鬼怒鳴門さんとみしまさん

アメリカで生まれたドナルド・キーンさん(92)は京都大学の大学院に留学。永井荷風谷崎潤一郎など多くの作家と親しくなった。なかでもいちばん親しかったのは三島由紀夫だったそう。そんなキーンさんが三島の自決を語る。

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――キーンさんが16年間にわたって親交を結んだ三島由紀夫は、昭和45(70)年11月25日、市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で割腹自殺した。昭和の文学史上、もっとも衝撃的な事件だった。

 彼と最後に長く話したのは、その年の8月、伊豆の下田でした。彼は8月は子どもたちの時間だと言って、普段はすれ違いで顔を合わせることの少ない子どもたちのために、8月を下田のホテルで過ごしていました。その夏は私も同行したのです。

 私たちは下田に着くとすぐに寿司屋に入りました。すると彼は、トロだけを食べるのです。そして「他のものを食べる時間がないんだ」と言うんです。私は冗談だと思っていましたが、彼はトロだけを食べつづけていました。

 やはり下田にいるときに、二人で海水着になってプールサイドで話したことがあります。三島さんは水に入ろうとしなかったのですが、私は何の理由もなく三島さんに「何か心配事があるのなら言ってください」と言ってしまったんです。彼は視線をそらして、何も言いませんでした。その後、普通の話題に戻ったんですが、私は、ふと何かしら感じるところがあって話しかけたその瞬間を忘れられません。話しかけてすぐ、自分は言ってはいけないことを言ったのだと思いましたが……。

 きっと彼は、11月25日のことを考えていたのでしょう。

 事件の当日はニューヨークにいました。夜の12時頃に読売(新聞)のワシントンにいる記者から電話がありました。彼は私が三島さんの友人だということを知らず、ただ親日的なアメリカ人として「三島さんが今日、切腹しましたが、ご感想は?」と訊いてきたんです。私は何も言えなかった。私はたまたまニューヨークにいた永井道雄さんのホテルに電話しました。当時、朝日新聞の論説委員だった永井さんはすぐに東京に問い合わせてくれて、「本当だ」と。

 その後は朝の7時まで日本のマスコミからの電話が鳴りっ放し。一様に「自殺の気配は」と訊いてきて、私の返事も同じ返事。やがて自分の声が他人の声のように思えてきて、自分が一種の機械になったような気がして、何も感じられなくなりました。

 2、3日後に三島さんの最後の手紙が届きました。奥さんが机の上にあるのを見つけて、押収される前に送ってくれたのです。その手紙を読んで、初めて三島さんの死を事実と認められました。

 自死の理由は、いまもわかりません。

※週刊朝日 2015年2月20日号より抜粋

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by akikomichi | 2015-02-15 08:22 | 日記 | Comments(0)