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「黄色い日々」梅崎春生

(あいつは助かったんだな、あいつは)
それは麻痺性痴呆の病名をもって、A級戦犯の法廷から除外された男であった。この男がM病院に収容されていることは知っていたし、直線道路の彼方にその姿を見たとき、彼はすぐその男であることを直覚した。長身のその姿は、冷たい風のようなものを漂わせながら、近づいてきた。すれちがうまで彼ら三人は、しんと口をつぐんで歩いていた。
(どうしてあのときおれたちはしんとしてしまったのだろうな)

梅崎春生「黄色い日々」より抜粋


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なんとなく、梅崎春生「黄色い日々」を読んでいた。

「幻化」「桜島」なども読みつつ、戦争の後始末としての東京裁判についてふと思った。


誰が、生き残ったものを責めることができようか。などとおもいながら、これを繰り返し読み返していたのだ。

おそらく、梅崎の残した小説から鑑みると、上記の男は、大川周明のことであろうと思われるが。

東京裁判を生身で知っているものは、半ばあきらめのような、どうしようもない押し付けられた裁判を、生で、引き受けてきたのであるから、それを卑怯という単純な暴言を吐き捨てるだけでは、あまりにもそこが浅いようにも思われる。

たとえそれが、現人神、言ってみれば超A級戦犯的存在であったとしても、罪や罰というものを、他から受けつつ、生き残ったもの自らの中に課している様々な償いのようなものを見ようともしないのは、あまりにもそこが浅いと言わざるをえない。

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by akikomichi | 2017-08-14 00:01 | 小説 | Comments(0)

『墓がない』

夢野久作の墓を見た。

博多にある一行寺に眠る、杉山家の墓。

入り口から入ってすぐの左側にあった大きな墓。

身体にあった大きさであったのだろうか。

巨体であった久作にあった、大きなそしてすこうし寂しい冬枯れた墓であった。

花を持ってくればよかった。

土から生えたばかりのうねったような花がいい。

死者の血肉を吸っているのかしらぬ存ぜぬと咲いた、するりと咲いた花がいい。

金文字で、杉山家の墓とわかるように彫ってあった。

久作は、玄洋社にも関わりのあった父親の杉山茂丸をはじめ、その一族の方々と、仄暗い墓の中、胎児の夢でも見ているのだろうか。


そういえば、ボルティモアの海の見える坂道を登って、丘の向こうにある教会の墓地に、ポーの墓はあった。


墓に辿り着く前に、夕方5時ごろの終わりがけの市場でクラブケーキと一緒に、ポーの顔の張り付いたラベルの瓶ビールをかっくらってきたばかりであった。

生牡蠣をしゃぶりつくしたかったが、夜遅くなるとここいらは意外と暗闇が深いということで、ポーの墓にたどり着くかどうか、わからないので、角打ちのように、たったまま、食らいつき、瓶ビールを空っぽにしたわけだ。


市場を出て、すぐの道でバスを待つ、米国の女学生に、ポーの墓はどこかと尋ねると、すぐそこよと、一人の赤毛の女学生が、道を挟んで建っている教会のような建物のある敷地を指差した。


入ってすぐに墓はあった。

一つは入り口のすぐ右に、もう一つは小道を逆L字型に辿った先の墓地の奥に。

墓地の奥から、入り口にうつされたと聞いたが、二つの墓に入ったものの、一度は掘り起こされた後、生き返ったわけでもなく、骨だけとなったポーは、壁からこぼれ落ちたものの気持ちを、現実においても味わったということにもなろう。

墓案内には、大鴉が、遠ざかる影のように、小さく張り付いていた。




作家とは、自分の書いたもののなかで生き続けるが、また、死に続けるものなのだ。

さしづめ、物語は、作家の墓標である。



ところで、私には、墓がない。

まだ、物語さえ、はじまっていないのだから。


こどもには、いつか何千度かわからぬか高温で焼かれるか、どろどろと地下深くねむり石化した私を吸い上げるなり、差し歯のように小さくなった私を形見あるいは二人それぞれに割ってもらって片身にして禍々しき魔除けのように持ち歩くなり、護身用に尖った石斧に加工するなりして欲しいと、言ってはいるが。

私には、墓がない。

入るべき墓がないのである。

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by akikomichi | 2016-02-10 23:21 | 小説 | Comments(0)

なぞなぞを

なぞなぞを よるになったら しろいめできて あかめでさるものなんでせふ 
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by akikomichi | 2015-12-19 23:15 | 小説 | Comments(0)

この国の崩壊の手前。
見えにくい、いるかいないかもさだかではない子豚とサイクリングしていた。

知人Kが死んだのは、船がたどり着いてからだ。
動力も疑わしい、小舟に乗ってやってくるのは密航者。
難民ではない。
工作好きな密航者。
何を作りたいのだろう。
理想の国家か。
いやそうではないだろう。
理想などなく、ただ生き残るために。
潜水艦から核爆弾でも撃って、地を揺るがし、徐々に壊していくために。
五、六年先を狙っている。
気をつけろ。
あいつらは、なんだってやる。

無性に、知人Kの声が聞きたくなった。

男Hは、わけもわからず、自転車で街中の暗そうで暗くない道を走っていた。

市場近くの、「まるいわ」、深夜営業をやめるという看板が出ている。
知人Kが昔、連れて行ってくれた店。
国際とか和をむやみに強調する時、どことなく不自然な気がするんだよね。
ぱちんこ屋の多角経営している店に多いからだろうけどさ。
と知人Kが、話していたのを思い出した。

あの店は、ぱちんこ屋でも厳しい季節になったきたのではないのか。
北の寒い国から来た者達の寒い季節がやってきたというのだろうか。

それにしても、あの死者を乗せてやってきた小舟の人たちは、この国で儲けた資金を、受け取りにでも、ここにもきたのだろうか。
小舟に乗って。
はるばると。
ATMと化したぱちんこ屋に辿り着く前に、死んでしまっては、持っても帰れまいが。

コンビニに夜の営業を取られたのだろうが、銀行業務で、みなごまかしが効く営業に切り替えているというのに。

未だに、公費を投資でぶっ飛ばす、いや、ぶっ飛ばされたふりをしている、この国の行方。

武器で使い込み、政治工作で使い込み、公務員の給料に使い込み、ただたんに、外資にうわっパネを引き出されただけにしろ。

子豚どころか、魂などどこにも、見当たらない。

国境や国内外の見張りをするところが間違っているのにも気付かないとは、「方向性」が間違っている。

何億かしらんが総監視社会の到来。

データ流出も不意にか故意にかを装い、もともとツーカーの駄々漏れの監視社会。

息苦しい。夜の道を通りながら、男Hは、何もつくりだすことのない行為にうんざりしていた。


手を変え品を変え、パチンコ資金やら脱税やらを元手に、せんきょに打って出る。
今度はどこかのアナウンサーを起用するらしい。
以前は、報道関係者だったが、この国は、よその国のものに遠隔操作され、ほぼ乗っ取られているのを間近に知ったのも、知人Kからだ 。
翻訳の仕事上、生き残るためにか、知っていながら、知らぬふりをしていたのだろうが。

どちらにしろ、みえないようにくちをふさがれ、きこえないようにめをつぶされたものには、同じようなものだが。
南の国のものは、胃袋でせんきょをささえ、飼いならす、背乗りの「遺伝子組み換え」の餌を与えるように。

アナウンサーも、お世話になっているのだろうか。
あー めん もついかしてね。とばかりに。

食レポは、己のいきのかかった店にして。
ホロホロに煮崩れた毛をむしられた首のない腹に薬草をつめ込まれた鳥を喰らえと言いやがる。
ゴスペルを歌いながら、懺悔しろというばかりに。

一体何に懺悔しろというのか。

捏造され続けている過去に。

己は、過去を消し去った、背乗りの、魂をなくした子豚とかしてまで。

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by akikomichi | 2015-12-01 22:40 | 小説 | Comments(0)

子豚は焼豚になったように真っ暗な闇にまぎれて見えない。

男Hの妄想でしかなかったのであろうか。

また、日が昇れば、見えてくるものなのだろうか。

男Hは、子豚がいようがいまいが、どうでもいいというように、走り続けた。

もしかして、正気を取り戻しつつあるのかもしれない。

と男Hは思いつつ、あの時、子豚に見えたものは、知人Kが翻訳していた物語の続きにも思えてきた。

確か、豚とバイクが出てくる話だった。

男Hは、バイクではなく、自転車に乗っているのだが、あの子豚は、もしかして知人Kの魂であったのかもしれない。

しかし今、見えなくなったのだから、男Hが栄養失調で急に鳥目になったのでないかぎり、知人Kの魂は死んだ。

確実に死んだのだ。と思った。

すでに、焼き場で焼かれたのかもしれない。

男Hは、そう思えて仕方がなかったのだ。

物語が実存する時。

しっそうするのは、人の魂のようなもの。

えらく、物語の翻訳に肩入れしていた知人Kは、もしかして、「何か」に触れたのではないかと思った。

むこうとこちらの間にある知らない橋渡しをさせられていたのではないか。

と、男Kは正気づいてきた頭で、その「何か」を考え続けていた。



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by akikomichi | 2015-11-15 21:48 | 小説 | Comments(0)

雨も小ぶりになってきた。

永遠に店を開けないようなので、蕎麦屋をあとにして、子豚とまたサイクリングを始めた。

季節によってはゲンジボタルが翔ぶ川の近くを通り、猫峠が見えてきた。

昔通った時、ゲンジボタルは橋の上をただようていた。

蛍に筋肉があるわけではないが、腹が横線に割れており、その腹割り線二つ分が光るものが雄、一つ分光れば雌だったか。

雄は小さく、どこまでも飛び回り、雌は川辺の草場でじっとその時が来るのを待っているのだ。

一つの魂がもう一つの魂に吸い寄せられるように闇の中をただようていた。

はなればなれであった魂が集う、墓場のようであったが、墓はなく、野ざらしのままの魂。

点滅する魂。

もうすぐこの世からいなくなる夜にだけ気づく魂。

魂は、夜の虫の腹の中にも収まっていたのだ。

などと、思いつつ、いつも、夜にしか通らないので、どこをどう通ったかもよくわからないまま、いつのまにかたどりつく、猫峠の曲がりくねった坂を登ろうかと覚悟を決め、走りに速度をつけていった。

民家が疎らにあった。

集会場の光が見えた。

そこからの帰りの人が歩いていたが、人の目に光は見えなかった。

子豚のように。

真夏の手前の夜、橋の上にでもこぼしてきたのだろうか。


しばらく走っていると、暗闇の中、二つの小さな光を見つけた。

蛍火のように漂うことなく、じっとそこで待っていたように青白く光る光。


野生の子鹿の目の中の、夜にだけそこにあると気づく、魂のようなもの。


我に返ったように、子豚の目を覗き込もうにも、前籠の中の塊は、真っ暗で何も見えないのだった。

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by akikomichi | 2015-11-13 22:04 | 小説 | Comments(0)

魂が子豚。子豚の魂百キロまで。

とは言わないが、自転車を漕ぐ足にねっとりとまとわりつく子豚を含めた男Hの重みが坂道を登り切れず、雨足に先を越されて、へたり始めていた。

仕方なく男Hは、誰もいない、りんごの木だろうか、柵の向こうには果樹園があり、その道端に戸が壊れている誰も使っていないような掘っ立て小屋を見つけ、そこで一息つこうとした。

十割蕎麦あり〼

の看板が、掘っ立て小屋の壁にあった。

それにしても、この小屋で蕎麦を打つにも、戸が開け放されているので、別のもの、いわゆる天の恵みの雨風、砂、砂利、土、虫、雑草、苔、胞子、黴、塵、芥を含めた大いなる森羅万象が空を切りながらも、混ざるに違いがなく、9.5割くらいにしといたほうが現実的な気がしたが、すでに、店じまいされてから十年は経っていそうな趣があり、十把一絡げな看板でも、誰も困らないようだった。

自転車を軒先に置き、中に入るのは、憚られたので、自転車にまたがりながら、雨が降るのをじっと見続けた。

他に何もないのだ。雨音と闇しか。

死んだ知人Kは、今どこで何をしているのだろう。

と思った。死んでいるのに。何かをしている気がしてならないのだ。

炬燵の中で死んだ知人Kは、心臓発作であったという。

心臓に穴が空いても、生きていそうであったのが、気になるのだ。

死後硬直のあと、座ったまま、何かを訳そうとしている気がしてならないのだ。

死と生の間には、何かあったのか。

最後に、何を見ていたのか。

最後に何を、書いたのか。

男Hには、確認したいことが、掘っ立て小屋から開け放たれた戸から、はみ出るぐらいあった。



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by akikomichi | 2015-11-12 13:50 | 小説 | Comments(0)

子豚には目がなかった。

暗闇に光る目がなかった。

ただ、雨にはじける皮の薄さが痛々しい。

昼間だとわからなかった青白さだ。

通り過ぎていく家々からこぼれてくる明かりと車のライトが拾う青白さは闇を薄めた分だけ、肌身に染み込んでいるだけなのかもしれない。

もう、とっくに死んでしまっているのだろうか。

子豚の魂のようなもの。

枚数を稼げば、金になるらしい物書きにはなりたくない。

と知人Kは、いっていた。

文字数でいくらなんて、計り知れるものなのかね。そんなものが。

と。確かに、文字数だけでは、物足りないものだ。

苦し紛れに書きたくもないのに描かれたものなら、なおさら。

男Hは、苦し紛れにペダルを漕いでいる己の目だけは、青々と光っているに違いない。

と思った。

子豚と違って。

生きているものと死んでいそうなものとの境に目があった。

魂は目に宿るのではなかろうか。

男Hは、なんとはなしにそう独り言ちた。

さすれば、子豚は死んだ魂なのであろうか。

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by akikomichi | 2015-11-11 21:33 | 小説 | Comments(0)

子豚を前籠に乗せてサイクリングしているうちに、男Hはふと我に返ったように独り言ちた。


もしかして、背乗りか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

子豚の背にはこってりとした脂がのっている。

確かに、この子豚。背乗りに近い存在では在る。 

豚のようで豚ではない。豚を隠れ蓑にした、別のもののような、気がしてならないのだ。

狂った男Hには、どうでもいいことではあったが、そもそも、子豚が現れてから、男Hは狂ったのだともいえる。

昨日も、公園で、ただ噴水のまわりをぐるぐる自転車で走り回っていた中学生くらいの男子が子豚を追いかけていたのが我慢がならず、息の根を止めるくらいの勢いで、首を絞めたのだった。

知人Kが死んだと知って、自転車で公園をなんとはなしに、ふらふらしている時だった。

子豚が目の前を、走っていたのだ。

あの小僧達の前のめりの輪の中から逃れられずに。

だから、小僧の首を絞め、止めたのだ。

子豚は、いつの間にか、前籠に乗り、天を仰いで、背中を籠に乗せて、足さえ組んでいた

呆然としていると、人が集まってきたものだから、その場から、逃げるように、自転車で走りだしたのだ。

子豚と一緒に。東京までの道のりをともに走りだしたのだった。

子豚は、背乗りというより、ただ乗りだったが。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

もしかして、背乗りの、ただ乗りだったのか。

この子豚のように、知人Kも。

男Hは独り言ちを繰り返した。


誰も居ないので、狂った思考も独り言も雨にかき消され、誰に聴かせるわけでも、聞かれるわけでもなく、男Hはただ繰り返し、ペダルを漕くことと支離滅裂な背乗りについての相乗効果的飛躍を試みていた。


捏造の果て、あっさりと死んだあの男も、背乗りと囁かれていた。
片目をつぶっているように、語っている映像を見た時は、お世辞にも、脂が乗っているようには見えず痩せていて、息もあがっていたように見えた。

今の男Hのように。

あの男とは。

あの吉田清治を名乗った男のこと

本物の吉田清治(本名:雄兎)は、1913年10月15日生まれ、1931年文字市立商業学校卒(卒業名簿には死亡とある)とされていたが、吉田清治を名乗るこの人物は、朝鮮から九州に密かに渡り、死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取った、いわゆる背乗りというものをした人物なのであろうかと。

事実であるといいながら、小説であった彼の慰安婦強制連行ファンタジーは、彼自身の存在をも含めたファンタジーであったのだから、なんでもありだったのである。


男Hの思考のように。

この男Hの思考が個人的狂気に縁取られているとするならば、吉田清治を名乗るこの人物は、まぎれもなく国家的狂気に乗っ取られているといえようが。


慰安婦と名乗りでた金学順自身が親にキーセンに売られたと報道番組に出て語っていたにも関わらず、その後に強制連行とすり替え捏造した罪は重い。

許されざることである。



人身売買は今も戦争中と変わらず平然と行われており、今いきている売春婦には、なにも同情もわかないものが、必死になって、政府は賠償しろという。

火種をつけている、もと弁護士の国会議員や大學教授の某が、正義を振りかざし、その国会議員や大学教授の地位からもらう給料と講演会報酬と印税を、すべての娼婦に還元するなら、本当に性を売ることを気の毒に思っているのだとわかるが、己はなにも失わず、「日本」を担保にして、あることないことを肘繰り回し、やりたい放題するのが我慢ならない。

あの首を絞めるまで、この狂ったサイクルが止まらないのならば、誰かが止めなければならないのだろうか。

男Hが小僧にやったように。

息の根が止まったかどうかもわからないまま、走り続けなければならないのだろうか。

この子豚を乗せて。








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by akikomichi | 2015-11-10 23:08 | 小説 | Comments(0)

『子豚とサイクリング』

子豚を自転車の前籠に乗せて、サイクリングしている、一人の男Hがいた。

雨の中、九州から東京まで自転車で行くのが、男Hの最上級の目的であった。

知人Kが死んだのは、一昨日のこと。

引っ越しのあと、あっけなく、炬燵の中でなくなっていたという。

知人Kは、翻訳をしていた。

韓国の演劇の翻訳をして、日本で上演させることが、知人Kの仕事であった。

大學に入るとき、第二外国語を、韓国語で受けられる人もいると聞いたことがあるが、そういう人たちは、第二外国語というよりも、母国語であるわけで、自ずと日本人よりも、難関に合格しやすい。と彼はいった。

弁護士や、大學の教授にも優遇されて使われるのは、戦後日本の最たるものだ。と知人Kはいった。

知人Kは、どこで韓国語を覚えたのか、言わなかった。

もともと知っているようでもあった。

ふとしたことから、韓国語が出てくる。

ツイッターなどでも、つぶやいている。

知っていて当たり前のように使うのをみて、男Hは己と違う二重の世界を生きている、翻訳のいる世界にいるものの、二重使いの世界においては、言葉を使う場合、その言葉を伝達する対象が限定されると共に、そこにしか知らせたくない心情のようなものを吐露しているのを感じた。

それは日常の中で培われたものであって、むりやり覚えていかなければならないものではなかった。

母国語というものは、人を使うのか、人に使われるのか。


彼らは、使い分けているようであった。

外国に向けて発するときは、日本語で。

同胞に向けて発信するときは、母国語で。

日本にいながら日本を拒んでいるように。

男Hのように、日本人でいながら、日本に決して受け入れられないもののように。



男Hには新羅の末裔という別の知人Nがいた。

報道関係者である。

外国人差別を許さない、排外主義を許さないと言いながら、排日主義を推し進めているようにしか見えなかった。

どこに行っても、日本の過去に起こった差別的な言動しか残そうとしない。

荒探ししかしない。

そういう時だけ、全て日本人がしたことにする。

新羅の末裔である知人Nの祖先は、戦前に満州に行き故郷に受け入れられず、引き上げてきたというが。

彼は一体、新羅人なのか、満州人なのか、日本人なのか。

彼のようなものが、もともとそこにいて追い出されたものが満州に集っただけではなかったか。

満州人になるために行ったのに、当然新羅もなく、満州も消えてなくなったからといって、日本人として帰ってきただけではなかったか。

外国に向けては、日本人が侵略したというのが、お決まりの彼の言説であったが、どう見ても日本人を憎んでおり、その憎しみを、なぜか満州人として持っている奇妙な分裂状態なのである。

悪党としては日本、血統としては新羅、被害者としては満州を使い分けている。

一見では、察しがつかない、複雑な構造を、やっと彼の中で、識別できるようになったのは、最近のことである。

何も知らされていなかった日本人は、いいように利用され、プロパガンダにがんじがらめにされていたのが、戦後日本そのものであった。

日本は中国に対して侵略したという時の、彼は一体、何者なのであろうか。

日本人風な新羅人というものなのだろうか。

あるいは、いわゆる世界市民とでも言うのであろうが。

日本が悪いというだけの。

それがスタンダードだといいたげに。

当時、日本人として、帰った新羅人であったものが、そのもともといた地にやはり受け入れられなかったという二重の跳ね返された憎しみを、一重で逃げ出さずに生きて苦しんでいた、彼らの内面の事情など何も知らない日本だけが悪いという都合のいい、己の苦しみだけが本当の苦しみなのだという、偏った世界観のなかで、生きている。

満州で優遇されていたのは、己ではなかったのか。

日本人という面を被った新羅人ではなかったのか。

知人Nがいうように、戦後は、日本だけが悪者にされていれば、丸く収まると勘違いされていたが、もう、そのような勘違いは通用しなくなっている。

戦後のドサクサで、奪われた踏みつけられた魂は自ずと復活するのである。

力だけでは、人には浸透しないのだ。

嘘は自ずと分かるものなのだ。

そこに見える二重性を見た一重は、ゆるぎなく、そこにいつづけるのだから。

いくら、二重写しにした世界を押し付けようとも、一重のものは、一重でしかないのだから。

逃げ場はない。

二重のものは、いずれ、一重に吸収されて、己に向けていた非難を、己が全面で受けることとなるのに、気付きもしない。

外から見たものには、その二重性は見えないので、自己反省的で良心的などと誤解されたりするが、決して自己を反省している訳ではなく、己が二重そこで生きていくためにしている偽りの良心で、己ではない一重の日本人に対する悪意でしかないのだから、そこが見えてきた言論界において、興冷めされ、誰もがその本意を見破れるようになった、個人的報道の世界では、誰も信用しなくなり、落ちぶれていき、誰も本を買ったり新聞を買ったり、報道を見なくなっていった。

己の正当化のためのプロパガンダでしかないと、誰もが知るようになったら、なおさら彼らは食べていけなくなるであろうが。

日本人の苦しみが理解できるかもしれない、そこしれない希望はあった。

戦後を享受してきたもののそこが見えた時、苦しみが彼らを変えるかもしれない。

そこに理解があるならば。


彼らは己が日本を受け入れていないのを投影し、いつも漠然としたひとくくりの「日本」のせいにし、日本に己の我慢ならない憤りをぶつけ、サンドバックになるのが日本の正しい姿のように言い続ける。

ただ黙って、甘んじて攻撃され続けるように過去を挙げへつらうのをやめない。

日本人が最低限の反論すると、すべてが右翼と決めつけ、我が物顔で、攻撃し続ける。

己の境偶を安全な誰にも侵されない「被害者」の立場に置くことでしか、存在を確認できないように。

どれだけ、その姿が醜いものか、考えようともしない思考停止状態。


子豚は、ピクリともしない。

死んでしまったのかもしれない。

炬燵で死んだ、知人Kのように。


彼は、翻訳の仕事が無い時は、肉体労働をしていた。

引越のアルバイトである。

子豚のマークの引越屋。

彼は、己の引っ越しをして、しばらくして死んでしまったのであるから、引っ越しは、彼を生かしも殺しもしたということであろうか。

ある程度の年齢になると、なかなか仕事が見つからないのは、わかっていたが、これほどまでに仕事が制約されるのは腑に落ちなかったようで、二重の苦しみを彼に与えているようであった。

翻訳で生きるにも、引っ越しで生きるにも、何かが足りないのであった。


それは、男Hにとってもそうであった。

日本人であろうが、なかろうが、何かが足りないのである。

それを正当化できるか、できないかの違いである。

外国人だから差別される。と知人Kはいった。

彼は、どこからみても日本人であったが、己の中に、二重の言葉を持っていて、思考回路も、身体状態も二重なのだといった。

日本の中の外国人に見えない、外国人。

日本の中の日本人の、一重の完全に重なったままで積み上げられる、逃れられない苦しみはまったく知らないのだ。


子豚が鼻をピクリと動かした。

まだ、生きているのかもしれない。

この子豚を連れて、死んでしまった知人Kに会いに行くということに、なにか意味があるのか。

生きていることに、意味が無い。

といっていた知人Kの葬式に出るのに、この子豚が必要なのか。

死んだことにも、意味が無い。

ただそれだけのことでも、意味が無いように、男Hはドラック欠乏、脳内麻薬豊穣症状を前籠に乗せて、人には見えない、己だけの生きているのか死んでいるのかもしれない子豚とサイクリングしているのであった。


子豚はおれか、それともお前か。

あるいは、おれの中のお前か、お前の中のおれなのか。

雨に打たれながら道の上を、朦朧としながら走っていた。


一重と二重の間をトランスして、狂ったように、男Hは走っていた。







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by akikomichi | 2015-11-09 11:53 | 小説 | Comments(0)