だまされたまやかしの戦後50年談話を破棄するべき

https://twitter.com/tolucky7797より以下抜粋


【戦後50年談話③了】土井たか子議長の”奇襲作戦”により衆議院の過半数を下回る230名の賛成で1995年6月の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は可決された。わずか6分間の早業だった。朝日新聞はなぜ、こうした事情をちゃんと記事に書かないのか。

【戦後50年談話②】1995年6月9日は金曜日だった。「今日は採決しない」との通達が回り、国会議員は退席した。ところが、午後7時53分、土井たか子議長が突然、本会議開会のベルを鳴らした。出席したのは492議員中、251名だけだった。午後7時59分、賛成230名で決議は可決された。

【戦後50年談話①】安倍氏は国会決議を欠席、村山首相は談話を決断(朝日)http://digital.asahi.com/articles/ASH330G9RH32UTFK01N.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH330G9RH32UTFK01N …
>この記事では、1995年8月15日の村山談話に先立って行われた6月9日の国会決議に安倍晋三議員ら自民党保守派が反発して欠席したように書いてある。真っ赤なウソだ。

→南京戦を取材した250人の日本人のマスコミ関係者の中で戦後になって南京大虐殺を告発した人は一人もいない。
だが、朝日新聞で連載が始まった『中国の旅』の中で南京戦のときに5歳だった本多勝一記者が南京大虐殺を伝えた。中共が用意した自称・被害者の言葉をそのまま記事にしたのだ。→

杉下左京 @tolucky7797 · 16時間 16時間前
→勿論、この朝日新聞の報道は嘘だったなのだろう。市民を保護していた南京安全区国際委員会は食料確保のために人数確認をした。その数は12月13日の首都陥落前が20万人だったが、1月には25万人に増えていた。逃げていた市民が返ってきたのだ。無論、このデータも捏造に違いない。→


→当時、南京陥落を取材するために朝日新聞や東京日日新聞などの記者やカメラマンなど250人のマスコミ関係者が南京戦に従軍した。朝日新聞は南京陥落後1か月間で6回も南京特集を組んだ。そこには皇軍兵士から食料を貰い、笑顔の市民や、軍医の診察を受ける親子の姿などが伝えられている。→


→そこにやってきた残虐な日本の獣兵が30万人の南京市民を銃剣を使って僅か6週間で虐殺したらしい。でも不思議なことに、日本軍は外国人居留地にいる難民のために食料を寄贈して安全区国際委員会から感謝状を貰っている。大虐殺の前に難民にたっぷり食べさせたということか?→

→つまり、哀れにも性奴隷たちは日々、延べ400万~600万人の兵士に強姦されていたというのだ。これを兵士の側から見ると、毎日2~3人の女性を強姦していたことになる。
また、南京では蒋介石ら幹部や金持ちは逃げ去り、行くところがない市民20万人が外国人居留地に保護されていた→

→『慰安婦20万人残酷物語』や『南京30万人大虐殺』を否定する者はholocaust否定のneo-Naziと同じrevisionist(クソ野郎)ということになる。
大東亜戦争中、皇軍が展開した兵力は200万~300万人。性奴隷20万人は毎日20~30人に強姦されていたらしい。→

The Times氏によると籾井NHK会長は“a nationalist broadcasting chief who has revisionist views on the country’s conduct in the Second World War”.となる→

ソ連のスターリンもまた日本を戦争に巻き込む事を画策していた。支那大陸で日本と国民党を戦わせる。どちらが勝ち残っても疲労困憊しており、そこを無傷の共産党八路軍が叩く作戦だ。スターリンの目論見は的中した。勝ったのはスターリンと毛沢東、負けたのは植民地を喪失した米英蘭、そして日本だ。

徳川家康が天下獲りのために「関ヶ原」を欲したように、FDRはWW2に参戦する大義名分として「パールハーバー」を必要としたのだ。11月26日、米国は事実上の最後通牒であるハル・ノートを駐米日本大使に手交した。実は、この草案を書いたのはコミンテルンのH.D.ホワイトだった。

「昭和16年7月28日、皇軍は南部仏印に進駐。これを受けて米国の日本への原油輸出(当時に日本は原油の8割を米国に依存)が禁止され、日米関係が悪化した」ということになっている。
だが、FDRは7月18日に日本への空爆を求める米軍の書類にサインしていた。→

杉下左京 @tolucky7797 · 3月3日
開戦の御詔勅⇒http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm …

昭和20年8月15日の「終戦の御詔勅」は多くの人が知っている。しかし、戦後になって昭和16年12月8日の「開戦の御詔勅」を知る者が減った。
だから「日本はあちこちに喧嘩を売りまくって、その結果、焼け野原にされた」という「連合国戦勝史観」に洗脳された馬鹿ばかりになった。

偶偶多摩散歩 @hexagram6star · 3月3日
資源国じゃないのに、世界中に県下売りまくって、最後に頼ったアメリカにも「ざけんな!」と手を切られて、開戦。燃料ない、資源ない、食糧ないの日本は結果焼け野原 RT @NAVY_ICHIHO: 先の大戦はなんで突入したんだっけ?
[PR]
by akikomichi | 2015-03-05 08:17 | 日記 | Comments(0)