カテゴリ:詩小説( 189 )

「介護日記」

第一回プラチナブロガーコンテスト



母のベットを居間に動かした。

それから、眠りやすいようにおろしたての電気毛布を敷いて。

新年を迎えるにあたって、ぬくぬくした寝床を整える。

これで、暖房をつけても、意外と床冷えする寒い部屋も過ごしやすくなることであろう。

我々ができることはそれぐらいであるが、できることを、やるだけである。

古新聞や次々出てくるゴミをまとめて、来年には捨てさることができるように。

その間、子供たちが、父と久しぶりに遊歩という介護用のカートを使って、散歩に出かけていた。

子供たちと交互に代わって、歩いたり、カートをゆるゆると動かしたりしていた。

いつになく、上機嫌である。

孫の底力を見せつけられつつ。

しばらくは、父母の人生の断捨離が続きそうである。

我が家には、ものがあまりないので、意外と簡単な片付けですみ、ほとんどいつも通りなのだが、ものを際限なく持っているものには、断捨離はしんどい作業であるようで。

迷いのある断捨離の手伝いをすることで、父母の人生も、すっきりしたものになりますように。


それから、来年は、皆にとって、良い年になりますように。と願う。

アート・デザイン部門

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by akikomichi | 2016-12-31 23:21 | 詩小説 | Comments(0)

ポーの手紙

第一回プラチナブロガーコンテスト


ポーの手紙を読んでいた。

養父への手紙。

幼い頃、可愛がられた養父へ無心する、駄々っ子のような手紙。

死ぬときは、鞄にちょっとしたものと書類だけだったというポーの生涯。

講演会で訪れたボルティモアでの急死の果てにたどりついた墓。

去年、ボルティモアで見た、ポーの墓は二つあった。

一つは教会の入り口近くに人を迎え入れるための表の墓。

もう一つは、彫られた大カラスに見守られている、ひっそりと暗闇で眠りについたような裏手の墓。

彼の生まれた家族と養われた家族と二つの家があったように、死後の家である墓もまた二つあったのだった。

彼は、金に困った生家から、金には困らない養父母の家へ養子に出された。

養父母は、よくポーを可愛がった。

膝に乗って甘えることもあった、暴君のように、なんでも買い与えられていたともいう。

親元を離れて、学生時代にお金のかかる生活を送らなければならないジレンマから、自暴自棄になり、賭博にはまり、身を持ち崩した末に、陸軍に入ったという。

その都度、金の無心をしていたポーは、常に詩を書くことをやめず、小説を書くことを諦めず、死んでいった。

からっぽの封筒を陳情の手紙で満足しながらも、愛情のある手に満足するわけではなく。

ポーの墓からはボルティモアの丘の上から見た海は見えなかったが。

クラブケーキを食べながら飲んだ、ポーの肖像の貼られた瓶ビールの泡のように苦く冴えたものとなって、何度もそこを訪れたものの胃袋と記憶に飲み込まれることとなるのであろうが。



昨日、兄からの手紙が届いていた。

ポーからの手紙が届いたように。

無心したり、されたりしたわけではなかったが、封を開けると、手心が加えられた手紙と少しばかりの金が入っていた。

子供の頃に宗像大社のもので、確か赤と白の、式神のような人型の紙に、吹きかけてその年の厄を払っていたように。

ふうっと息を吹きかけ、封筒を開いて中身をのぞくと、死に損なったものたちの空洞が、そこにあるような。

あるいは、死んでしまった魂が、そこにあるような。

見えない空洞の、そこのそこを見たような気がした。



アート・デザイン部門

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by akikomichi | 2016-12-31 09:29 | 詩小説 | Comments(0)

ばあばの体調を気にして、倅がお見舞いに行くというので、ばあば詣でを敢行する。
海の近くの病院へ。

ちょうど、午後2時からの面会に間に合いそうやねえ。

などと言いながら、車で移動する。ばあばが病院が暖かく薄手の寝間着がいいと言っていたので、お店でしっぽりとした浴衣のような木綿の白地に紺の線状の花をあしらったものを見繕ってから、外環状線を走った。

途中で、F大学トンネルという名前のトンネルを通った。F大学に通う前に通っている空洞のほの暗き先に見えたいくばくかの日差しに救われる。長いトンネルであるが、いつかは通りきるものだと、通るたびに思う空洞。

しばらくして、右折してN大学の前を通る。
ここの創始者が、インドの独立を志したボースのレシピとも言える新宿中村屋のインドカレーのレシピを頭山満を介して伝えてもらったということを耳にしたことがあるように、福岡の至る所に「大アジア」的なつながりを色濃く残し、その大元が知られなくなったとしても、残っていくものだと、通るたびに思うのが癖になっている。
鳥飼神社のじっと海を凝視し続ける中野正剛の像の前を通る時も。
かつて玄洋社記念館があった少年科学文化館近くを通る時も。

食に関して言えば、今、経済制裁を解かれつつあるイランにおいても、「大欧羅巴」的あるいはユーロ的なものが色々な分野においても、充実してきているようであるが、「食」は国境を越え、独立をも密かに、あるいは大っぴらに支えるものだと、言えなくもないようで、何かが腹に収まるということは、腹の中で、溶け合う行為であることを思う。
そういえば、どこかの独裁国家に雇われた料理人が行方不明になっているというが、国境を越えたばかりに、飛び火してしまうような大事にならないように。独裁を支えるのは、独りの人でもあるように。一口の幸いを守るためにも、決して火をつけることがないように。

それから、海の近くのS大学の方へ。
かつて通った場所であるが、すっかり様変わりしていた。
ピアノ室のある建物の上から飛び降りた、同級生を思い出していた。
彼女の魂は、あそこから飛び降りた。
バブルがはじけて、就職難に突入していた我々の世代は、時代の年号が変わる時、ベルリンの壁が壊れた時、卒業した。
彼女は、彼女のものであった時間と人を奪われた人生から卒業したのだが、私は今も、彼女を思いながら壁のなくなる場所、屋上を見上げていた。
そこに立つ、誰かと目があうような気がして。

病院に着くと、ばあばは、リハビリの器械を装着していた。

ちょっとしたSFの世界に突入したような器械マインド。

人はいなくなっても、ベットの上で小一時間は、リハビリができるという。

器械がばあばの右膝を110度の角度まで押し曲げていくのを見ていると、人の手が入らなくなる世界は、ここまできているということを感じる。

あの時、飛んだ彼女は、この世界をどう見るのだろうか。屋上から。

ピアノも、器械がひいてくれる世界だ。

死さえも、器械が引きのばしてくれる。

心臓も器械仕掛け。

波打つことさえ。

血を地を震えさせることさえ。

あの時、飛んだ彼女は、あの白い目で見ているのだろうか。

奪われたものと奪ったものを呪うように凝視しながら。


私が物言わず、器械を眺めていると、ばあばはいった。


階段を上り下りするの。これが終わったら。


そう聞きながら、倅は大きくなった手で、ばあばの手を握った。私はばあばの足をさすった。














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by akikomichi | 2016-12-23 23:14 | 詩小説 | Comments(0)

「茅葺への道」

茅葺の屋根に登ってみる景色。

向こうの山に溶け込んで見える人の作った人の生きていける人の住める山のように見える。

やっと、この仕事にたどり着いたんよ。と、会うたびに、せっちゃんは言う。茅葺を愛でているのが、その仕事を拝見するだけで感じられる。彼女の誇りは、その仕事ぶりもさることながら、出来上がりの喜びを知る者だけが味わえるものからきている。揺るぎない満たされる完結。作る喜び。生まれ来る喜び。

かつてはオーストラリアで暮らしていたてっちゃんも黙々と仕事をしているが、大地から作り上げるものを愛でるのと同じように、竹細工職人を目指していたという繊細さを持って、大胆に茅葺をする。野武士のように。

親方は、大大親方つまりはお爺様の代から、大親方のお父さんの手から伝えられた茅葺のあらゆるものを、次の世代に繋げていこうという、志のもと、職人さんたちと人の温もりと茅葺の風通しの心地よさを持ったおおらかな血の通った心ある仕事をされていた。

大親方の相棒である女将さんが来られていた。女将さんは、70歳という年を軽くいなして、茅葺屋根の足場をひょひょいと駆け上り、力もいる棟仕上げをされていた。

私は女将さんのあーちゃんのそばで、棟の出来上がりの手伝いをした。

あーちゃんは、70〜80センチくらいに切った茅を直径20〜30センチくらいの束にしてそれを棟の押さえとしてゆるい角度の屋根の手前と向こうにおいて、その上からしっかりと要所要所の竹組に固定していった。その上を覆うように、杉皮を乗せて、銅線で固定していく。横から見ると、への字に見える。むっくりとした棟の押さえが出来上がる。その押さえを三つほど等間隔で固定していく。かなりの力がいるが、あーちゃんは、熟練の技で、いとも簡単に成し遂げて行った。子供の髪を優しく丁寧に編み上げていくように。

こうして、毛並みの良い生き物のような、美しい茅葺の屋根が出来上がった。

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by akikomichi | 2016-12-22 00:36 | 詩小説 | Comments(0)

「歯のない母のように」

入れ歯がないのよ。

夫の母が言った。

齢80になる夫の母は、いつも、綺麗な人であった。

肌が美しいだけではなく、眼の中の潤いと濁りのない、正直な魂のようなものが凝視するように、そこにあった。

心のうちにあるもののように、部屋の中も、いつも美しく保たれていた。

なくしてしまった入れ歯は、手術の前に、食事などをする台の上に置いてあったというのだが、手術の後の初めての食事の時には、どこにあるのかわからなくなっていた。

ピンク色の歯茎でさえ、可愛く見えるのは、お年のせいではない。彼女の持っているすべてのむき出しのところ。

正常値の血圧と薬の服用。足の動きの確認。まだ動く。半月板も擦り切れてはいるが。歩くリハビリも、年末年始にかけて始まる。

願わくば、一片のパインアップルを口にして。一口の幸いを飲み込んで。



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by akikomichi | 2016-12-21 22:43 | 詩小説 | Comments(0)

「被/差別の自食作用」


昨今の「被/差別」に対する言論において、顕著になったと思われることがある。

それは、「被/差別」は/(スラッシュ)一つを隔ててはいるものの、そのスラッシュの前後は入れ替わり立ち替わりしているのは確かであるということ。

例えば、ある流行(はやり)言葉に賞を与えるという場合。

その賞を与える立場のものが選ぶ権利を持ち、己の具現したい世界観を持ったことどもを選ぶということにおいて、己の肥大化した、己のプロパガンダに組みするものにこそ価値を与えるということは、己の価値をも高めるということにつながる。

何より己が認めて賞を授けるという、祝福しながら己の優位性を保持する装置、この場にいないものよりも優位に立つという行為が「授賞式」という「儀式」である。

このプロパガンダにおいて、「滅びる」ことを望んでいるものがいたとしよう。
彼/女は、滅びることを望んでいる。
子供を育てる場が足りない そのような国は「死ね」という。

国が死ぬということは国がなくなるということで、国がなくなれば、子供を育てる場がないどころではなく、己も死んでしまうということになるのは、シリアをはじめとした紛争地域を見れば、誰もが身にしみていることである。
国が死ぬということは言葉すらなくなる場合もある。このプロパガンダの最たる流行言葉の授賞式すら成立しなくなるということである。

彼/女は、「滅びる」ことを望んでいる。
「死ね」という言葉を選んだ時点で、それは、己の肥大化したものの最大限のプロパガンダは呪詛として、世の中にばらまかれたのだ。

おそらく、ある人はこう思ったのであろう。
子供を育てる場がことたりていなかったから、己の子が死んだ。この国も死ね。と。
確かにある人の子は死んでいた。
ある人は子供を育てる場の最終段階つまり大学に所属している教育者であった。
日本の最高峰とも言える教育現場である。
そこにたどり着く前の一番最初の段階が事足りていないから、死に至ったのであると理由付けすることで、己の肥大化した悲しみのそもそものところを、死においやったものを、この国丸ごとを、すべてなくしてしまいたいという、欲望が呪詛として立ち現れたように思えてならない。
保育園から一番遠くにいるようで、その最終段階にいたものの、自己肥大化。
最大の己のプロパガンダである「授賞式」という「儀式」の奥には、人には見えにくいが、それを選んだものの真の姿が、肥大化した姿が見え隠れしているのである。

ところで、なぜこの「儀式」が、昨今の「被/差別」に対する言論につながるのかといえば、マイノリティとされるものが最大のプロパガンダになってきた日本のあるいは国のあるいは組織のあるいは集合体の「構造」を顕著に表しているものの一つであると思われるからである。

この流行(はやり)言葉を選んだものの中にいた、この一人の教育者は、朝鮮半島系の方で、キリスト教徒でもあった。
マイノリティの方が放つ言葉は、「被/差別」を抜きにしては語れない、あるいは己の出自国朝鮮半島/日本との葛藤でスラッシュ一つで分けられてはいるが、実のところ、こう言った場において、いかんなく発揮されるのが、「被/差別」の入れ替わり、とりかえばやである。

きれいはきたない、きたないはきれい。などと誰かが言っていたが。

差別は非差別、被差別は差別。という風に、入れ替わり立ち代りできる装置が、己を肥大化できる「儀式」なのであり、それを最大限に生かしたとも言える今回の、流行り言葉として大々的に宣伝できた「授賞式」の「構造」が見て取れる。

力のないと勝手に思われているか思い込んでいるあるいは思いこませようとまでしているマイノリティが、実は力を最大限に発揮できるのが、この場を借りた言葉、流行りにしたい「授賞式」であり、力がないと言いつつ力を誇示できる装置にもなるのが、「授賞式」という「儀式」なのである。

こう言った特別な場をわざわざ設けてまでなされる、言葉の、流行にまで持って行こうとする作意の、ありありと現れた言葉の「授賞式」こそが、組織の、集合体の総意のようにされていく「構造」を支えているとも言えるのが、「授賞式」という「儀式」なのである。

そうはいっても、己がそこで生きて、生かされながら、己を育んでいる場を己が住んでいる国を食い散らかしながら我が物顔で生きているとするならば、ある意味、「自食」行為にも似た「構造」は、遅かれ早かれ、破綻していくと思われる。


ところで、プロパガンダの最高峰である爆薬の製作者であるノーベルの儲けたお金で与えられる賞においても、今回は我が福岡にも縁のある優秀な研究者の方の研究に授与されたようであるが。
まさしく象徴的と言える「オートファジー(自食作用)」に与えられたと言えよう。
確か、あまりにひどく場を汚し暴れまわるものに関しては「自食」作用により細胞内の自己浄化的作用につながっていくということだと記憶しているので、あらゆる事実認識が得られた時、日本自身は自食作用によって、どうなっていくのか。

その結果は、いずれ、見えてくると思われる。






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by akikomichi | 2016-12-13 11:28 | 詩小説 | Comments(0)

御狐さまが壊されていたのは、日本つつうらうらでのことであった。

我が福岡の警固公園でも何者かに壊されていたのだが、今回は福島の烏峠にあるという烏峠稲荷神社の御狐さまが韓国籍の住所不定、無職のチョン・スンホ容疑者(35)に壊されていたという。

韓国籍の住所不定、無職のチョン・スンホ容疑者(35)が逮捕されたが、石の御狐さま二体と木の御狐さま一体に込められた思いと時間を壊してしまった容疑者は、物言わぬ石と木と思いが烏峠に存在していることを、もしかして感じているかもしれない。

烏峠というからに、お狐さまの破壊を、烏のような存在が、峠のどこかで見ていたかもしれない。

烏に俯瞰されながら、ふらふらと道を歩いていると、警察に声をかけられ、その犯行を認めたというふうな。

ただ道を歩いていても不審に思われるようなことをしていた心が、とぼとぼと彷徨い歩いていたわけである。

もしかして、日本に来て、あなたは誰であるか。と、その存在を尋ねられたのは、初めてだったかもしれない。

あなたは一体、誰であるのか。
一体、何であるのか。
一体、何をしに日本へやってきたのか。

傷ついたのは、石の塊でも木の塊でもなく、そこに思いの形を具現した御狐さまとして、少なくともそこに住む人々に受け入れられてきたものなのであり、その思いの形を壊した時点で、チョン・スンホ容疑者の中の何かが壊れ、傷ついたのである。

何かを壊すものは、己の中の何かと通底する何ものかをも、同時に壊しているものである。

もし、チョン・スンホ容疑者が、そこにある御狐さまに参り、手をあわせることまでしたならば、道を歩いて、声をかけられたとしても、国籍や名前を尋ねられようとも、日本にいても問題のないただの観光客で、しかも他の国の大切にしているものをも、敬うということで、日本人との見えないところでの葛藤を和らげ、奥深い見せかけではない和解にも通じていったかもしれないが、誠に残念なことに、その見えないところで通じたかもしれない和解という関係性を見える形でも見えない形でも破壊したのである。

チョン・スンホ容疑者は、そこに住む者たちの思いの形を破壊したと思いつつ、一体の己を、破壊していたのだ。

御狐さまが、見えないところでないている。

烏が峠でないている。

思いがどこかでないている。

百体も壊された御地蔵さまもないている。

福島で亡くなった、地震で亡くなった、津波で亡くなった、そこで亡くなった人々の魂がないている。

一体の罪人の思いを破壊し、ないている。

このようなことにしたものの破壊をないている。

大きな思いがないている。

この破壊は、一体、二体にとどまることなく、百体もの思いを壊していったとするならば、チョン・スンホ容疑者にとどまらず、彼を支えていたものたちをも破壊していくことであろう。

思いとは形を変えて存在していくものなのかもしれない。

誰も見ていないから何をしてもわからないでは済まされない、何かが破壊されたものはもちろん、破壊者の中にも、何かが起こるということは確かなことであろう。

ものであれ、文字であれ、形になったものは、強く、深くそこへと収斂され、積み重ねられていく思いがあるのは、確かであろう。


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by akikomichi | 2016-12-11 14:03 | 詩小説 | Comments(0)

「夜の片付け」

夜になっても片付かない。

実家に積もっている何十年もの時間を片付けていた。

一晩で片付けられるような代物ではない。

次々に重なっていくものたちへの偏熱は冷めてもなおほこりとともに散りぬらん。

新聞と押し紙の軌跡。

ものからものへのシフト。

脱皮しそこねた亡骸のような服。

私のいなくなっていた家の時間を断捨離。

ありがた迷惑なのはわかるが、ありがたくないほこりはふりはらうにこしたことはない。

生ゴミ袋7袋の時空間。

もえない塵の時空間は恐ろしいまでに増殖し一人では太刀打ちできない。

せめて父母くらいは清々しき朝を迎えるように最後を迎えることくらいは介添えする覚悟で。







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by akikomichi | 2016-12-10 20:35 | 詩小説 | Comments(0)

「流行」

流行前
増毛の宣伝に終始したのは己
一度なくしたとうひは
もう二度と己の毛には戻らない
いくら審査したところで毛遅れなのだ

流行中
自転車で転げるように死に急ぐ政治的な愛人と
噂ばかりが流行していた種あかし
歌にしろ 流行というより流行病 
しにいたらない病か さらなる病

流行後
何事もなかったように忘れ去られるものを選んだところで
己の分身が自死したことは忘れることができないふかい傷
その傷は己の痛み
滅んだのは己の魂





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by akikomichi | 2016-12-08 10:41 | 詩小説 | Comments(0)

「あと5年は」



 あと5年は生きられると、先生が言いよったもんね。


 父は、「遊歩」という体の不自由な人が乗るカートの背もたれに左手で摑まって、右半身が麻痺した体をゆっくりと引きづりながら、ニヤニヤしながらそう言った。
 

 まだまだ、さきまで行けるって。


 私は、時速1キロ前後に設定してある「遊歩」を操作しながら、答えた。
歩き始めたのは、人通りが少ない道の上であったが、父が歩くことをやめない限り、時速1キロであろうと、遠くまで行けるのは確かなことであった。

 母は、老々介護の疲れもたまっていたのか、風邪をこじらせ、寝たり起きたりを繰り返していたものだから、時間の融通がきく、私が少しでも加勢になるようにと、通い続けていたのであった。

 遠くまで行くことは、私にとっては、どちらかというと、喜びであったが、父にとっても、そうであるようで、昔から、何はともあれどこかに動いていないと落ち着かない人であった。

 
 お前は、俺と一緒で、でべそやからなあ。


 母は、どちらかというと、出不精であったが、家庭内遊牧を繰り返していた。
 落ち着ける場所であるはずの家の中を、遊牧民のように、移動していたからだ。父と同じ部屋で簡易ベットを置き、眠っていたと思えば、今度はルーフバルコニーのような陽当たりの良いところに、ベットを持って行き暑い暑いといいながら眠っていたり、そうかと思うと、居間にある座椅子のようなものをリクライニングして、毛布をかぶって寝ていたりした。風邪を引くはずである。彼女は、父の環境はなるべく整えようという意思を持ってあたっていたが、自分の環境には、てんで無頓着なのであった。


 せめて、布団で寝ないと、疲れは取れんって。


 母にそう言いながら、内面的ヤドカリ生活を続けるような、母の内面的移動祝祭的生活も、父の外面的移動祝祭的生活も、私の中にはあり続けている気がしていた。それは交互にやってくるようでもあり、同時進行しているようでもあった。

 
 しかし、お前が一番、俺たちと一緒にどこにでもいっとったなあ。革命前と戦争の始まったイランにもおったし、ヨーロッパを安旅行で回った時もおったし、エジプトやら、ドバイやら、タイやらも、みんな一緒に回っとったやろうが。


 そうやねえ。行くだけは行ったねえ。そこに何があるかは、見たまましかわからんかったけど。面白かったし。


 遊歩のペースは、そのままで、速度表示が0.8キロと0.9キロを行ったり来たりしていた。


 イランでも、よう旅行にいったなあ。バンダルアッバスまで、車で1000キロ運転したばい。海があったろうが。あそこで魚ば買ったの覚えとるか。

 
 右手を三角巾に吊るしていて、魚か鳥のくちばしのように曲がったままなので、傍に魚を抱えて生け捕りにしたばかりのように見える父が言った。


 ああ、そうやったねえ、覚えとるよ。おっきな魚もおったけど、エビとかもあったような。


 そうたい、あそこに住んどる女の人たちが、烏天狗みたいな、マスクばしとったろうが。


 あんまり覚えとらんけど、そうやったかねえ。女の人が黒いチャドールを着とったのは、よう覚えとるけど。


 目だけがよう見えて、鼻から下は隠されとったけんね、母ちゃんと、烏天狗みたいやねえといいよったと。


 烏天狗というものが、どういうものかよく分からない私は、カラスと天狗が合体した忍者のようなものを想像した。
 私は、イラン映画で、イランのとある島の砂浜に佇むドアのでてくる映画のあの浜辺を思い出していた。確か、今は、タックスフリーになっている島。その浜辺を歩いている、そのドアを見かけたものの、ドアとのやり取りを、延々と撮り続けている映画。

 私は、その青っぽかった記憶のあるドアの向こうにいたかもしれない烏天狗を思い浮かべていた。いや、浜辺の空が青かったのか。海が青かったのか。記憶とは、どこかが重なって、いつの間にか、ドアの色まで青く塗り替えていくものなのかもしれないが。あのドアの向こうには、記憶が眠っている。私の幼い頃の、見ていたようで、見ていなかったあらゆる記憶が空とも海ともつかないドアの向こうに野ざらしになって、そこにあるのだ。

 
 あと5年はいきてる間にさあ、またどこかに行きたかねえ。


 烏天狗を見たその目で、魚を探すようなぎょろりとした目で、父が言った。

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by akikomichi | 2016-12-03 23:25 | 詩小説 | Comments(0)