カテゴリ:日記( 1856 )

イザベラ・バードが見た日本は、緑の深い奥まった日本であったようではあるが、新潟に茅葺の勉強に行った時に訪れた大内宿の茅葺の家々の詳しい記述は見当たらず、おそらく、その当時はどこにでもある風景として、認識されていたと思われる。

彼女は北海道のアイヌの村も訪れている。
アイヌの人々に、どちらかというと欧羅巴に近しいものを感じていたようである。

以下、茅葺や屋根に関する記述抜粋。

第十一信
藤原にて
板葺屋根に携わって茅葺屋根になっているので、村の姿もだいぶ良くなった。急な屋根、深い軒端と縁側がある。屋根や壁は暖かそうなあずきいろである。ごたごた混雑している農家の風景も、奇妙で面白い。椿やざくろの生垣があり、竹藪や柿の畑が亜ある。

悲しみに沈めるときに楽し日を
思い出すほどかなしきはなし(テニソン 〜 ダンテ「地獄篇」)

第十一信
津川にて

美景を添える茅葺屋根は姿を消し、津川では屋根は樹皮を細長く切ったものを葺いてあり、大きな石で押さえてある。しかし、通りに面して切妻壁をを向けており、軒下はずっと散歩道になっている。




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by akikomichi | 2017-12-11 20:39 | 日記 | Comments(0)

一度だけ仏教寺院のことを書いてみることにする。

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土台は四角の石からなり、その上に柱が立っている。
柱は楡材で、間隔を置いて縦の木材と結合されている。
屋根が非常に大きくて重みがあるのは、桁構えの構造によるものである。
これは一つの思い枠組みからできており、頂上まで面積をだんだん少なくして築き上げたものである。
主要な梁は非常に大きな木材で、自然状態のままにしてあげてある。
屋根は非常に重くて装飾的な瓦が敷いてあるか、あるいは金で飾った板銅で覆われている。
ときには、立派な屋根板か樹皮で、1フィートから2フィートの深さまで葺いてあることもある。
壁の外側は、普通厚い楡剤で板ばりがしてあり、漆が塗られているか、あるいは何も塗っていない。
壁の内側は、美しい松材に薄く精巧にかんなをかけ、斜めに切った板ばりである。
天井は平らな羽目板が張ってあり、柱で支えられているところは、一様に円形で、松材の木目の細かい柾目(まさめ)板である。
屋根の梁が軒下に出張っている先端は、精巧に彫刻がしてあり、鈍い赤色の漆が塗ってあるか、あるいは、梁の継ぎ目と同じように銅板で包んである。
釘はほとんど使用されていない。
材木は蟻ほぞで美しく接合されており、その他の接ぎかたは知られていない。


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by akikomichi | 2017-10-09 22:18 | 日記 | Comments(0)

新潟の魚沼に茅葺職人体験に伺った時に、福島にも足を伸ばし茅葺銀座?「大内宿」を訪れた時のことである。

猫が縁側で眠っていたので、近づいてみると、その横にイザベラ・バードがこの家に泊まったことがあるということが書いてあった。

店番をされているその家の子孫の方が、イザベラ・バードはぶどう酒を持っていて、それを飲んでいるのを見て、住民が不気味がったという話をお聞きした。

ぶどう酒が人の血に見えたらしい当時の方々が、生き血を飲む珍しい人を、訝っていたという、今では笑い話であるが、本当にあった異文化交流話である。

イザベラ・バードが日本の奥地を旅したのは、自分の健康を慮っての、気分転換のためのものではあるが、日本を視察する目的も大いにあったようで、もの珍しいということにおいては、外から来た者にとっても、うちにある者にとっても、同じ思いであったようである。

オーストリア公使館のシーボルトの報告と当時の日本の情報を照らし合わせていたということ。

アメリカ外交の成功を長く記念するとイザベラ・バードがいう、アメリカ人の命名したリセプション湾、ペリー島、ウェブスター島、サラトガ岬(富津崎)、ミシシッピー湾(根岸湾)というものも知らなかったが、名前というものは名付けるものの思いが重なってはいるものの、当時の方々にとっては、はた迷惑な、わけのわからない、勝手なことであったともいえよう。

いやいや、勝手に命名するなよ。と。


人力車が初めて街中をはしりだしたのが1871年(明治4年)であるということ。も知らなかった。

今では、いつ始まったかなど覚えてもいないことを書き記すことによって、刻みこまれるものもあるということ。

大内宿にたどり着く前に、イザベラ・バードの見たであろう日本を、これからじっくり読み、寄り添うように、たどっていこうと思う。

大内宿で眠っている猫の夢のようなものであるかもしれない。ひとときのものであるかもしれないが。

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by akikomichi | 2017-09-27 23:39 | 日記 | Comments(0)

怪獣の腕のなか



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by akikomichi | 2017-09-18 22:28 | 日記 | Comments(0)

宗像フェス


生まれ育った宗像でフェスがあるのは嬉しいことです。
可愛い姪っ子ちゃん、ライブも頑張ってくださいね。応援してます。


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by akikomichi | 2017-09-06 22:56 | 日記 | Comments(0)

「日本の草屋根」相模書房 小林梅次著 より

万葉集一六三八の歌

あをにいよし奈良の山なる黒木用ち造れる室は坐れど飽かぬかも

これは聖武天皇の歌であるが、黒木の語が見える。黒木の意味は、皮付きの木という意味と常緑樹の意とある。それはともかくとして、室の語が使われているけれども、穴の段階から脱した建築を思わせるものがある。ただ、黒木が建物のどの部分に使われていたものか、この限りではわからない。


万葉集千六三七の歌

はだ薄尾花逆葺き黒木用ひ造れる室は万代までに

この歌は「尾花逆葺き」の語によって、その様子は一段と明らかで、屋根が尾花、つまり茅で葺かれていたことを示している。



播磨国風土記中川の里の項に

時に大中子、苫もて屋(いへ)を作りしかば

とあるのも、苫で屋根または壁を作ったのであろう。


徒然草にも

家の造りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなるところにもすまる。熱き頃、わろき住居はたえがたき事なり。

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by akikomichi | 2017-08-16 22:36 | 日記 | Comments(0)

夏目と冬目

白川村とほぼ同じ こて のことを、岐阜県揖斐郡(いびぐん)本巢町神海では ていた と言っている。
かい型で、材料は けやき である。
ここでは めなし と言って、こて型の表面を鉋をかけたりして正確な平面にして使用しているが、これにはわら縄巻かないというから、一段と精密な仕上げを期待している こて ということがわかる。
つまり、白川村のようにわら縄をまくと、能率的にたたけるが、それほど正確な平面性は得られないで、細かいでこぼこが残る。
めなし といわれるような正確な平面を持った板で叩き揃えれば、それなりに平面性も正確になる。
その代わりに縄のような滑り止めもつかないので、どうしても滑りやすく能率がよくなく、叩く力も余分なものが必要になってくるということになる。
この めなし も使用しているうちに板の 夏目 が減ってきて、自然と 冬目 が浮いてくる適度な滑り止めができるようになってくる。


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※ 年輪を見ると交互に厚さの薄く色の濃い層と、厚く色の薄い層が綺麗に順番に重なっているのがわかる。
  前者を 冬目 といい、後者を 夏目 という。


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by akikomichi | 2017-07-08 21:01 | 日記 | Comments(0)

覚書

<主な屋根型>

やろうむね(寄棟)
はふ造り(入母屋造)
かぶと造
きりつま(切妻造)

すごや
まがりや
くど造
せいろ造
二棟造

まる棟(暖地型)
かく棟(寒地型)

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by akikomichi | 2017-06-28 23:17 | 日記 | Comments(0)




古浄瑠璃『弘知法印御伝記』(こうちほういんごでんき)

古浄瑠璃『弘知法印御伝記』の写真
写真 島倉英嗣

17世紀の末、人形浄瑠璃は歌舞伎と並んで、庶民の間で最も人気がある娯楽でした。そうした時代の中、人形浄瑠璃『弘知法印御伝記』は、1685年に江戸日本橋の説教座で上演されました。
江戸時代、日本は鎖国をしていたが、オランダとだけは交易をしていました。そのオランダ商館が長崎にあり、博物学者でもあったドイツ人の医師、ケンペルは、1692年に帰国する際、この台本を船の積み荷の下に隠して持ち出しました。やがて、日本に原本が存在しない幻の浄瑠璃となりました。
それから300年以上の時が過ぎて、1962年、ケンブリッジ大学で日本の中世演劇を教えていた早稲田大学の鳥越文藏先生が大英博物館で発見しました。
六段からなる浄瑠璃に仕立てられた『弘知法印御伝記』は、新潟県長岡市寺泊の西生寺に日本最古の即身仏として安置されている弘智法印にまつわる伝説をもとに、虚構を加えた高僧の一代記で、当時の庶民の人生観や宗教心を生き生きと描き出す貴重な浄瑠璃です。



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>新潟県長岡市寺泊の西生寺に日本最古の即身仏として安置されている弘智法印にまつわる伝説をもとに、虚構を加えた高僧の一代記


と言う。

再現できることの喜ばしさ。

昔と今をつなぐものとしての物語の有り様を見た。


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by akikomichi | 2017-06-05 20:25 | 日記 | Comments(0)

sigur ros

先日のこと。
朝早く車で移動中にラジオを聞いていた。
震災で亡くなった大切な人や家族の幽霊にあったという方々のお話を聞いて回った方がおられたのは知っていたが、その方の本の紹介をされていた。
今になって薄れていく記憶の中にありありと生き続けている大切なものを忘れてしまったような切ない、世知辛い世の中であろうとも、魂になってもそばにいてという感覚はいつもあればいいと思う。
その時にかかっていたsigur rosもなんだかしみじみといつもそばにある魂のように懐かしいものであった。
今聞きたいのは、まさしく、そういう音であった。


https://www.youtube.com/watch?v=y-UfM4N-Fo8&list=PLGU0GKCyIp5vf9ZiAb0_f5AzdHDsRdXvt

https://www.youtube.com/watch?v=8LeQN249Jqw&list=PLGU0GKCyIp5vf9ZiAb0_f5AzdHDsRdXvt&index=2

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by akikomichi | 2017-05-14 21:40 | 日記 | Comments(0)