『国家と集合体 それから星』

島国のN国は、無理をしてまで、「集合体」になる必要もないが、「国家」として言葉はゆるく一つに繋がっており、文化もある程度繋がっていった。
島そのものが一つのものとして、ぽかんぽかんと浮かんでいるようなものなので、最初から大小こもごもあれど、島そのものとして自己完結しやすく、国を選ぶあるいは国のサービスを選ぶ、生きる場所を選ぶなどという発想よりも、そこで生まれて、そこで生きるということは、お互いに干渉しすぎることもなく、ゆるくつながることを前提とはして、ある程度、自然発生的な繋がりであったと言えなくもなかった。
力関係はそれなりにあったと言えようが。


「国家」そのものが「家」ではなく「集合体」の一部になった我々は、言葉の違い、文化の違いはあれど、住む場所と生きる場所を選ぶだけのことである。
O州連合のものは口々に言った。
移民が押し寄せてくる間にも、そのことは、実証されつつあった。
移民が定住してくることから、様々な軋轢が生まれてくるのは、その数だけの、可能性を秘めているが、どこまで持ちこたえれるか、誰にもわからず、試行錯誤の途中であった。


A国は「国」が集まったのではなく、州が集まった「集合体」の「国」となった。先住民族は囲われたが。
言葉は一つが支配しているが、それぞれの移民の言語と文化は、それぞれの移民の集ったコミュニティの中で、温存され、生き続けていた。
文化は、いずれ混ざると思われたが、なかなか混ざり合うことはなかった。いろいろなものがそこにある。という自己主張の場を、民族それぞれに、公として、ある程度、提供していると言えなくもなかった。


C国は国であったが、他の国を、吸収合併し、そこの文化と財産を我がものに塗り替えていった。
力関係は中央に集結し一党独裁となっていた。虐殺は今も伏せられ都合が悪いことは門外不出であった。
どこの国でも、それは多かれ少なかれあったが。
数が多く、大雑把に人が殺されていくようで、人々には見えないことが多く、あらゆる真相も、新幹線事故でさえも人柱か人型や馬型の土器のように穴を掘って埋められて、何事もなかったように捧げもののように忘れさられた。
逃げてきた被害者の声からしか知ることができず、今もって、つまびらかに語られることはなかった。


K国は半島に位置していたが、半島の半分を占めている己の身の振り方が、いつまでも半分であるような、半身であるような、半分島であるような、半分大陸であるような、ある意味、中途半端な、立ち位置にあった。いずれにせよ、どちらにもなれないのであった。
国家を選ぶということは、国家サービスを選ぶということである。K国のものが言った。
半分になった北か南か選ぶということは、言葉の壁はなくとも、命の柵越えが必要であった。
その半島を抜け出すことが、その命の柵越えの立ち位置からの逃走となるのであった。



ところで、国家も集合体も超えたところに行ったと言えるのが、宇宙コロニーである。

火星に「移民」するのではなく、「移住」するものは、確実に元地球人として、火星人となっていくであろう。

地球を忘れかけた頃、神話となって、地球は語られるであろう。

昔、この宇宙の始まりに、地球人があった。と。

島、半島、大陸を超えた星、そのものがまた、一つの島のように宇宙に漂っていると、我々は、はたと気づくのだ。
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by akikomichi | 2016-06-08 14:43 | 詩小説 | Comments(0)