カテゴリ:日記( 1859 )

「燈台へ」ヴァージニア・ウルフ みすず書房  以下抜粋。〜〜〜〜〜〜〜



この暗い楔形の芯は、どこにでも行くことが出来ます、誰にも見られないのですから。

誰にもそれを止められないと少し得意になって考えます。

自由があり、平和があり、中でも、すべての力の統一があり、ゆるぎない土台の上での休息があります。

自己として人は休息など見出せぬものであるのは経験の上から知っております(ここで、何か素晴らしい編針の運びを成し遂げました)。

それが出来るのは黒い楔形の芯だけなのです。

個をなくすれば、いらだちあわてて、心のさわぐこともない。

すべて物が、この平安、このやすらぎ、この永遠に、きたりつどう時に、人生に対する勝利の歓声が、私の唇にのぼってきます。

ここに、身を休めて、燈台のあの閃光、あの三番目の息のながい、着実な輝きに、目をあてようと、見はるかします。

これこそ私の輝きなのです。

この時間に、このような気分であの燈台の光の帯を眺めていますと、自分の眺めている物の一つに自分を結び付けないではいられないのです。

それで、これ、この息のながい、第三の着実な光の帯、それが私のものなのです。

度々私は仕事を手にして座っては眺め、座っては眺めしていて、ついには、自分の眺めているもの、例えばあの光、になってしまっているのに気がつきます。

それで、その光は私の心の中にあった色々な短い言葉をその上に乗せてゆきます。

「子供は忘れないのです、子供は忘れないのです」

またそれをくりかえしてゆくうちにそれに新たにつけ加えて、

「それはやがて終わる」

と私は言います。

「ああ、やってくる」、「やってくる」、その時、不意に「我らは神の御手にあり」、と付け加えました。

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by akikomichi | 2018-01-17 21:30 | 日記 | Comments(0)

「茅葺の民俗学」生活技術としての民家 安藤邦廣 はる書房より以下抜粋。


草で葺かれた屋根の総称としては茅葺屋根の他に草屋根、草葺屋根、葛屋等が用いられた。

葛屋とはありあわせの屑物を利用して作られた屋根、またはその家という意味である。

またすすきで葺かれた屋根を茅葺屋根と呼ぶのに対して、稲わらや麦わらで葺かれた屋根はわら葺屋根と呼ばれる。

さてこのような茅葺きの屋根は古くから北海道、沖縄まで住宅に限らず社寺等のあらゆる建物に用いられてきた。家屋文鏡(奈良県の佐古田の宝塚古墳から出土した古墳時代の傍製鏡)に描かれた住居の屋根は茅葺屋根と考えられ、また埴輪に見られる屋根も茅葺屋根の形態を表している。古代の住居(倉)の形式を伝えるといわれる伊勢神宮の屋根も茅葺である。

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by akikomichi | 2018-01-01 13:15 | 日記 | Comments(2)

「茅葺の民俗学」生活技術としての民家 安藤邦廣 はる書房 より 以下抜粋。


茅とは屋根を葺く草の総称で狭い意味には最もよく使われるすすきのことである。
かやは茅(萱)の他には古くは、茅草、草の字が用いられてきた。


爾(ここ)に即ち、其の海辺の波限(ナギサ)に鵜の羽を以ちて茅草(カヤ)と為て産殿を造りき。
〈略〉〈波限を読みて那芸佐と云ふ。茅草を訓みて加夜(カヤ)と云ふ〉(古事記ー上)


わがせこは、 かりいほつくらす、くさなくば、こまつがもとの、 くさをからをからち
吾勢子波、 借廬作良須、 草無者、 小松下乃、 草乎苅乎苅核   (万葉一巻)


次に草の祖(おや)草野姫(かやのひめ)を生む。亦の名は野槌    (日本書紀ー神代上)


このような かや の語源として次のような説がある。

一、かりや(刈屋)の約(冠辞考続貂)
刈って屋を葺く物の意のかりや(刈屋)から茅料に用いる草の総称をかやといい、それに最適の萱、茅を特にかやと呼ぶようになった(大言海)

二、かや(上屋)という意をもって茅料をかやと言い、これに禾草(かくさ?)を用いたので草をかやと称し、さらに茅料に最適する萱、茅の類をちかや(ちは強の意)略してかやといったところから(日本古語大辞典)

三、かおや(草祖)の義(言元梯)

四、毎年冬春の間に刈って焼くところから、かりやく(刈焼)の略(名言通)

五、かれ(枯)やすきところから(和句解)

六、風のためにかやかやと音がするところから(日本語源)

七、くさよはの反(名語記)


以上のように茅は屋根を葺く草の総称であり、すすきの他によし(あし)、かりやす、かるかや、しまがや、ちがやなどのイネ科の多年草、麦わら、稲わら等の穀物の茎、麻桿(あさわら?)、笹等の手近に入手できる材料が使われた。
このような草は屋根を葺く材料としてみなされた時にはじめて茅と呼ばれるのであり、たとえば、お月見に飾ってあるすすきを茅とは呼ばないのが普通である。


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by akikomichi | 2017-12-31 15:22 | 日記 | Comments(0)

イザベラ・バードが見た日本は、緑の深い奥まった日本であったようではあるが、新潟に茅葺の勉強に行った時に訪れた大内宿の茅葺の家々の詳しい記述は見当たらず、おそらく、その当時はどこにでもある風景として、認識されていたと思われる。

彼女は北海道のアイヌの村も訪れている。
アイヌの人々に、どちらかというと欧羅巴に近しいものを感じていたようである。

以下、茅葺や屋根に関する記述抜粋。

第十一信
藤原にて
板葺屋根に携わって茅葺屋根になっているので、村の姿もだいぶ良くなった。急な屋根、深い軒端と縁側がある。屋根や壁は暖かそうなあずきいろである。ごたごた混雑している農家の風景も、奇妙で面白い。椿やざくろの生垣があり、竹藪や柿の畑がある。

悲しみに沈めるときに楽し日を
思い出すほどかなしきはなし(テニソン 〜 ダンテ「地獄篇」)

第十一信
津川にて

美景を添える茅葺屋根は姿を消し、津川では屋根は樹皮を細長く切ったものを葺いてあり、大きな石で押さえてある。しかし、通りに面して切妻壁をを向けており、軒下はずっと散歩道になっている。




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by akikomichi | 2017-12-11 20:39 | 日記 | Comments(0)

一度だけ仏教寺院のことを書いてみることにする。

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土台は四角の石からなり、その上に柱が立っている。
柱は楡材で、間隔を置いて縦の木材と結合されている。
屋根が非常に大きくて重みがあるのは、桁構えの構造によるものである。
これは一つの思い枠組みからできており、頂上まで面積をだんだん少なくして築き上げたものである。
主要な梁は非常に大きな木材で、自然状態のままにしてあげてある。
屋根は非常に重くて装飾的な瓦が敷いてあるか、あるいは金で飾った板銅で覆われている。
ときには、立派な屋根板か樹皮で、1フィートから2フィートの深さまで葺いてあることもある。
壁の外側は、普通厚い楡剤で板ばりがしてあり、漆が塗られているか、あるいは何も塗っていない。
壁の内側は、美しい松材に薄く精巧にかんなをかけ、斜めに切った板ばりである。
天井は平らな羽目板が張ってあり、柱で支えられているところは、一様に円形で、松材の木目の細かい柾目(まさめ)板である。
屋根の梁が軒下に出張っている先端は、精巧に彫刻がしてあり、鈍い赤色の漆が塗ってあるか、あるいは、梁の継ぎ目と同じように銅板で包んである。
釘はほとんど使用されていない。
材木は蟻ほぞで美しく接合されており、その他の接ぎかたは知られていない。


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by akikomichi | 2017-10-09 22:18 | 日記 | Comments(0)

新潟の魚沼に茅葺職人体験に伺った時に、福島にも足を伸ばし茅葺銀座?「大内宿」を訪れた時のことである。

猫が縁側で眠っていたので、近づいてみると、その横にイザベラ・バードがこの家に泊まったことがあるということが書いてあった。

店番をされているその家の子孫の方が、イザベラ・バードはぶどう酒を持っていて、それを飲んでいるのを見て、住民が不気味がったという話をお聞きした。

ぶどう酒が人の血に見えたらしい当時の方々が、生き血を飲む珍しい人を、訝っていたという、今では笑い話であるが、本当にあった異文化交流話である。

イザベラ・バードが日本の奥地を旅したのは、自分の健康を慮っての、気分転換のためのものではあるが、日本を視察する目的も大いにあったようで、もの珍しいということにおいては、外から来た者にとっても、うちにある者にとっても、同じ思いであったようである。

オーストリア公使館のシーボルトの報告と当時の日本の情報を照らし合わせていたということ。

アメリカ外交の成功を長く記念するとイザベラ・バードがいう、アメリカ人の命名したリセプション湾、ペリー島、ウェブスター島、サラトガ岬(富津崎)、ミシシッピー湾(根岸湾)というものも知らなかったが、名前というものは名付けるものの思いが重なってはいるものの、当時の方々にとっては、はた迷惑な、わけのわからない、勝手なことであったともいえよう。

いやいや、勝手に命名するなよ。と。


人力車が初めて街中をはしりだしたのが1871年(明治4年)であるということ。も知らなかった。

今では、いつ始まったかなど覚えてもいないことを書き記すことによって、刻みこまれるものもあるということ。

大内宿にたどり着く前に、イザベラ・バードの見たであろう日本を、これからじっくり読み、寄り添うように、たどっていこうと思う。

大内宿で眠っている猫の夢のようなものであるかもしれない。ひとときのものであるかもしれないが。

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by akikomichi | 2017-09-27 23:39 | 日記 | Comments(0)

怪獣の腕のなか



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by akikomichi | 2017-09-18 22:28 | 日記 | Comments(0)

宗像フェス


生まれ育った宗像でフェスがあるのは嬉しいことです。
可愛い姪っ子ちゃん、ライブも頑張ってくださいね。応援してます。


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by akikomichi | 2017-09-06 22:56 | 日記 | Comments(0)

「日本の草屋根」相模書房 小林梅次著 より

万葉集一六三八の歌

あをにいよし奈良の山なる黒木用ち造れる室は坐れど飽かぬかも

これは聖武天皇の歌であるが、黒木の語が見える。黒木の意味は、皮付きの木という意味と常緑樹の意とある。それはともかくとして、室の語が使われているけれども、穴の段階から脱した建築を思わせるものがある。ただ、黒木が建物のどの部分に使われていたものか、この限りではわからない。


万葉集千六三七の歌

はだ薄尾花逆葺き黒木用ひ造れる室は万代までに

この歌は「尾花逆葺き」の語によって、その様子は一段と明らかで、屋根が尾花、つまり茅で葺かれていたことを示している。



播磨国風土記中川の里の項に

時に大中子、苫もて屋(いへ)を作りしかば

とあるのも、苫で屋根または壁を作ったのであろう。


徒然草にも

家の造りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなるところにもすまる。熱き頃、わろき住居はたえがたき事なり。

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by akikomichi | 2017-08-16 22:36 | 日記 | Comments(0)

夏目と冬目

白川村とほぼ同じ こて のことを、岐阜県揖斐郡(いびぐん)本巢町神海では ていた と言っている。
かい型で、材料は けやき である。
ここでは めなし と言って、こて型の表面を鉋をかけたりして正確な平面にして使用しているが、これにはわら縄巻かないというから、一段と精密な仕上げを期待している こて ということがわかる。
つまり、白川村のようにわら縄をまくと、能率的にたたけるが、それほど正確な平面性は得られないで、細かいでこぼこが残る。
めなし といわれるような正確な平面を持った板で叩き揃えれば、それなりに平面性も正確になる。
その代わりに縄のような滑り止めもつかないので、どうしても滑りやすく能率がよくなく、叩く力も余分なものが必要になってくるということになる。
この めなし も使用しているうちに板の 夏目 が減ってきて、自然と 冬目 が浮いてくる適度な滑り止めができるようになってくる。


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※ 年輪を見ると交互に厚さの薄く色の濃い層と、厚く色の薄い層が綺麗に順番に重なっているのがわかる。
  前者を 冬目 といい、後者を 夏目 という。


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by akikomichi | 2017-07-08 21:01 | 日記 | Comments(0)