「茅葺への道」

茅葺屋根の古民家農家のアマヤマ草庵さんの夜は静かであった。

この日は、近くの夜明温泉の薬湯に浸かった。

茶色く色づいたお湯にチリチリしてくる体の細部と透明な滑らかなお湯に交互に浸かった。

友達はここいらのお湯を探索しており、もっと、奥まで今度行ってみようという。

女子会の方々ともいつか風呂に行くつもりだと友達は言った。


その日の昼に、友達が近所のおばあちゃんと女子会をしているというのでお邪魔した際に頂いた手作りのらっきょうや高菜漬け、友達が持参したダッチオーブンで焼いた天然酵母のパンが美味しかったことを、湯に浸かりながら思い出す。

この絶妙な組み合わせもさることながら、当たり前のように自分で作ったものを自分で手を加えて長持ちさせてきた文化とも言えるが。

買うのではなく、自分で作っていくということは、自分にとって当たり前にあることとまだ言えないが、できることは自分でやるということは、手間暇をかけた自分を作る糧であり、それらが自分そのものの味となることを教えて貰ったようで、自分の味を作っていきたいという思いがますます強くなってきていた。

まずは、食べるものを自分で作ること。その力強い味は体をも心をも作っていく。全てが解けるように、その土になじむように、同じ釜の飯ではなく、同じ土で、空気で、水で太陽で育つということはそういうことだとわかり始まる。

茅もまた土で生きていたということ。

その土は、昔はこの日田の土に生えていたものでほとんど賄われていたであろうが、今は、阿蘇の山々の土から頂いたものもあるようだが、同じ九州の土で育ったものはまた、この土になじむのはわかる。

その茅の記憶は、そこにいる者たちの記憶と多く重なり、重なり合って、そこに至らしめた時の重なりの上に成り立つものであるということ。

だからこそ、そこにあるのだということ。

夜明温泉からの帰り道は雪はなかったのに、

明日は積もるよ。

と言っていた昼間の女子会のおばあちゃんたちの言葉通りに、夜になると雪が降り出した。

この寒さになれば明日は雪だと彼女たちは空気と土と太陽と一緒になってわかっているのだ。

庭にぼた雪が積もり始めた。

時折、月が青く霞んで見えた。

青く染められた、最初に浸されたばかりの藍染の生地のような雪肌、山肌も光っていた。

老木の杉さんも、うっすらと雪化粧を始めていて、その物腰のあたりに、なまめかしさを湛えていた。

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by akikomichi | 2017-02-17 11:06 | 詩小説 | Comments(0)