大宰府防衛の土塁か

 


福岡県筑紫野市の前畑遺跡で、古代の大宰府を防衛した外郭線とみられる7世紀ごろの土塁が見つかり、市教育委員会が28日発表した。丘陵の尾根に人工的に盛り土し、南北に500メートル以上続いていたとみられる。日本は西暦663年の「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に敗れたことをきっかけに九州の防衛を強化しており、当時の緊迫した状況がうかがえる。

12月3日から現地説明会

 土塁は、大宰府の中核だった政庁跡から南東に約7キロの地点で出土した。上下2段の台形状で、上端は幅約1・5メートル、下端は幅約13・5メートル。盛り土部分は、砂や粘土を層状に突き固めた版築工法を用いて頑丈に造られ、最大で高さ約1・5メートルが現存していた。土塁は東側が急斜面になっていて、東から侵入してくる敵への防備を固めたとみられる。

 白村江の戦いで日本は百済を救援するために朝鮮半島に出兵したが、唐・新羅の連合軍に大敗した。これ以降、大陸に対して国防の要所となる大宰府周辺に土塁などを用いた防衛施設「水城」や古代山城「大野城」を築いて侵攻に備えた。今回の土塁もこうした一連の防御施設だったようだ。

 市教委は、古代都市を囲んだ城壁「羅城」の可能性もあるとしている。羅城は中国や朝鮮半島に見られ、日本書紀には679年「難波に羅城を築く」との記述があるが、国内では見つかっていない。大宰府は、古代の律令政府が九州に置いた出先機関で、九州全域の民政や軍事のほか、外交を担った。

 一般向けの現地説明会は12月3~4日の午前10時~正午、午後2~4時。小雨決行。


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by akikomichi | 2016-11-29 07:50 | 日記 | Comments(0)