『地下鉄の記憶』

もう二十年以上も経っていた。

地下鉄に乗る時間がもうすこしはやければ、もしかして、この世にはいなかったかもしれない、あの日のこと。

今日は、生あたたかく、あの日はもっと寒々しかったような気がしていた。

人の肌感覚は、遠のく一方で、いつの間にか、気持ちだけが寒々しくなっているようで、身震いがする。

吐き気だけは覚えていたのだ。

無味無臭の。

少しきな臭い気もしたがたぶんすぎたかふんのせいだろう。

どこかで、うずくこめかみのにぶい、おやゆびでぐりぐりとゆっくりしめつけられるような、にぶいいたみとともに。

ふいに、よみがえるのだ。

通り過ぎた地下鉄の駅で、すでにおこってしまっていたさりんの死は、地下鉄の扉の向こうにあったのだと。

どこからか、暗い地下鉄の向こうの方から、「ぼうしにちゅうい!」がきこえてくるような午後。


あのひとがうごかすでんしゃが わたしのぼうしをとばすかもしれない


だっただろうか。

初めてこの歌を聞いた時、ぼんやりと、あの記憶を思い出したのだ。

あの風はたぶん、音速をたよりに、暗い地下鉄の向こうから、やってくる。

あの扉の向こうに、無数のめまいがまきおこり、嘔吐がひろがった。

神経がぽあというなのひとごろしにころがされ麻痺していく午後。

じゅうていおん、じゅうていおおん、じゅうていうおおおんん。とともにとおりすぎていく、むこうにある闇。

遠のいていく、記憶は、人の顔をした見えなかった悪意を、遺族の立ち会いのもと、おいつめていく。







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by akikomichi | 2016-03-21 00:45 | 詩小説 | Comments(0)