『笑い』

人がいるかいないかを確かめるように、死ぬか死なないかの瀬戸際に、人々は笑うらしい。

どうしようもなく、からからと笑うのだ。

笑うことで、人を遠ざける。

邪気からか、人からか、緊張からか。

あるいは、それらすべてからか。

耐えられず、その場を離れるものもいる。

生きたままか、死んでからか。

命とは、勝手に拘束され、勝手に空爆され、勝手に焼かれ、勝手に刺され、勝手に切られるものであったと、気づいたときに、人は逃げる。

笑いにか、その場からかは、個人差がある。

一方で、クソコラでいじり倒されたマザーアースは、カラオケで世界平和を歌っていた。

他方で、ピラミットの下敷きになりたくないので逃げた人もいた。

あるご婦人はなくなった。

戦場でもないのに。

ピラミットの下敷きになって。

いつも忙しく、人の世話をしていたご婦人は、若くしてなくなった。

人を助けようとしているものが、ボロボロになって死んでいく。

余計なことをしたということで、袋叩きにあって。

世の中は、余計なことばかりである。

やらなくていいものを、やりたがるのが、ひとである。

やらなくてもいいことをやる。

では、やらなくてはならないこととはなんであろうか。

たべること、ねること、それらを満たすくらいの安全を満たすこと。であろうか。

すくなくとも、後は自由であったはずだ。

安全であるために、不自由になるのが、人間であった。

窮屈でしかたがない。といいながら、どんどん、新しい不自由を作っていくのだ。

檻の中、焼かれたのは我々人間の何かだ。

不自由の中、身動き取れないまま、見せしめのため、じわじわ焼かれていく、ぶつ切りの動画の中の何かだ。

作られた動画の中に閉じ込められたのは、己の見えない笑いであった。
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by akikomichi | 2015-02-04 12:56 | 詩小説 | Comments(0)