マイミクさんのつぶやきより

マイミクさんのつぶやきにしょうげきをうけた。

米国に棲んでいるというその方は、公立の小学校の教員をされていて、何人も先生が変わらなければならないくらい、問題のある生徒を指導することがままならないという。

幾つもの公立校から追い出されて、転校してきたそのマイノリティの子は、歩きまわったり、鉛筆で腕を刺したりするので、注意深く見ていると、他の子への注意が散漫になりかねず、学級崩壊を招く行為を繰り返す生徒の方の肩に触れるだけで、マイノリティの子は人権侵害だ、差別だと言ったり、するという。

そういうことで、自分が最低限するべきことを回避し、やりたくないことを回避してきたのは明らかであるが、最低限の安全を疎かにしている点において、間違っていると認識できない、目隠ししているのが、米国の現状だと思われた。

鉛筆の尖った先で危害を加える時点で、他の人への配慮は一切ない人権というものが、あまりに捻じ曲げられていることをこそ、問題と見るべきであるところを、その場しのぎで、生徒を校長か教頭かが学校中を歩きまわらせて、その子の悩みを聞いてあげてよかったよかった。という何も良くならないカウンセリングの自己満足的医師と何ら変わらない対応で、何も救わない、全てを駄目にすることを目的としたような、私はとっても悪い子のことがわかるとってもいい人的な人の、偽善的対応に疑問を持つ。

そういう教育が徹底している、法律でがんじがらめにしてきた米国の悪法のために、暴れるものは暴れまくり、普通に勉強をしているものは、われ関せずに成りはてるしかないという。

そういう教育が果たして、世のためになるとは到底思えない。

自国のマイノリティには公の場での態度だけは優遇している一方で、安くこき使うことには冷酷であり、一部の金持ちには関係ない公立のことなので、やりたい放題していることは、どうでもいいのであろうが。

直接目にしない他国においては、我関せずで、爆弾を落としまくるメンタリティは、どこから来るのか。ここからも、その偽善的無関心が臭ってくる。

見せかけの偽善を押し付けられて困るのは、いつも国民である。

あのLGBTなるものの広報活動の胡散臭さとも連動している。

多くのものにだけ、我慢を強いるのはいかに偽善か、という問題提起をされている。

日本においては、スーパーなどでは、ユ二バーサル?トイレなるものがあり、子供連れや妊婦の方や、実家の父や義母のような障害のある方もゆったりくつろいで使うことのできるトイレが有り、そこを一般の人も使えるので、同じように性に違和感を持たれる方も使えば何ら問題はないと思われるが。
学校などでは、そのようなトイレは少なく、戸惑うこともあるのかもしれないが、教師使用のトイレなども別個にあるので、そういったもののユニバーサル仕様?というものが一番スムーズに行くかとも思われる。

米国の場合は、自分の意識する性にしたがって使用するようにと通達があったらしいが、あまりに現場に、まかせっぱなしの、混乱させるだけの通達で困惑している様が見て取れた。




そのような世界には決してしたくはない。

ダメなものはダメというものに、差別というキーワードで、なんでも通用するような法律を作ってはいけないものを、その手助けをするとはなんという馬鹿なことをしているのであろうか。

やりたい放題のものがいても、何もできない世界にしたいのか。

馬鹿な議員がいる。

在日の人が日本人青年をリンチしても、我関せずの政治家などがいる限り、日本は腐り続ける。

元アメリカ兵の事件と重なり、この法案が衆議院でも通過したことも合わせて、みるにつけても、マイノリティが少数のものが弱いのでは決してないのだ。

武力や、法律によって、日本人を押さえつけようとしていることにこそ、憤慨し、戦わなければならない。

日本人は、あまりに、刷り込まれすぎている。われ関せずに仕向けられている。

お仲間集の呆れ果てた、デマということにして、なんでもないことにしてしまう、国民の税金を食い物にしているものの、大いなる偽善は絶対許されない。

大學はそのようなものの巣窟になってしまい、行く価値はなくなりつつある。
そもそも、勉強は自分で探して、つかみとるものであるなら、お仕着せの金ばかり絞りとる、大学に行く必要性もさらに薄まるのは、確かである。

理数系はまだ、そのようなものを寄せ付けないものがあるようなので、ましであろうが、差別利権で人権を食いものにするだけの、そのようなものが幅を利かせるだけの自称高等教育も自称芸術もいらない。


[PR]
by akikomichi | 2016-05-21 08:28 | 日記 | Comments(0)