことになりそうである。




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by akikomichi | 2017-02-27 12:56 | 詩小説 | Comments(0)

準備

うろちょろしたり
考えたりする
準備のための準備
いつか行った場所も
これから行く場所になる
準備のための準備
健康診断も
生活用品も
準備のための準備
書類作成も
書類手配も
準備のための準備
次の次の次にもつながっていく
準備のための準備




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by akikomichi | 2017-02-20 12:45 | 詩小説 | Comments(0)

当時の三島と白蟻の巣と





たまたま、ばあばのお見舞いの帰りに最近できた古本屋に行くと、三島関連の本が2冊あったので、手に入れた。

当時の三島を知る人の声を聞くということは貴重である。

三島に対するレクイエム、あるいはお別れの言葉のように読んだ。

一つは筋肉つながりの無邪気な健全さで綴った今村氏のもの。

もう一つは空想・妄想ではあるが肉感的な三島を描いて見せた武智鉄二氏のもの。

前者は自身の体験に即したもの、陸上からボディビルへと向かった青年時代に出会った三島の、彼の知る姿をそのまま描いていた。

後者は、少し艶かしいエログロナンセンスさと時代を描きながら、なぜか三島の転生を思わせる最後を持ってきていた。

後者は三島の生首がすっ飛んで将門にあったり、首のない体だけが暴れて動き回るような荒唐無稽の物語ではあったが、生前、関わりのあった人を訪ねたりするところが妙に人間臭く、彼の中にある三島像として、迷いのある三島の混沌とした状態を思い描いていたものと思われる。

武智氏はエロステキ映画を作ったり歌舞伎にも通じているところがあったようで、そこいらも存分に描いていたが。

それにしても、やはり、偶像としての三島のようで、彼の内なるもの、彼の言葉やその言葉と血肉とも通じたものから発するものとはどこか質が違うようにも感じられた。


そういえば、今度、三島の「白蟻の巣」が舞台であるという。

彼の作った白亜の家の中にも、彼自身の中にも、白蟻がすくっていたのだろうか。

などと、漠然と思い描きながら、昔、見た夢を、三島の首のない体が、彼の西洋風な家の階段を、この野郎と怒りながら降りてきた、奇妙な夢を思い出していた。

彼は何をそんなに怒っているのか、と何も知らずに、ただ訝しく思っていたのだが、その当時の自分は、世の中のことを、それから起こることをあまりに知らなさ過ぎたことに気付かされるきっかけとなった夢であったのだった。

それからというもの、腹を割ってでも、首をかき切ろうとも、彼の思い描いた「国」を守る。ということは、どういうことなのかを、ずっとどこかで考え続けているのだが。

偶然、あの夢の続きのような、三島の首が目の前で見つかったような、怒りの顔から発する表情の本意を少しでも読み取れるような気がして、思わず手に入れた古本であったのだ。


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by akikomichi | 2017-02-18 22:48 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺への道」


チェーンがなかなかつけられなかった。

店でつけ方の練習をしていたのだが、いざ、実際に使う段になると、思うようにはつけられないようだった。

私も、出来うる限りの事をしようと、反対の車輪に、昔、子供を妊娠している時に阿蘇の雪山に遭遇し、チェーンをつけた時よりは、進化しているチェーンのつけやすさであったが、なんとか、友達の力を借りてつけることができたが、約束の時間が迫っていた。

急いで車を出してくれた友達であった。

なんとか、約束の場所にたどり着き、市役所の方々と奥日田美建の三苫社長さんと上村さんにお会いすることができた。

見習いで勉強させていただけることになり、ここまで来れたことに感謝し、これからにも感謝した。

これで思い切り茅葺への道を進むことができるという、喜びに満たされていた。


それから、仕事場の近くに住むことが必要条件であったため、住む場所を見つけるために、雪のまだ残る山へと向かった。


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by akikomichi | 2017-02-17 17:56 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺への道」

アマヤマ草庵さんの夜に、ガラス戸をそおっと開けてみた。

外と内を隔てていたガラス扉一枚の膜の違いは、ぼやけていた寒さが一気に寒さに支配される状態であった。

外と内を同時に感じられる肌感覚を持ち得る空気の冴えた寒さではあったが、そのガラス一枚の大きな落差に愕然とする。

一枚ガラスの奇跡の透明さは寒さや風を見せてはいたが、ある程度は、弾いていたのだった。

友達はその寒さにあえて身を晒すように、庭に出ていった。

私も、庭に出てみた。

白い足跡がしゅくりしゅくりと透明な人の足跡のように、あるいは板付遺跡で出てきた扁平足ぎみの弥生人の足跡のように、できていく。

昨日までの、いや今日の夕方までの土は隠されてはいたが、明日までこの雪の上の足跡は残されていくものかは、わからなかった。

このぼた雪は、きっと足跡を覆うように重なり降り続けるだろう。と思った。

それから、ストーブの上で沸かしたお湯を湯たんぽに入れ、布団に入れた。

昔の人は、目の前にあるもので、できることをただその通り温まりたいなら、温まるように、無理のない、同時進行でそれだけのためにではなく、他のことと一緒にやっていたのだと改めて思う。

ただストーブで温まるだけでなく、その上、お湯を沸かし、喉にも優しい湯気を出す。

石油ストーブの灯油を入れる手間はかかるものの、その手間もまた、幾重にも重なる至福を与えてくれる、やるならばいっその事、ついでにできることをするおろそかにしないやり方が自然と身についてくるようであった

それにしても、湯たんぽの威力は想像以上であった。

ペットボトルに風呂の残り湯を入れて湯たんぽ代わりにできると夫から聞いたことがあったが。


そこまで寒くはない博多では不要であった石油ストーブや湯たんぽであったが、正統派な湯たんぽの肋骨のような凸凹が懐かしく、その大きさもちょっと小型の海亀の甲羅のようで、抱きしめることはなかったが、朝方までゆっくりとさめながら足元を温め続けてくれていた。

小学生くらいの時、湯たんぽではなく電気で温まる電気たんぽ?確か電気アンカ?という名前だったかを使っていた時があったが、姉が足に低温火傷を負ったりしたことがあり、あまり使わなくなったのを思い出していた。

電気で便利な一面、そういう、さめきらない一面が、人肌をじわじわと火傷させていくものなのであろうが。


その夜、友達と今まで話したことがなかった、家族の話などをした。

それから、ヴァージニア・ウルフにとっての「蛾」、「波」についての話、茅葺のこれからの話なども。

漠然とではあったが、彼女とどこかで似ているというような、共通感覚があると思っていたのは、そこからきているという話ができて、それを確信した夜であった。

そういったいつもは奥深くにしまい込んでいた古い話を解放させてくれたのは、おそらく、この茅葺の古民家で、この夜であったからだと思う。


その夜、不思議な夢を見た。

迷彩服を着た男が、おそらくこの家のさっきまで開け放っていたガラス戸越しにこちらを見ている。

それから、植えてある木々の中を、棍棒のようなもので探るように叩いている。

こちらを威嚇しながら、こちらを見ながら、木々の中にある藪の中にある、「何か」を探しているようにも見えた。

それから、正面入り口近くで、人が集まっていて、何かを探しているような、救急車かパトカーがいるような雰囲気を感じたところで、目が覚めた。


朝、外にはやはり雪が積もっていた。

昨夜の足跡はないだろう。

今日は、これから奥日田美建の社長さんに会いに行く大事な用事があるのだ。

雪を愛でて喜んでばかりもいられなかった。

友達はチェーンを手に入れていたし、20分ほどでできるから、大丈夫だと言った。

朝、友達が手に入れていた小鳥のささやきだったか、小鳥のなんとかというコーヒー豆を挽いてストーブで沸かしたお湯でドリップして飲みながら、最近、この近くであったという、少年の話を聞いた。

母を探してここいらに迷い込んできた少年の話。

彼は、行方不明となって、捜索が行われていたところ、この近くの洞窟あたりで無事見つかったという。

洞窟があるというのも初めて聞いたが、この辺りであったという話と、昨夜見た夢の話とどこか似通っているように思い、彼女に昨夜の夢の話をした。

すると、友達が、そういえば、雪の降るような寒い時であったのと、迷彩服の人ではないが、警察の人が探している時は、そのように木を棍棒のようなもので選り分けていたし、すぐ前の道路に人が集まって、もちろんパトカーも集まってきていたと言っていたので、残像を見たのかと思えるような、ちょっとした、意識と無意識のハレーション状態が起こりつつあった。

「夢」というものは、もしかして、その場に居合わせた時や思いが重なった時、消え去った記憶の場面とその時の状況が重なった時などは特に、それを感じさせる道具、あるいは思い起こさせ見せてもくれる装置になるのかもしれないと、漠然とではあるか、その寒い雪の朝、思い至ったのであった。


では、仮にそういう記憶の重なりがのちに音連れたものの中に沸き起こるとして、私は夢で、記憶の場面として、少年と通じる何をかを見たのであろうか。

もしかして、その「場」のこの「家」の見た「記憶」でしかなかったかもしれないが。

雪の降るような寒い中。

確かに少年のように何かを包み込んでくれるものとしての母なるものを求めて、探し求めて、ここまできたとはいえるのだった。











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by akikomichi | 2017-02-17 15:16 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺への道」

茅葺屋根の古民家農家のアマヤマ草庵さんの夜は静かであった。

この日は、近くの夜明温泉の薬湯に浸かった。

茶色く色づいたお湯にチリチリしてくる体の細部と透明な滑らかなお湯に交互に浸かった。

友達はここいらのお湯を探索しており、もっと、奥まで今度行ってみようという。

女子会の方々ともいつか風呂に行くつもりだと友達は言った。


その日の昼に、友達が近所のおばあちゃんと女子会をしているというのでお邪魔した際に頂いた手作りのらっきょうや高菜漬け、友達が持参したダッチオーブンで焼いた天然酵母のパンが美味しかったことを、湯に浸かりながら思い出す。

この絶妙な組み合わせもさることながら、当たり前のように自分で作ったものを自分で手を加えて長持ちさせてきた文化とも言えるが。

買うのではなく、自分で作っていくということは、自分にとって当たり前にあることとまだ言えないが、できることは自分でやるということは、手間暇をかけた自分を作る糧であり、それらが自分そのものの味となることを教えて貰ったようで、自分の味を作っていきたいという思いがますます強くなってきていた。

まずは、食べるものを自分で作ること。その力強い味は体をも心をも作っていく。全てが解けるように、その土になじむように、同じ釜の飯ではなく、同じ土で、空気で、水で太陽で育つということはそういうことだとわかり始まる。

茅もまた土で生きていたということ。

その土は、昔はこの日田の土に生えていたものでほとんど賄われていたであろうが、今は、阿蘇の山々の土から頂いたものもあるようだが、同じ九州の土で育ったものはまた、この土になじむのはわかる。

その茅の記憶は、そこにいる者たちの記憶と多く重なり、重なり合って、そこに至らしめた時の重なりの上に成り立つものであるということ。

だからこそ、そこにあるのだということ。

夜明温泉からの帰り道は雪はなかったのに、

明日は積もるよ。

と言っていた昼間の女子会のおばあちゃんたちの言葉通りに、夜になると雪が降り出した。

この寒さになれば明日は雪だと彼女たちは空気と土と太陽と一緒になってわかっているのだ。

庭にぼた雪が積もり始めた。

時折、月が青く霞んで見えた。

青く染められた、最初に浸されたばかりの藍染の生地のような雪肌、山肌も光っていた。

老木の杉さんも、うっすらと雪化粧を始めていて、その物腰のあたりに、なまめかしさを湛えていた。

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by akikomichi | 2017-02-17 11:06 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺への道」

茅葺屋根を作りたい一心で、阿蘇の茅葺工房さんともお付き合いのあり、福岡の自宅からもより近い奥日田美建の三苫社長さんと市役所の中島さんを通じて茅葺に携わることができるようお話をさせていただくために、日田に来ていた。

その前に、茅葺に住むということはどういうことかを体で確かめるために、日田にある茅葺の古民家に泊まりに来ていた。

その夜から、雪が積もると予想されていたので、少しでも近くにいた方が足元を気にせずに済むという目論見もあって、友達もおいでと言ってくれたので、お邪魔させてもらった。

アマヤマ草庵さんという茅葺の屋根の古民家農家さんのご一家が、去年田植えのお手伝いをした時に、赤米や自分で作った野菜の漬物などを一緒に頂いたこともあったのだが、今年の自然農法の田植えの時期には帰ってくるので、その間、草庵の風通しなどをして留守番をしてもいいと言われた友達は、この生活にすっかり魅せられているようであった。

茅葺との長い付き合いをしてきた古民家は、その作りも、その家に住まう人の眼差しに沿って作ったとしかいいようのないものだと友達は言った。

居間の硝子戸からみる山の稜線。庭の柔らかい物腰の老松。杉さま?と名付けた古杉。赤い実をなす南天。何が祀ってあるかわからないというここに移り住む前からあるという、謎の古い祠。

全てが、馴染むように寄り添いながら井戸端で語り合う老婆たちのように、静かにゆうるりと騒ぐことなく和やかに、そこにあった。

そうして、この茅葺の古民家との語らいが始まっていくのだった。

今から、葺き替えたりする時のことを思いながら、そこにすでにあった茅葺の屋根を内側から見上げた。

煤に煙られた屋根。

茅葺は雨や雪の湿気を内から乾かしてもいるようであった。


雨の日や雪の日は、煙の流れが違うんよ。


二ヶ月ほどここで暮らしている友達は言った。


雨も、晴れている時に比べて、雨風が煙を通す時の遮断物になる可能性は考えられるが、そうであるならば、なおさら雪は積もるので、煙の出る隙間を閉ざすであろうが、雪自体に煙が染み込んでいく作用も考えられた。

いずれにせよ、風は、四六時中、この家の中を流れていたので、屋根からでなくとも、いろいろな隙間を通って、この家の湿気や煙を逃していく方法はいくらでもあるようであった。


などと思いながら、留守番をしている友達と、囲炉裏端に座って、火を眺めていた。

薪を小さく割って、新聞紙を細長くよりよりして先っぽに火をつけ、井の字に組んだ小さな薪に火が映り、煙と煤と火花を巻き上げながら、鉄なべは火の波の上に宙吊りになりながら浮かんでいた。

それから、持ってきた芋と米と庭から取ってきたばかりの人参と大根と日田の美味しいきんと冴えた水を入れてご飯を炊いた。

庭の畑の人参と大根に食べてもいいか、人参と大根に伺いたてながら土からほろうっと出てきてくれたものたちに感謝して、そのまま、ほっそりとしているが、根を張っていたそのものの姿で、柔らかくなっていた。

一口いただくごとに、土の香りがして、人参の種からここまで大きくなるのに、肥料がなくとも、土と太陽と水の味を根に貯めてきた証の味。

大根も、人参も同じ土の風味。

煤のついた手が板についてきたとともはいった。

燻された私たちは、同じ鍋の飯を思う存分、喰らった。

雪が降り始めた寒い夜の中、茅葺の家の中から、息をするように、狼煙を上げるように、立ち上っていくさまを思った。

空から見たら、生き物にしか見えないであろう、こんもりと暖かそうな茅葺の姿を。

私たちは、みかんのお酒というものを飲みながら椿油?で大根と人参の葉っぱの炒め物をした。

大根の葉っぱは、寒さに耐えた草の手強い青々とした歯触りがした。

人参の葉っぱは殊の外、柔らかく、甘かった。

人参の身も甘いから、葉っぱも甘いのだろうか。

私たちは、とめどもなく、その全てを、いただいていた。


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by akikomichi | 2017-02-12 14:18 | 詩小説 | Comments(0)

「誕生日から」

彼女の誕生日から始まったのは、時空のずれ、あるいは時空のつながりであった。

彼女の日記には一月二十五日が彼女の誕生日だということが書いてあった。

私は彼女の誕生日から、始まったある行為について、彼女の影響を受けているように感じた。

彼女の日記の中をたどって生きているようにさえ思えたのだ。

最初は、彼女よりも年寄りであったのが、いつの間にか、彼女は私を追い越して50歳になっていた。

彼女と私が同じ年の時、私たちは、同期した。もしくは、リンクした。あるいはシンクロした。

彼女は、最初は蛾を描こうとし、のちに昼間の波として描いた。

私は夜にうごめいた後の朝の一匹の蛾を見ていた。

これは、時空はずれてはいるが、ある年月を過ごした時が同じである場合、リンクする、あるいはシンクロするということを意味していた。


いわゆる、星座や十二支など、時が巡ることを意識的にも、無意識的にも知っているものたちにとって、繰り返されながらも、少しずつ、立場も時もずれては行くものの、大きな流れにおいては、同等のこととして、感知される類のものとして、認識されていく。

その場合、「日記」とは、貴重なそのもののたどった歳月の記録となるのである。

私たちの「日記」は、おそらく、どこかで交わっているが、どこかでずれていく。


時代が、場所が、時空が、人そのものが違っていたとしても、おそらくどこかでリンクし、シンクロしていくものだということに、薄々気づいてきたように思う。

同じ行為を続けるという、「書く」ことに収斂された熱を持つものとして。

彼女は、「詩」のような「小説」が書きたいと思っていた。

私もまた、同じように、思いながら、こうして日記の中の「詩小説」として、書き続けていた。


彼女の軌跡の最後まで、まだ、いきついていない私の軌跡ではあるが。

では、最後には、どうなるのか。

は、おそらく「書く」ことで見えてくるであろうとは思っている。





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by akikomichi | 2017-02-06 23:03 | 詩小説 | Comments(0)

私は、精神医学に貢献するべく日夜研究にいそしんでいる一科学者に過ぎないものである。

ところで、先日、私があった男性について、この日記に、書き記しておこうと思う。

この事例を覆す、というより、「幻覚」とは一体なんであるのかということを、今一度、再考する機会となったこととして。

彼は、私の真っ白な研究室に訪ねてきた、壮年期の男性であった。

髪がなく、目だけが異様にギラギラと光っている男であった。

もちろん、私には、ある種の職業病的な守秘義務感があるにはあるが。

こうして、事例として、日記に書きつけておくことによって、いずれどこかの精神医学雑誌にでも寄稿することになるかもしれない事象、あまりに現実的でありながら、非現実な事象であることから、いわゆる、オカルティズムに傾倒するようなものにとっては、興味深い事例となるであろうが、荒唐無稽と思われる各々方もおられると思われ、まずは、私の見知った事実のみを、ここに書き記しておこうと思っている。

これは、私の中にしまっておくことができない事実となったことなのである。

彼は語っている間も、いたって平然としており、もしかして、私こそが、彼よりも何かが統合できていないのではなかろうかと、この日記を書きながら思う所存である。


彼は、精神病院の檻の中から抜け出してきたものであるという。

どうやって抜け出したか。

といえば、彼の代わりにその病室にいるもうひとりの自分がいるというのである。

白い壁から出てきたそのもうひとりの男は、その部屋にいた男を逆に壁に追いやり、男は以前、その精神病院に入っている患者から聞いた、私の話を思い出し、この状況をどう説明したらいいのかを、私に相談しにやってきたのだという。

未だに、分裂病といったりする人がいる精神疾患があるが、精神医学界において、こう言った荒唐無稽なことを言うクライアントを「統合失調症」の可能性が疑われる場合がある。

この「統合失調症」と言われる疾患の症状の定義として、「幻覚」が挙げられる。

幻覚と言っても、壁から龍が出てきたなどという「幻視」を見たと言った類のものや、いないはずの何ものかの声が聞こえる「幻聴」などというもの、あるいは幻触(覚)、幻味などもあるが、より「幻聴」の方が、症状が重症である傾向があるという論文もあるにはあるが、重複した方がより重度のものとなり得るのは言うまでもないであろう。

私は壁の中に押し込められたという目の前にいる男に聞いてみた。


あなたは、その壁をどうやって抜けてこの部屋に来たのですか。


当たり前な、あまりに当たり前な、素朴な疑問であった。


いつの間にか、ここにいたのです。


彼は、説明にならないことを言った。


精神病院において、電気ショックを受けていました。
脳に刺激を与えて、死刑囚が死んでしまう手前のようなショックを与えられ続けていたのです。
「拷問」のようでもありましたが、それは、精神病院においては、「治療」と言われておりました。
そうすることによって、毎日のように見る幻覚を見ないで済むようになると言われたのですが。
そんなことをしていても、皆には見えない、いるはずのないものが見えたり、いないはずのものの声がますます聞こえてくるようになったのです。

例えば、こんな風に。

以前、父が遊びに興じて興奮して倒れて泡を吹いた時。
自宅の部屋の中で父の姿を思い描いていました。
何かが起こったと思いましたら、その後、急に電話がけたたましく鳴りました。
父の意識がないという知らせを病院から聞いたのです。

ある時は、壁から、龍が現れました。
タツノオトシゴのような龍でしたが、確かに、龍なのでした。
よく西洋では悪魔の使いのような悪の象徴のように言われたりもしますが、東洋においては、水の神などと言われるほど、どちらかというと、善のイメージがあるものだと思いますが、自分の場合は、そのどちらでもなく、ただの生命そのもののような生きているものとして龍が壁から這い出してきたのです。



私は、精神病理的な見解として、典型的な症例であると思われたが、人にはできないことが、自分にはできると言った全能感のようなものを、時として患者は持つものであると、彼の話を聞きながら、そう思っていた。

しかし、彼はそれ以後も、何かと目の前にいないもののことが、どこからともなくふうっと思われて、気になっていると、その人の身に何かが起こっているということが、度々あったという。


ところで、先生。
あなたのことをふうっと思ったって言ったでしょ。
ここに来る前に。
それは、別に自分のためだけじゃないんですよ。
あなたに、もしかして、何かあるんじゃないかと思ってね。
こうして、会いに来たのです。


私は、そうはっきり聞いてから、何かが起こるのをどこかで待っているような気持ちになっていた。

彼のあのギラギラした目には、私にある種の暗示のような、催眠のような、幻覚のようなものを持たせる、何がしかの力があったのだった。

こうして、日記に書いている時でさえ、彼は彼が見たという壁から現れてきた龍のように、私の中に現れては消えていくのだから。












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by akikomichi | 2017-02-06 16:56 | 詩小説 | Comments(0)