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アメリカの夜

アメリカの夜。

最後の夜。

ハイウェイの車とダレスの飛行機が光りだす。

外での夕餉。

大きな器、大きなラガー、大きなサラダ、大きな肉。

消化しきれるだろうか。

この大きさ。


ほんのすこし前。

ウドヴァーヘイジー・センターにギリギリに滑り込んでいたことを思い出す。

飛行機の博物館。

中心にエノラ・ゲイが鷹のように大きな翼を広げている横で。

桜花やなかじまや愛知が鶯やハチドリやはやぶさのように見えた。

飛んでみることができたものは、たとえ、その後どうなろうと、思い残すことはないのだと。

思えるようになったのは、ここに来てから。







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by akikomichi | 2015-08-20 10:45 | 詩小説 | Comments(0)

ボルティモアのPoe

Poeの墓参りに行く。

Poeの墓は二つある。
一つは墓地の入り口面側に。
もう一つは墓地の裏側に。

裏の墓は、彼が亡くなってすぐに入った墓だという。

コインと小石が積んであった。
自分も子どももコインを置いた。

講演会にきていた時、近くの病院に運ばれたのと、親戚がこちらにいたからここに眠っているのだろうか。

Poeの墓に近い宿に泊まる。
夢で会いたいものだ。

墓の横にある案内板には烏の絵がかいてあった。
ゆめでなくとも、烏になら会えるかもしれない。

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by akikomichi | 2015-08-19 08:15 | 詩小説 | Comments(0)

The Hiroshima Paneles Tour

AMERICAN UNIVERSITY MUSEUM
COLLEGE of ART & SCIENCE

「The Hiroshima Paneles Tour」

を友人と子どもと訪れる。

丸木さんの絵を米国で見た。

黒烏が人の死骸に群がる絵を見た。

いつか聞いた鳥葬を思い出す。

鳥は人の目から啄むことがあるというが、左眼からつつかれたら、悪人。

右目からつつかれたら善人。と聞いたことがある。

しかし、此の絵の人の目は、見開かれたままか、閉じられたままであった。

鳥は、煙のように人に群がり、焼け跡に残る、残酷な燃え果てた後の姿を具現化しているようであった。

人は鳥になるのか。

焼かれてしまった魂は、真っ黒な鳥になるのか。

そのような、昼間なのに暗闇の中に陥れられた人々の内面と外面をさらけ出されたような、無言で見ることしかできなかった、人の苦しみがいつまでも石に壁にキャンバスに心の奥底に黒くこびりついてはなれないのだ。

苦しい。片足だけに残った小さな靴。苦しい。焦げた水筒。

苦しい。苦しい。暑い日のことである。




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by akikomichi | 2015-08-14 08:39 | 詩小説 | Comments(0)

あれきさんどりあにいく。

あめこみの店を見つける。

店のおやじさんが、昼飯に行くから12時に来て。

というので、街をぶらぶら散策。

クライストチャーチの博物館は外から見かけた。

古い町並みは、煉瓦の積み上げられたレキシ。

味のある街。
きんぐすとりーとには、トロリーバスが走り、キングストリートオールドタウン駅から川辺までの一本道を好きな時に好きなだけ乗れるストリート。

まじしゃんが、赤いボールを出したり消したりして、こどもをめくるめくめくらましのせかいへといざなう。

めのまえにあるはずのものを、みうしなうなよと、にやりとする、まじしゃん。

その通り。

今眼の前にあることを、見失わないよう。

あめこみの店は、いい感じに古びていて、れとろぽっぷであった。

3ドルくらいの、劇画を手に入れる。

人生の劇画をみつけよろこべる無邪気な君よ。読み解けよ、君。


それから、地下鉄イエローラインに乗り、一気に街中へ。

うなじに「妻」というタトゥーをした女の人と、腕に「神の恩寵」というかわいい日本語で書かれた若いにいさんに出会う。

なんだか、ちょっと、字面に救われた気がした。


その後、国立航空宇宙博物館に行く。

月の石 あながあくほどみるひとのいつかさわらん その地のほうを

あぽろにもH2にものりこんで そらはひろいし どこまでもいけ


戦時中の日本とアメリカの飛行機や艦船の被害状況のグラフを見つけた。

グラフには幾千幾百撃沈す 飛行機艦船乗りの数しれず

ひろしまとながさきのなきひとびとに いのりもくした 文字の中まで



それから、ふらりと何気なく、ハーシュボーン美術館と彫刻庭園へ歩く。

映像の重なりは、並行した時間の対話である。

イラン人女性作家の写真の展示、短編映像作品が上映されていた。

写真に収められた人々の顔や身体には、コーラン。
であろうか。
体中に書き込まれた呪文のようで、真っ直ぐ前を見る目は、その呪術性を担保にして、見つめ返す目。

短編映像を4、5本ほど立て続けに見た。

女性作家自身が、おそらくアメリカか欧米のどこかと、イランかイスラム圏のどこかに同じ黒ずくめの格好で生きているのだが、同時に映像を流すので、少しづつずれている。

どちらか一方を見るだけではないので、見る方は同時に上映されている別々の映像を右、左と交互に見続けなければならないが、面白い試みであり、どちらも同時に見たい衝動に駆られる。

これは、どちらかというと、神の目を持つような感覚であろうか。

彼女の千里眼が、向こうにいるはずの自分を見つめている時、向こうにいる自分が動き出すのだ。

なんという、イマジネーション。
共時的自動的イマジネーション。

彼女のその映像「生」感覚は、昔、イランに住んでいたこともある自分には、すこしだけ理解できた気がした。

私が生きているあの地で思う、祖国日本のもしかしてそこで生きていたかもしれない自分を、映像化してくれたようで、ふらりと立ち寄れたことは、奇跡ではなく、必然のような気もした。






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by akikomichi | 2015-08-10 10:16 | 詩小説 | Comments(0)

 こどもとレゴ映画を見る。
 造り。遊び。喜び。楽しみ。
 これぞ、人生のみにちゅあ。

 いっぽうでいかりのまっどまっくす?を見に来ていた方々に、危険な事が起こったとFOXニュースで聞き、自分たちは、少しずつずれたところで命ひろい?をしているような、微妙にずれながらも、共時性を感じずにはおれない日々である。
 生きるも死ぬも、人事ではないが。
 同じ映画でも、何を見るか選ぶことで、善かれ悪しかれ、自ずと違う道を歩くことになるのであろうとは、思う。

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by akikomichi | 2015-08-06 09:27 | 詩小説 | Comments(0)

 昨日のFOXニュースだったとおもうが、メトロに蛇が出たということを知る。
 どこの駅で出たのかは定かでなかったが、一昨日、メトロに乗った時は、自分の自転車の鍵ぐらいしか蛇状のものはなかった。
 こちらのメトロには混んでいない時間帯によっては、自転車がのせられるので、自転車とともに移動したのだ。
 自動車社会なので、自転車をそれほど見かけないのであるが、一定の需要はあるらしい。

 それにしても、あんまりに暑いので、蛇も地下に涼みに来たのか。
 
 へびもひあがるあつさかな。

 内陸部では、華氏100度超えと、ニュースで燃えるような真っ赤な地図に書いてあった。
一体、どれくらいの暑さなのか。
1°C(摂氏) の温度差は、1.8°F(華氏)の温度差に相当する。というなら、55度?!

 
 暑い。ここは、そこまで暑くないとしても。

 ちのそこのにじりいでたるあつさかな。

 一昨日も、昨日も、ほんとうに殺人的な暑さだった。
 一昨日は、資料を求めて、メリーランド大学内にあるというNARAを訪ねようとしていたが、あまりに巨大なカレッジ・パークのため、なかなか行き着かなかった。

 自転車を持って、スマートカードという、日本のニモカ?のようなものに、チャージしようとしたが、やり方がよく分からなかったので、聞こうとしたら、ちょうど日本の方が来られた。
 横須賀で旦那さんに合い、ここにきて10年は経つという。
 現地の方はNARAをだれも知らなかったので、道を尋ねようにも尋ねられない状態だったが、achieveの職員の方に詳しく聞くために、電話まで貸してくださった。
 見ず知らずのものにも、日本語が通じるというだけで、親切にしてくださる同胞のありがたさが身に染みることであった。

 昨日は道を訊ねるアメリカの人々に、遠いからメトロに乗りなよといわれながら、頑なにアメリカを自転車で知りたくて、ふらふらしながら、メリーランド大学まで行った。

 最初はアメリカの可愛らしい煉瓦の家や木々の涼しさやリスや小鳥の姿を見つけるのを楽しみながらのんびり走っていた。
 道を聞きながら、仕事に急ぐ人や、犬の散歩をしていたり、子どもと散歩したりしている人と話したりするのも楽しんでいたが、昼ごろになるとさすがに、暑さがこたえるようになってきた。

 はしってもはしってもみちなり。

 途中には、ホームセンタのようなものがあり、そこでおにいちゃんとおとうさんに自転車用ぐろーぶを手に入れる。
 彼らも毎日、何キロも走って学校や仕事に行く自転車乗りであるので、彼らの気持ちがすこしは身に染みた。

 日本も縦に長いし、島までは物理的にも自転車ではいけない程遠いが、アメリカは自転車乗りには過酷な遠さである。
 しかし、主要な道には、わりと自転車用の道があり、走りやすいのであった。
 段差があることで、ずいぶん自転車にも自転車乗りにも負担がかかるので、そこいらの整備も、日本には必要であると思われた。

 自転車乗りにとって、道の長さは気が遠くなるが、道の広さは救われる。

 帰る時間はすぐやってきて、もうメリーランド大学を出ないといけないこととなり、いそぎ、メトロバスに乗り、最寄りの駅に行くことにする。

 同じスマートカードが使えるのはいいが、自転車もバスの前に二台ほど載せられるよう折りたたみの荷台があり、それにのせてもらう。
 自力でやれるつもりだったが、なかなか重くて、焦っているところに、必ず誰か手を貸してくれる、アメリカの人々の優しさは自然である。
 見て見ぬふりをしない。
 ありがたいことである。

 メトロ駅に着くと、屈強そうなポリスがいて、もう乗れないよという。
 4時過ぎたら、学生や会社員で多くなる時間帯に差し掛かるので、だめなのらしい。
 あの距離を戻るのは、さすがに身体が悲鳴をあげていたので、メトロ駅からシルバースプリングに出ているバスがあるか聞くと、屈強そうなポリスがあるよといったので、どこにバス停があるのか聞くと、しらねえといいながら、目の前からきた女性のポリスに聞いてくれた。
 女性のポリスは、そこにあるよ。と指差しにやっとした。

 屈強そうなポリスと私のあしもとに、何番乗り場、どこそこ行き。というような看板があったのだった。
 灯台下暗し。
 屈強そうなポリスと笑って、それから、乗り場に行った。

 今日も移動祝笑日。


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by akikomichi | 2015-08-05 23:00 | 詩小説 | Comments(0)

暑いタコマ

夕べのニュースで、タコマで事件があったらしいことを知った。
今日、ニュースではなく、目の前で、事件が終わったのを見た。
ウォルマートで、水を買おうと入り、そのまま店内を見回りながら、生きるのに最低限いるものを選んでいだ。
水、水、水。それから、水。
あとは、どうにでもなるものである。
真夏のワシントン,D.C辺りは、とにかく、暑かった。
歩く人は、短パンに、タンクトップが多い。
余計なものを身につけないというような、夏の最低限度の暑さしのぎ。
我々も、似たようなものであるが、二足歩行をやめて、二輪走行になり、すこしだけ、宙に浮いた分だけ、重しを持つように、水を大量に飲んで、三倍の早さを手に入れた。疲れと水分補給は、より多くなったが、普段の三倍に動くというのは、そういうことであろう。
ウォルマートの外にでてみると。
目の前で、人がせるほーんで何かを撮っていた。
すでにクライマックスを迎えていた捕物帳がそこで終焉を迎えていたのだった。
青い制服のポリスの山の下で、蠢き、叫ぶ、男の野太い声が、はじめて「うぉーたー」と話せた人のようにしぼりだされ、ひりひりと道の上を、匍匐前進していた。


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by akikomichi | 2015-08-04 13:09 | 詩小説 | Comments(0)

ほーろーうり

ほーろーを売る人がいた。

買い付けは東欧州にいくという。

まぐかっぷにはさんかくのさかなにりんご。

さむいふゆでもあたたかいてのなかのほーろーをゆめみているようで。

売る人はかたみみだけみえるようにきったかみとおどおどした目がおよいでいた。

すっぴんで彼女なのか、彼なのかわからないやせた身体をしていた。

向かいの売店の女の子たちがじっと見ている。

誰も寄り付かなかった出店に立ち寄ったものと語る売る人を。

いがいな展開!

女の子たちが笑っている。

何がいがいなのだろう。

売れないほーろーの話をしていたからだろうか。


それからしばらくして、また別の場所で、ほーろー売りに出会った。

かみがのびて、ひげがはえていた。

男の人だったのか。

と、おもったとたん、すぐよこに、かみのながいおなじかおの女の人が立っていた。

ひげはなく、うっすらと化粧をして、にこやかに話をしていた。

いつのまにか、ダブルになって、あだむからぬきとったあばらぼねからつくられたふくせいのようないぶのように、あわせかがみのように、そこにいたのだった。






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by akikomichi | 2015-07-22 01:05 | 詩小説 | Comments(0)

個とネットワーク

目の前に老人がいた
ふれあいを大切にするためのネットワークを構築しようと呼びかけたものが
老人の話も聞こうともしないでおいかえすふれあいもへったくれもない現状にうんざりする

個としてもそのネットワークが機能しないならば
存在意義はないに等しい
やっているふりはもういい

じぶんのことはじぶんでやる
じぶんのことをじぶんでする
じぶんのことをじぶんでえらぶ

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by akikomichi | 2015-07-05 23:31 | 詩小説 | Comments(0)

『柿の木』

柿の木がどうしても見たくなった老人は、コの字の廊下のタコ部屋みたいな今風老人ホームを抜けだした。

いき止まりなのだ。コの字では。回廊ではない息苦しさ。ここまでの虚しさ。

老人は端っこの部屋から、昔住んでいた家を目指して抜けだした。

杖をついてコの字を辿る。ちょうどコの字の真ん中で、エレベーターにのる。

朝昼夜とご飯が出てくるが、朝と夜だけでいい。

昼はいらない。ただここから這い出ていきたいのだ。

住んでいた家への道すがら、図書館がある。

そこで、一息つこうと立ち寄った。

やっと、外の空気を吸い込んだのだ。

図書館には、係の人がいた。


だれでもいいので、話がしたかったと。

柿の木のこと。コの字のこと。

それから、死んだ女房のこと。
交通事故でなくなった、女房のこと。
あれから、ずっと、一人だということ。
コの字の老人ホームの向こうに女房を轢き殺した会社があって、毎日、いきづらかったと。


だから、コの字監獄を抜けだしてきましたと。


老人はいった。

係の人は、以前あったことがあるような、ないような顔をしていたが、それはどうでもいいことだった。

誰かと話がしたかった。ただそれだけであった。


私は死ぬ気でここまできたとです。
柿の木がみたかったとです。
昔は、道行く子どもに柿の実やまんじゅうばあげたりして、げんきねえとかいっとるだけでよかったとに。
今は、コの字の中で一人で、食べるときも誰ともしゃべらんで。
みんな歩行器ばつけたり、車いすに乗ったりしとる。
自分だけ、百歳に近いとに、歩くのだけはしゃんしゃんしとりますけん。


係の人は、なぜだか、泣きそうな顔になった。

百歳まであと少しの老人は、耳は聞こえにくいが、目が強く、言葉もしかりで、軍隊帰りの心意気で、背筋もぴしゃっとしておった。

年金はすぐなくなってしまいよるし、朝昼夜、飯ば出してもらえるのはありがたかことやけど、昼飯を今日みたいに食べんときでも、引かれるけん、できれば昼は最初から数にいれんでくれるとありがたいとやけどね。

老人は、二食食べれば事足りるという。でも、女性はようたべよんしゃあ。三食しっかり食べよんしゃあ。すごかですよ。

係の人は、泣きそうになりながら、少し笑った。

柿の木はまだあるんやろうか。気になっとうと。

家はつかいよらんけど、あの木は、あの柿の木は、まだあるかもしれんけん。

見に行きようと。













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by akikomichi | 2015-06-30 23:58 | 詩小説 | Comments(0)