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「介護日記」

第一回プラチナブロガーコンテスト



母のベットを居間に動かした。

それから、眠りやすいようにおろしたての電気毛布を敷いて。

新年を迎えるにあたって、ぬくぬくした寝床を整える。

これで、暖房をつけても、意外と床冷えする寒い部屋も過ごしやすくなることであろう。

我々ができることはそれぐらいであるが、できることを、やるだけである。

古新聞や次々出てくるゴミをまとめて、来年には捨てさることができるように。

その間、子供たちが、父と久しぶりに遊歩という介護用のカートを使って、散歩に出かけていた。

子供たちと交互に代わって、歩いたり、カートをゆるゆると動かしたりしていた。

いつになく、上機嫌である。

孫の底力を見せつけられつつ。

しばらくは、父母の人生の断捨離が続きそうである。

我が家には、ものがあまりないので、意外と簡単な片付けですみ、ほとんどいつも通りなのだが、ものを際限なく持っているものには、断捨離はしんどい作業であるようで。

迷いのある断捨離の手伝いをすることで、父母の人生も、すっきりしたものになりますように。


それから、来年は、皆にとって、良い年になりますように。と願う。

アート・デザイン部門

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by akikomichi | 2016-12-31 23:21 | 詩小説 | Comments(0)

ポーの手紙

第一回プラチナブロガーコンテスト


ポーの手紙を読んでいた。

養父への手紙。

幼い頃、可愛がられた養父へ無心する、駄々っ子のような手紙。

死ぬときは、鞄にちょっとしたものと書類だけだったというポーの生涯。

講演会で訪れたボルティモアでの急死の果てにたどりついた墓。

去年、ボルティモアで見た、ポーの墓は二つあった。

一つは教会の入り口近くに人を迎え入れるための表の墓。

もう一つは、彫られた大カラスに見守られている、ひっそりと暗闇で眠りについたような裏手の墓。

彼の生まれた家族と養われた家族と二つの家があったように、死後の家である墓もまた二つあったのだった。

彼は、金に困った生家から、金には困らない養父母の家へ養子に出された。

養父母は、よくポーを可愛がった。

膝に乗って甘えることもあった、暴君のように、なんでも買い与えられていたともいう。

親元を離れて、学生時代にお金のかかる生活を送らなければならないジレンマから、自暴自棄になり、賭博にはまり、身を持ち崩した末に、陸軍に入ったという。

その都度、金の無心をしていたポーは、常に詩を書くことをやめず、小説を書くことを諦めず、死んでいった。

からっぽの封筒を陳情の手紙で満足しながらも、愛情のある手に満足するわけではなく。

ポーの墓からはボルティモアの丘の上から見た海は見えなかったが。

クラブケーキを食べながら飲んだ、ポーの肖像の貼られた瓶ビールの泡のように苦く冴えたものとなって、何度もそこを訪れたものの胃袋と記憶に飲み込まれることとなるのであろうが。



昨日、兄からの手紙が届いていた。

ポーからの手紙が届いたように。

無心したり、されたりしたわけではなかったが、封を開けると、手心が加えられた手紙と少しばかりの金が入っていた。

子供の頃に宗像大社のもので、確か赤と白の、式神のような人型の紙に、吹きかけてその年の厄を払っていたように。

ふうっと息を吹きかけ、封筒を開いて中身をのぞくと、死に損なったものたちの空洞が、そこにあるような。

あるいは、死んでしまった魂が、そこにあるような。

見えない空洞の、そこのそこを見たような気がした。



アート・デザイン部門

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by akikomichi | 2016-12-31 09:29 | 詩小説 | Comments(0)

詩小説の人

詩小説の人はそのまま声に出し かきむしるまで かきなぐるまで 
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by akikomichi | 2016-12-30 21:58 | 短歌 | Comments(0)

ゲンロンの人

ゲンロンの人も怒らず媚を売り 沈思黙考 売国奴っぷり
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by akikomichi | 2016-12-30 21:40 | 短歌 | Comments(0)

音楽の人

音楽の人は心が広いのか怒らず沈黙 賞取り合戦
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by akikomichi | 2016-12-30 21:37 | 短歌 | Comments(0)


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韓国は約束を守ることをしない、金さえ貰えばいいというような、金を日本軍から絞りとれるという売春を美化し、朴クネの父親が関わっていた慰安婦の管理については知らぬ存ぜぬの、最悪の国である。

パククネの父親に限らず、戦後、韓国軍そのものが慰安婦を利用していたことまでも、全て日本軍がしたことにしている卑怯者でもあるので、韓国に関わらぬようにしないと、また同じことを繰り返すであろう。

軽蔑しかない。

口にするのも嫌なことである。





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 韓国南部・釜山市の大学生や市民団体は30日午後、日本総領事館前に旧日本軍慰安婦を象徴する「少女像」を設置した。31日夜、正式に像の除幕式を行う。市民団体は30日午後、総領事館前で記者会見し、「市民の勝利だ」と主張した。

 市民団体の関係者によれば、団体は30日午前、東区の関係者と面会した。市民団体は日韓慰安婦合意から1年にあたる28日に像の設置を試みたが、東区と警察当局によって強制撤去されていた。東区側は30日の面会で、強制撤去したことを謝罪し、設置を妨げない考えを示したという。

 東区には28日の強制撤去後、苦情や抗議の電話が殺到していたという。31日午後6時から市内で集会を開いた後、午後9時から正式に像の除幕式を行う。

 日韓関係筋によれば、日本政府側は30日も日韓合意の精神に反するなどとして、韓国政府や釜山市などに対し、像の設置を認めないよう要請しているが、韓国政府側は確答を避けている。(ソウル=牧野愛博)


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by akikomichi | 2016-12-30 18:38 | 日記 | Comments(0)

事実として。真珠湾攻撃に加わった飯田房太海軍中佐や原爆投下したチャールズ・W・スウィーニーのように、当事者として、決定的なことをしたものは、後悔などしていないということ。

一方、うがった見方であるかもしれないが。
何をしていたかわからず、戦場を右往左往したり、野垂死にしたり、使われた感が色濃く残るものには、後悔というより、命令されてしたと言うことになり、嫌々ながらさせられたということになり、自分の意思に反して行われたということにまですることで、いつまでもしこりとして残り続けるということ。

戦争への関わり方の違いで、その戦争への思いも違ってくるということは確かなことだと思う。

そういったことも踏まえて。
閣僚による参拝や慰霊の旅は、上記のごとく関わりの深さから言えば、当然、責任を感じるものであり、すべての戦死者を弔い、すべてのなくなったものを慰霊するのは当たり前のことであり、他者に、とやかく言われる筋合いのものではないと個人的には思っている。

慰霊さえも文句を垂れるとは、人として、どうかしている。

たとえどんなことをした人であろうとも、死を悼み悲しむ者がいるということを、決して無視してはならない。













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by akikomichi | 2016-12-30 13:14 | 日記 | Comments(0)

老老介護

一日中休みのないもの疲れ果て老老介護の母の困憊
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by akikomichi | 2016-12-30 09:06 | 短歌 | Comments(0)

片付いてきた

少しずつ片付いてきた部屋の中 母の気力も持ちこたえてきた
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by akikomichi | 2016-12-29 23:54 | 短歌 | Comments(0)



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by akikomichi | 2016-12-29 23:06 | 日記 | Comments(0)