『茅葺の村』

茅葺の村に行ってきた。

山奥にある、今は暑いさなかの村だ。

一つは閑散として人が生きて静かに暮らす村。

村の入り口に、茅葺の水車小屋があった。

茅葺にも、いろいろある。水車小屋であったり、仏さんを祀る茅葺であったり、大桃のような神社の舞台であったり、人が暮らしていく上で、茅葺はいつもそこにあったのだ。

小さな茅葺の屋根に守られた仏さんの真向かいに、無人販売所に無造作に野菜が置かれていた。

人がまばらに村に入ってくると、村に住む女性なのだろうか、おもむろにどこかから出てきて、野菜の補充などをしだした。


今日は暑いですね。


お互いに、本当のことを話しながら、そこにある野菜に目を走らせた。


とうもろこしは、もう無くなったみたいだけど、ここにあるものは一袋百円です。


おかっぱでモンペ風の服を着ている女性が言う。


量の割に安いので、サヤエンドウとジャガイモを買う。

坊ちゃんかぼちゃもキュウリもあったが、茅葺職人のインターンで手伝っている茅葺保管倉庫近くに住んでいる息子さんが射撃のオリンピック選手だという方に頂いたので買わなかった。

そういえば、すでに開催されているリオオリンピックでは、柔道が銅、水泳が金、銅を立て続けに取ったというが、リオも暑いのだろうか。

そんなことを漠然と思いめぐらしながら、坊ちゃんかぼちゃの太陽をたくさん浴びたであろうゴツゴツとした深い緑の皮を眺めていた。

おかっぱの女性が、


もうすこし奥に行くと薬師堂がありますよ。行ってみたらいい。


と言って、村の女の人が二、三人で静かに話している寄りあいの中に、


暑いねえ。


と言いながら、入っていった。

私は、薬師堂を目指して、暑い道の上を歩いた。

どこからきたのかよくわからない親子連れの母親も細くて長い石段を登ってきていた。

登りつめると、薬師堂があり、そこから村が見渡せた。

あのおかっぱの人は、この村を一目で見渡せる場所を知らせてくれたのだった。

東日本大震災の際、神社のあるところは、こういった高台にあり、そこが流されるか流されなかったかの分岐点になっていたことが多かったというが、この薬師堂には、村の中よりも緑を含んだ風が心地よく吹いていた。

見渡せば、茅葺の尾根のようにも見える。

曲家の多い前沢の集落であった。




もう一つは活気付いた観光地として生きる茅葺の村、大内宿集落があった。

そこには段々畑のように刈り取られそうな駐車場が幾つかだんだんになってあり、だんだんの下の方から、登ると村まで干上がりそうなくらい暑かった。

冬は、尋ねるのさえ難しくなるであろう村々であったが、夏の暑さは、それほど変わりはなかった。山の上なので照りつける日差しもより多いのかもしれない。


村の入り口には、茅葺の普通に暮らす家があるようであったが、軒先にはぶどう果汁の瓶や自家製の味噌のようなものが置いてあり、半分無人化していた。

草刈機を持った老人が出てきて、今から、裏庭の草でも刈る用意をしているらしかった。

その先には、土の道を挟んで、小川のような水路がちろちろとと両脇に流れ、茅葺の家には土産屋やネギっこ一本で食べるというネギ蕎麦屋などが軒を連ねていた。

茅葺の店には誰もいなくて、黒猫だけが縁側で伸びをしながらごろごろと眠っていたので、なんとはなしに近づいていった。

猫は眠りながらも、片目を開けて、こちらを一瞥するとまた、何事もなかったように、今度は丸まって眠り始めた。

ふと見ると、説明書きがしてあり、そこにイザベラバードが宿泊したと書かれていた。

柏崎で、そういう話を聞いたことがあったが、どこの村に宿泊したかは、はっきりとしなかったのであるが、その宿とされた村が、この村の、この黒猫が眠っている茅葺の家だったのである。

誰もいないと思っていた店先に、女主人であろうか、いつの間にか座って、じっとしていた。

ここの方々は自然と、風のように、そこに来る。


あの、こちらにイザベラバードが泊まったのですね。


私は、女主人に書いてあるままのことを聞いた。


ええ、そうなんですよ。明治時代にね。一泊だけされたって聞いています。


イザベラバードさんは一人で来たのですか。


確か、書生さんを連れていたって、ええ、通訳のために「いとう」という書生を。


何才くらいだったんですかね。


そうねえ、47才くらいだったらしいですよ。馬に乗ってねえ。


イザベラバードも通訳を連れてはいたが、ほぼ同い年で、しかもほぼ単身でここを訪れていたということである。しかも馬に乗って。


急に、イザベラバードが近くなった気がした。


イザベラバードは、横浜あたりから日本に入って、ここまで来たんですかね。


そうらしいですが。横浜から、日光、ここにきて、会津若松にはなぜか立ち寄っておられんの。そのわけもわかるけどねえ。その頃はまだ会津の戦さの爪痕がひどかったろうし。それから新潟さいって、北海道まで行ったらしい。

女主人は続けた。

そうそう、イザベラバードが泊まった時に、葡萄酒を飲んでいるのを見て、村の人が生き血を飲んでいると怖がったという話があってねえ。この前、富岡の製紙工場を訪れた時ですよ。同じような話を聞いて、驚いたんですけどね。外国人の技師がやはり葡萄酒を飲んでいたから、女工さんたちが働くのをやめさせようとした親御さんたちがいたっていう話なんですけどねえ。面白いですよねえ。生き血を飲むなんてねえ。

と、女主人は、さも面白そうに話した。


さっき葡萄果汁を見かけたんですが。それとは思わなかったんですかね。


その当時、葡萄があったかどうかもよくわからなかったが、そう聞いてみた。


あったとしても、色が赤くはないんですよ。葡萄色といいますかね。真っ赤じゃない。日本にもドブロクやらの白い酒、透明な清酒はあったんですがねえ。赤はなかったんですよ。


女主人は、赤にこだわっていた。

黒猫が、傍で気持ちよさそうに伸びをしている。赤い舌がちろっと見えた。


あの黒猫は、名前は何て言うんですか。


ああ、あの子はね、きゅうちゃんって言うんですよ。足が速いんで、きゅうちゃん。オリンピックにも出たあのきゅうちゃんにあやかってねえ。


じゃあ、女の子なんですかね。


そうそう、でももう8歳なんですよ。


老婆の域に達しそうであったが、華奢でまだまだ細く俊敏な漆黒の肢体をしていた。


とち餅をその店で手に入れ、道の行き着く先を見上げれば、やはり、鳥居のようなものがあった。

村を見下ろすところに、神社仏閣祈りの場あり。

踵を返すように、今度は反対側の茅葺の店を探索していると、猫の好きだというマタタビの枝と実が置いてあった。

きゅうちゃんが飛んでこないのは、なれてしまったのか、すでにマタタビにやられて、ゴロゴロしていたのかは定かではなかったが、店番をしているほっかむりをしているばあばさまに聞いてみた。


このマタタビの実はのう、朝採ってきたばかりよお。


ばあばさまが、笑いながら言う。


これをさあ、焼酎につけて飲むのお。わたすう、誰もおらん時に、いっぱいきゅうっと飲むのお。朝と晩、いっぱいづつなあ。もう、これが薬よお。ピンピンしとるよお。


ばあばさまは、美味しそうにきゅうといっぱい飲んだふりをした。

少し、赤ら顔に見えたのは、そのせいなのだろうか。


私もつられて、いっぱいやった気になりながら、やはり朝摘みのミョウガを手に入れて、一個だけマタタビの実をばあばさまにもらってかえった。
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by akikomichi | 2016-08-07 16:26 | 詩小説 | Comments(0)