寒かったろう

雪の中 水に入りし 男あり 寒かったろう とけゆくことなく
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by akikomichi | 2018-01-22 23:09 | 短歌 | Comments(0)

「この茅葺の下で」

この茅葺の下で、国のことを語っていたんです。

と神尾さんはおっしゃった。

ご先祖さんは会津からやってきたのです。
幕府からの命を受けて。
そうしてこの茅葺の家を建てた。
曲家なのは、そのせいです。
九州では見かけんでしょ。
会津のやり方だったのです。
この家は積もった雪を落とせるように作られているのです。
あの柱が、雪の重みでしなるでしょ。
そうして、雪を落とすバネになるように作られているのです。
床下を見てください。
間者が入れないようにふさいでいるでしょう。
そうして、ここでは、国のことを語っていたのです。
ここいらは、昔は幕府の直轄のようなところで、今でいう軍事基地みたいなものだったんです。
長崎のグラバーのところなんか、武器を売っていたでしょ。
グラバーの家は高台にあるでしょ。
あそこから、試し射ちなんかやってたんですよ。
人や船がいない時なんか、直接試し射ちできるから、あんなところにうちを建てているんですよ。
ああいう武器を誰がどのくらい持っているかは切実な問題で。
当時は、植民地になるのを避けるために、どれだけ幕府が骨を折っていたか。
そうやって、当時の重鎮、会津のものも含めて、いろんなところに散らばっていたから、中枢での決め事が手薄になって、最後の方は混乱状態となったのです。

茅葺の家を奥日田美建のみなさんと色々なものを拝見しに行ったところの一つで有ったのだが、ご先祖から引き継いだ家を大切に守っている神尾さんから、思いもよらない幕末の話をお聞きしたのである。

今でも、そこで語り合っているような、神尾さんの口を使って、ご先祖さんが語っているような。

今も、昔も時と場所と規模は違えど、同じ人間が作っているのが、この世の中なのであるというような。

その家があるということは、その時をまだ生きているような、重なり合った時というよりは時を同時に生きているような思いにとらわれた。

そういったものが息づいて、記憶を、人を妊み続けているのが、茅葺の家なのかもしれない。

などと思いながら、神尾さんの茅葺の家を後にした。






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by akikomichi | 2018-01-20 21:04 | 詩小説 | Comments(0)

「燈台へ」ヴァージニア・ウルフ みすず書房  以下抜粋。〜〜〜〜〜〜〜



この暗い楔形の芯は、どこにでも行くことが出来ます、誰にも見られないのですから。

誰にもそれを止められないと少し得意になって考えます。

自由があり、平和があり、中でも、すべての力の統一があり、ゆるぎない土台の上での休息があります。

自己として人は休息など見出せぬものであるのは経験の上から知っております(ここで、何か素晴らしい編針の運びを成し遂げました)。

それが出来るのは黒い楔形の芯だけなのです。

個をなくすれば、いらだちあわてて、心のさわぐこともない。

すべて物が、この平安、このやすらぎ、この永遠に、きたりつどう時に、人生に対する勝利の歓声が、私の唇にのぼってきます。

ここに、身を休めて、燈台のあの閃光、あの三番目の息のながい、着実な輝きに、目をあてようと、見はるかします。

これこそ私の輝きなのです。

この時間に、このような気分であの燈台の光の帯を眺めていますと、自分の眺めている物の一つに自分を結び付けないではいられないのです。

それで、これ、この息のながい、第三の着実な光の帯、それが私のものなのです。

度々私は仕事を手にして座っては眺め、座っては眺めしていて、ついには、自分の眺めているもの、例えばあの光、になってしまっているのに気がつきます。

それで、その光は私の心の中にあった色々な短い言葉をその上に乗せてゆきます。

「子供は忘れないのです、子供は忘れないのです」

またそれをくりかえしてゆくうちにそれに新たにつけ加えて、

「それはやがて終わる」

と私は言います。

「ああ、やってくる」、「やってくる」、その時、不意に「我らは神の御手にあり」、と付け加えました。

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by akikomichi | 2018-01-17 21:30 | 日記 | Comments(0)

親方が、奥日田美建の弟子たちに遺言のような教科書のような「茅葺きの心得」のような書物を三日三晩ほどかけて書き綴ったものをくださった。

誠に有難く、ここにいる幸いに心より感謝申し上げます。



その後、新年会を奥日田美建の皆様とともに。
皆さん、穏やかな方々ばかりでゆうるりと楽しめる時間を過ごさせてもらった。
とりわけ、方言で盛り上がった。

日田の「せれれん」?=「億劫な?、やる気の出ない??」という言葉について。
雨の日や雪の降る寒い日に使うとです。。。by原田氏、伊藤氏

「もす」=「燃やす」という言葉の略の活用について??
「もす」は主に作業場限定?で使う言葉のような、日田の方言のような気がする。。。by上村氏

「かなづち」のづちは後頭部の意味の「づち」から来ている。。。by親方、奥さん

「ぼた」はいらなくなった、カス?のような意味合いでもある。ぼた山など。by親方
ぼた餅はどげんですか?と聞くと、まあそれは違うっちゃないというご返答。

方言すきです。豊かです。ぐっとそのものに近づくような。

豊かな時間を過ごさせていただき、有難いことこの上なし。


せがれの試験の成功を祈りつつ。
皆が充実したときを生きて欲しいと心より願いつつ。














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by akikomichi | 2018-01-13 09:56 | 詩小説 | Comments(0)

むねの奥

むねの奥 フランス夢見る人形のなくしたものはやみの奥かな 
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by akikomichi | 2018-01-08 07:41 | 短歌 | Comments(0)

「燈台へ」

ヴァージニア・ウルフの「燈台へ」を古本屋で手に入れたのは、昨日のことであった。

友達と太宰府でお参りをして、目を患った友人を見舞ってから帰るはずのせがれの乗った電車を待つ間、時間の中に埋没するために、立ち寄ったのだった。

立ち読みしながら、三島由紀夫の書いた最後の物語の一つに、灯台守りをしている男の子が出てきたのを思い出していた。

三島は、燈台に、すでに住んでいる男の子の眼差しを持ってして、海を、一人で見続けていたような。

ヴァージニア・ウルフは、海を、燈台を、向こう側から見続けていたような、気がしてきた。

果たしてウルフの魂は、そこいらに転がる石をポケットに詰めて川に入水しながら、ついには記憶の海へ、時を照らすような、燈台へ、たどり着けたのだろうか。

などと、思いつつ。

深い闇が揺れている海を見るように、外の暗がりの、曲がりくねった道を照らす灯りを見ていた。



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by akikomichi | 2018-01-03 00:03 | 詩小説 | Comments(0)

初夢を忘れてしまったから、もう一度だけ、夢を見ようと思うの。

と、彼女はひとりごちた。

私は、忘れてしまうことができない夢を見続けているような心持ちになった。

これまでの月日は、彼女にとっては忘れてしまった初めての夢よりもなおきれいさっぱりとしたものになってしまっていたのだけれど、私はまだ夢から覚めないまま、ずっとここにいたのだった。

彼女は私から離れていこうとしていた。体はもちろんのこと、心までも。

私は、彼女をとどめておくことができなかった。

なぜなら、彼女は初夢をすでに忘れてしまったように、私をも忘れ去ろうとしているのだから。

私は、彼女の初夢であったかのように、彼女の前から、姿を消すことになるのだ。

跡形もなく。

そして、彼女がもう一度見る夢は、一年に一度巡ってくる、初めての夢のように、思い出せなければ意味のないような、あるような曖昧な記憶の空(うろ)に溶け出していくようなものであるようで、夢を現実と見紛うような、夢を実現し、現実を超えたところに連れて行かれるようなものであるならば。

私は、もう一度見ようとしている夢に消されてしまうような、儚いものとなるのは確かなことなのだった。

私は、彼女の中には、いなくなるのだ。

私は、私でしかなくなるのだ。

そうして、初夢ではない、時々、デジャヴのように、いつか見たことがあるような、ないような、幽かな夢のようなものになるのだ。



それから。

彼女は、三が日を過ぎてから、初夢を忘れてしまった証のように、長い夢を見ていたような私の前から姿を消した。

緑の枠に収まった昔の名前を思い出したように。

かつての戦争の時のように、生きていくためにと、死の戦場に繰り出されるまえに届いた赤紙のように、赤い枠にはめ込んであった私たちの家族という形を、忘れてしまったかのように。

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by akikomichi | 2018-01-02 17:42 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺の民俗学」生活技術としての民家 安藤邦廣 はる書房より以下抜粋。


東京でも町家が瓦葺に変わったのは江戸末期で、その前は板葺、さらにその前は茅葺であったことは茅場町という地名が残されていることによっても知ることができる。

茅場町は江戸築城のとき神田の茅商人が移り住んだために呼ばれたという。

また、東北地方の宿場町や武家屋敷には茅葺がなお数多く残されている。

北海道のアイヌの住居は屋根ばかりでなく壁も茅葺である。

また、南国沖縄といえば強烈な太陽に照りつけられた赤瓦葺が印象的であるが、このような赤瓦葺の一般庶民への禁令が解かれるのは明治二十二年の事であり、今日のような赤瓦葺の景観が一般的になったのは第二次世界大戦以降の事である。

それまでの沖縄の庶民の住居といえば茅葺で、壁も茅葺としたものが少なくなかった。

このような屋根ばかりでなく壁も茅葺とした住居は本土の山村にも戦後までいくつか残されており、なかでも長野県秋山郷の民家は広く知られるところである。

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by akikomichi | 2018-01-02 11:13 | Comments(0)

「茅葺の民俗学」生活技術としての民家 安藤邦廣 はる書房より以下抜粋。


草で葺かれた屋根の総称としては茅葺屋根の他に草屋根、草葺屋根、葛屋等が用いられた。

葛屋とはありあわせの屑物を利用して作られた屋根、またはその家という意味である。

またすすきで葺かれた屋根を茅葺屋根と呼ぶのに対して、稲わらや麦わらで葺かれた屋根はわら葺屋根と呼ばれる。

さてこのような茅葺きの屋根は古くから北海道、沖縄まで住宅に限らず社寺等のあらゆる建物に用いられてきた。家屋文鏡(奈良県の佐古田の宝塚古墳から出土した古墳時代の傍製鏡)に描かれた住居の屋根は茅葺屋根と考えられ、また埴輪に見られる屋根も茅葺屋根の形態を表している。古代の住居(倉)の形式を伝えるといわれる伊勢神宮の屋根も茅葺である。

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by akikomichi | 2018-01-01 13:15 | 日記 | Comments(2)