「茅葺への道」

アマヤマ草庵さんの夜に、ガラス戸をそおっと開けてみた。

外と内を隔てていたガラス扉一枚の膜の違いは、ぼやけていた寒さが一気に寒さに支配される状態であった。

外と内を同時に感じられる肌感覚を持ち得る空気の冴えた寒さではあったが、そのガラス一枚の大きな落差に愕然とする。

一枚ガラスの奇跡の透明さは寒さや風を見せてはいたが、ある程度は、弾いていたのだった。

友達はその寒さにあえて身を晒すように、庭に出ていった。

私も、庭に出てみた。

白い足跡がしゅくりしゅくりと透明な人の足跡のように、あるいは板付遺跡で出てきた扁平足ぎみの弥生人の足跡のように、できていく。

昨日までの、いや今日の夕方までの土は隠されてはいたが、明日までこの雪の上の足跡は残されていくものかは、わからなかった。

このぼた雪は、きっと足跡を覆うように重なり降り続けるだろう。と思った。

それから、ストーブの上で沸かしたお湯を湯たんぽに入れ、布団に入れた。

昔の人は、目の前にあるもので、できることをただその通り温まりたいなら、温まるように、無理のない、同時進行でそれだけのためにではなく、他のことと一緒にやっていたのだと改めて思う。

ただストーブで温まるだけでなく、その上、お湯を沸かし、喉にも優しい湯気を出す。

石油ストーブの灯油を入れる手間はかかるものの、その手間もまた、幾重にも重なる至福を与えてくれる、やるならばいっその事、ついでにできることをするおろそかにしないやり方が自然と身についてくるようであった

それにしても、湯たんぽの威力は想像以上であった。

ペットボトルに風呂の残り湯を入れて湯たんぽ代わりにできると夫から聞いたことがあったが。


そこまで寒くはない博多では不要であった石油ストーブや湯たんぽであったが、正統派な湯たんぽの肋骨のような凸凹が懐かしく、その大きさもちょっと小型の海亀の甲羅のようで、抱きしめることはなかったが、朝方までゆっくりとさめながら足元を温め続けてくれていた。

小学生くらいの時、湯たんぽではなく電気で温まる電気たんぽ?確か電気アンカ?という名前だったかを使っていた時があったが、姉が足に低温火傷を負ったりしたことがあり、あまり使わなくなったのを思い出していた。

電気で便利な一面、そういう、さめきらない一面が、人肌をじわじわと火傷させていくものなのであろうが。


その夜、友達と今まで話したことがなかった、家族の話などをした。

それから、ヴァージニア・ウルフにとっての「蛾」、「波」についての話、茅葺のこれからの話なども。

漠然とではあったが、彼女とどこかで似ているというような、共通感覚があると思っていたのは、そこからきているという話ができて、それを確信した夜であった。

そういったいつもは奥深くにしまい込んでいた古い話を解放させてくれたのは、おそらく、この茅葺の古民家で、この夜であったからだと思う。


その夜、不思議な夢を見た。

迷彩服を着た男が、おそらくこの家のさっきまで開け放っていたガラス戸越しにこちらを見ている。

それから、植えてある木々の中を、棍棒のようなもので探るように叩いている。

こちらを威嚇しながら、こちらを見ながら、木々の中にある藪の中にある、「何か」を探しているようにも見えた。

それから、正面入り口近くで、人が集まっていて、何かを探しているような、救急車かパトカーがいるような雰囲気を感じたところで、目が覚めた。


朝、外にはやはり雪が積もっていた。

昨夜の足跡はないだろう。

今日は、これから奥日田美建の社長さんに会いに行く大事な用事があるのだ。

雪を愛でて喜んでばかりもいられなかった。

友達はチェーンを手に入れていたし、20分ほどでできるから、大丈夫だと言った。

朝、友達が手に入れていた小鳥のささやきだったか、小鳥のなんとかというコーヒー豆を挽いてストーブで沸かしたお湯でドリップして飲みながら、最近、この近くであったという、少年の話を聞いた。

母を探してここいらに迷い込んできた少年の話。

彼は、行方不明となって、捜索が行われていたところ、この近くの洞窟あたりで無事見つかったという。

洞窟があるというのも初めて聞いたが、この辺りであったという話と、昨夜見た夢の話とどこか似通っているように思い、彼女に昨夜の夢の話をした。

すると、友達が、そういえば、雪の降るような寒い時であったのと、迷彩服の人ではないが、警察の人が探している時は、そのように木を棍棒のようなもので選り分けていたし、すぐ前の道路に人が集まって、もちろんパトカーも集まってきていたと言っていたので、残像を見たのかと思えるような、ちょっとした、意識と無意識のハレーション状態が起こりつつあった。

「夢」というものは、もしかして、その場に居合わせた時や思いが重なった時、消え去った記憶の場面とその時の状況が重なった時などは特に、それを感じさせる道具、あるいは思い起こさせ見せてもくれる装置になるのかもしれないと、漠然とではあるか、その寒い雪の朝、思い至ったのであった。


では、仮にそういう記憶の重なりがのちに音連れたものの中に沸き起こるとして、私は夢で、記憶の場面として、少年と通じる何をかを見たのであろうか。

もしかして、その「場」のこの「家」の見た「記憶」でしかなかったかもしれないが。

雪の降るような寒い中。

確かに少年のように何かを包み込んでくれるものとしての母なるものを求めて、探し求めて、ここまできたとはいえるのだった。











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by akikomichi | 2017-02-17 15:16 | 詩小説 | Comments(0)