「死の位置」

第一回プラチナブロガーコンテスト



「死の位置がね、肉体の外から中に入ってきた気がする」

という三島由紀夫の生の声は聞こえなくとも、肉声がテープに残っていたという。

もし、今の私に、死の位置というものがあるとするならば、喉仏にある。

そこに絡みつく痰のような滑りが痛みとともにごろごろとしながら転がされているようなところ。

それでいて、肉声を絞り出すところ。

死ぬ前の呪いのように。

黒猫が縁側で金魚の夢を見ながら、目を瞑りながら、喉を鳴らすように。

鴉が道端の死骸を見つけて、みいつけたというように、ひと鳴きするように。

死の位置とは、おそらく、日常が途切れたところ。

日常を毛嫌いした三島の檄は、劇的な非日常の大団円。

私は喉を鳴らしていた。

死んだ後に残る喉仏の形を思って。

兄が、自分の誕生日に、仏になりたい。と言っていた。

死んだら、誰だってなれる。と私は思った。

焼いて白骨になったら、喉のところに残る骨が、仏が鎮座しているように見えるから、喉仏というらしい。

あなたも私も、すでに、座っているのだ。

喉元を過ぎたところにある死の位置に







アート・デザイン部門

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by akikomichi | 2017-01-12 14:26 | 詩小説 | Comments(0)