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「被/差別の自食作用」


昨今の「被/差別」に対する言論において、顕著になったと思われることがある。

それは、「被/差別」は/(スラッシュ)一つを隔ててはいるものの、そのスラッシュの前後は入れ替わり立ち替わりしているのは確かであるということ。

例えば、ある流行(はやり)言葉に賞を与えるという場合。

その賞を与える立場のものが選ぶ権利を持ち、己の具現したい世界観を持ったことどもを選ぶということにおいて、己の肥大化した、己のプロパガンダに組みするものにこそ価値を与えるということは、己の価値をも高めるということにつながる。

何より己が認めて賞を授けるという、祝福しながら己の優位性を保持する装置、この場にいないものよりも優位に立つという行為が「授賞式」という「儀式」である。

このプロパガンダにおいて、「滅びる」ことを望んでいるものがいたとしよう。
彼/女は、滅びることを望んでいる。
子供を育てる場が足りない そのような国は「死ね」という。

国が死ぬということは国がなくなるということで、国がなくなれば、子供を育てる場がないどころではなく、己も死んでしまうということになるのは、シリアをはじめとした紛争地域を見れば、誰もが身にしみていることである。
国が死ぬということは言葉すらなくなる場合もある。このプロパガンダの最たる流行言葉の授賞式すら成立しなくなるということである。

彼/女は、「滅びる」ことを望んでいる。
「死ね」という言葉を選んだ時点で、それは、己の肥大化したものの最大限のプロパガンダは呪詛として、世の中にばらまかれたのだ。

おそらく、ある人はこう思ったのであろう。
子供を育てる場がことたりていなかったから、己の子が死んだ。この国も死ね。と。
確かにある人の子は死んでいた。
ある人は子供を育てる場の最終段階つまり大学に所属している教育者であった。
日本の最高峰とも言える教育現場である。
そこにたどり着く前の一番最初の段階が事足りていないから、死に至ったのであると理由付けすることで、己の肥大化した悲しみのそもそものところを、死においやったものを、この国丸ごとを、すべてなくしてしまいたいという、欲望が呪詛として立ち現れたように思えてならない。
保育園から一番遠くにいるようで、その最終段階にいたものの、自己肥大化。
最大の己のプロパガンダである「授賞式」という「儀式」の奥には、人には見えにくいが、それを選んだものの真の姿が、肥大化した姿が見え隠れしているのである。

ところで、なぜこの「儀式」が、昨今の「被/差別」に対する言論につながるのかといえば、マイノリティとされるものが最大のプロパガンダになってきた日本のあるいは国のあるいは組織のあるいは集合体の「構造」を顕著に表しているものの一つであると思われるからである。

この流行(はやり)言葉を選んだものの中にいた、この一人の教育者は、朝鮮半島系の方で、キリスト教徒でもあった。
マイノリティの方が放つ言葉は、「被/差別」を抜きにしては語れない、あるいは己の出自国朝鮮半島/日本との葛藤でスラッシュ一つで分けられてはいるが、実のところ、こう言った場において、いかんなく発揮されるのが、「被/差別」の入れ替わり、とりかえばやである。

きれいはきたない、きたないはきれい。などと誰かが言っていたが。

差別は非差別、被差別は差別。という風に、入れ替わり立ち代りできる装置が、己を肥大化できる「儀式」なのであり、それを最大限に生かしたとも言える今回の、流行り言葉として大々的に宣伝できた「授賞式」の「構造」が見て取れる。

力のないと勝手に思われているか思い込んでいるあるいは思いこませようとまでしているマイノリティが、実は力を最大限に発揮できるのが、この場を借りた言葉、流行りにしたい「授賞式」であり、力がないと言いつつ力を誇示できる装置にもなるのが、「授賞式」という「儀式」なのである。

こう言った特別な場をわざわざ設けてまでなされる、言葉の、流行にまで持って行こうとする作意の、ありありと現れた言葉の「授賞式」こそが、組織の、集合体の総意のようにされていく「構造」を支えているとも言えるのが、「授賞式」という「儀式」なのである。

そうはいっても、己がそこで生きて、生かされながら、己を育んでいる場を己が住んでいる国を食い散らかしながら我が物顔で生きているとするならば、ある意味、「自食」行為にも似た「構造」は、遅かれ早かれ、破綻していくと思われる。


ところで、プロパガンダの最高峰である爆薬の製作者であるノーベルの儲けたお金で与えられる賞においても、今回は我が福岡にも縁のある優秀な研究者の方の研究に授与されたようであるが。
まさしく象徴的と言える「オートファジー(自食作用)」に与えられたと言えよう。
確か、あまりにひどく場を汚し暴れまわるものに関しては「自食」作用により細胞内の自己浄化的作用につながっていくということだと記憶しているので、あらゆる事実認識が得られた時、日本自身は自食作用によって、どうなっていくのか。

その結果は、いずれ、見えてくると思われる。






by akikomichi | 2016-12-13 11:28 | 詩小説 | Comments(0)