日本にいるすべてのものの悲しみと悔しさ 東日本大震災


〜〜〜〜〜〜以下抜粋〜〜〜〜〜

「抱きしめたい。一部でもいいから」

上野さん宅の仏壇には、4人の遺影と骨つぼが並んでいた。今も見つからない息子・倖太郎君の骨つぼには衣服が納められている。

上野さん宅の仏壇には永吏可さん(左)と倖太郎君(右)の遺影(撮影:宮坂樹)

上野さんはこう言う。

「倖太郎に救われたと思ってるんですよ。倖太郎が見つかったら、自分も死のうと思ってましたから。今はもう『自分で命を』とは思わない。だから、もう出てきてもいいよって思うんだけど、出てきてくれないね。かくれんぼ、上手だったからねぇ…。抱きしめたいですよ。一部でもいいから」

3歳で犠牲になった倖太郎君、同じく8歳だった永吏可さん。どんな形でもいいから2人に会いたい。その気持ちは何も変わらない。

──でも、この6年間で何かは変わったのでは?

「それは周り。去年の熊本地震もそう。岩手や北海道の台風被害もそう。あれだけ警報が出て、なんで避難しないのか。あの震災が教訓として生かされてないな、って。東北で亡くなった(行方不明者を含む)2万人の命とか、自分の家族の命とかを、無駄にされてるような気がしてしょうがない。変わったのは、あの時の危機感を忘れてしまった周りだと思うんです」

この6年間の思いを語る上野さん(撮影:宮坂樹)

震災後、福島に関する報道は原発が中心だ。そのことにも違和感を覚えている。「原発ばかり注目されて、福島の津波のこと、命のことが忘れられているように思います」

家族や友人「いて当たり前ではない」

上野さん夫妻には、震災後に生まれた5歳の娘がいる。倖太郎君の「倖」、永吏可さんの「吏」、それに「生きる」の文字を取って、倖吏生(さりい)と名付けた。

生まれた時のことを上野さんはよく覚えている。震災から半年後の9月16日朝。2408グラムの小さな体だった。初めて倖吏生ちゃんを腕に抱いた時、「寂しくて」涙が止まらなかったという。

倖吏生ちゃん。この春から幼稚園の年長組になる(撮影:宮坂樹)

「一番楽しみにしてたのは、(犠牲になった)姉の永吏可だったので。『妹ができるんだ』って、いつもうれしそうに嫁さんのお腹を撫でてた。喜んでくれるはずの永吏可が、家族が、いないっていうのがね…。僕にはもう、永吏可と倖太郎の思い出が増えていかないんです。だから(みんなは)今ある幸せを大切にしてほしい。家族がいること、友人がいること。それって当たり前じゃないんでね。ありがとうって、伝えてほしい。自分のそばにいる人を大切にしてほしい。それが、命を守るってことにも繋がると思うんです」

菜の花の芽に肥料を撒く倖吏生ちゃん(撮影:宮坂樹)

新居の前の畑は、春に菜の花畑になる。「福興浜団」のメンバーたちが毎年手伝ってくれ、迷路状に花を抜いて「菜の花迷路」として開放する。取材で訪れた2月の週末、その畑では倖吏生ちゃんが菜の花に肥料を撒いていた。芽はまだ小さかった。

[写真]
撮影:宮坂樹、中野幸英ツイート


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「父はここで教えていました」。今年2月12日、東日本大震災の津波に襲われた宮城県石巻市立大川小学校で同校の教員だった父親=当時(55)=を亡くした宮城教育大3年の佐々木奏太さん(21)は県内外からの見学者に語り掛けた。犠牲者でありながら責任も問われる「教員遺族」の立場に向き合い、児童の遺族と共に教訓を伝え始めた。


 2011年3月11日、大川小では児童74人と父を含む教職員10人が犠牲になった。高台の中学校で被害を免れた佐々木さんは、「対応に追われているんだろう」と父の無事を疑わなかった。海で発見された遺体が父と判明したのは、1年4カ月後。「当時は震災で家族を亡くした遺族の1人という意識が強かった」と振り返る。


 しかし、児童の遺族が学校側を相手に訴訟を起こした14年3月以降、むしろ責任を負う側にいることを意識するようになった。「学校で子どもの命を守るのは先生で、大川小ではそれができなかった」。学校を訪れるたびに原告の遺族を見かけるが、話しかけられない。「自分も相手も傷ついてしまうかもしれない」と不安だった。


 仙台地裁判決を1カ月後に控えた16年9月。同小6年だった三男を失った石巻市の佐藤和隆さん(50)を、思い切って訪ねた。「お父さんが守らなきゃいけなかったんだよ」。厳しい言葉だったが、本音をぶつけてくれてうれしかった。学校の過失を認めた判決は、冷静に受け止められた。


 佐々木さんは16年末から、他の児童遺族らと共に、語り部活動を始めた。今年2月、東京や奈良から訪れた教員志望の大学生14人を案内。「子どもを救えず、先生はどんなに無念だったか、悔しかったか」。児童遺族の言葉に大きくうなずいた。「悲劇を繰り返したくない」の思いは同じだ。


 学習支援のボランティアや防災関係のイベントでの講演などもしている。卒業後は地元の同県南三陸町の復興に携わりたいという。佐々木さんは「これからの命のために、若い世代に震災を伝承するつなぎ役になりたい」と力を込めた。 



時事〜〜〜〜〜〜〜〜


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by akikomichi | 2017-03-11 09:20 | 日記 | Comments(0)