「雷の警告」2

今日は救急車の音が聞こえない。

暑いこの時期か、寒い時期に多くなるのが、近所の集合住宅のお年寄りの死の警告音である。

赤色をしたサイレンが近くに止まると、心臓が止まるような気になる。

それから、しばらくして、また死への往路をひた走る音が鳴り始め、死が遠ざかるまで、なんとはなしに耳を傾けるのだ。

死は生の少し前を走り、置き去りにされた音だけが、生の名残を赤く回し続け、最後にはいなくなるのだ。



以前、仕事場で友達と一緒にポスターを作っていた時、救急車が近くの集合住宅の一角に止まった時のことだ。

窓の外に目をやり、救急車から降りてくる白服の救護員の人がせわしなく建物を駆け上がっていくのを見ながら、急に、

茅葺屋根の家に住みたい。

と友達が言った。

ここにはない、朽ち果てていくような茅葺きの下、警告音など気にも留めない、見えるもの見えないものすべての「存在」するものが、そこにあるような、そういうところがいいという。

私は、友達の空洞のツボに穴を開けた「うどぅ」を叩く音と友達の自然にもれいでてくる体の穴の音に耳を傾ける。

友達は、目に見えない存在と体全体で交わるように音を出す。

私は、一つの目に見える存在としてそこにいるだけである。

それも自然の一部であるということを、受け入れもせず、拒否もせず、そこにいるのだ。

世の中は腐っている。

というならば、腐りゆくこの世界の一つである我々は、漏れ出る音に包まれながら、腐って、何、朽ち果てていくのである。

あの雨漏りのする、白カビ臭のする、茅葺屋根のように。

坂道を上り詰めると、その茅葺の家はあった。

坂道の途中には、養豚場があった。

豚の鳴き声は聞こえないが、そこに養豚場と書いてあったので、そこに豚がいるに違いないと思われた。
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by akikomichi | 2016-07-08 16:01 | 詩小説 | Comments(0)