『千貫森の友へ』

今日、千貫森の友から葉書が来ていた。

彼女とは、千貫森のとある「湯船」で出会ったのだったが。
実のところ、千貫森の友の顔を、私ははっきりと覚えていない。


千貫森の彼女は、豊かな労働者の体を持っていた。
野良仕事をしているのだと思った。

私は、ひ弱に成った我が身を癒すために、湯船に浸かっていたが、豊かな土に育まれた彼女の肢体は、森から降りてきた野生の熊のように、のっそりとしながら、少し、ざんばらな髪をわしゃわしゃと洗い始めたかと思うと、滝の下で暴れる熊のように、それこそ湯水を湯水のように、かけ流していた。

私は、千貫森から見える山の彼方にある雲の途切れ途切れを見ていた。
あそこの方からやってきたというのに、あの真下にいた時には、気づきもしなかった、雲のまにまに降り注ぐ、太陽の光を、眺めていたのだった。

彼女は、禊の終わった後のように放心状態で、湯船に入ってきた。
彼女と二人きりであったが、熊のように暴れるわけでもなく、静かに彼女も窓の外を見ていた。

私は、自分の髪が乾いてきたのを感じながら、そろそろ、湯船からでようと思いつつ、彼女にこれから先の道なりを聞いてみようと思いたち、彼女に声をかけてみた。


あの、すみませんが、ここから福島の海までは、どれくらいかかりますか。これから、行ってみようかと思っているのですが。


彼女は、突然話しかけられて、憮然としているかと思えば、声は以外と軽やかに、


そうですね、だいぶかかると思いますよ。


と、なんて事はないというふうに答えてくれたのだった。


この辺りで、何か見ておいた方がいいようなお薦めのところなどありますか。


そうですね。見るところも、食べるところもこれといってなくて。店と言ってもコンビニくらいですかね。


千貫森で、コンビニをすすめられるとは思ってもみなかったが、彼女は、飄々とそう言ってのけたので、そういうことにしておこうと思った。千貫森のコンビニ。そういえば、まだ、見かけていなかったが。


昔から、千貫森では未確認飛行物体を見かけることで、名を馳せていると聞いたのだが、コンビニはさしずめ、どこにでもあることを確認できる、日本全国津々浦々ある光源物体。


そういえば、千貫森の地場は、他のところとは違うと、この施設の受付の方にお聞きしましたが、本当ですか。


そうなんですか。私もあまりわからないですが。


ここいらに住んでいるなら、何か未確認飛行物体を見たりしたことある人をご存知ですか。


いや、聞いたことない。


そうですか。それじゃあ、そろそろ、上がります。


彼女の、ゆったりとした湯船の時間を奪っているようで、内心、一番、聞きたかったことも聞けたので、そろそろ湯船を出ることにした。



あの日は遠くに行くつもりであった。
花火の始まる夕方には間に合うと思われた、福島の海までの途中で、偶然、千貫森に立ち寄ったのだった。

温泉のある施設の受付で、ここいらで未確認飛行物体がよく見られると聞いたので、私は、今日ならなんだか見られる気がしていた。
今日見れないならば、これから先、一生見ることはないだろうというくらいの思いでもいた。

偶然が満ちた時に、思いのようなものは伝わるような、漠然とした確信があったのだ。

ここを通ることも、二度とないかもしれないほどの、遠くまで来ていたものだから。
それは、確信に限りなく近い、思い込みであった。

未確認のものを確信する。
不確かな思い込みなのであった。

私の中には、いつも飛行物体が何かしらあった。
目を瞑ると眼底に現れてくる、光の粒子のようなもの。

私の中の飛行物体は、いつも「未確認飛行物体」のように不意に蠢いていながら確認できるが、手に取ることはできない。手で触ることはできないもので。
一人一人の中にある、目の中の光のようなものであった。

いわゆる「残像」とかしていくものは、いつしか消えてなくなるものであろうが、眠りにつくと、その残像は、いつの間にか、夢にとって変わっていて、夢の中を別の日常へ、パラレルな日常へと変えていくように。
残像の中にあっても、光の粒子は、いずれ、何かを形作っていく、暗黒物質の手前で、張り詰めた意思のようなものが、凝縮されてできたもののように、思えてならなかった。


そう漠然と思い込みつつ、休憩室になっている和室で、窓の外を眺めたり、書き物をしていると、あの湯船で出会った彼女がやってきた。


ああ、また会いましたね。何を書いているのですか。


ああ、ちょっと、日記のようなものを。


そうなのですね。ここには何をしに来られたのですか?


ちょっと、福島の海の方で花火大会があると聞いて、ここまでやってきたのです。行ったことはありますか。


いや、行ったことない。行くこともできない。子供がいるから。ちっちゃいのが。今日は、旦那とお義父さんに預けてきたから、一人でゆっくりできたけど。夜泣きがひどくて、泣きそうになる。


彼女がおっかさんであったのは、なんとなく理解できた。体がたくましくなってくるのもわかるが、心の中は、泣きそうであったのも、滝のようにせわしなく湯水を流し続けていたのも、何かを振りほどくように見えたのも、そのような泣きたくなるような内面を洗い流すための、儀式のようなものであったのかもしれなかったが、そのまま、かけ流しのように、彼女のことを聞き続けていた。


友達になってくれませんか。手紙を書くから。


不意に、彼女に言われた。
手紙を書くということは、友達になってからがいいのか。よくわからなかった。
何より、私は、まだ彼女のことをほとんど知らないのと同じ気がするので、手紙を書くことを通じてしか、友達になれないような気もしていた。

ここは、もしかして二度と通らないかもしれない場所と思っていたくらいであり、何より、私たちには、もう時間がなかった。


じゃ、手紙を書きます。


私は、そう言って彼女と別れたままであった。
手紙は書けずにいた。
何から書けばいいのかわからなかった。
今日、彼女から、葉書きが来て、やっと返事を書ける気がしていた。


私はあれから、福島の海の手前で泣きそうになりました。
あなたと同じように、夜も眠れないくらいに、海の手前で泣きそうになりました。
ある歌を聞いたからかもしれません。
前を向いていこうとするものと手前で泣きそうになるものの違いに気づいたからかもしれません。
私は、いつも手前で泣きそうになりながら、突っ立っているのです。
水に流されまいと、水の中でもがいて、かろうじて死んだまま立っている葉のない木のように。
誰もいない夜に見たあの津波に抗ったであろう木々の止まった時間の中で。
私は、それから、何もない夜にずっといました。
何か光るものを探していたのだと思います。
一人で。
そうして、私は、光るものをとうとう見たのでした。
あなたと会った、千貫森で。
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by akikomichi | 2016-09-24 22:49 | 詩小説 | Comments(0)