拉致問題に関して

 日本人として、覚悟しておかなければならないこととして。

 これから起こりうることのひとつとして、仮に、なんらかの動きがあり、拉致問題が進展したとして、北朝鮮から政治犯として、日本に送還されるものがいたり、あるいは、難民として、日本に帰国事業が展開するかもしれない可能性は無きにしもあらずである。ということ。

 それは必ずしも、手放しで喜べることではないということを、残念ながら、考えざるを得ない。

 その帰国者の中に紛れ込んだ工作員があると思うのは、残念ながら、不自然なことではないからだ。

 むしろ、その負の面を最初から、誰でも背負わされているのが、現実であろう。

 それが、差別などというものは、現実を見ようとしない、偽善者でしかない。

 あるいは、その工作の片棒をかつぐ勢力であると判断されても、致し方ない。

 北朝鮮からの不法な拉致被害者を出し続けた、厳格な取り締まりすら禁止されていたといっても過言ではない戦後レジームの中で、不法に制限されつづけた言論、政治、防衛力、司法であった「日本」に限らず、どこの国においても、世の中の目は、それほど、生易しいものではない。

 そもそも、拉致をなかったことにしていた、日本国内で北朝鮮と太いパイプを持つという社民党など政治勢力も、突き詰めようとしなかった北朝鮮よりのマスコミも、未だにタブーのように、当たり障りがないことだけを取り上げるのを、見るたびに怒りが収まらないのは百も承知だが。


 拉致問題で一番懸念されることは、政治犯として投獄されているものの一部か、あるいは大方が、何らかの形で、家族や血縁関係などの北朝鮮残留などによる人質的配慮からや、己のそれまでの生きた場所への愛着、信条によるものから、北朝鮮に忠誠を誓わされている可能性は否めないということである。

 それは、残念ながら、その人の言動を見極める上で、拉致という心理的追い込みをされた方々の背負わされたものへ、バイヤスがかからざるを得ないものであり、それを乗り越えるには、その人の、これからの生き方でしか答えは出ない。

 他のものには、うかがい知れない世界を見てきたものには、残念ながら、そういったバイヤスがかかるのは、致し方ない事実であるが、そこに事実があるならば、誰に疑われようが疑われまいが、その人はそこで生きていくであろう。

 事実こそ、すべて。

 
 

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by akikomichi | 2016-01-20 09:41 | 日記 | Comments(0)