2015年 02月 04日
『笑い』
どうしようもなく、からからと笑うのだ。
笑うことで、人を遠ざける。
邪気からか、人からか、緊張からか。
あるいは、それらすべてからか。
耐えられず、その場を離れるものもいる。
生きたままか、死んでからか。
命とは、勝手に拘束され、勝手に空爆され、勝手に焼かれ、勝手に刺され、勝手に切られるものであったと、気づいたときに、人は逃げる。
笑いにか、その場からかは、個人差がある。
一方で、クソコラでいじり倒されたマザーアースは、カラオケで世界平和を歌っていた。
他方で、ピラミットの下敷きになりたくないので逃げた人もいた。
あるご婦人はなくなった。
戦場でもないのに。
ピラミットの下敷きになって。
いつも忙しく、人の世話をしていたご婦人は、若くしてなくなった。
人を助けようとしているものが、ボロボロになって死んでいく。
余計なことをしたということで、袋叩きにあって。
世の中は、余計なことばかりである。
やらなくていいものを、やりたがるのが、ひとである。
やらなくてもいいことをやる。
では、やらなくてはならないこととはなんであろうか。
たべること、ねること、それらを満たすくらいの安全を満たすこと。であろうか。
すくなくとも、後は自由であったはずだ。
安全であるために、不自由になるのが、人間であった。
窮屈でしかたがない。といいながら、どんどん、新しい不自由を作っていくのだ。
檻の中、焼かれたのは我々人間の何かだ。
不自由の中、身動き取れないまま、見せしめのため、じわじわ焼かれていく、ぶつ切りの動画の中の何かだ。
作られた動画の中に閉じ込められたのは、己の見えない笑いであった。
by akikomichi
| 2015-02-04 12:56
| 詩小説
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