2014年 12月 08日
かんじょうのもんだい
道場に行くとばどみんとんをしていた
畳の上でばとみんとん
なんというばちがいてきな
しゅーるな世の中
体育館で剣道をするときは何も感じないのは
借り物だから
箱物だから
誰が何をしてもいいように
予め決められていないものだから
よけいなかんじょうはないのかもしれない
はじめから道場として心尽くしている
ものが少しでもいるとしたら
そこに土足で入るような
ふみにじるようなことに
いたたまれなくなるのは自分だけであろうか
モップで剣道場を拭いていないところでは
雑巾で膝つき合わせて手を尽くして
拭きあげるのだからいたまと身体が近いのだ
なにかが棲んでいるように
尽くしてふくのだ
何もないがらんどうなたてものとは思っていない
何かに尽くしているのだと
いう思いはどこかにあったのだろうが
なにもないせかいでは
かんじょうはころされ
たいかいで
かつかまけるかがもんだいで
かちのこりしじょうしゅぎの
れんしゅうのばになり
むきしつなだれにでもひらかれたばになるだけで
いいかわるいかではなく
そんとくのはなしでもなく
かんじょうのもんだい
by akikomichi
| 2014-12-08 14:08
| 詩
|
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