『花火』

福島の海は遠かった。

朝、茅葺職人体験先に、最後のご挨拶をさせてもらったのち、どうしても行っておきたかったところに行ってきた。

福島の海である。

東日本大震災の5年後、今こうして比較的近くの新潟にやってこれたのも、何かの縁であると思い、日本の大きな傷あとの、その後をどうしても知りたかったのである。

復興鎮魂のための花火大会もあった。
8月11日。
東日本大震災の3月11日にちなんだ、11日に開催されるということは。
月命日でもあるのだろうか。



さる7月20日のことである。

茅葺職人体験のために電車にのって移動し途中下車し乗り換えた長岡駅であったが、初めて長岡に着いた時、鎮魂のための花火大会が行われているというお話を、地元の語り部の方にお聞きしていたので、拝見したかったが行けなかった。

長岡には、一度、長崎の原爆の形と同じ大きな爆弾が落とされている。その落ち方、影響力等も推し量るために。

私が、たまたま訪れた日、7月20日に、それは落とされたという。

私は、呼ばれたような気がしてならなかった。

この日に、長岡の戦争資料館でお話をお聞かせしてくださった方は、当時まだ小学生であったという。

知り合いの子が逆ツリザネ型、漏斗型、あるいは蟻地獄型に凹んだ田んぼの中で、足だけ見つかったそうである。

その日はちょうど、空襲警報がなって、学校に皆んな行っていない時、いつものことであるから、空襲警報が鳴り止んでから、外に出ていたと思われる、畑や田んぼで仕事をしていたり、遊んでいたであろう、大人や子供を奪った。

母親がかばったのであろうか、背中など焼けただれた赤ん坊だけがなんとか生き残ったが、程なくして終戦となり、その後、母でもあり、妻でもあった人を亡くした夫は絶望し、残された乳飲児と共に、自害したという。

ああ、つらき、この世の地獄あり。

蟻地獄のような空虚がサラサラと足元をさらっていく。

遠いところから落ちていくのを見ているだけでは、地獄を這いずり回る蟻も見えないのだろう。

核のまだ入っていないミサイルを試し撃ちしても、それだけの、傷が残ることを。

その後、長岡大空襲が起こった、8月2、3日も、多大な傷跡を残した。

ましてや、その後の原子爆弾は、壮絶であり、まちがいなく、日本の何ものかを奪ったであろうが。

長岡の花火大会には、そういう思いを、空から降ってくる爆弾を花火で打ち消す、日本人の喪失を、恐怖を、花火で打ち消す、壮大な、人々のやりきれない思いの中の地獄を、打ち上げられた花火の次々と咲き続ける一瞬だけの極楽に変えるための行為なのである。

亡くなったものが、この一瞬にも、極楽にいけるようにと願う行為なのである。

そう、強く思うようになった私は、たまたま、教えていただいた、福島での花火で、5年後の福島の海を訪れたのであった。

しかし、福島の海は遠かった。

夕方にやっと辿り着いた時、長時間の移動で、すっかり、疲れ果てていたのだが、聞いたことのある方々の、歌が聞こえてきた。

美しい飛行機雲。

いってしまったブラックバード。

そろそろ夜になる。と歌う。

それから、おもむろに花火が打ち上げられた。

一つ一つ。

花だけでなく、円を描いたり、ピースマークであったり。

福島の人は、前を向いて行こうとしているのであろう。

悲しい歌よりも、楽しい歌を歌ってほしい。と言われたらしい。

私は、5年前から変わらず、同じ日本にいながら、やはり、遠くにいたのだと気付いた。

急に訪れたとしても、近くなり過ぎて、感情と体と眼差しと、花火に対するカメラの焦点さえも合っていない気がした。

そこで暮らしてきた方々は、すでに、5年はずっと向き合って、ここに焦点を合わせ続けていたのだ。


花火は次から次へと上がっていった。
少しばかりの煙の後に。


花火大会が終り近くになって、時々は明るくなる中、携帯のライトを使って探し物をしている女の人がいた。


何か探されているのですか。


ああ、鍵をなくしてしまって。


女の人は、一緒に探し出そうとした私に、


いいんですよ、せっかくの花火を楽しんで。


と言って、暗闇にまぎれて、どこかに行ってしまった。


私は、見つけても渡しようがなくなったが、できることならと鍵を探してみることにした。


せめて花火が終わるまで。

一つの魂のようなものが見つかるように、草々をもがいて、もがいて。

草の中の蟻のような鍵を探して、蟻のようにもがいて。



花火が終わってしまった。

鍵は見つからないままだった。



せめて、海を、福島の海を見てから帰ろうと思い、帰りの渋滞の道の反対の、海の方へ向かった。



夕方には、青い海が遠くにうっすら見えた気がしたのだが。

海は暗闇と溶けたようにして、見えないようであった。

せめて近くに行けば、見えるかもしれない、見えるだけでなく、海に触れたいと思ったが、小高く死者を埋めるとされる土まんじゅうのように土が盛られ、海に触ることすらできなかった。


海に近づくにつれ、足元に草木が生えてきてはいるのだろうが、生き残った木々が、私のように突っ立ったまま、あの時を止めたままでいるようであった。

5年前には戻れない。

我々は、すでに5年後に来てしまったのだ。


そう呆然と、思いながら、帰り道をなんとか暗闇から探しながら引き返した。


行き道で、少し立ち寄った、千貫森で、夜を越そうと思った。

そこは、昔から、光るものが見えるという、いわゆる、未確認飛行物体のよく見かけられる、地場が他とは違う場所であるという。

未確認飛行物体ふれあい館なる建物もあるという。

温泉付きで意外と景色が良かった。

その近くで、車中で仮眠するつもりで行ったのだが、先客がいて、居心地があまりよろしくなかったので、ゆっくりできそうな場所を探していた。

川俣まであとどのくらいだろうか。

と車内時計の方角を見た。10時くらいであったろうか。

その時、三角形の光るものが、左斜めにゆっくりと流れていった。

昔見た獅子座流星群かと思ったが、それにしてはゆっくりすぎた。

もっと、線を描くように見えるか見えない速さで一瞬で流れていくものだったが、それは、ゆっくりと、ぷっくりとした三角形が光りながら降りて行ったのだった。


花火が散るように、残像を残すように。

有り難く。消えていった。
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by akikomichi | 2016-08-12 16:28 | 詩小説 | Comments(0)