「誕生日から」

彼女の誕生日から始まったのは、時空のずれ、あるいは時空のつながりであった。

彼女の日記には一月二十五日が彼女の誕生日だということが書いてあった。

私は彼女の誕生日から、始まったある行為について、彼女の影響を受けているように感じた。

彼女の日記の中をたどって生きているようにさえ思えたのだ。

最初は、彼女よりも年寄りであったのが、いつの間にか、彼女は私を追い越して50歳になっていた。

彼女と私が同じ年の時、私たちは、同期した。もしくは、リンクした。あるいはシンクロした。

彼女は、最初は蛾を描こうとし、のちに昼間の波として描いた。

私は夜にうごめいた後の朝の一匹の蛾を見ていた。

これは、時空はずれてはいるが、ある年月を過ごした時が同じである場合、リンクする、あるいはシンクロするということを意味していた。


いわゆる、星座や十二支など、時が巡ることを意識的にも、無意識的にも知っているものたちにとって、繰り返されながらも、少しずつ、立場も時もずれては行くものの、大きな流れにおいては、同等のこととして、感知される類のものとして、認識されていく。

その場合、「日記」とは、貴重なそのもののたどった歳月の記録となるのである。

私たちの「日記」は、おそらく、どこかで交わっているが、どこかでずれていく。


時代が、場所が、時空が、人そのものが違っていたとしても、おそらくどこかでリンクし、シンクロしていくものだということに、薄々気づいてきたように思う。

同じ行為を続けるという、「書く」ことに収斂された熱を持つものとして。

彼女は、「詩」のような「小説」が書きたいと思っていた。

私もまた、同じように、思いながら、こうして日記の中の「詩小説」として、書き続けていた。


彼女の軌跡の最後まで、まだ、いきついていない私の軌跡ではあるが。

では、最後には、どうなるのか。

は、おそらく「書く」ことで見えてくるであろうとは思っている。





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by akikomichi | 2017-02-06 23:03 | 詩小説 | Comments(0)