2016年 02月 23日
『ぱちんこをもやせば』
ぱちんこをもやせば、死刑確定。になったものがいた。
死刑は望まない。
日本人は、毎日、死と隣り合わせで、無理やりあらゆるところで違法賭博をしているものを、見せつけられるているのである。
生きながら、死刑場を見せ続けられているに等しいのである。
だから、死刑は望まない。
その状況を、なくすまでは、このような事件は、起こりうる。
言っておくが、死刑は望まない。
ぱちんこは、日本にいらない。
日本を貶める死刑場はいらないのである。
昼間か夜かはしらぬが、ぱちんこをしていたものが、何人か亡くなったかどでの罪だという。
ぱちんこは、日本にはいらない。
なくなってほしいというのは、大方のぱちんこを拒絶している日本人の切なる願いであるが。
どのような形であれ、人がなくなることは避けてほしい。
火をつけたものが殺人ならば、ぱちんこそのものが、育児放棄された子を殺し、借金まみれになった家庭を壊し続け、トイレで首をつって死んでいるという事例さえ、生み続けているのを、見過ごしていることこそ、殺人及び殺人幇助の犯罪であり、それを野放しにしていることなのである。
ぱちんこをもやすのではなく、消火消滅させることが、日本人の望みであり、希望である。
ぱちんこは、日本にいらない。
by akikomichi
| 2016-02-23 16:46
| 詩小説
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