一度だけ仏教寺院のことを書いてみることにする。

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土台は四角の石からなり、その上に柱が立っている。
柱は楡材で、間隔を置いて縦の木材と結合されている。
屋根が非常に大きくて重みがあるのは、桁構えの構造によるものである。
これは一つの思い枠組みからできており、頂上まで面積をだんだん少なくして築き上げたものである。
主要な梁は非常に大きな木材で、自然状態のままにしてあげてある。
屋根は非常に重くて装飾的な瓦が敷いてあるか、あるいは金で飾った板銅で覆われている。
ときには、立派な屋根板か樹皮で、1フィートから2フィートの深さまで葺いてあることもある。
壁の外側は、普通厚い楡剤で板ばりがしてあり、漆が塗られているか、あるいは何も塗っていない。
壁の内側は、美しい松材に薄く精巧にかんなをかけ、斜めに切った板ばりである。
天井は平らな羽目板が張ってあり、柱で支えられているところは、一様に円形で、松材の木目の細かい柾目(まさめ)板である。
屋根の梁が軒下に出張っている先端は、精巧に彫刻がしてあり、鈍い赤色の漆が塗ってあるか、あるいは、梁の継ぎ目と同じように銅板で包んである。
釘はほとんど使用されていない。
材木は蟻ほぞで美しく接合されており、その他の接ぎかたは知られていない。


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by akikomichi | 2017-10-09 22:18 | 日記 | Comments(0)

今年は、イランでのロケも敢行された、「どすこいビューティーズ」という女子相撲映画撮影に参加させていただいたプロデューサーの児玉さんが福岡パノラマの枠で久留米絣の物語を作って上映されているということを知り、伺った。

久留米絣の礎を築いたと言ってもいい「お伝さん」と久留米絣を受け継ぐ者たちの物語であった。

「お伝さん」が久留米絣を受け継ぐ者の前に現れるというちょっと異界な物語ではあった。

見えないはずの者が見えその魂を受け継ぐというようなことが伝えたかったのであろうが、児玉さんご本人曰く「アイドル映画」?!であり、若い方から年配の方まで、久留米絣を愛してほしいという願いを伝えたかったのであろうと思われる。

素直にすうっと入ってくる物語。

それは最初に上映された「伊万里のまり」も同じく。「伝統」というものは、伝えていくという限りにおいて、皆同じ匂いがする。
茅葺もまた然り。

生の茅葺も、映像も、物語も残していきたい。と切に願う。



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by akikomichi | 2017-09-24 05:57 | 詩小説 | Comments(0)

「日本の草屋根」相模書房 小林梅次著 より

万葉集一六三八の歌

あをにいよし奈良の山なる黒木用ち造れる室は坐れど飽かぬかも

これは聖武天皇の歌であるが、黒木の語が見える。黒木の意味は、皮付きの木という意味と常緑樹の意とある。それはともかくとして、室の語が使われているけれども、穴の段階から脱した建築を思わせるものがある。ただ、黒木が建物のどの部分に使われていたものか、この限りではわからない。


万葉集千六三七の歌

はだ薄尾花逆葺き黒木用ひ造れる室は万代までに

この歌は「尾花逆葺き」の語によって、その様子は一段と明らかで、屋根が尾花、つまり茅で葺かれていたことを示している。



播磨国風土記中川の里の項に

時に大中子、苫もて屋(いへ)を作りしかば

とあるのも、苫で屋根または壁を作ったのであろう。


徒然草にも

家の造りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなるところにもすまる。熱き頃、わろき住居はたえがたき事なり。

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by akikomichi | 2017-08-16 22:36 | 日記 | Comments(0)

夏目と冬目

白川村とほぼ同じ こて のことを、岐阜県揖斐郡(いびぐん)本巢町神海では ていた と言っている。
かい型で、材料は けやき である。
ここでは めなし と言って、こて型の表面を鉋をかけたりして正確な平面にして使用しているが、これにはわら縄巻かないというから、一段と精密な仕上げを期待している こて ということがわかる。
つまり、白川村のようにわら縄をまくと、能率的にたたけるが、それほど正確な平面性は得られないで、細かいでこぼこが残る。
めなし といわれるような正確な平面を持った板で叩き揃えれば、それなりに平面性も正確になる。
その代わりに縄のような滑り止めもつかないので、どうしても滑りやすく能率がよくなく、叩く力も余分なものが必要になってくるということになる。
この めなし も使用しているうちに板の 夏目 が減ってきて、自然と 冬目 が浮いてくる適度な滑り止めができるようになってくる。


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※ 年輪を見ると交互に厚さの薄く色の濃い層と、厚く色の薄い層が綺麗に順番に重なっているのがわかる。
  前者を 冬目 といい、後者を 夏目 という。


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by akikomichi | 2017-07-08 21:01 | 日記 | Comments(0)

露柱 氷のけたに 雪のはし 雨のたるきに 露のふき草


屋根をぬう縄ははりなわというが、羽茂町小泊では、はりなわを作った後、はざに張って伸ばしておく。
使う時に伸びないように、伸びるだけ伸ばしておく。
水をつけたりすると効果があるという。
真野町浜中では庚申(かのえさる)の夜、てなわをより、とっておき、棟をくるむ時に使うと良いという。
その時、必ず水むすびにしなければならない。
角(つの)結びだといけない。火という字の形になるからという。
水むすびというのは、縄をまず花むすびにして、両方に輪を作った後、その輪にハサミを入れて切り離しておくことである。
これもひたすら、火を恐れての仕業ということができる。
佐渡では火を極端に恐れるところがある。
畑野町宮川では柱立て(建前)のことをすだちといい、これが済むとすぐ、昔は屋根葺きに入ったという。
ふきあがると棟に酒、するめ、昆布を供える。
するめは焼いたものはいけない。
屋根葺き道具も水という字の形に並べて供える。屋根に上がる供物は煮ても焼いてもいけない。
必ず生のものを備えなければならないばかりか、終わって下げた酒までもおかんしてはいけないという。
冷酒で飲まなければならない。
酒、供物、屋根葺き道具が備えられると親方(屋根棟梁)によって、

露柱 氷のけたに 雪のはし 雨のたるきに 露のふき草

と唱える。



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by akikomichi | 2017-07-03 14:19 | 詩小説 | Comments(0)

覚書

<主な屋根型>

やろうむね(寄棟)
はふ造り(入母屋造)
かぶと造
きりつま(切妻造)

すごや
まがりや
くど造
せいろ造
二棟造

まる棟(暖地型)
かく棟(寒地型)

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by akikomichi | 2017-06-28 23:17 | 日記 | Comments(0)

茅葺〜沖縄〜

この当時、茅葺屋根と軒瓦の融合があった。

それまでの沖縄の統治者は瓦を庶民が使うのを許していなかったという。
家の形も決められていたということは自由な琉球とは言い切れない過去があったということ。
声高に琉球独立などというものがいるが、そこに自由があるのかと問われたら、何かしらの制限が出てくる可能性があるということにも、思い至るが。

何より、茅葺はそこにあるもので作り上げていく生活の拠点であり、そこにいる人を雨風日差しから守ってくれるものであったのは、琉球に限らず、日本全国に限らず、世界中のことであることを、今後とも探していきたいと思う。



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by akikomichi | 2017-03-07 22:09 | 日記 | Comments(0)

『茅葺への道』


イラン北部、カスピ海地方の都市ラシュトから約20キロ離れた
サンギャルという町の方角に、
「素敵な古い家があるからぜひ行ったほうがいい」と、友人イラン人に勧められて、行った先には、茅葺らしき家があったという。


朝日新聞の特派員の奥方のブログ
http://ameblo.jp/iranmama/entry-12189943704.html
に書いてあった。

個人的には、朝日新聞は、基本的に慰安婦捏造事件から、見たくないというのが本音であるが。

奥方のブログには、子どもを通じて現地に溶け込もうとしながら、日本人的眼差しをも投げかけている、色眼鏡なしに面白いものがある。



イランにも、茅葺らしき家があるのは、初めて知った。

私の知っているイランの古い家は、基本が土壁、土レンガの家であったが、茅葺もあったということに、衝撃を受けている。

カスピ海近くは、日本の気候によく似た湿気の多い土地柄であるので、緑も多く、青々としており、茅葺系の家もできるのは、納得できる。

しかも、保存を願う方のおかげで、イラン各地から、村のような、公園のようなエリアに集められた形で、保存されているようである。

子供の時、父親の仕事(警察官であるが一度めは国際交流基金の一環で柔道の先生として、二度めは外務省に出向して)の関係でイランに住んでいたことがあるが、実際に見たことがなかったので、感激している。

ぜひ、拝見しに行きたいと思う。


日本だけでなく、世界の茅葺を見たいと思ふ。

魚沼の茅葺職人プロジェクトでお世話になった受け入れ先の棟梁の樋口さんから、お借りして拝読した本にも、イギリスやアイルランドに、茅葺の家があると知り、世界中にある茅葺の家をいずれ訪ね歩きたいと思うようになった。

その土地にある素材を使うことと、屋根の歴史と並走していることを改めて思ふ。

しかも、世界同時多発的にあるということ。

もっと茅葺に限らず、世界の屋根の流れをも知りたい。と思う。


他にも、道は家の屋根!という町の記事も拝見し、面白かった。

土の屋根が道となり、段々畑ならぬ、だんだん家になっているという街も、いつか、訪れてみたい。
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by akikomichi | 2016-09-13 10:47 | 詩小説 | Comments(0)

道真「草堂」考

 福岡県太宰府市教育委員会は25日、10世紀初めに都から左遷された菅原道真が過ごした「南館」があったとされる榎社(同市朱雀)境内の発掘調査で、9世紀後半~10世紀前半の掘っ立て柱建物跡や溝跡が見つかったと発表した。溝から、かめに坏(つき)を重ねて入れた祭祀(さいし)用とみられる遺物も出土。市教委は「菅公(道真)がこの地で最晩年を過ごした時期(901~03年)と重なる注目すべき遺構」としている。

 市教委は6月から調査を進め、平安時代の掘っ立て柱建物跡3棟などを確認。うち1棟は出土土器から9世紀後半~10世紀初頭と判明した。これまでにも南館跡の一部とみられる遺構は見つかっていたが、時期が絞り込まれたのは初めて。

 建物は東西5・8メートル以上、南北2・8メートル以上の規模。瓦の出土が少なく、屋根は板ぶきか、かやぶきだったとみられるという。近くで見つかった溝の跡からは、坏11個以上が入った高さ約20センチ、口径15センチのかめ(土師(はじ)器)なども出土した。

 道真は漢詩集「菅家後集(かんけごしゅう)」で大宰府の住居を「南館」と称する一方、「草堂」とも表記し瓦ぶきでなかったことをうかがわせる。「発掘成果と整合性がある」と市教委は説明する。

 現地は大宰府政庁跡から約600メートル南。大宰府条坊のほぼ中心部で、政庁から南下する朱雀大路(すざくおおじ)(幅35メートル)跡沿い(右郭)。区画された敷地の中央部でないため、市教委は「菅公が住んだ中心施設ではなく、炊事など家政を担った施設の可能性が高い」としている。

 市教委は27日午前10時から現地説明会を行う。

=2016/08/26付 西日本新聞朝刊=

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「草堂」ということは、茅葺や板蓋であった可能性があるということか。

茅葺の屋根を勉強するようになって、茅葺に限らず、石を板の抑えに使った石の屋根や、現在風の瓦屋根に至った大まかな流れなどにも興味が出てきたこともあり、その過程が俄然面白くなってきた。
そこに住んでいた人の思いも家の形になっていくこと、良くも悪くも、生き方、生きた足跡が、家の形にも表れるということをつくづく思う。

魚沼に行く前に途中乗り換えで立ち寄った京都の昔の建築物を訪れたが、唐風文化的瓦葺きと、元々あった茅葺との融合も見られた国風文化的なものが平安時代にあったが、朝廷関連施設に瓦葺きが採用され茅葺は住居として使用されていたということからも、「草堂」はより生活の場に近いものであった可能性は大きいと思われる。

菅原道真は左遷され、約しい生活をしていたとされており、廃屋に近いものを与えられていたということも聞いていたので、より一層、当時を偲ばれる発見と思われる。

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 平安時代の貴族で秀才ぶりが伝わる菅原道真は、政治の中枢を担う右大臣まで上り詰めたが、政争に敗れ、京都から遠く離れた大宰府に追い落とされた。華やかな生活は一転し、雑草が生い茂り、雨漏りする官舎で、衣食もままならないわびしい晩年を余儀なくされたようだ。

 学問の名家に生まれた道真は幼くして和歌を詠み、青年期には詩文を教授する文章博士に。弓の腕も高く、文武に才を発揮したとされる。

 醍醐天皇の時代、右大臣だった道真は左大臣藤原時平によって身に覚えのない罪を着せられ、大宰府に左遷。道真の漢詩集「菅家後集」からは、任地での不遇を嘆いた様子がうかがえる。

 菅家後集によると「空しき官舎」はかやぶきで雨漏りもひどく、井戸はふさがれ、庭石が雑草で隠れるほど荒れ果てていた。身の回りの世話をする年老いた使用人らはいたが、優雅な都の生活とはかけ離れていた。

 左遷から2年、道真は自身の潔白を祈りながら903年に生涯を閉じた。その後、無実が証明されて神様の位を贈られ、太宰府天満宮にまつられたとされる。

snakei ~~~~~~~~~
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by akikomichi | 2016-08-26 10:50 | 日記 | Comments(0)

ツリークライミング体験

今日は、風小僧さんのツリークライミングに挑戦してきました。

なんという景色。

ボートに寝転んでいると、木の上に住みたくなりました。

高いところに慣れている。

とスタッフさんに言われ、茅葺き職人体験が、木に近いところに連れて来てくれたようで、うれしかったです。

最後の、最高の体験をありがとうございました。

この大好きな魚沼を福岡の家族にも見せたいなぁ、と一緒に登ったご家族さんをみながら、思いました。
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その後、お世話になった方々と最後の酒盛りをさせていただきました。
美味しいお酒とご飯をありがとうございます。

一生忘れないどころか、また必ずや、訪れます。
愛しています。
魚沼・茅葺・青空。
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by akikomichi | 2016-08-14 19:05 | Comments(0)